「お店を、僕じゃない別の人とやってる。満州から引き上げてくるのが遅かったのかな。僕が、もう僕が死んでしまったと思ったのかな。別の男の人と、その、暮らしてたっていう。そういう事実を誰もみんな、僕には言えなかったんだろうな。ずっと何年も知らないで僕は……」
喜美子は何も言えない。
ピアノが印象的なBGMが静かに流れ、カメラワークがグルリと二人を撮影する。
演じる側だけではなくて、撮影する側が、全力で劇的な絵を撮ろうとしている。
そういう緋色の熱気が伝わって来ます。
「……知らないで探して、いつか笑い話にできると思って、そしたらきみちゃんにも連絡しようかと思ってた。馬鹿みたいな結末で、がっかりさせたね。ごめんね」
そう力なく微笑むしかない。
宗一郎なのでした。
なんでや! ヒラさん、なんでや!
その頃、ちや子もとんでもない状況にぶつかります。
いつものように、急いでデイリー大阪編集局に戻ると、ヒラさんの机の上が片づけられていた。
ちや子は同僚に迫ります。
「ちょっとタク坊、どういうこと? なんでヒラさんの机が片してある? 人が話してんや、こっち見ぃ!」
彼女の戸惑いを取り合わない相手に、声を張り上げるちや子です。
本作の女性は、きっちり怒る度胸があります。
「ヒラさん、新産業新聞に引き抜かれたで」
呆然とするちや子。
「あァ、お前聞いてなかったんか」
「みんな知ってたん? ……知らんのうちだけ?」
「ちや子さんと違うてこっちは生活かかってるんで」
ちや子は反論します。
「こっちだって生活かかっとるわ!」
そんなちや子に投げつけられる言葉は残酷で……。
「女と男は違うわ。お前結婚せえ。俺やないで。ヒラさんが言うてた」
「結局、家庭に入るまでの腰掛けや、女はどうがんばってもな」
一瞬立ち尽くし、外へ猛然と駆け出すちや子。
それから賑やかな雑踏を歩きます。
本作は、雑然とした大阪の街並みが秀逸で。
信楽もええけど、大阪を歩く人はせかせかして、皆活気に溢れている。
『なつぞら』では咲太郎が従事していた「サンドイッチマン」も複数確認できます。
年末らしい飾り付けも。
※『街のサンドイッチマン』
本作は、大阪の熱気と、登場人物の悲しみを対比させていると思えます。
ついでに言えば、近現代史を残す試みも感じる。
朝ドラ初期は、視聴者にとっても経験や知識があることを前提にしていた。
それが今の時代ともなると、そうではなくなる。
初めて昭和の街並みを見る視聴者を踏まえて、丁寧な再現をしたい。そんな意図を感じる雑踏なのです。
ちや子は師走の大阪を歩きながら、荒木荘での会話を思い出します。
身の振り方を考えたほうがいいーー。
そう語ったヒラさん。
彼は愛弟子の情熱ゆえに、かえって本当のことを言い出せなかったのかもしれません。
こんなん……もう、あかん。惨すぎるわ。
星の光をとりもどせ
喜美子と宗一郎は、さえずりを出ます。
晩ご飯をどうするのかと喜美子が言うと、宗一郎はこう返します。
「きみちゃんの好きなもの」
ここで喜美子は気づきます。
「草間さん、背ェ縮んだ? なんや小さい」
草間はきみちゃんの背が伸びたと返します。
それはそうではある。けれども、それだけやろか?
あの強くてたくましい草間さんはどこかに消えてしまったんちゃうか、と思いました。
ナレーションがそう補います。
「そうか……」
「どこ行こうか?」
あのころ、草間さんの顔の向こうに星が光って見えとったわ。
喜美子はそう思いつつ、こう切り出します。
「行きたいところがあります。ええですか」
「うん、いいよ」
「ほな行きましょう」
BGMが盛り上げる中、明日へ。
毎日毎日、明日が気になって仕方ない。
そんな本作の明日は土曜日や。
戦争が引き裂く人と愛
草間宗一郎の別離には、喜美子のような顔になった視聴者さんも多いと思う。
白血病。余命なんちゃら。謎の不治の病。
フィクションで、特に若い女性が死別してしまう恋物語は多い。
いつ頃からかな?
1970年代、山口百恵さんのあたりからですかね。
これも『なつぞら』に出てきた「戦争を知らない子供たち」が若者になったあたりからですかね。
喜美子やなつから上の世代は、人の死と別れが身近すぎて、そういう話にはむしろ入り込めなかったんじゃないかと思えてくる。
草間夫妻のような例は、実在しました。
宗一郎は帰還が遅かっただけですが、満州だとシベリア抑留された方もいる。
南方の戦地から戻れなかった方。
中国で国共内戦に動員された方も。
※中国山西省日本軍残留問題に迫る『蟻の兵隊』
生きているか死んでいるかすらわからない。
そういう夫を待てばよいのか?
周囲は区切りをつけるためにも、再婚を勧めてくる。
「女の仕事には生活がかかっていない」
「結婚すればいい」
そんな偏見があるからこそ、女性の賃金は安い。
愛はあっても、生きるために、夫を待つばかりではいられない。そんな女性はいたのです。
だからこそ、宗一郎は妻を責めないと思う。
心変わりだなんて言えない。
結婚適齢期の男性は、戦死したため極端に減少しているから、再婚するにせよタイミングがある。
そういう時代背景を知ると、再婚しない宗一郎がどれほど愛が深かったかも見えてきます。
男女の仲は、愛だけやないんやで!
そこを考えていくと、戦争を挟みながら、男女間を「モテ」と「エロ」でしか描かない、女はトロフィー、男はステータスシンボル、そういう描き方をする作品は、人間の尊厳そのものへの冒涜だと思いますよ。
そして恐ろしいこと。
そういう価値観のドラマを描くことと、受け止め方で、いろんな要素も明かされるわけです。
一昨年と昨年の、NHK大阪朝の連続放送事故を含めて、近年朝ドラ枠の脚本家さんはだいたいが同年代です。親が戦中派だった。
彼らが真剣に親や上の世代の体験談を聞いていたか?
それとも、ジジイババアの苦労なんて知らねえし〜と思って、目の前のことばかりを見て生きてきたか?
人生体験が、学習意欲が、誠意が、戦争の描き方に出てきてしまう。
出演者や過去作品を調べることは簡単だ。
けれども、じっくり真剣に見て、そこまで分析するとなると骨が少々折れる。
だからやってまうわけですよ。
「憲兵拷問を萌えエロネタにする。やってしまいましたなぁ。戦争と向き合う誠意がない。これは大変なことやと思うよ。これは教育やろなぁ。憲兵拷問は死者も出たってんのになあ。なんで萌えだのなんだの投稿するんやろなあ。それを取り上げてネットニュースに配信すんのやろなあ。まだ被害者かて生きてんのになあ。遺族もおるしなあ。これは大変よ」
こういうことやぞ!
しかし今年はそこを踏まえてますね。安心できる。
誠意があるええドラマです。
あと残り五ヶ月も、安心して見守りたいと思います。
どうして差がついたのか……慢心、環境の違い
昨日、ヒラさんはええ師匠と書いておきましたが……それがまさかの引き抜きて!
ヒラさんも、あの絶妙な演技で、心の苦しみを出していたとは思う。
そういう意味でも、ええ人だとは思う。
『なつぞら』においてスタイリッシュ退職届提出をしていたイッキュウさんだの。
堂々と謀反宣言して、引き抜きどころか猛烈転職していた神っちだの。
あのへんと比べると、わかりやすいとは思う。
仲となつ。
ヒラさんとちや子。
どうして差がついたのか……慢心、環境の違い。そう思わず考察したくはなる。
意図的なものもあるんでしょうねえ。
『なつぞら』は、ヒロイン周辺の男性像が、2019年にあわせて、意図的に現実を上回るように造形されていたとは思う。
誰もなつやその周囲の女性たちに、仕事なんて結婚までの腰掛けだとは言わなかった。
女と男は違うと、残酷な言葉をぶつけなかった。
ぶつけるにせよ、考えさせる余地や事情はあった。
「ありえないことを、本当のことのように描くこと」
そういうテーマを感じました。
それに対して『スカーレット』の世界は厳しい。
女に学問はいらん。
絵なんて腹の足しにもならん。
そう言い切るアカン方のジョージ(常治)。
一人娘の照子は信楽に留まり、婿を取ること。
婦人警官は諦めなさい。
そう将来を決めつけた彼女の親。
きみちゃんを女中呼ばわりされることに反論しつつ、結局あき子を選ぶ圭介。
大久保の仕事を「誰にでもできる」とみなしてきた周囲。
ちや子を見捨てたようなヒラさん。
残酷な言葉をぶつける同僚。
彼らは極悪非道というわけでもない。ただ、普通の人だと思う。
これが現実や。
お花畑やない、現実。
それでええんか?
そのままでは変わらへん。そういうことかな。
「自由は不自由やでぇ!」
そう、ええ方のジョージは叫ぶ。滋賀県枠だし、彼が只者ではないとわかる。
喜美子はこの先、土を練り、自由な形をつくるように思えるかもしれない。
けれども、自由に造形するにせよ、何かやらんといかんことはある。自由に進もうとする行手を阻むものに、こう叫ぶ。そういうドラマかもしれへん。
一ヶ月目にして、テーマを出してきた。
そう思えてきます。
女にも意地と誇りはあるんや!
がんばれ、きみちゃん。そしてその周辺。
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
スカーレット/公式サイト
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