ちゃんと重力を感じる
前述の通り、広瀬さんはこの無言の演技が絶品です。
頭の中で、薪割りをするなつ。その動きを思い出すなつ。
なつはその動きを絵にしていきます。
できたかどうか全然わからない。
そう言いつつも、作品を見せるなつ。
パラパラパラとめくり、仲は感心しています。
「いや、なかなかうまいよ。ちゃんと重力を感じる」
おっ、具体的な褒め方ですよね。
「すごぉ〜〜〜い!」
「うんまぁあああ〜〜〜い!」
こういう、誰も彼もが大げさな奇声シャウトを、身振り手振りと顔芸つきでやられると、全然感動できないのですが。
具体性を持って褒めてくると、がぜん説得力が増しますよね。
大森氏の個性でもあるのでしょう。
本作の褒め言葉って具体性があるんですよね。
ここで、同じテストを受けた新人の大山が提出した課題を、なつは見せられます。
「動きが綺麗。全然違う」
大山はこれにはにっこり。
いや、なつの方が迫力があると彼は褒めてきます。やっぱり具体性のある褒め方ですね。
女でもいいんですか?
なつは謙遜します。
「もういいです」
「お世辞を言うほど暇ではない」
ここで、仲は謙遜するなつをきっぱりと否定します。
絵の上手い下手ではない、動かす力。そういうなつらしさが出ている。
ちゃんと勉強すれば適性がある。そう言ってくるのです。
しかしこの時点では、本人がなりたいかどうかすら、わからない。
陽平は、ここで彼女は牧場の娘で酪農高校に通っていると説明します。
その才能を惜しがられて、なつはこう言います。
「女でも、いいんですか?」
「そりゃなれるよ。お芝居に男も女もないだろ。絵で演技をするようなものなんだから」
仲はそういいきります。
東洋映画はもうすぐに買収されて、新スタジオになる。そう彼は説明します。
ディズニーに負けないアニメを作ると、彼らは張り切っているのです。
絵の勉強をしていないし。
そう謙遜するなつに、仲は大村の前職を説明します。
なんと警察官です。
それでも夢を目指して、アニメーターになったそうです。
「どこにいたってできるよ」
人間の仕草や動きをじっと見ること。
仲に説明されたコツを意識して、スタジオから出ると、街の風景を見つめるなつ。
想像力で夢をそっと動かしてみる。
その日もらった夢を、自分で動かしてみるのか、なつよ――。
父の声がそう語る中、明日へと続きます。
女性にとっても夢の仕事であったはず
本作は、アニメの原点回帰を目指している。
そう感じて来ました。
そして、そのかなりエグいところにも切り込んできた。
絵の芝居をするのに、男女は関係ないじゃないか。
仲はそう言い切ります。
それが、実はそうではなかった。
長いことアニメーター、アニメ業界全体が男性のものとされて来ました。現在もそういう部分は濃いものです。
その原因とは?
長時間労働です。
『いだてん』の第17回では、マラソンを志願する女性の意見が、一蹴されるシーンがありました。
女の体は子供を産むためにある。
長時間の苦行には耐えられない。
これはアニメ、そして医療分野においてもあてはまった偏見です。
「女は残業まみれのアニメの現場には耐えきれないだろうから」
「女は長時間の手術があると耐えきれないだろうから」
そういう偏見で、女性が排除されてきたのでした。
エロ要素も、その中にあとから追加されたんでしょうね。
秋葉原って、昔からあんなでしたっけ?
憧れが消えゆく時代に
この問題は、女性だけの話ではありません。
男性だって長時間労働をすれば死に至ります。当たり前です。
そしてそんな長時間労働とセットであった、妻子を養うだけの賃金はついてこないときた。
そんなの無理があるに決まっている。
それなのに、見て見ぬ振りをしてきた。
アニメの現場は、もう限界に到達しつつあるようでして。
◆アニメ制作会社「マッドハウス」社員は月393時間働き、帰宅途中に倒れた
ここからは、あくまで個人的な意見です。
かつては好きだったアニメをだんだん見なくなりました。
それが成長だとも思いますが、そういう単純な話だけでもありません。
劣悪な労働環境の結果であるかもしれない。そういう「作画崩壊」だのなんだの遊び半分でネタにする。外国人の作画スタッフを小馬鹿にするレイシズム――そのあたりから、だんだんとファンのノリが辛くなっていったのです。
外国人だから下手くそというのも、偏見もあるでしょうに。
末端ではなくて、発注側の日本にこそ大きな責任と構造的な問題があるず。
それに、外国人スタッフ頼りということは、今後の状況によっては技術流出が起こり得る。
それをネタにしてはしゃいでいる場合じゃなかったのに。
現実にそうなりましたよ。
◆中国が国産アニメを求めるいま、制作スタジオ「彩色鉛筆動漫」が日本に進出した理由
「作画崩壊」というのは、現場崩壊のわかりやすい兆候なのです。
チェックをすり抜けてそういうものが出てくるのは、完全崩壊前夜ということでしょうに。
もう崩れてゆく、劉禅時代の蜀じみたコンテンツよりも。
ハッキリ言いましょう。
これから伸びていく、そういう秀吉死後の徳川家康みたいな、そういうものを好きになりたかったんじゃあああ!
というわけで、忠義心パラメータが低い私は、海外ドラマやそのへんに移りました。
んで、これは私だけの話じゃありません。
少年少女の好きなアニメって、『プリキュア』や『妖怪ウォッチ』のようなものもあるとはいえ、圧倒的に海外作品に戻って来ているそうです。
『アナと雪の女王』にせよ『ちいさなプリンセス ソフィア』にせよ。
ジャパニメーションは本当に崩壊していたんだな、って……。
今朝見せられたアニメの作画原点って、もう完全に古典に突入していますよね。
黒船はもうそこにいる
今期の朝ドラがアニメを扱っていること。
大河が近現代史を扱っている時代劇の空白に、Amazonの『MAGI』が食い込んできていること。
それはある意味皮肉だな、と痛感させられてもいます。
予算がない。
娯楽だから。
アニメの場合は、子供向けだから。
そういう理由で、誰かが金を落とさなくなった。
現場の労働者ががヒーヒー苦しんでいる中、上からはクールジャパンだなんだの旗だけ振られて、どこかに金が消えてゆく。
このまま人材ごと消えるのかと思っていたら、そうではない。
黒船が来ました。
◆TVアニメはなくなったほうが「幸せ」? “カネ”が違いすぎるNetflixとAmazon 稲田豊史の「コンテンツビジネス疑問氷解」|ビジネス+IT
『ポケモン 名探偵ピカチュウ』のように、日本発のものが海外の人と金で作られてゆく。
そういう終わりの始まりのような悲しさを、アニメをテーマにした本作からは感じてしまうのです。
散りゆく花こそ、美しい時があるものですから。
原点回帰できるか?
もう手遅れなのか?
そういう2019年に放送される『なつぞら』。
どうしたって複雑な気持ちになります。
※スマホで『なつぞら』や『いだてん』
U-NEXTならスグ見れる!
↓
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
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貴記事やみなさまのコメントで毎日勉強させていただきながら、
最近は広電の↓を眺めにいっては思い出に浸っています。
http://www.hiroden.co.jp/train/train-list/
素敵な作品ですねえ。アニメ考察を含む今後の描写も楽しみ。
ひとりひとり、ひとつひとつが生き生きとしてて、ほんと、たまりません。
Zai-Chen 様にご教示いただいたロケ施設のサイトを見てみました。
確かに、「近・現代」というあまりに粗い時代区分や、大道具の路面電車は明治期のものしか用意されていないことなども、わかりました。
でも、ロケ施設には明治期の路面電車しか用意がないからと言っても、それを使うかどうかは、やはりNHKの制作スタッフの判断だった筈。
後知恵ではありますが、あのような電車は使わず、昭和30年当時の電車を、動かないハリボテで良いから正確に作り、作中では、電停に停車中あるいは信号停車中という形で登場させれば十分でした。
あの街角のシーンとして何らおかしなものではなく、ごく自然なものとして描けた筈です。
何も、ロケ施設にある電車にこだわる必要などなかった。
昭和30年の東京の町を、あんな明治期の電車が走って来たら、まるで幽霊電車ではないか。そう考えることのできるスタッフはいなかったのでしょうか。
「どうせ電車のことなど誰もわかりゃしない。多少鉄道マニアがうるさいくらいだろう」などと高をくくってはいなかったでしょうか。
わんわんわんさん、
虫プロは、他のスタジオを排除する目的でアトム一話あたりの制作費に約50万円(今なら200~250万円あたり?)を提示していたといいます。実際の金額はその3倍であったとか上下がありますが、格安で受注して独占を目論んだのは動かしようのない事実のようです。
東映と違って学歴を問わずに実力主義で採用したこともあり、東映から多くの人材が引き抜かれ、設立時にほとんど制作技術を持たなかった虫プロを支えたといいます。東映で長編アニメをしていた宮崎駿さんなどはそのアオリで不本意に「動かない=低予算」な作品を作るハメになったり果敢に原作無しのオリジナル作(ホルス)に挑戦した先輩の高畑勲さんが東映で干されたり、色々と恨みを持っていたことが想像できます。
小田部羊一さんを時代考証として招いてますので、ドラマ制作陣がその気なら、この辺りの詳細は遠慮なく描けるはずです。宮さんの若気の至りの恥ずかし話なんかも、小田部さんがいれば怖いものなしでしょう(笑)。
でんすけさんのコメントを読んで、手塚治虫さんが亡くなった時に「手塚治虫がアニメでやったことは全部間違い」と宮崎駿さんが発言して物議をかもしたことがあったのを思い出しました。
手塚治虫さんが亡くなったのが平成元年。30年後はさらに状況が悪くなってるようですね。
やはりこの作品は、日本のアニメーションそのものを主人公として描こうとしている。そう改めて感じました。
日本のアニメーションの原点である東映動画の、そのまた前史からドラマで描いて来たことに恐れ入りました。手塚治虫が虫プロで物販&権利販売を前提とした馬鹿げた価格破壊を仕掛けるまでのアニメーション制作現場は、手間ひまを掛けて「動かす」事に制約がなく、作品内容も世界的な児童文学やオリジナルが基本という、作り手の志の高さが許容される職場だったのです。
ブラック職場へと変貌する前のさらに原点を描いてきたので、その後にくる、悪い方向への変化もきっとドラマの縦糸に入れてくると思います。
親戚がこの時代の業界人でインタビュー書籍も読んだ事があるので、この辺りの歴史には多少明るいつもりです。
アニメファンとして悲しくてたまらない現実ですが、これも時の流れでしょうか。
いいえ!今からでも原点回帰して当時の志を思い出して頂きたい!!
今季放送中の「キャロル&チューズディ」を見ながら、心からそう願っています。
(海外を意識しているのか、女性の活躍やLGBTを出すなど、とても画期的)
たぶん、「たかが電車だろうに」という受け止めをする方もあるでしょう。
自分でも、ついこの間、「たとえ皮相的な反応になってしまったとしても、彼等戦災孤児の生きざまの中で瞬いた歓びには、惜しみなく共感を贈りたい」などとコメントしたばかりなのに、とも思います。
『なつぞら』という作品そのものは、私は大好きです。深い感銘を与え、心を揺さぶってくれるからです。
その感銘がどこから来るのかと言えば、やはり作品中の時代を生きた人の思い、機微等が、ぶれず、揺るがず伝わってくるからだと思います。
それは、何も直接登場している人物ばかりではありません。
例えば、農協で生乳共同出荷の話がまとまるまで。
直接登場した田辺組合長や剛男に相当する人々の他に、直接は現れていない役職員の尽力・奔走があった筈。物語のシーンを通して、現実の農協で繰り広げられたであろう人々の生きざまに思いを致すことができます。
山田家の開墾地整備についても、参加した人々それぞれの背景は描かれなかったものの、どんな立場・考えから加わったのか、前後の経緯・描写から想像を及ぼすことができます。
泰樹のゴムタイヤ馬車にしても、作った人(大道具として、という意味ではなく)は全く登場しませんが、積載量を増やし耐久性も上げることで農家を楽にしたいという思いがあった筈で、それはあの改良馬車の登場シーンを通じて推し量ることができます。
都電にしても、
現実の昭和30年頃の時点では、電車を設計・製作した人には、日本の顔たる都市にふさわしく洗練され、乗車して快適で、運行・整備が便利であるようにという思いがあった筈。運行・整備する人にも、日本の顔たる首都の交通を担う誇りがあった筈でした。
残念ながら物語には反映せず見る者に伝わることはありませんでしたが。
もう放映されてしまったものは仕方がありませんが、ドラマは細部まで考証を怠ってほしくないのは、このような、物語の表面には出てこないが確実に存在している人の想いにまで、生命を通わせ活かしてもらいたいからです。
武者さんが大河レビューも含めて常々主張されているように、「黒船」は来て、既存のドラマ等はその存在意義が問われることになります。そういう環境では、「物語の表面には出てこないが確実に存在している人の想いにまで、生命を通わせ活かしていく」ような作品を生み出して行けるかが、存亡を分けるのではないかと思います。
路面電車は、おそらくロケ施設「ワープステーション江戸」の撮影用大道具電車でしょうね。
https://www.warpstationedo.com
「いだてん」も同じ場所を使っているようです。
路面電車に限らず、町並み自体もツルンと整然と感じるのはそのせいでしょう。
当時の映画などを観れば分かりますが、昭和30年代前半の東京、それも浅草や新宿といった盛り場はもっと雑然としていました。焼け跡に建ったバラックも、まだポツポツと残っていた頃です。
でもまあ、これはこれでしょうがないかなと思っています。これをガッツリやろうとすればそれこそ「三丁目の夕日」のように、CGを駆使してということになると思いますが、「朝ドラ」という舞台劇とも共通する濃密な会話劇にそれが果たしてそぐうのかどうかというと・・・難しい問題ですね。
それよりむしろ、「近・現代」とざっくり時代をくくっている方がどうなのかと。東京を再現するのであれば、少なくとも戦前戦中と戦後(東京オリンピック以前)ぐらいは分けとくべきと思います。
今日の冒頭シーンの東京の街角。今回は新宿。
バスはボンネットバスで、当時の雰囲気としてはまずまず。
しかしその奥に…
だから、その「明治の電車」を「昭和30年の東京」に出すなと言うのがわからんのか!!!!!
ラスト近くでも!!
本当は、東京の街角を走っていた都電の電車は、日本の顔たる都市にふさわしい、その時代時代の洗練された電車で、他の路面電車事業者が設計の参考にしていたほど。作中より少し後の時代のものも含め、都電を参考に設計された電車は函館市や高知市で今も走っています。
大変残念ですが、本作の制作チームには、路面電車についての知見が全くないことが明らかとなってしまいました。
各種小道具・建物・自動車等の考証は非常に的確であるのに対し、あまりにひどい…
昭和30~40年代の東京の写真を見ると、新宿など交通結節点となる場所では、各系統が集まり多数の電車が連なって走っていました。だから、今回のように大通りの交差点を広く映し込むシーンを作るなら、路面電車を無しで済ますのはかえっておかしい。
昭和30年の時点にふさわしい電車を表現するのは不可欠の筈でした。
もちろん、「他都市から実車を運んで撮影しろ」などとは思いませんが、あの「明治の電車」だって、レプリカ等何らかの方法で用意して撮影したのでしょうから、相応の方法はある筈。
昭和30年頃の都電の写真など、鉄道専門書と言わずとも様々な書籍に出てるし、画像検索でも様々な画像が出てくる。
…まあ、当分は収録済みですから仕方ない。次の収録分で改めてくれるかな?(NHKお問い合わせメールには申し出済み)