喜美子は薪を拾い、割る。
そこへ照子がやって来ます。
世間の目を考えろ
照子はいきなり喜美子に厳しい。
「きったいない格好して、無様な格好して。拭け、顔を拭け、顔! 何しとんねん!」
厳しい、つらい。
幼少期の二人の服装格差。
そして喜美子が“銀座個展で着物を着て笑っていろ”と言われていたことを思い出すと、残酷すぎるものがある。
「ハチさんと武志追い出して、一人でなにしとんねん!」
追い出したわけではないと喜美子が言い返しても、通じません。
女が汚い格好をして。
夫と子どもと離れている。
その時点で【悪】だとわかる場面です。
このあとも、照子は武志はうちで預かっていると言った上で、迎えに行くという喜美子に厳しく当たります。
「来んでええわ、お前みたいな母親の元に返すのはかわいそうや!」
喜美子が「お前……」と苦笑しても、照子は「お前やお前、迎えに来んでええ!」と強気なのです。
「武志はうちが預かる、うちが育てた方が幸せや!」
照子はそう言う。
けれども、そのことは武志の意見を聞いていないわけですよね。
ハチさんも、喜美子もどういうつもりなのか。離婚する気か? 離婚なんて選択肢はないと照子は迫ります。
喜美子は無言で縁側に座り、魔法瓶からお茶を差し出そうとするのですが、それどころではありません。喜美子は照子の頭をやさしく撫でる。
それでも照子は続ける。
いますぐハチさんに頭下げて悪いことしたと謝ってきて。
喜美子は、穴窯やることが悪いことかと、またも笑い飛ばすと、照子も、旦那に逆らうことが悪いことだと断言します。
仕方ない、喜美子が下がってハチさん立ててやりぃ。そう苦しげに言うのですが……。
薪拾いでレリゴー!「少しも寒くないわ♪」
喜美子はそれに対して、吹っ切れたような晴れ晴れとした顔で言葉を続けます。
お金ないから、薪拾いに行ったんよ。
誰に断り入れんでもよかった。
うち、子どもの頃はお父ちゃんに断り入れてた。やりたいことあったら、きちんと話してお願いします、言うてきた。
結婚してからは、ハチさんに。やりたいことあったらお願いします、言うてきた。
そうやってずっと言ってきた。子どもの頃から、ずっとや。
それが必要なかってん。
薪を拾いながらな、立ち上がったら。
冬の風がな、びゅっと吹いて。
そのとき思てん。
ああ、気持ちええなぁ。
一人もええなぁ。
そんなこと、思てしもてん。
穴窯やるのも、もう断り入れんでええしな。
そううっとりとした顔で語る喜美子。
照子は、視聴者の感じる戸惑いを反映するように、止めます。
「喜美子、あかん……」
「うちは、ハチさんがおらんほうがやりたいうことができる……」
「あかん! 目ェ覚ましてくれ、目ェ覚ましてくれ、喜美子ぉ!」
照子は呼びかける。
はたして、この炎の女王にその言葉は届くのでしょうか?
※少しも寒くないわ!
その1「一人最高や!」
喜美子は長女として生まれたものの、孤独が気にならないところはあった。
集中して絵を描く。それでええ! そういう性格でしたね。
おぉ、もう……喜美子がエルサになりおった!
冬の風を一人で浴びて開放感♪ 少しも寒くないわ♪ って、まさしくエルサやん!
この場面の照子の声は、幼なじみ、親友というよりも、「世間の声」なんですよね。
「女は三従」とは言われてきた。
独身時代は父
結婚したら夫
夫の死後は息子
そんな道徳を喜美子世代が教えられたとも思えないところではある。
彼女たちは「女と靴下が強くなった」とされる時代を見てきて、参政権もある。けれども、照子の言葉には「三従」の呪いがミチミチに詰まってます。
「女は自由やー!」と言えるか?
照子は婿取り前提で婦人警官になれなかったし、喜美子はこの通りです。
令和現在だって、職場でのハイヒール強制が嫌だと言ったくらいで、提唱者はSNSでボコボコにされる。
技術が進歩しようと、この点ではまだまだ不自由。「自由は不自由やで!」という状態です。そこを本作は『アナと雪の女王』から数年遅れで追いついた感がある。
すごいな、本当にすごいな!!
三度目の窯たき
そんな川原家の工房に、武志が帰ってきます。
彼は象さんを見に行くとウキウキしています。
※ぞうさんのうた
なんでも芽ぐみちゃんが動物園行ったんやて。冬休みに動物園に行きたいと、はしゃいでおります。
宿題やりやと言いつつ、喜美子もこう宣言します。
「次の穴窯うまく行ったら、ハチさん迎えに行く! まかしとき!」
けれどもそれって、八郎と喜美子自身の心情過小評価とも言えるわけでして。
八郎が喜美子の熱気についていけないと思っている可能性はあります。三津はじめ、他の女はこの際考えないことにしましょう。
喜美子だって、あんなレリゴー薪拾いをしておいて、また戻れるのかどうか。
かくして三度目の正直なるか、三回目の窯たき開始――。
火の流れを考え、作品の置き方を考える。今度はゆっくり時間をかけながら、温度を上げてゆきます。
その2「片っ端からやる前に理論やで!」
喜美子のすごいところは、全部理詰めであるところ。
失敗した時だって、文献その他を調べている。
素晴らしいけれども、だからこそ「真面目に考えろ」と言われると「考えたわ!」とますます熱くなるタイプ。ここは要注意です。
喜美子が薪を入れる中、ピアノの音が響きます。
サウンドトラックの使い方が、本作は近年随一ですね。
強迫観念じみていて、「ハイ! ここで号泣! 神回認定して!」と言われるような使い方をされると、どんな名曲もぶち壊し。昨年の川井憲次氏な……『イップ・マン』シリーズでも見よか……。
本作の場合は、沈黙を怖がらない。
ここぞというとき適材適所の美しい響きを使う――作曲者と演出の理想的な融合があります。もちろん演技と脚本も。
炎を見つめる喜美子は、何の説明もいらない。
窯の戸を閉め、見つめる瞳だけで雄弁で。燃える窯を見つめる喜美子の姿は、もう神々しいほどで。
これを朝から見てしまってよいのか? そう思えるほどなのです。しかし……。
三回目も失敗でした。思うような色にならない。望んでいた色ではない。そう言われて、私は驚いてしまった。
ほんまに?
結構ええ色してへん?
焼き上がった陶器は、使ってみたい味があるんですね。
一回目、二回目より、絶対ようなっとるで!
喜美子にそう言いたいけれども、言えるわけもなく。
八郎なら、フカ先生なら、ジョーなら、草間宗一郎なら、柴田なら、敏春なら、佐久間なら?
それに三津なら?
彼らがどう評するか。それも気になって。
けれども、一人突き進むと決めた喜美子は、自分自身が納得いくまで燃やし続けるしかないんだな。
圧倒的な孤独を感じる。
喜美子は目標たるカケラを手にして、投げ捨てようとしたようにすら見えるのです。
あれほど輝いていた目から、光がなくなっていて怖いほどで。しかも、何がきついかって、ここでやっと回想八郎が出てくること。
「夢、叶えぇ」
八郎が支えだったのは過去のことなのか?
それとも見返すための目標なのか?
うーん、ハチさんのために頑張っていた喜美子はもう、おらんのやろなぁ。
愛する人がいなくなることよりも、存在していても、むしろ憎しみや追い抜く対象になるほうが残酷でして。
本作は、どうやらそれをやるつもりのようだ……。
お母ちゃんの通信簿は、陶芸の神様が採点する
「お母ちゃん、ただいま」
ここで武志が帰ってきます。
どやった? 喜美子はそう急かす。
「しゃあないなあ」と言いつつ、ランドセルを開ける武志。まずは、くしゃくしゃになった冬休みのお知らせプリントが出てくるあたり、本作の生々しいあたたかさです。
「おー、すごいなあ。4と5ばっかりやん」
そう褒められ、お母ちゃんはどうかと武志は言います。
「お母ちゃんは失敗したん」
「失敗したん?」
「あかんやん」
「お母ちゃんの通信簿は1やなぁ」
「あーあー」
「あーあー!」
大人と子どもとのやりとりって、とても大事なんですよね。真実、世の中の構造、残酷さ。そういうことも見えてくる。
喜美子は転校してきたとき、家庭事情もあって信楽の児童が読める漢字を飛ばしてしまいました。
先進的な大阪から来たのに、そう先生も驚いていまして。
喜美子は賢い。紛れもなく賢い。
それなのに、家の環境や女性であることゆえに、それを抑えられてきた。そのことに気づいたものの……己の知勇で突き進もうとするものの……先は厳しい。
※続きは次ページへ
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