スカーレット130話あらすじ感想(3/5)武志は白血病なのか……

「お前、うっとうしがられてんのちゃう?」

ここで喜美子、容赦ない反撃やで!

「桜ちゃんと桃ちゃんは、お父さんのどこが好き?」

「…………(苦笑)」

「ないんかい!」

おう、せやな。生々しいで。数年前ならば「ぜんぶ!」とにっこり笑顔で言うたはずや。そういえばジョーも、三歳くらいの喜美子は大好きと言ってくれたと現実逃避してたっけなぁ。毎朝、特定視聴者層に痛いことをするで……。

朝ドラって、女性のものとは言いつつも、実は男性フレンドリーなところはありまして。

むろん例外はありますけど、女性年長者は「イビリ」を期待されるのに対し、男性年長者は「賢者」役なんです。イビらないし、賢いし、軽蔑されない。バリアでもあるかのような扱いは感じる。

それをいろいろぶっ壊したと痛感できて、その底だと思えたのが、2010年代の【関西企業タイアップキャンペーン】ですかね。

史実では国際結婚に理解を示した姑に、泉ピン子さんを起用して嫁いびりアピールした『マッサン』。

一昨年のアレは、「劇中の年齢はおっさんだけど、イケメンの高橋一生さんが演じているからわかるでしょ!」と、視聴者にべっとりと甘えた設定だった。孫くらいの少女が彼にうっとりする場面は、あまりにリアリティがなさすぎた。

昨年はもう……高齢母のいじめと生前葬で盛り上げるわ。ヒロイン夫は学費を盾に娘を脅すわ。親が我が子の性生活に興味むき出しだわ。これなんてエロゲ? 受信料原資で、何しとんねん!

それももう、終わりや。

どう呼ばれるか、何を着るかではなく

ここで怖いのは、おばちゃんおっちゃんたちが楽しそうなのに、武志はそうでもないところ。ベッドで静かに目を閉じています。

そして電話が鳴る。

ベージュの機器が息子のもので、カバーつき黒電話が母のもの。喜美子は電話が鳴らないことを気にしつつ「陶芸教室」を始めます。

「こんにちは!」

「あーこんにちは、一番乗りや!」

陽子です。早かったかと聞かれ、喜美子は全然とにっこり。そこへ二人、別の受講者も来ます。

二人が「サニー」の前身・大野雑貨店を知らないと言うあたり、時代を感じますねえ。陽子がきみちゃんと言い、自分にこう突っ込みます。

「きみちゃん言うたらあかん、先生やわ!」

喜美子は微笑み「先生でもなんでもええです」と返すのでした。

肩書き、呼ばれ方にこだわりません。こういう人物は他にもおりまして、白衣を着ない大崎もそうです。

大河『麒麟がくる』は、現代に通じるものも感じて欲しいと言われる。そこで、朝ドラと比較しますと。官位、肩書き、衣装……そういうものが大事だという点ですね。

「織田信秀は守護でも、守護代ですらない!」

「ラフな格好で漁船から降りてくる、あの奇妙な男が信長か〜……」

「先生でもなんでもええです」

「白衣を着んとただのおっちゃんです!」

はい、そんな喜美子先生は自己紹介をして欲しいと言い、その前にこう宣言します。

「自己紹介の前に、うちから一言。ええ時間を過ごしましょう。こうやって一緒に、陶芸をやる時間が宝物になるような」

陽子は「イェーイ!」と喜んでいます。そして、よろしゅうお願いしますと言い、始めるのでした。

これも草間流柔道ですね。

先生だろうと、生徒だろうと、互いに礼!

喜美子は「とやぁ〜!」こそなくなったものの、あの精神性が伝えられました。

柔道の精神性といえば、柔道界のレジェンドが出てきたドラマがあったものですが。途中から本人の残した現行録にあった精神が消えていって不可解なものを感じたのです。

ここで、喜美子はじっくりと陶芸を教えてゆきます。

とんとんとん。ゆっくり、ゆっくり広げる。

戸田恵梨香さんが先生の動きで、財前直美さんはじめ生徒がそういうぎこちない動きであるのが、実に細かい!

こういうところを地味だとか、じらしているとか。そういう意見はあるのでしょうけれども、陶芸の素晴らしさを伝えることも本作の使命です。丁寧な時間だと思えます。

病院で採血してきた、その結果は……

「いやー、おもろかった」

そう満足して喜美子が家に戻ると、武志のスニーカーがあります。

「あれ? 武志? なにしてんの? 武志、いつの間に来てたん? 寝てたん?」

武志は、喜美子に陶芸教室だったからと言う。この時点で、ちょっとおかしいとは思うんですよね。

「なんや最近の若いもんは、スマホいじってばかりやな」

そういう声はありますけれど、そういう世代だって携帯ゲーム機がありましたし、その上の世代は漫画、貸し本など、だらだらと時間を楽しんできました。ちや子からもらった本を、直子と百合子が読んでましたよね。

ここから「みんなそんなもんやで」で終わるわけでもないことを考えたい。

若者が、今の武志のように疲れた様子で寝転んでいたら、ちょっとおかしいのです。

スポーツ帰りとか、そういう理由があればまだしも。充実した気力も、満足感もなく、気が抜けていたら、それだけでもう、おかしなこと。

喜美子は異変を察知したのか、聞いてきます。

また風邪か? 熱でもあるんか? そこで熱がない、食べていないと聞き出し、作るとさっさと立ち上がろうとするのですが。

武志は切り出します。

「前にな、ひどい風邪ひいてしもて……」

知らんかった、堪忍な。そう返すと、武志は言葉を続けます。

武志の病院での検査

 

・ちぃと調べるか言われて、採血をすることになった

・それでも次世代展の締め切りあったから、待ってもらった

・それがこの前

・その結果を、今日聞いてきた

この間、喜美子は怒ります。

「ちょっと待て! そんな、何回も行ってて、なんで一言も言ってくれへん!」

武志は風邪やから言うて、と言葉を濁します。ただの風邪であって欲しい。そう思う気持ちは一緒です。

「白血球あれやいうてた……先生を紹介してもろたん。知り合いがいるんやて。専門の先生」

ここでメモを出す。またくしゃくしゃにして。そうこぼす喜美子は、息子のランドセルの奥からプリントを取り出してきた記憶があるのでしょう。

【第二内科 大崎茂義】

その大崎は、今日も白衣を着ずに病院を歩き、看護婦の山ノ根に追われているのでした。

医師の役割、彼の役割

獣医師は、動物の治療をする。助けてあげたいのに、シャーフーッと動物から敵意を燃やされます。

人間の医師にも、そういうところはあるのかな。なんや昨年、自分に理解できんことを言う医師を罵倒する作品を見た記憶が刺激されてきたわ。

医療考証は、難しいものです。

フィクションですから、ここはどうにでもなる。極端な話、お札を入れた水を飲んだら病気が治ってもいいんですよ。エロマンボで色覚治療されてもええらしいですね。こっちは納得せんけどな。

でも、それではいかんでしょ!

そんな本作で、医師としてあの稲垣吾郎さんを出してきたことを考えてしまう。

『なつぞら』は、朝ドラ100作目記念として、過去に出てきた女優を揃えました。

『スカーレット』は男優でそれをしたようにも思えます。それに、稲垣吾郎さんはなんといっても最強の盾になる。これだけカリスマがあるとなると、出てきただけで毎朝が華やぐ気持ちになる方もいることでしょう。

でも、それなのに敢えてこの役割なのかと感慨深いものがあります。

彼にとって二度目の朝ドラ。そこでヒロインの息子を治療する医師になるまで、成長を遂げたこと。彼の出番を待ち望む声は大きいのですけれども、それは武志と喜美子に試練が訪れるということでもある。

見たいけれど、見たくない。

そういう役目を彼に任せること。これを考えに考え抜いてオファーをして、彼が納得したからこそ、そうなったという力を感じます。

「自己紹介の前に、うちから一言。ええ時間を過ごしましょう。こうやって一緒に、陶芸をやる時間が宝物になるような」

喜美子の言葉に通じるものを感じます。

ええ15分にしましょう。こうしてテレビの前に座る時間が、宝物になるような。

そんな誠意が届いて、彼もその誠意の一部になると決めた。そういう何かがあると感じています。

心が心を動かす奇跡をこれから見届けます。

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
スカーレット/公式サイト

 

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