喜美子は絵を描きたい
今やから言うけど……喜美子が大阪行く前、あの学校で飾ってあった絵。
あるで。そう喜美子は出してきます。
照子は学校に飾ってあったとウダウダいい、それを信作がほやからそう言うたやん、と返すのです。
喜美子はこれが何かと聞く。
信作は語り出す。
すごいなあ、思った。金賞を取ったからか?と照子が言うと、そうではないと言います。
朝から晩まで、家のことして。学校で係の仕事も、勉強もようして。いつ、こんな絵を描かんねん? すごいなあ、そう思てた。
喜美子はしみじみと振り返ります。
絵ェ描くんの好きでなぁ。描きたくて、描きたくて。井戸水で手ぇかじかんでも、描きたくて。ここんとこ、大根炊きながら描いたわ。
ここはどういうふうに仕上げたらいいか、薪入れしながらどういう色にしようか、考えてた。
「懐かしいわ……」
喜美子は、ここで【旅のお供】を出してくる。
大阪にも持って行った、あのかけら。触ってもええと言い出す。
照子は見つめる。花瓶か、壺か? 信作は、裏山でなんぼでも落ちてるやろとそっけない。
喜美子は「さすが丸熊の奥さんやわぁ!」と言います。
これは室町時代の色――。
そういえば、昨日の大河ドラマでは明智光秀が琵琶湖を船で移動して喜んでおりましたっけ。
信楽から見たら北西~北に位置する琵琶湖。
あの光秀の時代のものだと思うと、すごいな!ロマンがあるな!
うちは信楽の子や。そう悔しがる喜美子に、父が教えてくれた道。
その道で、夕陽を浴びながら見つけたかけら。
大阪で、ちや子の上司・ヒラさん経由で室町時代だとわかった。そんなかけら。
そして、八郎も褒めていたもの。
そのかけらを、大阪生活を支えてくれたとしめくくって、お礼を言おうと喜美子は促す。
信作は「なんで俺が?」と言いながら、三人で拝みます。
「ありがとうございました!」
八郎不在の家で、幼なじみが集まり、独身時代を支えた象徴に感謝する。これはもう、見えてきた展開があります。
男と女やない、幼なじみの腐れ縁の一夜。性的な関係は、もちろん一切ないものの、これは心がよろめいているのです。
誰と誰との間で?
喜美子の本質と、妻としての喜美子です。
朝が来る。照子は寝ています。信作は、書き置きを残しておりました。
「先、帰る 信作」
短い書き置きですが、当時のこの年代らしい筆跡で流石やと思う。
朝日を浴びて、あの【旅のお供】が輝いています。
喜美子は、このお供とともに、どこへ旅立つのでしょうか?
本質へ、旅立つ
結婚したときは、あんなに素敵だったのに!
おつきあい始めたときも、そうだったのに!
どうしてぇ〜ッ!
こういう悲しい話って、あるあるではありますよね。
結婚したとき、つきあい始めたとき。それが本質で、本来の姿だと思っていただけで、変わっていった方が本質だとしたら、どうでしょう?
そんなこと考えたくもねえ、やめろ、ハネムーンが真実だ! そう現実逃避したくなるんですけれども、本作はそういう惨さをゴリゴリ出してきたと思えます。
信作は「偽りの」とやたらと言う。
彼には人の本質を見抜く、そういう設定が付与されているとみた。
今でも本屋なり、図書館に向かえば、子育て本は出てきます。こういうものを集めて、調べると、正反対のセオリーがワンサカ出てくると。
じゃあ、結局、教育って何?
しつけってなぁに?
「結局、遺伝やろなぁ……」
「人間、3歳の時と、70の時と、実は性格ってそこまで変わらんもんで」
「性格を変えることよりも、本質を見抜いて、それにあった環境を整えることが大事なんやで」
最後のセンター試験を終わったあとに、やたらと煽るようなことを書いてしまいますが。
知識をつける。道徳規範を知る。あかんことはあかん。そういう学びはできるのですが。
何に興味を抱き、何に打ち込み、力を発揮するのか?
そこは、性別や教育ではなくて、本質に埋め込まれている。
しつけが悪いだのなんだの、そう言い続けるのはむしろあかん。アレルギーだって食べて慣れても治らないって、証明されたわけでしょう?
そういう主張を、本作からは感じるで!
喜美子は、八郎から陶芸を学んだ。
けれどもそれ以前から、絵を描きたくて仕方ない、そういう本質があった。幼なじみの信作は、その凄みを理解している。
学歴でもない、全国規模でもない。そういうことではない、喜美子の本質を理解している。
同じく照子は、喜美子がみつけたかけらの価値を理解できる。
八郎にはできないことを、幼なじみの二人は理解する。
その理解を得て、喜美子は旅立つ。
その横に、八郎がいなくても問題はないのです。
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
スカーレット/公式サイト
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