突然崩壊したかのようなリアクションのジョージ。
見ていてもう、こっちも意味がわかんねえよ、ジョーカス!
おもろいけどな。
『なつぞら』はきっちり理詰めの作りですが、本作はセリフなしで動作で笑わせる場面が多いし。
ゆるいんだかよくわからんギャグをバカスカ入れるからある意味凶悪や!
しかも、関西弁の難しさも炸裂する。
「ええの?」
喜美子が困惑すると、ジョーはこう返す。
「ええ」
「どういう【ええ】やろうな?」
喜美子はたまらん。真面目にやってよ。普段通りでお願いします。普通の感じで。そう言われて、ジョーはこうや。
「俺、ジョ〜ジ、俺、ジョ〜ジィ!」
「言い方変えてるだけやん、なんやもう意味ないやん!」
ほんまに腹立つわ。殴りたくなるわ!
そこでジョーはウダウダいうわけです。
最初は砕けた感じで、あとはキュー締めると。喜美子が自然体でいこうやと言うと、これやぞ。
「寝転ぶで! 寝転ぶ!」
ゴロゴロするジョー。カスっぷりが極まっていてもうどうしたらええのよ!
喜美子が、ゴロゴロするジョーカスに突っ込むしかない。
この場面だけでNG出まくってませんか?
皆さん笑い堪えるの辛くなかったですか?
大丈夫ですか?
ここでやっとジョーは起き上がり、マツと百合子に名乗らせます。
東京にも何人かおる。
八人。
そうふざけるジョーに、直子だけやと喜美子が突っ込みます。
十代田八郎の家庭環境
八人はむしろ八郎のほう。そう聞かされ、ジョーは失礼なツッコミをします。
創意工夫のない名前をつけた両親は、田舎におるのかって……ま〜た、カスそのもののセリフを。
まあ、この世代あるあるかもしれへん。
後半になると名付けがめんどくさくなる。八郎の兄は凝った名前の可能性はあります。
典型例は、木村荘平ですね。
息子が木村荘十二とか。娘が十七子とか。名付けに飽きとるやん! そう突っ込む。
一昨年の放送事故では「親は子どもの名前にこだわる!」という、当時にしてはぬるい意識がありましてね。
そのエピソードのモデルが「一月三日生まれだから小林一三」という方だったので突っ込みましたわ。
多産だったヒロインを改悪して一人息子にした作り手らしいふざけた意識だな〜と思ったもんです。
ジョーはそんな意識で軽く言ったつもりだったんでしょうが、「亡くなった」と八郎から聞かされます。
父は早く、母はそのあと亡くなったそうです。
苦しい家庭環境にいたんだ、とジョーは一瞬で悟ります。
そして素直に「悪い、すまん」と返すのでした。
祖父は深野先生の絵を大事にするほどの人物ですから、それなりの資産家ではあったのでしょう。ジョーの実家よりはよいとは思う。それでも、両親ともにいなければ大変なことにはなる。
はい、ここから八郎さんの家庭環境をまとめましょう。
本作はセリフが長い!
関西弁でこれだけ覚える松下洸平さん、がんばってください。
出身地:大阪
一:結婚して岡山にいる
二:戦争で死亡
三:結婚して敦賀にいる
四:結婚して名古屋にいる
五:女、大阪にいる、親代わりになって八郎の学費を出した
六:戦争で死亡
七:生後一ヶ月で死亡
八:本人、丸熊陶業商品開発室勤務
お姉さんは確実にこれから出てきそう。
彼女も大久保さんのような、弟の学費を稼いだ姉。かつ、さだやちや子のように、女だてらと言われながら仕事を頑張る方です。
しかも大阪にいる。
誰が演じるんだろう?
どんな人かな?
下の二人を失って、そういう恐怖感がある中で弟を引っ張って可愛がってきたわけですから、めっちゃパワフルなんやろな。
目の中に入れても痛くないほどかわいいけれども、しっかり育ててきた。
そんな八郎が結婚する、えらいこっちゃ! そうなりそうなお姉さん。喜美子の義理の姉も今から気になります。
こういう家族設定も大事です。
この構成ですと、八郎は婿入りに障壁はありません。喜美子は三人姉妹の長女ですし、ジョーは兄二人が戦死しておりますから(※彼らに遺児がいる可能性はありますが)、ここは重要な点です。
喜美子は婿を取らないといけないのです。
少なくとも、ジョーはそう考えています。
圭介も妹を失っていた。彼らの世代は家族を失っている人は多いのです。
戦争もそうですが、乳幼児死亡率が高く平均寿命も短いものです。
「死んだ人は省いちゃえ〜」
というのは作劇として絶対にあかんわけではありませんが、取捨選択によります。
一昨年の放送事故もあかんけれども、昨年もそうでした。
ヒロイン夫婦には、生まれてすぐに亡くなった長女がいたのです。くどいセクシー拷問だの機銃掃射後のローリング悲嘆だのしている暇があるのであれば、そこを描けばよかったんちゃいまっか?
そこまではいいとして、手抜き仕事だと家族構成を間違えますからね。
あれはどういうことやったんや。昨年の消えたヒロイン甥二名、ネトゲ廃人画伯の【息子たち】は……。
そんなん夢必要ですか?
ここまで聞いて、ジョーはしみじみと語り出すのです。
途中で咳払いしつつ、こうきた。
丸熊商品開発室か。なかなか骨のある男やと思っとったで、ほんまにな。
せやけどあの……。
一つだけな、一個だけ、あんねや、その。
十代田君。あの〜八郎君。腹割って話すとな、俺はその。
こいつ(マツ)と一緒になって苦労ばっかりかけてきた。
どこの馬の骨わからん奴言われて、駆け落ち同然で飛び出してきて。
橋の下で雨をしのいだり。幸せにしたろ思っとったんや。
幸せにできる、思っとったんや。
夢もいっぱいあった。
大きな家建てよう。白いブランコある家がええ言うて。
ハイキング行きたい。言うとったんやて。
そんなんもこんなんも、俺はなんもかんも叶えたかったんや。
逃げるようにここに来て、オンボロに住んで、失敗ばっかりの人生や。
せやから、わかってくれるかな?
八郎君は、丸熊商品開発室の社員。
ほんでええんちゃうの?
喜美子から聞いたんや。陶芸家になる夢持っているいうて。
なんやそれって。そんなんそんな夢必要ですか?
それだけが、それだけがどないしても気になんねん。
陶芸したらあかん言うてるわけやない。
せやけどそれだけがわからへんねん。
約束してください。
一個だけ、一生、そんなふわふわしていること言えへんいうて。
一つだけ約束してください。
そんな渾身の語りを聞いて、皆、静まっております。
ジョーの話を聞いただけでは、障子の破れた部分をチラシで塞ぐ様子すら見ているのが辛い。
せやな、オンボロの家やな。
マツは、自分でも忘れたハイキングのことを覚えている夫を知ってしまう。
百合子は、気持ち悪いだけではない父の情熱を聞いてしまう。
喜美子も、父の愛ゆえの反対と挫折を知ってしまった。
そして八郎は?
「陶芸家になりたいいうのがあかんのですか? 夢を持つな言うことですか?」
「好きいうだけでは、夢いうのは叶わへんて。ほんま約束してください、お願いします!」
さんざん笑わせて、泣かせる。
そんなジョー。朝からなんちゅうもんを見せてくれたんや!
夢持つことはあかんのか?
ついに、きおった……。
ジョーはあかん。泣かせにきおった。
ジョーは話そうとしないし、ふざけるし、ちゃぶ台返そうとするし、素面でいることすら嫌がっている。
けれどもそれは、傷ついた心を隠したいんだとわかってしまう。
傷ついて真顔になったジョーは、フカ先生への敬意を喜美子に示した時といい、今回といい、切ないことを語り始めるのです。
ジョーの失敗は、お笑いにされてきていた。
迷惑だった。
夜逃げもそう。
喜美子の給料前借りもそう。進学の妨害もそう。
でも、根底にはマツへの愛があった。自分の夢があった。
愛は夢は肯定的なものとされる。朝ドラでは特にそう。
けれども……だからこそか。
そのマイナス面や厳しさを描くことはバッシングもまねきかねません。
『半分、青い。』で鈴愛が戦いに戦い、ズタボロになりながら漫画家を断念したとき。その厳しさを目の当たりにして辛かった。
漫画家はじめクリエイターのアカウントまで延々と鈴愛を罵倒する投稿をしていて、結構ギョッとしたんですよね。
で、その次の放送事故は作品からしておそろしかった。
ヒロインの母の・武士の娘は、娘と一緒になってジョーのような挫折した夫を罵倒しまくっておりました。
結婚して苦労はしたのでしょう。それを差し引いても、どうしてここまで罵ることができるのか、不可解なほどでした。
モデルの方たちは、特に彼を罵倒していたわけでもないのに。ヒロインの英語力は、その亡夫の経済力あってのものだったんですけどね。
そういう夢に破れた男が嫌だからこそ、娘は堅い男と結婚してほしい。
ここまでは、武士の娘もジョーも同じではあるのです。
けれども、動機として丁寧に描くかどうか。
設定を細かくするかどうか。
要するにプロの丁寧な職人芸と、やっつけ仕事かってことなんですが。
その違いで、受ける印象が違う。
こうも鮮やかに変わるのかと驚かされております。
武士の娘の苦労を、脚本を書く側はあんまり考えてなかったんじゃないか?
あそこまで史実ベースなら、資料もそれなりにあっただろうに。
一方で、本作の水橋氏は、細かな年表まで作っていてもおかしくない。そう想像してしまうのです。
ジョーが喜美子の絵を金にならないと冷たくあしらったり。
喜美子がガラクタと思われたくないから、陶器のカケラを隠していたり。
大久保さんにもそういうところはあったんですけれども、彼らは感受性が乏しいとか、そういう単純なことではなく、お金のことばかり考えて生きていかねばならなかった。
夢見る時間に内職をしてきたのが、大久保さんだから。
夢を追いかけて、金も掴み損ねて、自分は酒に逃げて妻子を苦しめてしまった――そんなジョーだから。
そうなってしまったのかと思うと、なんとも切ない。
ちなみに『なつぞら』では、そこをカバーしてはおりました。
倉田先生は、働く人こそ演劇を見て感受性を伸ばして欲しいと言っておりました。なつの作ったアニメを見ることで感受性を刺激され感激する泰樹の姿に、その部分がきっちり回収されていて圧巻でしたが。
本作は、もっとえげつないことをしてきそうではある。
夢を持つこともできないほど苦しんできた人の悲しみ。
それが連鎖する悲劇まで、おちゃらけつつスライディング決めそうでぞくぞくする!
夢を持つこと。
朝ドラはじめ、フィクションではごくごく当たり前のことではあるけれども。
それって本当は贅沢なことやないの?
そう突きつける本作、答えは明日の八郎にあるのか、心して待ちましょう!
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
スカーレット/公式サイト
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