ところは岐阜県東美濃市。
ときは1980年(昭和55年)秋。
小学校3年生の楡野鈴愛は、元気いっぱいの女の子です。
が、おたふく風邪によって左耳の聴力を失ってしまいます。
揺らぐ世界の中、鈴愛は力強く生きたいと願うのでした。
担任教師と面談 あらためてイジメの心配が……
律と鈴愛は、ゾートロープで小人の動画を作ることにします。
心配する母親の晴に、左耳の中はこんなにも楽しいんだ!と伝えたいのです。
晴と和子は、担任の豊島先生に呼び出されます。
豊島先生は、鈴愛がバランスが取れないことを忘れてしまって、それを律がかばったことを説明します。
「律くんがふざけたのかと思いました」
そう頭を下げる豊島先生です。
「これからは、いじめなどないように……」
その言葉に、晴は改めてショックを受けます。左耳のことで、いじめられるかもしれない、と。
私は嫌な女で、ダメ人間
和子は晴と共に【つくし食堂】まで来ます。
「受け入れて生きよう」と励ます和子に、ヤリ場のない怒りをぶつけてしまう晴。
律の喘息は治るかもしれないけど、鈴愛の左耳は治らない……授業も聞こえない、休み時間に友達の話だって聞こえないのだと。
嗚呼、それは思っていても言うたらアカンやつ。
誰も悪くないのに、対立する一番悲しいパターンです。
律と鈴愛は、仕掛けを作っています。
小人は16人にしようと、言い出す鈴愛。
晴は、励ましてくれた和子に当たってしまい、落ち込み中です。
嫌な女で、ダメ人間。
すると宇太郎が、「完璧じゃないくらいでいい、そうでないと息がつまる、鈴愛だって泣き虫なおかあちゃんが好きなんや」と慰めながらも、和子に謝るように促します。
今日は金八先生って、モノマネ好きかっ!
菓子折りを持って萩尾家に向かう晴。
和子はわだかまりもなく晴を許し、自分も出来損ないの金八先生のような押し付けがましさがあるから、とモノマネをしながら笑います。
先日は、マグマ大使のゴアを真似して、今日は金八先生。
ものまね連発やないですか。好きなんですね。
晴がお土産にしたのは、うさぎというお菓子です。
仏壇のお供えにもされていましたし、定番の人気菓子なのでしょう。
鈴愛と律は、家族を集めてゾートロープ小人の上映会をします。
くるくるまわりながら動く小人をみて、泣き笑いの晴です。
「鈴愛の左耳の世界は、こんなに楽しいんだね。律くんありがとうね」
鈴愛の想像力と律との絆が、これからも周囲の人々の救いとなるのでしょう。
「半分、青い」
夜、鈴愛は「月が3つある夢を見た」と晴の布団に入ってきます。
抱きしめ合う母娘。
お布団の母娘場面は子役時代だけでしょうから、こうした親子のふれあいも今週が見納めになりそうです。
よい絆ですね。
翌朝は遠足なようで。
軒下にてるてる坊主がぶらさがっていたのは、晴れるように願っていたからでしょう。
早朝、晴の握る大きなおにぎりを楽しみにする鈴愛。
外は雨ですが、中止の花火があがらなかったので決行のようです。ここで、ちゃっかりとおにぎりをつまみぐいする宇太郎さんでした。
黄色い傘をさした鈴愛は、右半分だけ雨が降っている、と呟きます。
左は常に晴れなのだと。
学校の校庭についた鈴愛は、律たちに呼ばれて傘を閉じます。
そして空を眺めます。曇り空と、青空が半々です。
「半分、青い」
タイトルですね。
★
ここで場面が切り替わり、高校三年生になった鈴愛が大きな絵を描いています。
『空飛ぶクジラ』というタイトル。
そんな鈴愛をみつめながら、律はこう考えます。
1971年7月7日、俺があいつより一足先に生まれたのは、俺があいつを守るためだと。
本作のナレーションは、漫画だと四角く囲まれているモノローグのようで、なかなか面白いです。
かくして舞台は、高校最後の年へと移るのでした。
今日のマトメ「さりげない愛情の積み重ね」
今日、小人を回している鈴愛と律を見ていて思いました。
『しみじみとこの二人が好きだ、気になり始めている、ずっと仲良くしていて欲しいな……』
本作の登場人物に、愛着が芽生えているということですよね。
鈴愛の子役の矢崎由紗さん、律の子役の高村佳偉人さんの熱演が素晴らしくて、そこにひきこまれた部分は当然あるのです。
それだけではなく、物語そのものの持つ力由来だと信じたいです。
今日は少年期編の最後ということもあり、タイトルの『半分、青い。』も出てきました。
この程度の存在感でちょうどいいと思います。
前作の「わろてんか!」連呼するという笑わせ強制はしつこすぎました。ヒロインの口癖も今のところくどすぎないので、ちょうどいいです。
子役編を見て、しみじみと感じたのは、本作のさりげない愛情です。
愛はいつでも正解というわけではなくて、晴はあやしげな健康食品にすがりますし、和子に八つ当たりもしてしまいます。
そういうところもふくめて、あたたかい人間関係が構築できているな、とホッとしています。
前作のショックをひきずっているのでしょうけど、愛情=小切手を切るような関係には疲れ切っておりまして。
『あさが来た』あたりから大阪制作では、大金持ちのお嬢様路線が続いていました。
プロットがしっかりしていて、ヒロインの奮闘ぶりが描かれた『あさが来た』ですら、実家がいざとなると金や土地を娘にポンと出す展開には、親心より先に「金持ちは凄いなぁ、いいなあ」という感想が湧いてきてしまいました。
それ以降の作品では、完全に「金持ち=イージー」という展開になっていましたね。
『わろてんか』は勘当されていたのに実家からポンと大金が出てくるものですから、しらけたものです。
金がらみでないにせよ、還暦近い老人が闇市のコワモテチンピラを一瞬で倒すような、非現実的なものばかりで。
お金や非現実的なシチュエーションに頼らない、小さな愛情の積み重ね。
二週間見てきて、こうした描写には本当に安心しているのです。
ゲテモノじみた愛情表現も数度ならギャグとして見られたのでしょうが、連続して展開されると胸ヤケがするもの。
本作は、そういう大仰かつ非現実的なこともなく、時々つまづく小さな信頼と愛情。
今後も積み重ねてゆくならば安心できるでしょう。
来週からの高校生編も期待しています。
著:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
>『わろてんか』は勘当されていたのに実家からポンと大金が出てくるのもですから、しらけたものです。
娘が突然負うことになった運命を、母親が苦しみながら受け入れていく過程が、過不足なく丁寧に描かれていたことに好感を持ちました。登場人物がみな、深みがあり優しいことに癒やされています。人間の心のひだをしっとり描く作品こそが、朝ドラにふさわしいですよね。今後、多少の中だるみや失速があったとしても、おつりが来るくらいに十分楽しめた子ども時代編でした。
左側から普通に話しかけられて、普通に答えてたように見えましたが、大丈夫でしょうか。ってか、あの時代なら小学校高学年から中学校にかけて、障害を理由としたいじめとかあるだろうに、そこを年代ジャンプする意味がわかりません。
すみません、もう1点、肝心のポイントを忘れてました。
鈴愛と書いてスズメと読ませるようなキラキラネームが1971年生まれに存在するとは思えません。もしいたら、岐阜県全県、全東海エリアで話題になるくらい珍しいことではなかったかなと。ここからしてそもそも脚本家さんは現代感覚を持ち込み過ぎな気がしてちょっと引っかかります。もちろんそれが彼女の計画的な意図に基づくことであれば、私も暖かい眼で推移を見守っていきますが。
週明け、平成に入って1990年になりますが、佐藤健の律くんが劇中で当時まだなかった「イケメン」なんて言葉で呼ばれたりしないかとちょっとドキドキしながら見ることになりそうです(笑)
武者さん、私もハーフブルーに参戦させていただきます。(笑)
2週間の子役時代編を振り返っての武者さんの好意的な評に私も同意です。まあ何しろわろてんかは見た後どっと疲労感に襲われるシロモノでしたから。安心してほのぼのと見ていられる朝ドラに戻ってくれたのは、当たり前のことに過ぎないけど喜ばしいです。爽やかな1日のスタートを切れる日本の朝が帰ってきた。3ヶ月間のセゴドン&ワロテンカW苦難に耐えた後だけに(笑)、まさに「青空が半分復活した」思いです。
ただし1点不満を述べると、「昭和55年」の時代背景を当時の流行歌やTV番組や街の風景や各種小道具で過剰なほど強調してる割には、人間の中身はほぼ平成30年なんですよ。特に美人母さん二人は現代のママ友にしか見えません。垢抜け過ぎなんです。38年前なら直接体験者が多数生存してるはずで、彼らの記憶と知恵を借りて昭和らしいモッサリ感を演出できてればなぁとそこが惜しいです。私の偏見や先入観かも知れないですが。
ルービックキューブが、
さり気なく飾ってありましたね。
今日は四回も見てしまいました。
夜の放送までは眠くて
起きてられないので、
寝ちゃいますが。
今期はとても楽しめそうです。
今日はじめて見ました。いい感じのドラマでした。
「あさが来た」で実家が、ポンと土地を出すのは史実だからしかたないです。でも、ちゃんとあささんは、資金集めに回っていた。あのとき、洋服だったり、普通の着物だったり、紋付きの羽織だったり、一瞬のあささんの着ているもので、相手の格式が分かるのがすごいなと思いました。
今回のドラマも小さな小道具がしっかりしていて嬉しいです。あのばねみたいたもの名前は忘れましたが、階段をかってに上がっていくもの。