スカーレット53話あらすじ感想視聴率(11/29)ジョーはストロングゼロを飲むしかなかったんや

火まつりの夜に誓う

囃子が響く中、祭りが始まります。山を松明が登ってゆきます。
この祭りの場面からは、予算と技術も感じるんやなぁ。

暗い中松明を運ぶものの、フカ先生はガクガクしてしまいます。

重たそうですもんね。一方で喜美子はしっかりしている。彼女は体力があって力が強い設定なのでしょう。

ガクガクするフカせんせい。やっぱり重たいようです。体操もあんまりしてませんし。

「ちょっと休憩や、先行ってて」

人間描写が細やかだと思う。
若い女性の方が老年男性より元気だということはある。

そんなことは当たり前ですが、テンプレにとらわれすぎると、結論ありきでこうなりかねないでしょう。

【喜美子がよろめき、八郎が助ける】

けれども、それは喜美子の頑健な設定とは違う。
陶芸をするのだし、幼いころから力仕事をこなしてきたのですから。

それに人間としての八郎も、下心満々で若い女を助けるよりも、老人に気を使う方が高潔ではありませんか。

テンプレばかりにこだわると、こういうところが疎かになりかねません。
現実とフィクションの区別をつけない人間は有害になりつつある。

「下心ありで助けて何があかんのや。女かて助けてもらえなくなったら困るんちゃう?」

というのは間違い。そんなんさして困らんのよ。

道ゆくお年寄りはスルーするのに、SNSで家出した少女を見つけたら即座にダイレクトメールを送りつける。
そういう下心ありきの親切は、もうバレとんのやで。気ぃつけえや。

喜美子と八郎は、フカ先生を気にしつつも先へ。
後から来た一番と二番がフカ先生に気づきますが、彼は下へ向かってゆきます。

「先生、どこ行くんですか、先生!」

「ちょっと待ってください、先生!」

どこで何をするのか?
続きは次回。

山の上で、喜美子と八郎が柏手を打つ。

ここで喜美子は心を決めていましたーー。
そうナレーションが語ります。

身の丈に合った人生の悲しみ

今日はジョーが圧巻でした。

ジョーは悲しい。ジョーの酒癖の悪さはさんざん言われてはいる。

マツも喜美子の目を盗んで酒屋に行ったわけですし。あんたが飲まなければええんちゃうか! そう突っ込みたくはなる。

ただ……これも貧しいということはある。

ジョーは教育が圧倒的にない。
アホと言い切ると胸が痛むのですが、そういう機会がなかった。

三男坊で丁稚奉公して。
お人好しでアホやから騙されて。
汗まみれで運送するしかない。

クビになったんちゃうと喜美子が力説しても、ジョーには判断のしようがないのです。

みんなが、世間が言うてることはホンマ。そう思う。猜疑心を抱きようがない。

喜美子はフカ先生はいくつになっても学べると言い切った。

これも残酷。
ジョーには幼いころから義務教育以外、学ぶ機会なんてなかったんですよ。

誰も本を読まない。新聞も。芝居にも行けない。
ただ、酒を飲んで語り合うしかない。

ちや子は映画にも行けない喜美子を同情していましたが、ジョーにはそう同情してくれる人すらいなかったんやろなぁ。

ジョーは、近年朝ドラ同年代でも圧倒的な知性のなさなんですよ。
ちょっと比較してみましょうか。

『半分、青い。』の楡野仙吉(岐阜県)

 

・ギターが好きで音楽を学びたい青年だった

 

・戦時中は満洲

 

・戦後は音楽を諦めて食堂経営をしている

 

・時代劇大好き!

→ある程度娯楽のある家庭。時代劇が好きと言うことは、戦前からそういうエンタメに親しんできたのでしょう。

『なつぞら』の柴田家(北海道)

 

・泰樹は幼いころから働き、開拓したものの、芸術的感性は豊か。かつ語彙も豊富。学ぶ機会はあったのでしょう

 

・剛男は、その読書する姿に富士子が惚れた知性派です

 

・娘たちの進学や就職に前向きなくらい、進歩的

→学歴だけではない。立派な教育と知性の力を感じます。

『なつぞら』の奥原家(東京都)

 

・奥原両親は、丁稚奉公同士とはいえ進歩的だったようだ

 

・父は、タップダンスを我が子に習わせるほどモダンではあった

 

・芸術的感性は我が子で花開く

→子どもたちにも教育の機会を与えたい。そういう思いを感じます。

天陽の山田家にせよ、イッキュウさんの坂場家にせよ、そういう知性や教養は感じられました。
坂場家は学者の家系ですもんね。

マダムの仕えてきた野上。
芸術的感性はさほどではなくてアニメに理解がなくとも、丁稚奉公から知性も身につけたとわかったものです。

こういう人物と比べると、ジョーがいかに悲惨な人生であるかがわかってつらい。

身の丈に合った人生。
経済状況に合わせた学問。

それは、こういうジョーみたいな人を救えないってことではある。

そのままだと野口英世も生まれない。

※『世界侵略のススメ』には、その真逆が出てくるで

酒の味は涙の味

ジョーのことで思い出したのは、甲賀つながりで『甲賀忍法帖』でした。

忍者が理不尽な命令を受けて、甲賀と伊賀で殺し合う話なんですが、忍者そのものが無茶苦茶である以前に、突っ込みどころがあるんです。

殺し合う理由が、第三代将軍を竹千代(家光)にするか、国千代(忠長)にするか、忍者の勝敗で決めるというものなんですよね。

そんなもん将軍家で話し合って決めろ!
無駄に忍者を殺すな!

そう言いたくなるんですわ。

※フィクション世界で迷惑極まりない家庭事情や……

それに、忍者があれだけ強ければ、手を組んで幕府転覆でもすればいいとも思えてくるわけです。

じゃあ忍者はどうしてそうしないのかって?

彼らは、上に逆らうことに疑念を抱かないよう、教育されてきたから。
反抗心を抱くかわりに、隣の人を憎むように叩き込まれているから。

殺し合って、死ぬ間際に、なんでこんなことになったのかと気づくこともありますが……手遅れなんですわ。
使い捨てにされて散ってしまう。

ジョーはつらい。

誰に、この辛い生活の嘆きをぶつけるのかわからなくなって、ちゃぶ台返しをしたり、家族へ八つ当たったり、酒へ逃げるかしかないのが見て取れるから、つらいのです。

ジョーに振り回される――そんな周囲だってたまったもんじゃありません。

『なつぞら』のように一致団結して、十勝農業王国に向かう。そういうことができない。
その悲しい構造を、本作は描いてきました。

半端ないと思う。
こんなに悲しいことはないと思う。

生きているだけでこんなにもつらいことって、あるんですね。

ジョーの酒癖や暴力については、よろしければ以下の記事もご覧ください。

搾取される労働者が、酒や暴力逃げるしかない。そういう東西の悲しい事例がそこにはあります。

金曜日の夜に飲むストロングゼロは、涙の味がするんや……。

残飯で食いつなぎ 暴力が横行 カネで赤子も殺す 日本近現代史の暗部

https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2018/11/15/117469

飲んだくれイギリス人とジンブームの闇~なぜかストロングゼロ文学とダブる

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
スカーレット/公式サイト

 

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