『易経・革卦』が出典のこの言葉【君子豹変】は、本来プラスの意味でした。
「仮に過ちがあれば、ガラリと豹が皮を変えるように方向転換すること」なのです。いい人だった誰かが、突如オオカミや悪魔になることではありません。
泰樹にせよ、昌幸にせよ、納得すれば豹変するんじゃああああ!
それを理解できない外野が、
「やーねー、あいつって表裏比興の者……」
と言うだけなんやでぇ~!
※うるさいわ!
賢者は認め、演者は覚醒する
「あの芝居を、わしに見せたかったのか。このわしが、愚かだったか……」
感極まって、なつにそう言う泰樹。
そこには、ガキ、小娘の分際で、世話になっているくせに、という感情はありません。
わしにそう指摘できるほど、孫はここまで育ったのか。
そんな驚きと感動すら、滲ませています。
「ちがう、ちがうよ、じいちゃん! 愚かなんて、そんなこと絶対ないよ!」
なつはそう言います。
じいちゃんこそ私の誇り。じいちゃんみたいに生きたい!
そう心の底から言い、そしてこう認めるのです。
「自分のために、自分のためにやった。じいちゃんのことは考えていない。自分のことだけに、夢中だった」
ごめんなさい、じいちゃんが愚かなはずがない。
そう言い、しっかりと抱きつくなつ。
柴田家の皆も、うれしそうです。
なつがやっと、誰かのためではなく、自分のために行動したのだと。
なつはこうして、生まれて初めて物語の表現と、人を思う気持ちに気づいたと、ナレーションが語ります。
ああ、なつよ。その思いを抱いたまま、来週に続けよ――。
この演劇こそ、転換点となりました。
そしてここで重要な点。
じいちゃんは愚かではありません。それは、知略99だから?
それだけじゃない!
前述の通り、彼は豹変しました。
もしもじいちゃんが、自分のメンツにこだわる愚か者であれば、観客の前で自分を批判した恩知らずの小娘だと、なつに激怒していてもおかしくないところです。
発言者の属性や立場ではなく、内容で受け止めること。
過ちを認め、指摘を受け止め、方向転換すること。
撤退こそ戦術であると、そう理解していること。
これでこそ、知将なんじゃあああ!
本作は陣容そのものが盤石だ
本作は計算が細かい!
『白蛇伝』は、日本初の長編アニメ映画です。
それと同時に、この土地の神話でもあります。
◆鹿追町の伝承 白蛇姫物語 | 歴史・文化・伝承 | 観光情報 | 北海道 十勝 鹿追町のホームページ
アニメの歴史
+
北海道の歴史
+
本作のプロット
この要素を全部重ねてきっちりと回収する。
ガッチガチに考えていなければ、できないことです。
脚本の仕上がりも、早いんですね?
そうでなければ、アニメ担当者が四苦八苦します。
演じる側も、あそこまで魂を込められません。裏方然り。結果としてやっつけ仕事になる。
****の時、なんでこいつはこんな些細なことに突っ込むのかと思われた方もおられることでしょう。
現場の乱れ。脚本の停滞は、細部にまで宿るのです。
本作についてはコメント欄でもご指摘がありますように、そこまでやらんでも(馬車の車輪等)と思うところですら、大道具小道具を細かく変えています。
NHK東京前作『半分、青い。』とNHK大阪空前の駄作****は、意見を比較しても、現場の状況がわかります。
『半分、青い。』の厳しい意見だの酷評は、ともかく私が嫌い、受け付けない。脚本家が生意気。そういう【お気持ち問題】が大半でした。ネット媒体は特に顕著。
一方で****は、考証ミスの指摘が圧倒的に多い。
脚本の停滞と現場の乱れは、考証の破綻を招きます。
NHKの考証チームは一流のはず。
それですら凡ミスを連発するということは、底が抜けている証拠です。
どれだけ大量の提灯記事だの、SNS投稿があろうと、本質的な破綻とはごまかせない。
そういうものです。
誰かのために生きること、私のために生きること
土曜日。
勝利条件をかっちりと抑えてきました。
◆勝利条件
・先週から継続している泰樹VS農協の決着→WIN
・なつが泰樹を感動させる→WIN
・その中で、なつ自身が己の解放、恩返しだけではない何かを見出す→WIN
勝利条件の提示と、そのクリアをきっちりと見せるからこそ、スッキリ感があります。
それだけではない、本作のテーマもあります。
泰樹は「もっと怒れ!」と、なつに感情を解き放つことを教えました(第2週)。
その感情が、巡りに巡って天陽を助けました(第2週)。
そういう感情の循環が、人助けとよりよい社会につながっています。
なつは、はじめこそ、じいちゃんのために演劇をするつもりでした。誰かのために、踏み出したのです。
結果、自分の魂と物語の力に目覚めたのです。
もしもなつが、じいちゃんのために行動しなければ、彼女自身も救われませんでした。
「世の中のために尽くすんだ!」
そういう掛け声ばかりを言いながら、目の前の人を侮辱し、バカにし、イジメまでする。
そういう駄作とは違う。
尽くすことは、マイナスじゃない。
助けあってこそ、よりよい世界になる。そんなメッセージがそこにはあります。
アニメの原点回帰へ
ここから先、****のことも入ります。ちょっと本作から脱線するかもしれないので、興味のない方はお引取りください。
****信徒が、本作を薄い、描写不足と叩いている件。
コメント欄でもご指摘がありました。
【それは読解力や理解力の問題では?】
というご指摘、賛同します。
お隣・中国では、抗日ドラマというジャンルが大盛況です。
日本に抵抗する中国人のドラマということで、そんなに日本が嫌いなのかよ〜! とうんざりする方。それはそう単純なことでもありません。
抗日ドラマは、他の作品と比べて国の検閲を受けにくい。
そのため、実験的な要素を映像化したいクリエイターが、抗日コーティングして好き放題やらかす。
そんな実験場になっているのです。
実際、珍作品のオンパレードとなり、国が苦い顔になっているそうでして。
かつてのアニメにも、そういうところがありました。
アニメはお子様向け。
そういうコーティングがあったからこそ、実験精神あふれる作品があった。深いテーマもあった。
例えば、フランスの古典的名作『三銃士』のアニメ化であった『アニメ三銃士』。
子供向けということで、ヒロインが既婚者から娘にされるような改変があります。
※原作のコンスタンスは、ボナシューの娘ではなく妻なんですよ!
こんなふうに、なんでも子供向けに甘くしたのかと思っていたら、そうでもない。
先日亡くなられたモンキーパンチ氏の発案で、アラミスが男装の剣士にされたのでした。
原作でもアラミスは女性的な美貌ではあったものの、性別改変は思いつかなかったわ〜!
そういう意外性や冒険心があったものです。
「そんな女体化なんて、ありきたりでしょ」
そう思いませんか?
今では当たり前のことなんですよね。
戦国武将や三国志の英雄、世界各地の英雄が女体になっているなんて、もう手垢がついているほどです。
そこが問題なんです。
Geekとオタクは違う
アニメが子供向けから、エロスを含めたものになった転換点。
子供だけのものではなく、大人が劣情を感じ、それを表明してよくなったとき。
その流れは、終焉を迎える平成の中に、すっぽりとおさまるかもしれない。
結果、アニメはどうなったのか?
アニメのファンであるいわゆるオタクは、どうなったのか?
結論から言います。
確実に怒る人がいることは想像がつきますが、問題提起とはそうでなければ意味がない。
結論。
【読解力低下】ですね。
物語のプロットがどうとか、考察をするとか、意味を読み取るとか。
そうではなくて、おっぱいの大きな女の子が出てきたか、エロくて萌える場面があるか。
そこだけを極端に重視するようになっておりませんか?
ニコニコ動画のコメント欄や、SNSのハッシュタグ投稿がその最たる例です。
お仲間同士で、わーっと騒いでこそオタク。物語の楽しみ方が、そればかりになってしまった。
これは日本のどんづまりではないかと痛感したのが、『ゲーム・オブ・スローンズ』の感想漁りをしていた時です。
前回の「ジェニーの歌」解釈はじめ、海外ファンは、とにかく考察を重ねている。
では、日本は?
アリアの初体験についてどうこうとか。エロいとか。あのキャラが態度でかくてむかつくとか。
そういう共感を求める【お気持ち投稿】ばかりでした。
まぁ、あの作品の場合、考察本やサイトが英語版ばかりという壁はありますけれどね。
そして、必ずしもそういう共感を求めることが、悪いわけじゃないけれども……。
海外のGeekと日本のオタク。
実はかなり違うのでは……。
自分がオタクだと思っている、そこのあなた!
あなたの思考回路、あなたが嫌いで程遠いと思っているリア充と、大差ないと思います。
空気読むでしょ?
界隈の空気を読んでいるでしょ?
皆で言えば、どんなインモラルなことだって怖くないでしょ?
だからこそハッシュタグ祭りで騒げるんでは?
『半分、青い。』のとき、ドラマすら見ていないのに、
「世間で叩いているから私も乗っかりま〜す」
とはしゃいでいる、二次元界隈の住人を見て、心の底からうんざりさせられました。
相手を見てからじゃないと、好きとも言えない。
そのくらいわけわからん経験を味わったんですけどね。
本当の空気が読めない奴は、そもそも祭りには不参加です。
そしてここで思い出したのが、****の拷問萌え投稿でした。
誰かが拷問を受ける姿がエロい、それを投稿する。
ナゼそんな良識のない行動を取れるのか?
想像はつきます。
思い出したのは、アブグレイブ刑務所での虐待事件です。
あの事件は、女性兵士が参加していたことも、驚きをもって受け止められました。
はい、ここで話を戻します。
萌えについて考えてみないか?
****の拷問萌え。
あの【萌え】とは【性欲】なのか、それとも【支配欲】なのか?
萌え〜とはしゃいでいる本人も無自覚でしょうが、後者ではありませんか?
虐待される異性をみてはしゃぐこと。
それは歪んだ【支配欲】を満たすプロセスでもある。痛めつけられた異性を見て興奮する特権を、男ではなく女も手に入れた。
まるで社会に認められたみたいで、はしゃいでしまう。
市民権を得たと浮かれてしまう。
アググレイブ然り、****然り。女だからと優しいわけじゃない。
【支配欲】は蜜の味なんですよ。
そういう深層心理が、あの拷問萌えにはあったのではないでしょうか。
【性欲】ではなく【支配欲】の充足。
これが萌えの大きな要素でしょう。
未成年ポルノがその最たる例です。
未成年相手への性的暴行の動機は、好みというよりも支配欲、成人からの拒絶を恐れた逃避の結果であると、研究によりあきらかにされています。
平成という終わりなき不況の時代。
そんな中、萌えコンテンツで深層心理にある【支配欲】を満たすことができる。そういう方向性に、突き進んでいったのでは?
そしてその【支配欲】が、異常な状況すらうみかねない。
これは前々作と前作で殴られた結果、私がそう痛感したことです。
そこに【支配欲】があればこそ、「自分と同じドラマ評価にしろ!」と激昂する人が出てきた。
【支配欲】があればこそ、自作自演投稿で世論を誘導しようとした。
そうですよね。
「『半分、青い。』と『なつぞら』が理解できない! ****こそ傑作!」
そこから読み取れる心理は、実は単純なことです。
複雑なプロットは理解できない――。
****は、プロットは単純で、深読み不要で、萌えはたっぷりとあった。
そういうタップと課金だけでクリアできるゲームがいい。
エロいカードを楽しみたい。そう暴れているわけです。
それに対して、ミッチミチの理論で突き抜ける本作は残酷な拒絶を見せます。
そしてそれこそが、世界的な流れです。
ディズニーにせよ、ピクサーにせよ。
世界のアニメは、社会問題を織り込み、かつてのジャパニメーションのような深い問題提起を、プロットを取り入れるようになりました。
「子供向けだから深淵なテーマはいらない。おとぎ話でいい」
そんな時代とは決別したのです。
その反面、日本ではともかく萌え、露出、グッズを売る。
抱き枕ウェーイ。
ともかくボケーっと疲れた頭で見ていられる。そういう方向へ突き進んだように思えるのです。
『なつぞら』は、そこを踏まえた上で、高度な原点回帰を目指している。
そうなる運命なのでしょう。
※スマホで『なつぞら』や『いだてん』
U-NEXTならスグ見れる!
↓
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
北海道ネタ盛り沢山のコーナーは武将ジャパンの『ゴールデンカムイ特集』へ!
よっちゃん!!!!!(心の叫び)
よっちゃんも豹変しました。自己表現を彼女も楽しんでいた。嬉しい。ネオかわいい。
コンプレックスはアートなり!!!!!
話変わります。「自分のために何かをする」ことを、なつが自身に許し、心から求め、それを柴田家の人々が喜んでいる。素晴らしく、挑戦的だったと思います。
日本は親孝行や子育てを、自己犠牲の大きさで量っているきらいがあります。家事などを終わらせた上で趣味の時間を持つことすら、非難されることもある。
けれど自分のやりがいを見つけて、自分の人生を楽しんで見せることも、また親孝行であり子に遺せる愛であると、私は思うのです。
なっちゃんと柴田家の人間関係がとても健全。それがなんだか、ずいぶん眩しく見えます。ああ来週も楽しみ!
レビュー本文でも触れて下さった馬車の車輪の件。
手元にある昔の鉄道等の本に、鉄道写真家の広田尚敬さんが昭和30年代後期に根室地方で撮影した荷馬車の写真があります。前回登場した泰樹の荷馬車と同様、トラック用のタイヤを装着した二輪馬車で、満載してきたミルク缶をトロッコに積み換えているところを写したものでした。
前回の泰樹の荷馬車にしても、木製車輪の頃と比べると、荷台の幅が広く、大きくなっています。木製車輪の頃は、荷台の幅は車輪の間に収まってしまう程度でしたが、トラック用のタイヤになってからは、荷台が車輪の外側に張り出すくらいの幅になっている。広田さんの写真の荷馬車もそうでした。車輪の耐荷重に余裕ができ、馬車の積載量も大きくできたのでしょう。馬さんの負担も大きくなりますが。
別の本には、昭和30年代前期の弘前駅前で、タクシーの傍らで客待ちをしている乗合馬車の写真があります。こちらは屋根・窓のある車体の四輪馬車で、ホイールキャップの付いた乗用車用と思われるタイヤを装着していました。7~8人乗りくらいかなという大きさ。
昭和30年代頃には、馬車も自動車用タイヤを装着したものが一般的になっていたようです。
こういう資料をつい見たくなってしまう程の作中での登場ぶりは、武者さんもレビューで仰っているように「ここまで?」という程のこだわりを極めた造り込み。
でも乗り物好きにとっては、これも大きな楽しみです。
性的な目で作品を消費しがちなアニメオタクの独身男性には非常に耳の痛いご指摘で、己を省みて恥じるばかりであります……
ただ、2010年代にヒットしたアニメの中には、製作陣の散りばめたメッセージを、視聴者が深く考察するという作品も多数あると思います
せめて、登場人物が美少女だらけ(あるいは美少年だらけ)でありさえすればいい、という縛りの中で、独創的なチャレンジをする人を評価し応援することが、現状を変えて行くことに繋がればいいなと感じます
まあ、某作の口直しは、6月に再放送予定のゲゲゲですね。某作は、それをパクっていましたが、中身は雲泥の差です。
アニメが、社会的にはまだ「子供のもの」のカテゴリから抜けきれていなかった昭和50年代中~後期頃。
当時夢中になっていた作品を、大人になった今の目で見ると、緻密な物語の構成に「これが『子供向け』かよ!」と驚かされることが少なくありません。
例えば、
○『超電磁マシーン ボルテスⅤ』
主人公兄弟のルーツ、父親の来歴、相手陣営の抱える階層矛盾と崩壊など。 → まるでアニメ版オリジナルストーリー大河ドラマか!
○『太陽の牙 ダグラム』
植民地の独立戦争。しかし両陣営とも一枚岩でない。様々な駆け引き・政治的取引など。
→ アニメーションで作られているというだけで、中身はもはや政治ドラマ!
○『装甲騎兵 ボトムズ』
秘密結社の陰謀に対する元兵士のサバイバル、内戦・傭兵、超人思想など。
→ まるで洋画で用いられそうな表現手法。理解できるのはどう見ても大人ではないか!
こういった作品群なら、確かに有望なコンテンツだったと言えるし、それが正常進化していたなら、年齢層を超え、海外でも評価されるものに発展していけたかも知れません。
それが…
アニメというジャンル総体としては、「萌え」だ何だで進化停滞、見方によっては「異常化」という印象は否めません。せっかくの有望ジャンルの可能性を摘んでしまったかも知れません。
可能性があったのは1980年代か、せいぜい90年代中頃まで。今の作品も、個別には優れたもの、発展性の期待できそうなものは数多くあるものの、ジャンルとしてはどうしても「不健全性」がつきまとってしまう。
これから正常進化ができるかどうか。
それは視聴者にかかっている。「名前を出してはいけないあの駄作」のような類の作品を明確に否定できる視聴者がどれだけ増えるか。
つくづく、日本の社会の健全度が問われていると思います。
(※個人の理解・見解です)
リンク先の「NHKみなさまの声」を見てみると、前作について厳しい意見が多かったというのは、まあ納得するところではありますが、その内容には気になる点も。
それは、
評価する意見には、物語の内容や展開に関するものが多く(「わかりやすい」「親しみやすい」等)、批判的な意見の主体は考証の不正確さに関するものだったということ。
これでは、NHK大阪に対し、「ストーリーの作り方はこれで良い。あとは考証を改善すればいいんだな」という誤ったメッセージを与えかねないことが危惧されます。
前作が手抜き・悪ふざけばかりでまともなドラマの体を成していないこと、人物の機微がまるで表現されていないことなど、度々「お問い合せメール」に苦情を伝えていたのですが。及ばなかったのか。
少々残念ではあります。
泰樹の眼をもってしても、乳業メーカーのやり口は見えていなかった、ということのようですね。
泰樹にしてみれば、あれだけの信頼関係のある乳業メーカーだから、山田家等の新興酪農家に対しても正当に評価している筈という頭があったのでしょう。
しかし、自ら確かめた山田家の牛乳の品質。それが一升で6円も低く買い叩かれていたとは。
「裏切られた」どころか、「組合員の分断に自分が利用されていたのか!」ということ。
怒るというより、己の不明を悔い、恥じているのでしょう。
来週は、なつが兄を探し出す大きな動きのある週。一方で泰樹はどう動くでしょうか。
「自分のためにやった。じいちゃんのことは考えてない」というなつの言葉が素晴らしいです。私事ですが、最近、「いくら人のためを思ってやったことでも、それで自分も幸せでなければ意味が無い」と痛感する体験をしたので。
「理解力、読解力不足」のご指摘は当然で、まともな大人の理解力があったら****のような意味不明なドラマを見ていられないでしょう。(ドラマと言えるかも疑問) 私は****に対してとても下品だ、という印象を強めて視聴脱落しましたが、歪んだ支配欲と優越感を刺激していたとのご指摘を読んで、深く納得しました。
まともな知性と感性を持っていると思えない視聴者に媚びるような番組ばかりで、テレビの将来はもう無いのではと感じていましたが、「半分、青い」や「なつぞら」のお蔭で希望が持てそうです。これからも鋭いレビューを楽しみにしております。
支配欲の下りで思い出したのが、痴漢でした。
あれも『性欲ではなく支配欲・制服欲を満たすため』に行われる犯罪で、主に狙われるのは派手な格好の女性(そういう女性は我が強く反撃や通報をする確率が高く人目を引くのであえて避けるのだとか)ではなく『校則違反一切なしの真面目で大人しそうな女子生徒』なんだとか。
彼女達は大人や目上(男性)に従順で逆らわず、真面目ゆえに理不尽な目にあっても「自分の落ち度だ。」と己を責めて泣き寝入りする(反撃・通報されない上に、支配欲を容易に満たせる。おまけに未だ異性経験がない確率が高いたため征服欲も存分に満たせる)ため、痴漢にとっては最高の獲物なんだそうです。
(怖すぎる!)
すでに最悪の事態は起こっています。
今の『支配欲マンセー!!』な流れは、是非とも裁ち切って頂きたいものです。
参考資料
男が痴漢になる理由 斉藤章秋佳
さよならハラスメント 小島寿子
二箇所ほど、ポポロがペチカに
書き違いがありますね。
ご修正いただければ幸いです。