祖父の仙吉から学んだ五平餅で「センキチカフェ」をオープンさせた楡野鈴愛、37歳。
店内には、会話ができるマスコット犬「岐阜犬」も居て、なんだか軌道に乗ってる感じです。
しかし、日常は無常に、時間は無情に流れていきます。
「岐阜犬」の声を当てていた和子。
彼女は、息子の律と本音で語り合った8日後にこの世を去ってしまいました。
本音を隠しがちな律も、岐阜犬を通じてなら、母と素直に会話できたのです。
あのときの「糸電話」が時を超えて完成したかのような錯覚を覚えるような不思議な感覚。
それは、鈴愛と律はじめ、梟町で育ったかつての子供たち「梟会」が作り上げたものでした。
【126話の視聴率は20.1%でした】
もくじ
あくびのより子に世間は厳しく
和子の葬儀は、自宅で行われた仙吉ものとは異なり、葬儀会館が会場です。
口元を隠しながらあくびをする嫁のより子は、なんだか周囲から厳しい目で見られている感じ。
いや、そりゃあ嫁だろうと疲れるし、眠くなるでしょう。
それでもそういう人間らしさすら許されない、厳しい目線ってありますよね。
こういう世間体の厳しさ、本作は描きます。
こんなの、普通はやらなくていいのですよ。
でも、入る。
入ることで何かを投げているのでしょう。
鈴愛は、浅田真央選手の物真似をする女の子を見て微笑み、晴にたしなめられます。
このとき、弥一が、鈴愛に向かって「律がおらん」と言い出します。
鈴愛は一人、外に出ていきました。
ていうかいろよ、いてよ
律は、いつもの川べりで座っていました。
鈴愛が声を掛けると、「すぐ戻る」と言います。
「あ、一人の方がいいか」
「いや、いいよ。ていうかいろよ、いてよ」
強気な律が崩れて、最後は懇願するようになっています。
こういう細かい台詞の使い方、それをこなす佐藤健さんにシビれる!
二人は川を眺めます。
「今日、川の流れが速いな」
そう言いながら、石を投げる律。鈴愛も石を拾い、投げます。
ここで、鈴愛のナレーション。
「私たちは生きている限り、なくし続ける。生きている限り、なくし続ける」
鈴愛は9歳で左耳の聴力。
律は今、和子さんを亡くしたのです。
「そんなとき、私たちは二人でいた」
そう思う鈴愛です。
石投げをする鈴愛に、律は
「石の形、大事」
と言いながら新たな石ころを手渡しました。
この喋り方も子供時代に戻っていますね。
投げる鈴愛には「下手」と一言。
石投げと台詞できっちりと、二人が子供時代に戻ったと示されているのです。
「太ってこそのブッチャー!」
和子の葬儀も終わり、梟商店街に秋が来ました。
鈴愛があくびをしつつセンキチカフェに立っていると、ブッチャー来店。
鈴愛のあくびにつっこみつつ、五平餅を3本頼みます。
本作の五平餅注文本数って、みんな多めの気がします。それほど美味しいわけですね。
仙吉の五平餅が大好きだった秋風羽織先生も、来店しないかなあ。
ここでブッチャー、太るぞと鈴愛に突っ込まれると
「太ってこそのブッチャー!」
と返すのです。
そうそう、少年時代は太めで悪役プロレスラーにたとえられたからのブッチャーというあだ名です。
面白いやりとりですね。
ブッチャーは、鈴愛を「梟会」の飲み会に誘います。
「土地代はええ! 結婚祝いや!」
本日、カフェには健人がおりません。
ブッチャーが不思議がると、鈴愛は「知らんのか?」と言います。
そう、ブッチャー以外、西園寺家の皆様、実は楡野家に来ておりました。
用件は娘の麗子と、「センキチカフェ」で働く健人の結婚の件です。
おめでとう、おめでとうございます!!
健人のご両親は、ノープロブレムだそうです。
あわよくばカツ丼と五平餅を修得し、広めたかった健人。しかし今は、ここで麗子とやっていくことこそ夢になったわけです。
ちなみに「あわよくば」の使い方が難しかったらしい。
そういうのは、時代劇口調に詳しい鈴愛に習うとよいかも。
真田昌幸が好きそうだなぁ、「あわよくば」。
西園寺家の富子は、この恋を岐阜犬に相談していたものの、実ったわけですね。うれしそうです。
麗子には独特の美があると失礼になりかねないことを口にしてしまう宇太郎。
結婚式は仙吉の喪が明けてからと主張する健人に対して、別に血縁でもないし気を遣わんでええ、と思うわけですが、一方の健人は、仙吉がまるで本物の祖父のようだったからと主張します。
そして、その喪が明ける結婚までは、麗子もカフェで働きたいのだと。
宇太郎は戸惑いますが、ここで満が、こう言い出すのです。
「土地代はええ! 結婚祝いや!」
これはお得!
楡野夫妻としては満面の笑みで承諾するしかありません。
楡野家とブッチャーの西園寺家を結びつけた、二人の恋でした。
涼次がスポーツ紙に載っていた!
ブッチャーは西園寺家が来ていると鈴愛から聞き、
「もう四十前の姉が急いだんや!」
と辛辣な評価。いやぁ、そこは祝福しようよ。あるいは照れ隠し?
ブッチャーがスポーツ新聞を広げると、鈴愛がひったくります。
なんと、そこに出ていたのは、あの涼次でした!
『名前のない鳥』で脚本家としてデビュー。
『恋花火』原作者に指名されて、脚本・監督を担当。この『恋花火』が口コミでロングヒット中だそうです。
うわぁ、マジか! よかったなぁ、涼次。
芸術家肌の元住吉祥平も認める系統の映画かな? さぞかし三オバも喜んでいることでしょう。
「お前の旦那、詐欺師か!」
ブッチャーは、隣の詐欺師記事を見てツッコミしてます。いやいや、違うってば。
「ふぎょぎょ!」と声を上げながら新聞を見る鈴愛です。
「私もがんばらなあかん」
場面は「ともしび」の梟会へ。
ブッチャーはまさこに頼んで、白菜を包んでいるスポーツ新聞をもらいます。
そこには、涼次の記事がありました。
本当に映画監督になった涼次に、ちょっと胸が痛いという鈴愛。
「私もがんばらなあかん」
この台詞、本当にいいなあ。映画監督として成功するなら離婚しなければよかった、とは言わないのです。
これは、昨日登場した津曲(くりぃむしちゅー有田さん)とよい対比かも。
津曲は岐阜犬に離婚した妻のことを相談していました。
別れたけれど、俺の元にいた女というニュアンスがありました。
離婚しようと、元妻にはかわいい女でいて欲しいくらいの未練たらしさも、うまく出ていました。
ここが、鈴愛と違う!
鈴愛は、一切未練なし。
むしろ涼次を、共に夢を追う好敵手ぐらいに考えていそうです。
涼次に驚嘆する鈴愛に対し、律は、
「鈴愛もがんばっとるやん」
と言います。
しかしセンキチカフェの店内は、健人&麗子カップルがラブラブ状態。スペースからして2人がちょうどよく、3人だとギューギュー状態です。つまり人余りですな。
実家の「つくし食堂」も、息子の大地を私立に入れたい草太の妻・里子が甲斐甲斐しく手伝い、居場所がない。
「あれ、私何か、無職?」
おーい、無職じゃないでしょー、鈴愛。
でも、わかるかも。
織田信長の岐阜県で育った鈴愛が、実は戦国武将気質であることは、何度もここで書かせていただきました。彼女は、自身が総大将として五平餅を焼く状態でなければ、無職と思ってしまうのかも。
あるいは単純に店から追い出されそうな空気もあるとか?
ベタな盛り上げはいらんのじゃ
「梟会」が終わったのでしょう。鈴愛と律は、二人で歩いて帰ります。
弥一と律の様子について尋ねる鈴愛。うん、そこ、すごく気になっています。
律は「梟会」に誘ってくれたことに御礼を言いつつ、こう切りだします。
「今度の異動で、大阪戻る」
言われてみれば、和子を見守るための理由で、岐阜に来ていた律です。
それはそういうものと言われれば、そうではあるのですが。
「ほうか、律。大阪帰ってまうか。今度っていつや」
「来月」
「ふーん」
二人は、歩いてゆきます。
本作って、恋愛もののセオリーをいい意味で無視していますね。
涼次についての鈴愛のコメントもそうですけど、この場面だって、もっと盛り上げられるはずですよ。
行って欲しくないと抱きつくとか、いくらでもあるはず。
BGM仰々しいものを鳴らして、この二人の愛を強調できるはずではないですか。
ところが、それをやらない。
むしろロマンチックだったのは、冒頭の川べりかも。
そして、そういうところが、よいところです。ベタな盛り上げはいらんのじゃ、と言いたくなる。
だって、そんな盛り上げしなくとも、二人の気持ちの熱さは伝わって来ます。
鈴愛の人生を変える二回転半ジャンプだと!?
場面変わりまして、楡野家では……。
一同、真剣な面持ちで浅田真央選手の『月の光』を見守っております。
当時の日本は、浅田真央フィーバーが起きておりました。
本作の場合は、それだけではありません。
日本のフィギュアスケート界における重大な地。それは名古屋です。平昌五輪銀メダリスト宇野昌磨選手はじめ、現役選手も多数輩出されておりますね。
名古屋に近い岐阜はそりゃ、熱くなるってもんです!
ここで花野ちゃん、浅田選手のようにジャンプをお披露目したいと言い出すのです。
ちゃぶ台をどかし、畳の上で花野がジャンプ!
二回転半ほどのジャンプに、祖父母の宇太郎や晴も大喜び。
「金メダル、取れるんやない!」
ここまでは、ほのぼの家族景色ですが。
廉子さんのナレーションが、
「この畳の上の二回転半ジャンプが鈴愛の人生を変えるとは、お釈迦様でも知りますまい」
ですと。
い、い、一体、何が起きるんや?
今日のマトメ「ただただ全力で走って」
今回は総評前に……昨日に続いて、本作批評のズレたやつを倒したい。
【鈴愛は花野ちゃんの面倒をちゃんと見ているんですか!】
という、しょーもないツッコミをTwitterでちょいちょい見ます。
ったく、馬鹿なの?ヒマなの?何なの?
鈴愛は、一生懸命働いてお金稼いでいるじゃないですか。
別にネグレクトしていないでしょう。
そもそも涼次が勝手に夢に走って花野の育児を放棄して、鈴愛は文句一つ言わずに実家へ連れてきたじゃないですか(そもそも離れる気はなかったでしょうけど)。
子持ちの母親は、育児だけして働くなとか、夢を追うなとか。
そういうことが仰りたい?
同じこと、再放送中の『マッサン』のマッサンに言いますかね? 女で母親の鈴愛にだけ文句を言うのならば、男女差別のど真ん中ですよ。
それと、そもそもその認識自体おかしい。
◆母の就労 子に悪影響なし 親の充実感が幸福育む:日本経済新聞
NHK朝ドラがお得意の、
【母が就業したら思春期の子供がグレる】
というパターンが、思考停止の人たちに変な先入観を植え付け、鈴愛に対する安易な批判を生んでいるのかもしれません。
だとしたら、国民的番組だけに制作スタッフさんには注意を払っていただきたいところでもあります。
では、本日の総評へ。
今日面白かったところ、それはやっぱり健人と麗子の恋愛への反応でしょう。
宇太郎の「独自の美」、ブッチャーの「四十前だから焦った」。
こうした発言からわかるのは、彼らにすり込まれた価値観です。
恋愛において、女が選ばれるのは、若くて美人が優先。麗子のような四十手前が選ばれるのは、異常事態でイレギュラーなんだ。と、麗子の母・富子すら、二人の年齢差を気にしておりましたね。
しかし、思い出してみてもくださいよ。
健人は、一目惚れです。
麗子を見た瞬間、年齢のことなんか吹っ飛んだし、今でもどうでもいい。
麗子は美しくて、結婚したい。そう思っているのです。
心がアメリカンな健人は、周囲の恋愛観なんてどうでもよいのですね。
愛こそ全てで、年齢だの周囲の意見はどうでもよいのです。
ちょっとギャグっぽく、今日も「あわよくば」がネタにされていた健人。しかし彼の言動は、日本の価値観に斬り込む、鋭さが溢れています。
この、年齢なんて恋愛はじめ関係性の前ではどうでもええという価値観が、鈴愛と律でも言えました。
冒頭の川縁で、すっかり9歳当時に戻ったかのような二人。
いくつになっても、人間の根底にあるものは変わらないのかも、と思わされました。
前述の「梟会」からの帰り道で、ロマンチックな会話をしなかったというのも、そうなのかもしれません。
いや、本作って、会話は無理矢理ロマンチックにしようとしていないかも。昨日の律と和子の会話だって、気取っているよりも本音でしたよね。
だからこそ、夏虫駅で鈴愛は言葉足らずで「無理」と返してしまいましたし。
そういう、キメキメコテコテ、ロマンチックなBGMを流して、
「さあ、この台詞でうっとりしてください!!」
という、そういうやり過ぎ感がなくて、すごく私は心地がよいのです。
キメキメコテコテはないけれど、ちょっとした台詞が深くて、蛍光ペンで色をつけたくなってしまう。
演じる側も、過剰にキメキメにしよう、感情を込めようというよりは、ただただ全力で走って、それがよいところに着地しているように思えます。
永野芽郁さんの涙をこらえるところ。
ムッとした顔。
佐藤健さんのこぼれる涙。
そっけないようで、感情が奥にあるとわかる顔。
こういうものが、毎朝15分見られる。
その幸せは、あと一月ほどです。
最後まで噛みしめます。
この歴史映画が熱い!正統派からトンデモ作品まで歴史マニアの徹底レビュー
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
「匿名」さんのコメントに概ね同意です。
都会のマンション暮らしで両親のみで(もしくはシングルで)子育てされてる方には分からない感覚でしょうが、3世帯同居で近くに親戚もいるような環境だと、かのちゃんくらいの歳であれば親兄弟がいる実家等に任せて友達とお茶しに行ったりくらいは普通にできます。もちろん毎日じゃありませんが…(私はそんな育児中の母親の夫です)
このドラマでも鈴愛が夜遅くまで飲み歩いたり、意味もなく律と一日中一緒にいるなんて事は無かったと記憶しています。仕事後は家に帰ってちゃんと寝かしつけたりしてますしね。
ドラマの都合上割りと自由に友達と会ったりするシーンばかり流れるので、一部の視聴者はネグレクト()などと感じるのではないでしょうか。
もし鈴愛が岐阜に帰らず東京にいたままだったら、100均バイトと子育てで手一杯になってしまい、自分で事業を起こすことなんてできず話が全く広がらなかったでしょう。たとえ三オバの手助けがあったとしても…。作劇としては全く面白くない、ありえない話です。
あまり理解力の無い視聴者が多いのであれば、「このシーンとこのシーンの間は何日経過しています」 とか「この間、かのちゃんは草太家族に預けております」とか一々テロップを入れないといけないですね(笑)
う~ん、鈴愛のネグレクト疑惑は、単純に大家族を知らない核家族の人の感想かと思っていました。
私は何なら梟町よりも田舎に住んでいますが、諸般の事情からワンオペで子育てしておりました。
その子供のママ友達は親家族とは同居、親戚族も、もちろん近居、兄弟家族も隣町。子供の親同士も同級生。そういう環境だと気軽に子供を親や兄弟に託して自分だけで出かけることも出来るようで、非常に羨ましかったです。(もちろん節度はありましたが)
自分が子供のためだけに生きているなんて考えなくても良い、自分のやりたい事もそれまでとあまり変わらず出来る、なんとも羨ましい環境です。
都会暮らしの方とは違う、良く言えばのんびりおおらかな子育て、悪く言えば放ったらかし、そんなところがネグレクトに見えてしまうのかと勝手に思っていました。
より子さんと鈴愛がよく対比されるのを見かけますが、対比すべきは里子さん、そして夫としての律と草太だと思います。
気配り上手な草太が間に入ってくれれば、子供に私立小受験させると言っても案外受け入れて貰えそうですが、律が義実家と嫁の間を取り持つことは期待できそうにないなぁ。
こんにちは。
私が「半分、青い。」の感想をいろいろ見て思ったのは、ヒロインとヒーローは早々に結ばれているのが、一般的な朝ドラなのに(全部は見ていません)、このドラマはそうはしなかったなと言う事です。
より子さんのような存在は出たことが無かった気がします。
ヒロインを好きな男性は結婚していなかったような…。(あさが来たのディーン・フジオカさん、結婚してましたでしょうか。覚えていない…)
鈴愛は自分達を捨てた涼ちゃんのぬいぐるみをそのまま花野ちゃんに持たせていて、花野ちゃんにきつくした事が無いし、誰かが花野ちゃんを見ているのでネグレクトとは思いません。
というか、子供は社会が見た方が良いのではないかとこの頃思います。人間の子供を育てるのは大変過ぎるので。
アンチの方の感想を見るのは割と酷ですが、それもまた学びになると思いながら、武者様を始め、他の方々の感想を楽しみに読んでおります。
こちらのサイトから知る情報は素晴らしく、今回も日経の記事、大変興味深く読ませていただきました。
ありがとうございます。
イカ天出身バンドのFLYINGKIDSの曲に「恋人だけじゃ愛が足りない」というのがあります。梟会見てると思い出します。
すみません…しょーもないツッコミ側の人間です(‘◇’)ゞ
【鈴愛は花野ちゃんの面倒をちゃんと見ているんですか!】
と思ってしまうのは、鈴愛さんが律くんに恋をしているから…
子供より男を優先する(ように見えてしまう)女に対しては、
どうしても生理的嫌悪感が湧いてしまうのです。
その行動が正しいとか正しくない、ではないのです。
これは永野さんの超演技力のせいでしょうねぇ…。
律くんを見つめる目が完全に発情しているので、
彼女の行動すべてが、律くんを手に入れるための策略、に見えてしまう。
なのでつい本気で腹を立ててしまうのです。
「男にうつつを抜かす暇があれば子供ともっと遊べ!」
と思ってしまう。
「人のテリトリーにちょっかいかけんと、自分の縄張りをしっかり守れや」
これは多分、雌の本能に基づく感情です…。
つまり、それだけこの作品の登場人物に感情移入しているってことでご容赦…
…できないツッコミも多過ぎますよね。
ほんとすみません…。
アンチ側の人間として謝罪します…。
今日はいつもよりレビューアップされる時間、遅かったですか??
いつも何時にアップされてるかわからないですが、私の休憩タイムにはアップされてることが多かったので、、、。
武者様になにか、、と心配してしまいました。
が、いつも通りのレビューが上がっていて安心しました!
※追伸
麗子役の役者さんは、花子とアンではライバル翻訳家の宇田川先生役だった方みたいですね!
あの時の方がスタイリッシュで綺麗に見えました。
強い役のほうが似合ってるような気がします。
矢本悠馬さんと間宮祥太朗さんは実の兄弟以上に親密な関係だそうですね。
なので私はブッチャーと涼次が「共演」する場面がいつか来るかとひそかに期待してるんですが、ずっと会わないまま。今回もブッチャーがスポーツ紙に写った涼次の写真を指差して「カッコええな」と喋るだけのニアミスで終わってしまいましたが。
もちろん本作は鈴愛と律の物語には違いないけど、脇役で好演してる方々に着目してこういう楽しみ方するのもありでしょう。
男女共同参画社会のあり方などいつも真剣勝負でハイレベルに論じている武者さんに比べ、私の話は実に幼稚で申し訳ない限りですが
麗子さんの容姿があれこれ言われてますが、単に地味でパッとしないだけだと思います。
また、「四十前だから~」って、もし子供が欲しいのなら四十前後は焦る年齢ですよ。クリスマスケーキのように周囲の洗脳を受けてるわけではなくても。
健人の母国アメリカの女性でも、麗子さんの年齢は同じような感じではないでしょうか?
花野ちゃんがグレていないのは、お母さんの苦労を間近に感じているから、というのもあると思います。
おてんちゃんやあさちゃんのような「都会に住むお金持ち」で「子どもには、経営状態が不透明」だったらグレる余裕がありますが、鈴愛ちゃんの場合は…言っちゃあ悪いですが「吹けば飛ぶような零細弱小カフェの経営者」であり「それは花野ちゃんにもバレバレ」
真面目な子なら、貧乏で余裕がないと解りきっている親に、ワガママは言えません。(言った所で叶えてもらえないと解りきっていて、諦めている。)
また田舎のため、子供がグレたら即近所の噂になり、セーフティネットから外されてしまいます。
しかもそれが開けっ広げ。(「あの家は不良を出すような信用のできない家だから近づかないでおきましょう。」と暗黙の了解があっという間に出来上がる上、子供の前で親たちがそういう話をしたりする。)
グレたら即、母子共々厳しい状況に置かれるのが解りきっている状態でグレるなんて、よっぽど強い人でないと無理です。