スカーレット137話あらすじ感想(3/13)砂漠の中のダイヤモンド

次世代展は残念賞やった。八郎に、そう告げる喜美子。

そして切り出します。

「あのな、話があんねん……」

それやったら楽しかったなぁ

八郎を前にして、喜美子は語り始めます。

「この前初めてな、武志の部屋に行った。たこ焼き食べて一緒に食べた。そのとき女の子がおってな。研究所で働いている石井……真奈さん」

八郎はここで、そういう話か、結婚とかそういうことかと言い出します。

「……それやったら楽しかったなぁ」

「楽しないで、まだ若いで!」

八郎が今の武志と同年代で、喜美子との結婚に突き進んでいたことは、さておき。

「なんか飲もうか。おなかすいてへん? カレー作ったんや」

喜美子はそう言い、立ち上がります。

女性が家の中の仕事をすることに、ここまで意味を持たせるドラマはなかなかありません。

力であり、苦痛から目を逸らすためでもあり。

山田風太郎の『人間臨終図巻』には、こんな言葉がありました。

最愛の人が死んだ日にも、人間は晩飯を食う。

喜美子たちが家事をする姿には、そんな真理がある。特に女性ならば、自分は食べなくても誰かの晩飯を作らねばならないことが多い。

葬式でも、男性が酒を飲みつつ故人を思い出す中、女性たちが台所に立っている。当たり前過ぎて、そういうもんかと通り過ぎていたけれども、そこにこそ人間の本質があるのかもしれません。

大切な誰かに何が起ころうと、周囲の人間は生命を存続させるために、何かをしなければならないのです。

生命賛歌について考える

武志の部屋で電気が消されます。真奈はまだ部屋にいました。

「門限過ぎてるんちゃう」

「起きてたんですか」

「門限ある言うてたやん」

「今日は芽ぐみの所泊まる言うてきたから……」

「帰らんでええの? ほな泊まってきや」

一瞬沈黙が流れて、武志はこう言います。

「いや、送ってくわ……今何時? 9時過ぎてんじゃ……送ってく、芽ぐみんとこ」

川原家と武志のアパートで、時系列入れ替えがないとしますと、9時半から10時の間あたりでしょう。

「ええて。寝とき、寝とき。戻って!」

起き上がった武志と、断ろうとする真奈。二人はドサリと倒れ、顔が近づいてしまう。それこそキスシーンになってもおかしくないところではあるのですが、真奈は起き上がり、こう言います。

「検査入院するんやろ。所長さんが言うてたの聞きました。なんやわからんけど、しっかりしてください。大事にしてください。ほな失礼します。次世代展はまた来年がんばりぃ。ほな」

そう告げて、戻って忘れ物を取って。部屋から去る真奈を見て、武志は笑います。

本作は生々しいところがある。

照子の記憶に残る亡兄の記憶。それは戦死する前に思い人と、墓地で「いけないこと」をする姿でした。

荒木荘の圭介は、エロエロで迷走するし。

忠信は【人妻のよろめき事件】を起こすし。

百合子は父の恋愛に「気持ち悪い!」とぶつけるし。その一方で、信作には人口を増やすことに貢献すると言った。

しかも戸田恵梨香さんがキスシーンで松下洸平さんが「オスの顔」だったと言ってまうし。

性的な部分を、受け狙い、萌え狙いではなくて、生命の根源のように扱う――そういうおっとろしいもんを感じます。

朝ドラでそんなん……そうは思っても、武志と真奈の間に、そういう意識はやっぱりあると思える。

そんな、恋愛と難病が重なる本作。その反応を見ていると、興味深いことが見えてきました。

難病パートについては、サラリと流す。一方で恋愛となると、過去の自分の経験や、漫画やドラマを持ち出して、熱く語り出す人が出てきます。

ヒロイン息子の命がかかっているのに、ええこと言ったという雰囲気で投稿する意見にはびっくりしました。

「うちの犬の何がかわいそうて、一度も生殖せんまま死んでもうたことやね。武志もどうせ死ぬなら、その前にいっぺんくらいやっときぃ」

飼い犬とモデルが存在する人間の命を同列に並べるとか。人が死ぬ前にすべきことが性行為だけとか。ツッコミどころがありすぎて、流石にどうしたもんかと気分が悪くなりましたわ……。

付き合いきれんと思いつつ、それも本作の不思議な生命賛歌かとも思ってしまう。

若くして、思いを遂げずに命を落とす若い男性。思えば、照子の兄としてその影は物語に落ちていました。

セリフだけの彼の人生は無意味だったとは、到底思えません。喜美子、照子、信作が草間流柔道を習った道場は、彼が稽古をしていた場所でした。

照子も、その夫となった敏春も、彼の影は感じている。その二人の子である竜也にも、陶芸への思いは伝わりつつある。

仏壇前でアイテムを使うと出てくるヒロイン夫とか。

夢枕に立つ姉とか。

そういう死者の受け狙い利用とはまるで違う、敬意を感じるのです。

いくら亡き姉のお告げでどうこう言い張ろうが、ヒロインたちが亡き父を「結婚相手としては低スペック」と笑い者にするとか、空襲被害者は負け組、俺らは勝ち組と言い張るとか。そういうことをしていたら、死者への敬意もあったもんじゃない。

ヒロイン父の絵、母の味が家族を繋ぐ。そんな『なつぞら』も圧巻でしたが、本作も、難しい形でそのことを描いてゆきます。

今日が私の一日なら

どっこいしょ。
そう加齢を感じさせる言い方をしつつ、八郎はあるものを出します。ジョージ富士川の絵本です。

「今日な、名古屋のでっかい本屋さんの店頭に、ブワーッと並んどった」

ふーん。喜美子はそう言いつつ、読み始めます。

「Today is my day, so I will,,,」

「訳した方、読んだら」

そう突っ込まれますが、なかなか英語を読むところはしっかりしとる。英語やぁ〜と投げない。

やはり喜美子は、中学まできっちり勉強していて、その先に行けるだけの熱心さも知識欲もあったのでしょう。足りんのは学費と周囲の協力やった……。

「今日が私の一日なら、きっと何々だろう」

あなたなりの一日が書いてある、そういう絵本です。

八郎は次世代展のお祝い、残念賞になってしまったものとして買ってきたのです。イラストの色使いがジョージ富士川先生らしいと語ります。

世の中には、別れた妻子に養育費を送らん親もおる。終わった女よりも、次の女に使うと、デート代にしてしまうわけです。それはもう、社会問題になるほど。

八郎はそうじゃない。今でも、書店で家族と縁のある作者の絵本を見ると即座に買うくらい、心に妻子が住んでいる優しい人です。

八郎は、ジョージ富士川の実演会のことを思い出します。武志が発熱してしまい、わざわざ川原家にまで来ましたっけ。そのことを振り返り、滅多に熱出さへんから焦ったと言うのです。

学校あがってからも、毎日行ってた。

風邪も全然ひかへん、丈夫な子やった。

そう振り返る八郎に、喜美子はこう言います。

「堪忍な……病気にな、なってしもた。丈夫や思うてた子が、病気になってしもたんよ」

八郎は驚いています。

何謝ってんの?
嫌な予感があっても、認めたくない。そんな現実逃避を感じます。

「武志は誰にも言うたない言うてる……ほやから武志の前では、知らんかったことにして欲しい」

「いや、本人が言いたない言うてるもん、なんで喜美子が言うん?」

ここは重要です。

白血病発覚以来、どうにも変なことが起きている。誤読としか言いようがない感想が増えてきました。そこに本作は踏み込むから見届けましょう。

砂漠の中からダイヤモンドを見つけるようなこと

どうして喜美子が、武志の言葉に反して告げるかというと、骨髄移植のためなのです。

早いところ検査して、一致させて、移植を急がねばならない。確率が低いからには、なるべく大人数に協力をしてもらわなければならない。

信楽でなく、滋賀県、関西地方、いや日本全国。できれば世界各地から募るほどの気持ちでなければ、いけません。

砂漠の中から、一粒のダイヤモンドを探すようなことをするのです。

「なんや喜美子は、強がりながら結局周囲に負担背負わせるんかい!」

「愛ゆえに息子を裏切るんやな〜」

そういう単純なことじゃない。

しかも本作チームは正々堂々としておりますので、昨年のようなメディアコントロールをしていない。

ですので、なんかその辺ズレた意見は割と出てきます。そのせいで、骨髄移植の知識がこれほどまでにないということが明確にされていて、ある意味圧巻ではあるのです。

「このままやと3年から5年言われた。そういう病気や。慢性骨髄性白血病いう」

八郎は衝撃を受けつつも、たこ焼きの話をします。

たこ焼き食べた言うたな。なあ、僕も行ったよ。信作と三人。口からタコが飛び出すくらい、男三人でゲラゲラと笑うた。よう笑うた。あいつはものすごい元気やん、ありえへんて。

そう現実から逃げたい八郎を、喜美子は諭します。

この夫妻って、男女のあるべき姿が逆転しているような感覚があって、興味深いところではあります。

「ハチさん、しっかり聞いてください。聞いてください」

愕然とした八郎に、喜美子は病院からもらった書類を持ってきます。

「骨髄を移植する治療法があんねん。その骨髄を提供してくれるドナーいうんが必要なん。武志とHLA型とい白血球の型が合うか検査して欲しい。うちもやる。ハチさんも、お願いします」

検査と聞いて、八郎は現実に引き戻されつつある。

型が合うか調べんねん。そう言われて、八郎は返します。

「型が合わへんことがあるんか?」

これも難しいですね。血液型ならば、親子なら一致する確率が高いものです。特に両親がO型であるとそうですね。

それが白血球となると違う。

そもそも自分のHLA型知ってます? 輸血でも関係ないから、知らないのが当然です。骨髄移植でも必要にならなければ、知らなくてよいことなのです。

親と合う確率は1パーセントないらしい。そう告げてから、喜美子はこう言います。

「よかった。0やない。ないに等しいけど、合う可能性はある……」

そう笑う喜美子の強さがまぶしいほどで。

99パーセントの絶望よりも、1パーセントの希望。うちが、ハチさんが、直子が、百合子があかんとしても……誰かが合うかもしれへん! そう顔をあげる強さがあるのです。

このあと、八郎は自分の言葉に苦しめられることでしょう。焦るなと言ったけれども、我が子は焦るしかないこと。いろいろと苦しむことになるけれども。

後悔よりも、希望を選ぶことも大事です。

喜美子は孤高の人でありながらも、情報戦略は理解しています。穴窯完成後、ちや子の情報拡散力を使った。そういう喜美子ならではの立ち向かい方があるはずです。

結果はどうあれ、努力すること。

希望を増やすことが大事です。

お菓子を勧める知恵

武志はジョージ富士川の絵本を見ています。そこは病室でした。

「へえ〜こんなんお父ちゃんが」

「うん、武志に渡してくれって置いてった」

「名古屋帰ったん?」」

「うん、明日仕事やからな」

両親のこととなると、武志は子どもにかえってしまう。帰ってしまった八郎に、寂しさを感じているようです。それだけではなく、絵本への喜びも。なかなか良さそうな絵本で、実物が欲しくなります。

「今日が私の一日なら私は……」

何する?
そう絵本を持ち、問いかけ、喜美子はこう返します。

「お母ちゃんは?」

「陶芸やな」

「つまらんな、そればっかりやん」

そればっかりやないんやで。今年は穴窯を断念しました。何しようかな、なんかよいことしたいな。そう思っているのです。

「お母ちゃん、何そんなようけお菓子もってきて。俺そんなん食べんで」

「お母ちゃんのや」

「遠足かよ」
※続きは【次のページへ】をclick!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA