十勝農業高校では、バターについて習っています。
そのまま実習で作ることになり――なつ、雪次郎、よっちゃんの班でバターをグルグルしています。
雪次郎は、父・雪之助が柴田牧場のバターを欲しがっていると言い出します。
バターで新商品を作りたいんだって。
なつは、
「作りたいけど流通手段がないとね」
と言います。
そこか。雪次郎はうちでなら絶対使うと太鼓判を押すのですが、それだけではね。
それこそ農協あたりのお仕事かもしれません。
いっそ雪次郎が作ればいいのに、そのために農業高校に進学したのではないかとつっこまれるのですが。
そういうことに鋭い、ロマンチストなよっちゃんがいいことを切り出します。
「牛飼いの娘と結婚すれば早いべさ」
「夕見子ちゃんと❤︎」
そんな妄想脱線を修正し、それならばなっちゃんが作った方が早いべさ、という流れになります。
なつも、いつかは作りたいのです。
なつは漫画映画を作りたいのか
このあと、なつは山田家で天陽とスケッチをしています。
『ファンタジア』を誘いに来たのでしょう。
「漫画映画を作りたいのか?」
天陽はそう尋ねて来ます。
手紙によれば、兄の陽平はあのスタジオにとどまり、そのまま東洋映画に合併されるのだとか。
「なっちゃんが来たいなら相談に乗るって」
「行けるわけない」
なつは、天陽の言葉に戸惑っています。
牧場があるから行けないのか、捨てられないのか。そう天陽は言い出します。
「牧場はやりたいよ。映画は見るだけでいいって」
なつは天陽にそう言います。これが素直な答えかもしれませんが。
やはり山田兄弟には、何かがあるようです。
本作は意識的に、当時の常識とはちょっと違う人物を出しています。
当時ならば、仲は女でもアニメーターになれると言わない方が自然かもしれません。
山田兄弟もそうでしょう。
それがちょっとどこか違う。
そんな中でも、天陽はまだ一段上にいるような。人の本音を見透かすような。そんな不思議な力があります。
彼のような人物を説得力を持って作り上げること。
これはなかなか大変なことでしょう。こういう、計算していない――そんな人物を本作は描いてきますよね。
本作レビューで、あざといだの計算が過ぎるだの、男受けを狙い過ぎだの。
なつや天陽の評価に関してあるようですが。
そうじゃなくって。
ただ、ありのままに生きると、理解できない周囲からそう言われる人がいる。
性格や思考プロセスのせいで、そうなる人がいる。
得てしてそういうタイプは、クリエイターに多い。
脚本家がその意識のまま描いているのに、読み手がそこまで考えず、テキトーに批判してしまう。
それは気をつけた方がいいと思います。自戒もこめて。
泰樹の策は続く
泰樹は、富士子と剛男を呼び出して、何やら打ち明けています。
「照男となつを結婚させる」
二人の反応は、『真田丸』で真田昌幸に翻弄される室賀正武状態です。
「本人たちに聞いてみないと」
「照男には言っている」
「勝手に何言ってんの!」
「なつにはまだだ」
「よかった……なつにどんな顔をすればいいのやら」
「照男はいいんですか!」
はい、ここで指摘します。
ピリピリしているのが富士子、ちょっとずれているのが剛男です。わかりますよね。
「相談もなくそんなことを」
「相談してるべ、これが一番いいとは思わんのか」
泰樹が、完全に昌幸です。だから相談しているだろ、ってそういうことじゃないから!
こういうやりとりをさせたら草刈正雄さんが最強だと、NHKのこのチームは知り尽くしていますね。
「何を怖がってんの?」
富士子は、泰樹に問いかけます。
兄と出会うことでなつが柴田家を離れ、東京に戻ることが怖かったのか?と。
「兄弟を捨てず、柴田なつになれるんだ」
そう知略99の策を主張しますが、富士子と剛男には通じません。
聞かなかったことにする。そんな態度を取られます。
そこへなつが帰宅するのでした。
「ただいま。三人そろってどうしたの? 何かあった?」
なつよ、それを聞くな――。
ハラハラしたまま、次回へ続く。また乱世感を漂わせてきおったわ!
明日は、水曜日です。
ドカンとやらかす水曜日です。
大博打の始まりじゃーーーーーー!!
顔グラだけではいいゲームにならんぞ
アニメの話ともちょっと混ざりますが、ハーレムものってあるじゃないですか。
男女逆転しているものもある。乙女ゲーってやつですか。
個人的には心の底からどうでもエエというか。
史実の戦国武将だの、幕末志士だの、文豪だの、実像を知っていると絶対むしろ近づきたくないじゃないですか。
史実の伊達政宗からの文なんて、どうせこれですよ。
「やっべ即火中! ソッコー燃やせよ」
曹操なんか、
「お前と同じくらい美人で、歌が上手で、しかももっと性格がいいの出てきたから。処刑な」
ってなりそうだし。
本作のニュースでも、若手のイケメンぞろぞろなんてものが多いようですが。
◆吉沢亮&岡田将生&山田裕貴ら「なつぞら」ボーイズが豪華すぎ!
はっきり言いましょう。
顔じゃないんです!
それを言うのであれば、****だってイケメンが多かったようですよ。
まぁ、それでも中身が奸臣、宦官、外戚だらけでしたので、顔グラだけが綺麗な『三国志』モチーフの何かになっちまったけどな!
ちなみに最終シーズン放映中の『ゲーム・オブ・スローンズ』は、美男美女でも容赦なく死にまくります。
その結果、癒しのカタログになっているのが、むさい顔やごつい顔のおっさんになりつつあるのです。
まぁ、ああいうおっさんが割とかわいい性格だったりするんだな。どんな正統派美男美女でも中身が真っ黒けでは……。
顔グラじゃないんだよ! 中身だよ!!
シナリオがいい乙女ゲーでないかい
そんなわけで、乙女ゲーは全くわからんと前置きして言いますが。
本作の乙女ゲーとしてのスペックは、いいんでないかい?
その名の通り、照れすぎてどうにも不器用な照男。
イケイケノリノリでアプローチしてくる雪次郎。
これまたちょっと浮いていて、よくわからないけれど抜群のよさがある天陽。
東京シナリオ限定キャラの佐々岡信哉。
中身がいいんです。
顔グラが良いのはデフォルトとして、中身がいい。
しかも、これが面白いのが、大森氏がシナリオを書いているってことですよね。
乱世適性抜群――知能派が、きっちりと計算した上で、萌えを描いてくる。
萌えとはノリでござらん!
計算あるのみじゃあああ!
そんな信念すら感じる。
ガッチガチの理詰めである大森氏は、恋愛はちょっと苦手かもしれないけれど。
考えに考え抜いて、きっちりと出陣してきた。そういう迫力を感じて、毎朝ドキドキしています。
ただ!
これだけは言いたい。
いかに若手男子の恋心を描き分けようとも、一番の魅力は知略99の泰樹殿でござろう!
大森氏は、このまま和製『ゲーム・オブ・スローンズ』街道を驀進していただきたい。
その場合、サーセイ枠に比嘉愛未さんをお願いします!!
※スマホで『なつぞら』や『いだてん』
U-NEXTならスグ見れる!
↓
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
北海道ネタ盛り沢山のコーナーは武将ジャパンの『ゴールデンカムイ特集』へ!
本作の制作スタッフが全て鉄道に知見がないのか、と言えば、それは「否」です。それは今回の通学シーンの巧みさを見れば明らかです。
なつや夕見子たちが乗車したローカル普通列車。列車の全景は一切映らず部分的な描写のみでしたが、客車の茶色の外板、内装は木製、一部の座席を外して設置したストーブ、幅の狭い二重窓といった、当時の北海道のローカル客車の特徴を的確に捉え、十分に表現していました。
これら部分部分のシーンから、昭和30年代の北海道のローカル普通列車の雰囲気は十分に伝わってきます。無理して引き画で全景を映す必要など全くありません。
新宿の街角のシーンで、引き画にこだわり過ぎるあまり「明治の幽霊電車」だの、「バラック建て等の一切ない、整い過ぎたあり得ない街並み(←前回のZai-Chen様のご投稿も参照)」だのといった、実感をひどく損なう余計な画像を放映してしまったのとは雲泥の差。同じ制作チームが手掛けたとはとても思えない。
いや、むしろ、
東京の街角のシーンを担当したグループは、十勝編等を担当したグループとは別なのではないか、とすら思えてきます。
東京の街角のシーンは、これまでのいくつかの駄作・失敗作と同じような空気・雰囲気を感じてしまう。何だか「大がかりにすればよい」ということにばかりこだわっているような。
十勝編ではどうかと言えば、帯広の町が出てきたシーンでも、引き画は一切ありませんでした。なつの幼少期、バラックが並ぶ通りを、なつの低い視点から映したくらいで、あとは「雪月」の店先のシーンが多少あった程度。それでも、人の動き、並ぶ品物等から、地方の中心都市の雰囲気は十分に表現されていました。
もし、東京の街角のシーンが別グループの担当であるのなら、猛省とともに、十勝編とレベルが揃うよう格段の努力が必要。むしろ、できれば十勝編グループが今後の東京編も担当してもらいたいとすら思うところ。
それに対して、
今回の十勝編では、積雪期には通学の交通手段が変わることを紹介。これは現在も北海道の常識です。
札幌などの大都市でも、積雪期には二輪車利用を止めて公共交通に変える人が非常に多い。通学生のみならず通勤者も。
それで積雪期とそれ以外では、鉄道もバスも混雑率が大きく違う。だから、北海道の都市バスは本州の都市バスより車体が長く定員の多いタイプが多いし、事業者によっては座席の一部を省略して詰め込みが効くようにしていることもある。
こういう、当たり前のことを当たり前に描写するという良い姿勢が、十勝編になって戻ってきました。見ていて安らぐ、ほっとするのは、こういうことです。
最初の東京編が終わり、物語は再び十勝へ。
何だか十勝編のほうが、あらゆる点で落ち着くし、見ていて安らぐ気がします。
前回までの東京編は、とにかく交通関係がメチャクチャでした。実は私は、5月1日の第27話は、所用で冒頭のあたりを見ていなかったのですが、録画で見直してみたら、まず冒頭がひどかった。
なつと富士子がバスを降りる。すると、のっけから、やって来るのはあの「明治の幽霊電車」!
もう東京編は、はなから呪われていたのか…
なつと富士子は、連絡船を挟んで鉄道で東京に到着した筈。この時代、東北方面からの列車の発着ターミナルは、かの上野駅ですから、そこから新宿へ向かうのには、山手線に乗り換えて回り込むか、途中の秋葉原で更に中央線に乗り換えるか、いずれかで新宿駅に行くのが時間的にも運賃の上でも最も自然だし、地理不案内な上京者にもわかりやすい。
然るに、何故か、なつと富士子はバスで目的地にたどり着く。新宿駅からバスで少し入り込んだ場所なのかなと思いきや、降りたバス停は「新宿駅前」…何だそりゃ。
これではまるで、上野駅前からわざわざバスで新宿駅前に来たかのよう。
地下鉄もほとんどが未整備のこの時代、わざわざ国電を避けてバスで上野駅・新宿駅間を移動するなど、全く意味がわかりません。都電で上野・新宿を乗り通す人すらいないでしょう。まして、上京者には路線の位置すらわからないバスに乗るなど、絶対にありえない選択。
こういう東京の交通事情も、少し調べれは簡単にわかること。前回のコメント欄で「路面電車に全く知見がない」と書きましたが、それだけでなく、少し調べればわかる基礎的なことすら調べていないとしか、言いようがありません。
十勝編で見られた、緻密を極める考証の姿勢は、前回までの東京編には見られません。甚だ残念を極めるのですが。
物語は今後、なつが再び上京した後の描写が主体になるわけですが、その時こそは、是非きちんとしてもらいたいと思います。
「もう、ちゃんとして!」(黄金原聡子さん風)