昭和32年(1957年)春――。
『白蛇伝説』は、作画が終わり、あとは仕上げだけです。なつたちは、残業の日々が続いています。
富子の叱咤激励も厳しい!
なつはあくびをこう咎められます。
「仕事が遅いから、あくびをするのっ!」
モモッチは、ここでちくりと指摘します。
あくびではなくて、仕事が遅いのが問題だよ、って。
なつの仕事は遅いのか? 早いのか?
なつの適性も、このあたりからわかります。
仕事が遅いことは、繰り返し指摘されています。
ただし、仕上げの場合です。
作画の試験では、むしろ30枚描いてしまう。
しかし、仕上がったのは13枚。
ここをこう塗れと指摘されると、どうにも遅い。
頭の中のイメージを描くとなれば、むしろ早い。
これもなつの特徴というか才能ですね。
天才だって、何でもできるわけじゃない。器用でもない。
倉田の天陽への指示がザックリすぎる問題も、伏線でした。
むしろ天陽は、細かい設定を指摘されるとやる気が折れそうです。
得意分野では飛び抜けていても、それ以外は本当に人間としてむしろダメ。
なつとモモッチのような関係性は、『半分、青い。』の【スパロウリズム】もそうでした。
鈴愛のイマジネーションや、ザックリした説明やアイデアから、律がエンジニア魂で計算して製品を生み出す。そういう関係です。
実際、そういう仕事の関係はあるので、なつや鈴愛タイプを無能クズだとあまりいじめないでくれ……と切に願いたくなる。
適性は、それぞれなのです。
さて、ここでなつとモモッチの変化にご注目。
ナレーションが説明します。
なつはモモッチ空いてにタメ口に。
そしてモモッチはファッションがなつに近づいているのです。
友情が深まっているんですねえ。いいなぁ、こういう丁寧な処理って。
なつの影響で服が華やかになってきたモモッチ。カラフルで個性的な衣装の2人をパチリ。#朝ドラ #なつぞら #広瀬すず #伊原六花 pic.twitter.com/0HK1GOlgLP
— 【公式】連続テレビ小説「なつぞら」 (@asadora_nhk) June 9, 2019
ガールフレンド候補から脱落するなつ
そんな仕上げ課に、作画を終えたアニメーターたちが手伝いにきました。
きゃーっ!
と喜ぶ仕上課。
彼らはガールフレンドを見つけるのが目的だと、モモッチは言います。
確かに仕上げの女性社員も喜んでいるのです。
なつは、仲までそこにいることに驚きます。彼は人気があるのだとか。それもあの技巧ゆえ。
いや、よく見るとなかなか趣のある方ですし、誠実そうですし。みんな「仲になりたい」んだそうです。
咲太郎からすればよくわからないモテかもしれません。
あいつとは真逆。しかし、実は人気者の仲なのでした。
そんな中で富子が厳しくゲキを飛ばします。
なつの道はまだまだこれから。始まったばかりです。
はい、ここでご注目。
なつにはアニメーターが誰も寄ってこない。
あ、なつ本人も、そこに気がつきましたか……。
変わっていると思われているからじゃないか?
と、モモッチは分析しています。
朝ドラの主演女優なんて、大抵魅力的な女性です。
そんな彼女がモテるとか、誰かが助けてくれるとか、当たり前っちゃ当たり前。
それを敢えてモテない、わかる奴だけわかる魅力にする方が、むしろ難しいのかもしれません。
楡野鈴愛とか。
そしてこの奥原なつとか。
ファッションがなんだか個性的で、行動も突拍子がなくて、話も意味不明な方向へ飛ぶ。
そういう人って、いくら美人でも、モテないからさ……。
「ただしイケメンに限る」
というネットスラングがありますが、それは「自分は見る側」という思い込みの反射ではないか、と最近では分析されつつありまして。
◆25歳女性が苦しんできた容姿コンプレックス… 鴻上尚史が分析した、「自分は見る側」という男達の思い込み (1/7) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)
研究結果でも、顔でなくて中身を見る傾向は女性の方が高いと出ております。
だが女性となると話は別だ。女性の魅力を感じる最重要ポイントは、やはり見た目なのだという。\
ある実験では、女性の魅力をアップするためには創造性は無関係で、見た目が魅力的ではない女性の場合は、むしろ創造性がマイナスに作用し、本来の魅力をかえって損ねる結果が示された。
なつの場合、見た目は茂木が指摘した通り、抜群の美しさではあります。
鈴愛もそうでしたっけ。
しかし、それを損ねかねないほどの創造性がある。そういうことだと思いますよ。
救いというか、本場面での良いところは、なつがそれを苦痛とも屈辱とも思っていないところです。
鈴愛もそうでしたね。
結婚にフラ〜っとするところは、創造性の限界を感じた時でしたっけ。
『カーネーション』ではこれをはっきりと残酷に対比させていました。
ミシンを踏んでいればあとはどうでもエエ。そういう糸子。
それに対して、女は男の気を引いてこそだと生きてきた幼馴染の奈津。
二人の対比は戦争という激動もあって、酷いものがありました。
それでもお互い、生き方は違っても理解しあう。
そこには、そんな友情があったものです。
そういうヒロインがいてもいい!
そこが朝ドラであったはず。
6万5千枚を作り上げて
いかなる難事業、大事業であっても、仕事にはいずれ終わりがやってくる――。
富子による、許仙のセル画チェックが終わりました。
6万5千以上の作画、仕上げがすいに完了!
なつ自身、一本の映画にそれだけかかるのかと改めて驚いています。
ここからは、セル画に背景を重ねて撮影です。
編集、録音といった過程を終えて、やっと完成するのですね。
うーん、丁寧な仕事。
アニメ映画の製作過程を、きっちりチャート付きで説明する。
そして、まだ半分程度だと示す。
よい仕事です。どこまでも丁寧で、きっちりしていて、理詰めで、破綻が少ない。
ないわけではないけれども、手抜きをしない誠意はわかる。
惚れ惚れします。
なつが仕事から戻ると、風車には新婚さんが来ておりました。
十勝から来た、照男と砂良です。
亜矢美が指でハートマークを描く仕草が、もう小粋で、グッときます。
彼女のさりげない動きは本当に素晴らしい!
「こんな照男兄ちゃんと結婚してくれてありがとう!」
なつは、砂良にこう来ました。
容赦のない妹だなあ!
それも親近感だね。
結婚式は終わっています。畑仕事があるため、なつの参加を待てなかったのです。
式が終わったこととその理由を説明する。丁寧なセリフですね。
ここでなつが冗談を飛ばしたあと、柴田牧場について触れます。
砂良さん、柴田家にようこそ
ここからは砂良の嫁入りです。
砂良は、嫁いで来たことを頭を下げて告げます。戸村親子は、これで牧場安泰だと大喜びなのでした。
忠誠心が高い、よい家臣団だ。
いや、従業員ですけれども、なんだかそう呼びたくなる雰囲気がありまして。
「私も見たかったな〜、ラブレター熊!」
そう明美がからかうと、菊介が熊になってやろうかと言います。
しかし、明美はいらんと却下。素早いな!
明美も性格に一貫性があります。
割と容赦ない、富士子の娘であり、あのイジワル軍師・夕見子の妹です。戦地から復員した父・剛男を気持ち悪がってもいましたね。
あの場面を見た瞬間、本作は期待できると頷いたものです。
親子感動の再会に、安易に逃げずに、リアリティを強調します。
本作の女たちは、とよババアを総大将に、男のご機嫌取りのための愛想笑いをしない軍団ですからのぅ……。
ここで、剛男が弥市郎が困っていないのかと聞きます。
砂良はきっぱりと、彫刻を勝手に手伝っていただけだと返すのです。それでも、父を手伝うために帰りたいとも。
剛男は、うちに来てくれただけでも嬉しいから、そこは好きにして欲しいと告げるのでした。
この描写も、ジェンダー考証的にほぼ満点、合格です!
・弥市郎は困るのではないか?
→家事を女性に依存しすぎていて、単身になると生きていく最低限のことすら出来なくなってしまう。そういう例は現在でもよく見られます。
剛男がそこを心配するのも、当然のことでしょう。
しかし、弥市郎は違う。それは彼自身の描写からも、伝わってきます。
・それでも父を手伝うために帰りたい
→女性は嫁いだら、もう夫のものだ。そういう考え方は、現代でも残っています。
嫁をいかにしてこき使うか。そういう時代遅れな考え方に、剛男は染まっていないとわかります。
・剛男に理解がある理由
→それは彼が婿養子ということもあるのでしょう。
そういう体験、そして示されてきた寛大さや優しさの積み重ねがあればこそ、納得ができるのです。
彼は支配することも、支配されることも、好きではない。そんな穏やかな人だとわかります。
泰樹は彼の突拍子も無いところに時々イライラしており、戸村親子すら頼りないと言う剛男。
それでも彼には、美点がたくさんあるのです。
※続きは次ページへ
砂良さんとじいちゃんは気が合う感じで、良かったなあ、と思いました。
なつとももっちの仲良しぶりも楽しいです。天陽君の悲しい展開は怖いです!
いだてんでげんなりして、
きちんとしている朝ドラが嬉しいです。
ジェンダーの問題をちゃんと取り組まないドラマ、今もう見るのが恥ずかしいです。誰かが傷ついているのですから。
もしかしたら、大河と朝ドラで、
その対比が現れているって、良いことなのかもしれないと思いました。
なつぞらの感想じゃないことまで、
ごめんなさい。
武者さん、お疲れ様です。
応援しています。