スカーレット144話あらすじ感想(3/21)終わるようで終わらない世界

武志のアルバイトは、週1回4時間。病気治療と作品作りに励む中、社会と接点を持つ大切な時間です。

喜美子は穴窯を焚きます。

八郎がやって来て「武志の友達が来てんで」と告げるのでした。

友達にできること

「おう、どないしたんや」

そう切り出す喜美子。喜美子は「君」とつけて呼ばないし、やはりこういうところがカッコええとは思います。好みは分かれるでしょうけれども。

大輔と学は頭を下げます。

「ドナー探し、うまいこといかんですみませんでした!」

「一回きちんと頭下げよう思てたんで」

「なんも力もなれんで!」

「あのっ、声かけは出来る限り続けるんで!」

「今日も大津の方に行ってくるんで!」

全然悪いことない。この二人は全然謝ることないよ!

闘病が始まってからつらいことに、悪くないのに謝ることがありますよね。喜美子も八郎に「堪忍な」と言ったわけですが、何も悪くないのです。

これも今のご時世重要なこと。病気や負傷を「自己責任」だの「自己管理」だの言うのは無責任ですし、筋違いですし、責めて何になるのかということです。

これが大昔ならば、前世の業だの不信心の報いだの言われてましたけどね、そういうのと大差ないわけです。それでええんか? いかんでしょ。

なんで謝るん?
いろんな気持ちがありますよね。武志が苦しんでいるのに、自分たちはその苦痛を味合わないで生きている。そのことがつらくなってしまう気持ちは出てくる。

だから彼らはこういうことを言うのです。

「何かしたいんです、俺ら。武志のために」

「十分してもろた。十分や。な?」

喜美子がそう言い、八郎は二人にジョージ富士川の絵本を見せます。

「これな、武志が書いてん。見たって。右側のページな。今日が私の一日なら……」

「今日が友達との1日なら、友達といつもと変わらない1日を過ごすだろう……」

「たのむな」

「はい」

「はい」

八郎と武志の気持ちが、友達二人に伝わったようです。

陶芸家二人、作品作りに向き合う

武志は「ヤングのグ」の勤務を終えます。

「おつかれさんでした! ありがとうございました!」

店長はこう声をかけます。

「ごめんなぁ。また元気になったらここに戻って来てな。待ってるで。今までありがとうな」

「こちらこそ、お世話になりました」

「最後にたこ焼き食べていきぃ」

かくして、週1回4時間のアルバイトすら終わってしまいました。この店長とのお別れ、私までが寂しくなってしまう。関西のおばちゃんらしいファッションセンスに、優しい目線。たこ焼きも美味しそうで。この店があるなら行きたいと思うほどでした。小さな役にまで、意味があるドラマだと思います。

川原親子の姿が切り替わって映されます。

あのカケラを手にして、穴窯に一礼する喜美子。

カケラを忘れたのか、狸と並べておけというような意見もありましたが、あのカケラは穴窯の時、狸とは別の位置に置いていたものです。本作スタッフが忘れているわけがないとは思っていましたが。

「ヤングのグ」に一礼して、去ってゆく武志。

喜美子は火をつける。武志は、バイトを辞めてより一層気合をいれて作品を作ると誓う。

そんなところが似た二人です。

武志は、穴窯の前にいる母の元に戻って来ます。

「ただいま」

「おかえり」

「どう?」

「うん、まだあぶりやからなぁ」

「バイト終わった」

「うん、ごくろうさん」

「辞めて来たから。今日から、心新たにして取り組むわ」

こう聞いて、二人は「おう」と声を掛け合います。どうして辞めたのかとか、眉をしかめて「まぁ……」とか、そういうドラマのお母ちゃんらしさは喜美子にはないのです。喜美子はこう告げます。

「お父ちゃん来てるで」

そう聞かされ、武志は工房へ向かいます。

「おう」とやりとりする母と子。こういうところが、マザコンの頭をぶん殴るようなところはあると気づいてしまいました。

実は本作って、喜美子自身の妊娠出産場面がない。喜美子が大きなお腹をさすって微笑むとか、武志をおんぶしているとか、授乳をしているようなところはない。武志は結構大きくなってから出て来ましたよね。

ここが、バッシングポイントにはなっておりました。一番盛り上げる王道をすっ飛ばしたってよ。

最終週目前でハッとしたんですけれども。そういう、幼くて母の胸に甘える我が子って、聖母子像というか。マザーコンプレックスの源泉みたいな像ではあります。

いますよね。満員電車で妊婦に席を譲ったのに、お腹をさすって我が子に語りかけるどころか、スマホを見ただの、なんだか苦しそうにしているだけだの、そういう叩きが。いや、母も人間やから。

『なつぞら』も、そういうところがありましたけれども。母親が我が子以外の何かを見つけると、何か現実と受け止めきれずにバグを起こす人がいるようです……。

そういう人にはアレやな。昨年のアレでええんちゃうか。

「経産婦女優が出産します!」と、公式SNSでまでアピール。海岸で赤ん坊を背負って泣く。最終回では、主演女優母子の写真を使う。ファンの選ぶ名場面一位は「赤ん坊時代のヒロイン息子がかわいい」。

「どや! 経産婦女優渾身の母性アピールや、女優の父も出て親子アピール余念ないでぇ!」

そういうサービス満点やな。配信しとるし、また見たらええんちゃうか。

八郎、いろいろひっくるめたお礼の茶碗を作る

喜美子の脳裏には、大崎の言葉がよぎっています。

病状が落ち着いている限りは、陶芸を続けてもよい――。

工房では、八郎がろくろに向き合っています。

「何作ってんの?」

「うん、姉貴に茶碗や」

大阪の父ちゃんの姉さん。いつ子さんですね。

小さい頃にお年玉を持ってきたことがあるとはいえ、武志は覚えていないそうです。そんな彼女は白血球の型を調べてくれたそうです。

「ほんで新しい茶碗欲しい言うてたから、お礼に贈ったる」

「申し訳ないな。俺が作ろうか?」

そう言う武志に対して、八郎は断ります。陶芸やめたことをめっちゃ叱られて、最近始めて褒められたそうです。

大人になってまで叱られて。そう武志が言うと「中年や」と八郎が突っ込みます。

家族って、成長しても関係性は残ります。いつ子にとってみれば、ダメな弟でかわいい末っ子なのでしょう。

離婚した時どつかれて、骨折するかと思た。そう八郎がつぶやきます。

それはわかる。いつ子は離婚してまで、男社会で頑張って働き抜き、弟の学費を稼いできた女性です。

離婚で怒るだろうとは思った。なんか揉めないかと思った。かわいい弟と別れた喜美子ではなく、妻の器量に負けた八郎に激怒が向かったようです。

いつ子からすれば、情けなくて腹立ちますわな。学費出して、陶芸家になれるよう見守ってきて。ほんで妻に負けて離婚。そして陶芸まで辞める……。

八郎は器が小さい、情けない、同情できない、自業自得、そう叩かれてきました。画面外で、そんな視聴者のぶんまでいつ子さんが叩いているので、堪忍してやってください。

そこを受け止めている八郎。

「武志のことだけでなく、そういういろいろひっくるめたお礼の茶碗やさかい」

そう言い、作品に向き合うのでした。八郎も、試練を通してまた陶芸に向かえるようになったようです。

武志のお礼

陶芸家としての十代田八郎も見事ですし、松下洸平さんが最終週までいてよかったと思えます。ほんまよかった。

「俺も、お礼の作品なんで」

武志はそう言います。
方向性が決まったら大皿にする。お世話になった人みんなに見せたい。

皿の中に波紋がある。水が生きてる。みんな「わあーっ」てなる。

そう聞いて八郎はこう言います。

「元気の出る大皿や」

「元気です言う大皿や。それが俺のお礼や」

武志のことを、周囲は元気が出ない白血病だと思い、気遣っている。

けれど本人は元気だと言う。それがお礼やと。

陶芸を通して生きること、感謝を伝える。自分のために、誰かのために向き合う。テーマを綺麗に昇華して来ました。

何かをすることが、社会的成功や金儲け、セレブになるためだけの手段だと思っていては、この境地にはたどり着けないのでしょう。

そこへ、大輔と学がやって来ます。「こんばんはっ、武志います?」と明るく挨拶して、工房へ向かっていくのでした。

久しぶりやな。そう声をかけられ、三人それぞれ忙しいという話題になります。大輔は先生、学は結婚も近い。ここでこの二人は、病気だからこそ武志だけが忙しくてつきあえないとはにおわせないのです。

明るく、昔と変わらないように振る舞う二人。そしてこれです。

「よけといてぇ〜!」

「古っ!」

そしてこの三人は、昔と変わらない気晴らしをするようです。

明日は暇やから、どっか行こか。三人組で出かけるのです。
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