半分、青い。11話あらすじ感想(4/13)健康食品にでもすがりつきたい無力感

1980年(昭和55年)秋。

小学校3年生の楡野鈴愛は、元気いっぱいな女の子。

そんな鈴愛はムンプス難聴で、突然、左耳が聞こえなくなってしまったのでした……。

 

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貯金箱を割り、姉のことを思う草太

鈴愛の弟・草太は、
「おこづかいが余っていたから」
と、ぐるぐる定規を姉にあげます。

このレトロ玩具は
「スピログラフ定規」
とか
「ローリングルーラー」
といった名前で、現在は100均ショップにもあるそうです。思わず買いたくなりました。

スピログラフ定規/photo by Alexei Kouprianov wikipediaより引用

姉を不憫に思った草太。実は豚さん貯金箱を割って、わざわざ買っていたのです。うはぁ、健気ですね……。

律は、河原で左耳に耳栓を詰めて、石の足場を渡っていました。
彼なりに、鈴愛の世界をつかもうとしているのです。

萩尾家には、晴が来ています。
どうやら、今回の来訪に、夫の宇太郎は反対しているようで。

「そうよね、お金もかかるし、律の喘息にも効いているかわからんし」
と和子が手にしているのは、何かのお茶か、健康食品か?

治らない、おそらく効果なんてない――とわかっていても、藁にもすがる思いで買ってしまうのでしょう。

この場面は見ていて辛かった。
騙されているのはわかるのだけれども、それでも何かにすがりたい、治る奇跡を信じたい。
悲しい親心なんですよね。

 

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「うちのおかあちゃんも、左耳聞こえんかった。戦争でな」

「律の家は、とんびが鷹を生んだ。父親は写真屋なのに、律は天才だから」
そんなマセていて、ちょっと失礼な言葉を語っているのは、鈴愛です。

話しかけている相手は、木曽川の渡しのおじさん。

あー、わかります。
このくらいの年頃ってませた語彙を大人ぶって使いたいのですが、それが失礼なことは理解できないんですよね。

「うちは、カエルの子はカエルやから。左の耳が聞こえんようになってもうた」
そう言う鈴愛。
おじさんは、鈴愛を船に乗せてくれます。

そしてこう言うのです。
「うちのおかあちゃんも、左耳聞こえんかった。戦争でな。柳ヶ瀬の空襲でやられてもうた」

このへん、『ひよっこ』のインパール帰りの叔父さんも思い出すんですけれども。
戦争経験者が日常にいるという、そういうことも描いているわけです。

実際、団塊ジュニア世代の方は、祖父母・親戚から戦争体験の話を聞かされたこともおありではないでしょうか。

 

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対岸から手を振る母と以心伝心?

「耳に小人おったか?」
「そんなおもろい言い方はせん、バケツの底でザリガニが暴れとるような音やった。あのな、おじさんのおかあちゃんて、奥さんや。もう死んでもうた」
「ご冥福を祈る!」
と、ませたことをまた言う鈴愛ちゃん。

ここでおじさんが、亡き妻と同じ障害を持った女の子を見て、どう思ったのか。
そこは掘り下げず、ませた子供のセリフでクスリとさせます。
この匙加減が良いですよね。

渡り賃を持っているとも思えない女の子一人のために、ナゼおじさんは船を出したか。
答えはその辺にあると思いますし、説明せずに想像させるのはうまいなぁと。

「鈴愛! ここにいると思うてお母さんこここに来たよ!」
大声でそう叫び、岸から手を振る晴。

「聞こえん」
そうつぶやく鈴愛に、おじさんは説明します。
そうだと思った、と言う鈴愛。強がりなのか、本心なのかはわかりません。

おじさんは
「以心伝心いうことやな」
とのことで、亡くなられた奥さんのことを考えると、このへんもグッときますね。

「おかーちゃん! おかーーーちゃーん!」
手を振り、そう呼ぶ鈴愛。本作はお互い名前を呼びあう場面が多いと思います。
ついでに言うと、そのことをブッチャーは「愛かよ」と言っているわけで。愛情確認をしているということなのかも。

 

じいちゃんの部屋 天井で魚が泳いどる

その夜、布団の中で晴は泣きます。
代わってやりたい。
ピカピカで生んだのに、あの子に申し訳ない、と。うーん、親心……。

仙吉も、老い先短い自分の両耳がなくなってもいいから、代わってやりたいのだそうです。

晴は不眠症気味のようで、宇太郎は薬を飲むか、と言います。
もう飲んでいると晴が答えたので、白湯を持って来ました。

当時の夫としては、かなり優しい部類に入るのではないでしょうか。

怖い夢を見たと言う鈴愛は、仙吉の布団へ。宇太郎まで入り込んできます。

「じいちゃんの部屋の天井は、魚が泳いどる!」
そう言う鈴愛。貧しい家でも思いやりのある家族がいるという、そんな描写が積み重ねられてゆきます。

 

私が泣くと、つくし食堂は泣き虫食堂になってしまう

場面かわって小学校。
体育の授業のため、子供たちが走ってゆきます。

マナちゃんに急かされて階段を降りかけた鈴愛は、歩くことに一瞬違和感……。
この日の授業は、平均台でした。

鈴愛も、律も、複雑そうな顔をしています。

「次、楡野鈴愛さん!」
残り五分で呼ばれる鈴愛。
ここで律は、一計を案じます。

「先生の背中にヤモリがおる!」
「きゃーっ!」

授業は大騒ぎで鈴愛は救われました。
早いところ、担任の先生に耳のことを話したほうがよさそうですね。

放課後、鈴愛は律に助けた理由を聞きます。

「マグマ大使の声が聞こえた気がした」
助けねばという使命感が湧いてきたということでしょう。
本作の特色は、律だけが一方的に助けるのではなく、鈴愛も律を助けている場面が先にあることで、お互いに助け合っているとわかるところです。

木曽川のほとりで、並んで座る鈴愛と律。

「耳鳴りがずっとする。聞いてみる?」
そう言うと、二人は寄り添います。

「聞こえん」
「そうか、鈴愛だけか」

律は立ち上がり、鈴愛の右側に回り込みます。
このとき、鈴愛の目から涙がポロポロとこぼれました。

「今まで泣かんかったのに。お母さんから、一度も泣かないんだよ、えらいんだよって聞いていたのに」
「泣くときがみつけられんかった。私が泣くとみんなが泣く。つくし食堂は泣き虫食堂になってしまう。泣き虫のおかあちゃんも泣いてまう」
そういうと、わーんわーんと泣き出す鈴愛。

「帰ってもいいぞ」
律にそう強がるものの、律は付き合います。
一通り泣いた後、いつのまにか石投げを始める二人。マーブルマシンを見にくるかと律に誘われ、鈴愛はうなずき走り出します。

ここでナレーションが入ります。

鈴愛の世界は半分になった、生き物として弱くなった、世界は力強くたくましかったのに、今はか細く頼りない。足元がぐらつく、心もとない。
それでも鈴愛は、世界を楽しみ、生きようとしていたのだと。

 

今日のマトメ「色んな描写で行き交う愛情」

本作の公式サイトに、きちんとしたコラムが掲載されました。
すごく真面目な医学考証をされているようで、安心感を覚えました。

今日はいろいろな発見がありました。
我が子を思うあまり、怪しげな健康食品を買ってしまう母親の場面はいろいろと辛かったです。
昔ならお札だし、今なら水素水とかなんとか。
そういう弱みにつけこまれ、すがってしまう――親心がせつないのです。

渡しのおじさんもよかったです。
泣かせようと過剰演出しないけど、彼の妻への思いが伝わってきました。
さまざまな描写で、違いに思い合っていることが描かれているのもよいです。

こういうのは前作『わろてんか』には全くなかったんですよね。
都合よくヒロインが棚ぼたみたいにイケメンや幼馴染に好かれている描写ばかりですし。好きな相手を前に構ってちゃんアピールする人物ばかりで、「相手のために何ができるか」という双方向性がなかったんですよ。
「私が好きなら構ってくれるでしょ」の一辺倒でしたからね。

本作は誰も彼もが、自分が大好きな人に何ができるか考えているのがわかります。
だからこそ、鈴愛は泣く場所が見つからなかった。

前作も本作も、脚本家さんは恋愛ものが得意とされています。
それでも中身は違っているのでしょう。

前作が「男女の恋愛、しかも若い男女特化型で他の人間関係はどうでもいい」であったのに対し、今作は「人間の愛情を描くのが得意で、その一種である恋愛描写も得意である」ということではないかと。

安心感があるし、割とここまで泣かされています。

著:武者震之助
絵:小久ヒロ

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【参考】
NHK公式サイト

 

1 Comment

まい

「半分、青い」が始まってまだ2週間経っていませんが、気付けば8時になる前に手を止めてテレビの前に座る習慣がないできました。
ひよっこ以来の次の朝が楽しみになるドラマです。
おっしゃる通り、派手な泣かそう演出やBGMは必要ないですよね。説明会話やナレーションもなくても、健康食品の場面や川の渡しの船頭さんとの場面、律と鈴愛の場面で涙が出ます。
来週からの成長した鈴愛と律登場でも、多分この脚本と演出なら安心できそうです。
武将さん、レポ毎日楽しみにしております
(^-^)

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