時は昭和初期、ところは大阪。
夫・藤吉亡き後、お笑い興業元「北村笑店」として残されたてんは女興行師としての道を歩み始めます。
芸人や役員に就任した伊能栞に支えられ。
さて、どんな寄席経営を見せてくれるのでしょうか。
もくじ
女興行師1年目をすっ飛ばし4年もジャンプする
時は流れ、藤吉の死から4年……昭和9年(1934年)。
って、はああああああああ?
いやいや、ウソでしょ、ウソでしょ!
お前はバカか!(出川哲朗さん風に)
本作お得意の年代ジャンプ、今回ばかりはとんでもなく酷いです。
女興行師として迎えた初日はどうだったのでしょうか。
1ヶ月目は?
1年目は?
この間、いくらでもドラマがあったでしょうに!
普通、視聴者は、この大事な期間での成長が見たいわけですよね。
「藤吉から受け継いだ仕事は、いざ自身がその場に立つと両肩に重くのしかかってきた。
寄席経営の経理面はわかっていても、芸人との出演交渉や番組構成、あるいは予期せず舞い込んでくる様々な人間関係のトラブル、こうした一つ一つを自身の責任で行うというのは、自ら決断せねばならない経営者ならではの苦しみがある。てんは、初めてそれを知ったのだ。
また、藤吉にも処理しきれていない◯◯があり、それは初日からいきなり、てんの前に立ちはだかったのであった――」
とかなんとか、そういうもんじゃないんですか?
それを4年もすっ飛ばして、「はい、この通り成長しましたよテヘペロ」とか言われてもワケわからないだけで。
もう、なんなんでしょう。
毎度毎度アッサリと裏切られる、この苦しみ、この悔しさ。
というか、千歩譲って、せめてそういうのは週明け(昨日)やればいいじゃないの。
髪型は変わったものの、相変わらず赤い着物だし……。
「赤い着物に文句言う人いますけど、見て下さい! 明度を落としてシックにしています」
って? うっさいわ!
ともかく「女興行師になってからの4年ジャンプ」は、全国で悶絶されている視聴者さんも怒りの持って行き場がなさそうです(´・ω・`)
北村笑店はますます大繁盛~と言っときゃエエ
4年経過したおてんちゃんはツルツルのツヤツヤです。
隼也はアメリカに行きました。本作の人間は何かあると渡米ですね。
そして陽気なナレによる、エア賑わい。
「なんちゃらかんちゃらで、北村笑店はますます大繁盛~」
もう聞き飽きました。そう言っときゃエエってもんじゃないでしょ?
おてんちゃんは総勢300名の芸人を抱えた女社長だそうです。
いやぁ、これは申し訳ありませんが、一日署長を務めるアイドルくらいにしか見えません(´・ω・`)
キースとアサリは超売れっ子で、万丈目は人気漫才作家になりました。
そして懸念していた栞様は、やっぱり取締役として入り浸りそうですね。
この作品の世界では、栞が内閣に入るようなこともないのでしょう※。
「阪急関係者は、本作に思う存分怒りをぶつけてもいいんじゃないかな(栞っぽいスカした口調で)」
※モデルとなった小林一三は近衛内閣や幣原内閣で閣僚を務めております
亀井さんは120才になっても働いて
亀井は席主代表です。
本来でしたらかなりの高齢者で、当時の状況を鑑みると彼が働くのはおかしいし、生きているのもちょっとしたミラクルレベルの気がします。
でも、亀井はんはイイ味を出しているので、120才になっても出て欲しいものです。これ、前にも言ましたね。
漫才は人気ですが、どうもキースとアサリの後釜がいないそうで。
風太は全国漫才大会をやろうと言い出します。
このへんも時系列めちゃくちゃなんですが、風太と栞がいがみあう設定は活きていて、栞がここで映画がどうこう口を挟みます。
しかし、この二人と来たら
【文化祭でチョコバナナを売るか、お化け屋敷やるか】
レベルの揉め事で、本当に進歩がないなぁ。
自分のアイデアをゴリ推しするだけで、メリットデメリット、費用対効果の話すらない。
こういうレベルの人が雁首揃えて「ますます大繁盛でございま~す!」と言われましても困るというものです。
問題は、おてんちゃんですよ。
二人が話し合ってる最中、彼女はムスッとするだけで、目が泳いでいて、いかにも興味なさそうな顔。
時折オウム返しをしながらわざとらしいリアクションをします。
話し合いに全く興味ないの?
社長室の栞様がどうにも薄気味悪いのです
このあと、夕陽が射し込む社長室でてんと栞が話しています。
思わず
「気持ち悪っ」
とリアルに声が出てしまいましたorz
なんなんでしょう。
栞の顔がどうしようもなく薄気味悪く見えたんですよね。
政次という当たり役で作った貯金を、栞というハズレ役で食い潰しているっちゅうか。
藤吉の死で栞の気持ち悪さにブーストかかっていませんか。
なまじ演技達者な役者さんって、脚本が悪いと、悪い方向に増幅してしまうこともあり、そんなスパイラルに入っているような……嗚呼、一生さんよ(´・ω・`)
てんは「女社長といってもお飾りで……」とか言い出します。
それが全く謙遜に聞こえず「いや、ほんとそうなんだよね」と頷くしかない流れ。
栞は、てんが藤吉亡き後屋台骨を支えてきた、と言いますが、その支える様子がほとんど描かれずナレーションで終わってしまうから、見ているコチラは何も同意できないのです。
ちょっと古いですが、オリエンタルラジオの武勇伝ネタで
「あっちゃん、カッコイイ~♪」
「カッキーーーーーン」
っていう、ボケというか掛け声がありましたよね。
太鼓持ちの藤森さんがホメ、中田さんが更に調子に乗るという構図。
担当編集さんは、わろてんかの中で演者たちがホメあってるのを見ると、このオリラジのシーンを思い出すらしいですw
栞が詐欺師だったらこれ以上ないドラマかも
栞はここで、女社長だから生み出せることがある、スター発掘してみたら、と言い出します。
そんな簡単なんでしょうか?
今まで何もやってこなかったと自覚している人に、ただの無理ゲーでは?
これ、栞が女社長を籠絡し、会社強奪を目論む詐欺師だったら、めちゃめちゃハマリ役じゃないですか。
ここで桂文枝(桂三枝)師匠が突如登場。てんを褒め出します。
目を皿のようにして寄席を見ているとかなんとか。
急にどうしたんでしょう。
劉禅を全力で褒め称えている三国志ドラマがあったらこんな感じですかね。
三国志ドラマでそういうことするのは、大体が甘い汁を吸いたい悪徳宦官の所業ですが。
昨今のイメージダウンも重なって、文枝師匠がそう見えなくもな……(´・ω・`)
「女子だったら女子が演じる漫才がハマるはず!」
風太は、自宅で飛鳥をあやしながら、
「てんはあくまで隼也が社長になるまでのつなぎだ」
と言い出します。女には女の限界があるとか云々。
ここでトキが、女性差別的ダーみたいに怒り出します。
いや、はっきり風太も言えばいいじゃないですか。女だからとかではなく能力不足だから、と。
それがキッカケになったのでしょうか。トキはてんを手伝うと決意します。
これまた突然過ぎて、何のチカラになれるとも思わないのですが、能力値のステ振りを「運」だけに絞って賭けたおてんちゃんのことです。
サクッとスター発掘して、土曜日にはステージクリアできるんじゃないですかね。
てんはトキの持参した雑誌グラビアを見ています。
いかにも宝塚スターぽい人のグラビアで辛いなぁ……この世界では宝塚が抹消されてるんですよね。
そこで、てんが思いついたのは、
「女子だったら女子が演じる漫才がハマるはず! 女子のスターを作り出す」
だそうです。
そこに、迷彩柄っぽいワンピースのリリコが登場。
毎回、とんでもないワンピースを調達するのだから、ある意味尊敬しています。
てんは突進してリリコを壁ドンみたいなとをして、これや!と言い出し……。
いやいや、いやいや。
卵からかえったばかりの雛ちゃうんやから。
確かに藤吉が万歳の舞台へ上がれ、というフリはありましたけど、これじゃあ偶然すぎやしませんか。
女性スター候補をオーディションして、どの人も決め手に欠けて、迷っていたらリリコが来て、「あ、この人がぴったり!」という流れなら、まだわからうのですが。
今日のマトメ「後退しとるやないか」
なんか既視感ある流れですね。
『西郷どん』といい、サクッとうっすらとジェンダー感入れてみるのが最近の流行なんでしょうか。
今までそんなことを意識していなさそうなトキが、唐突に「女でもできる!」と言い出したり。
娘・飛鳥の将来が制限されたくなくて目覚めたというなら、まだマシですが。
明治にも大正にも昭和にも、女性運動をしている人はいますし、何なら『花子とアン』のモデルである村岡花子、『あさが来た』のモデルである広岡浅子にもそういうところはありました。
しかし、本作はとってつけた感がありありです。
挙句の果てに、「女でもできること」として思いついたアイデアが、
「女が好きな女のスター発掘! しかも発掘どころか一番はじめに目に入ったスターでいい」
ってのが、とてつもなく安上がり過ぎて。
乙女組すら一応オーディションしたのに、これはどうしたことでしょう。
この女性なら女性全員の気持ちがわかるとか、女性なら女主人公が好きとかいう流れも痛いです。そういう単純な話ですか?
そもそも吉本せいって、別に女性だから成功したとか、女性ならではの感性で勝負したわけではないでしょう。
元々備えていた賢さ、度胸、気遣い。そういう才能があったわけです。
吉本せいがえらいのは、吉本せいだからであって。「女」興行師だからではありません。
ジェンダーをうっすら取り入れて、その結果かえってステレオタイプな女性描写をしているという、このどん詰まり。
アメリカやヨーロッパなんかのドラマのヒロインは、
「女性ならではの柔らかい感性で成功する」
「女性ならではの家事スキルで皆の心を掴む」
そういう描写は、とっくにやめています。
この手のステレオタイプな描写はかえって差別的とされているからです。
実は朝ドラだって、ちゃんとしたジェンダー感を取り入れた作品を、作ることができていました。
2011年の『カーネーション』では、ヒロインは女だから大好きなだんじりに参加出来ないことを悔しがります。
そんなヒロインは、ミシンを見て「これがうちのだんじりや!」と喜び、裁縫の道へ進むのです。
ヒロインが育て上げたヒロインの娘は、ごく当たり前のようにだんじりに参加できるようになります。
だんじりという岸和田の風物詩を通して、女性の置かれた立場の変化を描いたわけです。
だんじりを通した、ヒロインの女性が排除される状況への怒り、だんじり以外に自分ができることを見いだす心境。そうしたものを描いたのですね。
それから6年。
どうしてこうなった……。
著:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
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