なつぞら33話 感想あらすじ視聴率(5/8)アニメの原点回帰

何もできるとは、何もない

はい、妙子ととよは去りまして。紅茶とコーヒーを待つ二人。
映画の感想を語り合っています。

地球の誕生、恐竜……想像の世界を描くことができる漫画映画は何でもできる、とうっとり。

しかし天陽は
「何でもできるということは、何もないんだ」
と言い出します。

出ました、天陽の奥の深い、真理に迫る言葉。

何でもできる。それは、まるで広い大地を進むようなもの。
開拓されていない土地を、どう耕して種を蒔くのか? 開拓当初苦労した、そんな山田家の軌跡を思わせる言葉でもあります。

北海道は広い土地がある。何でもできる。
きっとそう聞かされて来た結果、とんでもない苦労をしましたもんね。

「それでも行きたいのか?」

「そーゆーことか。そーゆーことだよね。天陽くんはすごい。悩みに答えを出す。無理、私が行けるわけない。酪農も中途半端。アニメなんて」

「本当はいきたい?」

「無理無理無理!」

なつよ、そんな顔で笑うな。
天陽くんも、辛いぞ――。

父がそう語る中、明日へと続きます。

照男vs天陽

なつをめぐる、この二人の争いがテーマになりそうな今週。
これがなかなか複雑でして。

まず、照男はともかくとして天陽がなつに対して恋愛感情を持っているのかどうか。
不明です。
ないようにも思えますが、これまた天陽はわかりにくいので不明。

そして、照男の背後には泰樹もいる。そして夢も。

酪農とバター&柴田牧場
vs
アニメ&奥原家の思い出

こういう構図でもあるんですね。
なつはどの程度、その構図に気づいているのでしょうか?

天陽が照男のライバルであるという点では、間違っていません。
ただ、「雪月」のとよや妙子、それに泰樹あたりが考えている理由とはちがいます。

なつにとって、山田兄弟は、夢への扉を開ける――そんな魔法の鍵を持っているのです。

迷いながら生きる、じれったい彼女

ここが本作の興味深いところですが、なつ自身の中でも曖昧なのです。

朝ドラでは、序盤、しかも子役時代に夢をハッキリと掴むことも多いものでして。
『カーネーション』の糸子がその典型例でしょう。

なつも、河原で魚を焼きながら絵を見つめた場面では、夢の輪郭が見えたようでした。

しかし、それが本人でも曖昧。
泰樹や柴田家の思いが強すぎて、どうしても彼らの思いや目標こそが自分のものだと、押し込めてしまっているのです。

家の希望か?
個人の希望か?

そうした思いに、柴田家の人々も感づいています。
富士子と剛男はじめ、この家の人たちはなつが演劇部で彼女の思いのまま、演じることに安堵していました。

一番じれったさを感じているのは、イジワル軍師・夕見子です。
思うがままに歩む彼女からすれば、なつはじれったい。何度もそう示しています。

一方で、照男。
なつに柴田家に止まってほしいから。
自分の夢のパートナーであって欲しいから。
そう思いきれません。

なつのこうした戸惑いを、いい子ちゃんぶっている、おとなしすぎ、卑屈だという声もありますね。
それはちょっと考えていただきたいところです。

前提条件として、彼女は孤児として受け入れてもらっているのです。
『カーネーション』糸子レベルの、ブルドーザー路線を期待しろと言われても、あまりに無理があります。

もう一点。ありのままに生きたかった。
性格的に、そういう道しか歩めない、不器用な『半分、青い。』の楡野鈴愛バッシングも思い出すのです。

朝ドラヒロインはサンドバッグじゃない。

鈴愛くらい自由だと「生意気」。
なつくらい、気遣ってしまうと「いい子ぶるぶりっ子」。

どうすりゃいいんだ!!

あ、そりゃ、あまりにしょうもねえヒロインは私だって叩きますよ。
****の*ちゃんは仕方ない。あいつは『三国志』に出てくる悪役レベルだったからね。

どちらが正解なのか?

こうした構造は、ヒロインが主体の朝ドラとして、とても新しいのではないかと思うのです。

誰かを支えることか?
夢を追いかけることか?

前者は【内助の功】路線です。
****が悪しき例でした。もちろん『ゲゲゲの女房』のような傑作もあります。
あなたの夢は私の夢。家族である夫に寄り添う路線ですね。

なつにとっては、柴田家の夢に寄り添う道はこちらでしょう。

後者は【自らの夢を追いかける】路線です。
『カーネーション』が代表例で、ともかく我が道を突き進む。そういうパターンです。

この二択に、変化が出てきました。

【自らの夢を追いかける】ようで、地域という大きな家族の夢にとけこんでゆく『あまちゃん』。
挫折しながらも【自らの夢を追いかける】。その横には、運命のパートナーが、夫ではなく共闘相手として、しかも対等の位置にいる。そんな『半分、青い。』。

本作は、二つの選択肢を提示し、結果的に後者を選ばせます。
その立ち位置が、今のところどちらを選んでもよいように思えます。

このままなつが、照男の妻として柴田家で働いても、幸せになれるはず。
牛の難産を解決したことだってあるほど、酪農への思いやセンスがあるのです。

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このあと、なつがアニメーターとして苦闘を重ねるところで、こういうイジワルなツッコミは出てくることでしょう。

「こんなことなら、おとなしく結婚して酪農やっていればよかったのに……」

そこまで本作は考えているのではないでしょうか。
そして、そう言う相手に、何か策を仕込んでいるのでは?

本作は、慎重に朝ドラでの改革を目指していると思えるのです。

いずれ
「そう来るとわかっていました……」
と、反撃をしてくる――そうなるんじゃないかな?

アニメにはまだ魔法があるのだろうか?

そして今日も出てきた、アニメの原点回帰。
これも苦い思いが滲んできます。

アニメの何でも表現できる、命が吹き込まれたような絵。
それが先日もつっこんだ「作画崩壊」でワーッと盛り上がる頃には、命に翳りが出てきたということでもあります。

何でも表現できるというけれども。
命が吹き込まれたというけれども。

今でもそうなのでしょうか?

天陽の喩えを借りるのであれば、耕した大地は、それでいいというわけがないのです。
肥料を与え、管理をし続けなければ、土壌が痩せてゆくだけ。

ジャパニメーションという大地は、これを適切にしてきたのでしょうか?

私は最近のジャパニメーションをそこまでじっくり見ているわけではありません。
どうこう言えたものでもないかもしれない。最近のお気に入りは『ポプピピテック』あたりだし。

ただ、当時のなつよりも、アニメは見慣れている。目が肥えている。
そういう経験の差だってあるのでしょう。斬新さを感じなくなってはいる。ただ、周りのアニメファンの声を聞いてみても、【作画への不満や展開への批判】が多いのです。

批判は悪いことではありませんが……それにしたって、もう魔法は消えているのではないか。
そうため息をつきたくなることもあります。

ついでに言うと、もうセル画じゃなくて、モーションキャプチャーやCGあたりの方が、魔法ぽかったりして。

今日出てきた東洋の社長が力説しているような、世界進出へ向けた目って、本当に今のジャパニメーションにあるのかな? と疑問を感じたりもします。

『ゴールデンカムイ』の話になったとき、あれだけのアイヌ文様を描くのは凄い、『モアナと伝説の海』レベルの大変さだよね〜とファンの方に話したことあるんですけど。

あんまりも反応がなくて、ちょっとびっくりしたというか。
アニメーターがあの文様でどんだけ苦労したかちょっと考えようよ〜と思ったんですが。

トークショーでそのへん確認できたので、なんかいろいろ腑に落ちたりしました……苦労なされたそうですよ。
ああいう要素、21世紀の今こそトレンドですよね。だからこそ大英博物館だって、アシリパさんをアニメ漫画展のメインビジュアルにするんだろうし。

アニメ『ゴールデンカムイ』スタッフトークイベントに行って参りました!

やっぱりジャパニメーションには、原点回帰をして欲しい。

しかし、まだ間に合うのだろうか?

本作鑑賞をしていると、そんな苦い気持ちが湧いてくるのです。

※スマホで『なつぞら』や『いだてん』
U-NEXTならスグ見れる!

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

北海道ネタ盛り沢山のコーナーは武将ジャパンの『ゴールデンカムイ特集』へ!

【参考】なつぞら公式HP

 

9 Comments

904bis型

十勝編は、とにかく巧みなんです。
東京編のように無駄に引き画を多用して、余計なものまで写し込んでしまうこともなく、街角や列車の内外など、部分的なシーンの積み重ねで、うまく雰囲気を出してしまう。

こういうスキルがあれば、無駄に大規模なセットを作る必要もない。

ちなみに、前作レビュー・コメントで絶賛された『めんたいぴりり』も、ロケ以外の撮影は、驚くほど狭い屋内スタジオを駆使して行われていたそうです。

閑人

十勝編に比べ、東京編のなんとはなしの雑さは、私も感じています(笑)

何年も消息不明の兄ちゃんはすぐ見つかるし、天陽の兄ちゃんともあっさり会ってしまうし。

十勝編頑張りすぎてしまったか?
上京後の本格東京編での挽回を期待しています。

904型

閑人様。
ご意見を拝読しました。

私は、東京編と十勝編では何か描く姿勢に大きな違いがあるように思います。セットをどこまで作れるか、というのはそのとおりかも知れませんが、十勝編ではそういう制約を超えて、的確な描写をしているのに、東京編では何か勘違いし、おかしくしてしまったように思います。

詳しくは、第32話のコメント欄に記させていただいていますのでご参照ください。

ちなみにあの路面電車は、地方であのタイプが実在した土地ならともかく、場面が「東京」で、「都電であるべきもの」なのにあの体たらくである、という点で、私は「アウト」としています。

でんすけ

確かに、なんでも原点に戻せば良いという発想では単なるノスタルジーになりかねませんね。

監督やスタジオにブランド力があれば高リスク、高コストの作品にも資金が集まり、末端の作り手にまで売上が還元される仕組み作りは不可能ではないはず。作家性に重きが置かれすぎた面もあったでしょうが、ジブリが目指したのはそれでした。最初の資金の一部をクラウドファンディングで集めた「この世界の片隅に」の例もあります。

きっと色々な関係者が危機感を持って改善に努めていることと思います。アニメーション業界が置かれている課題がこのなつぞらで多くに共有されて、より良い改善に繋がるキッカケになったら素敵です。

閑人

蒸し返すようですみませんが、時代考証の件、私はあまり深刻なもので無ければ間違い探しくらいの感覚で楽しむことにしています。

時代考証にどこまで厳密性を持たせるかは、受け取る側の個人差もありかなり難しい問題だと思います。
資金と時間が無尽蔵であれば、万人が納得するものをとことん追求できますが、実際には不可能で、どこかで妥協は必要です。
アナログの時代であれば、細かいとこは見えないので何とかなりましたが、デジタル、ハイビジョン、4K8Kと、どんどん見えなくていいものまで見える時代になって、制作側にはつらい時代ともいえます。

それでも小物であれば、美術や小道具担当さんの熱意と努力でかなりのレベルまで行けるとは思いますが、大物(建物とか車両とか、あるいは街並み全部とか)になると個人レベルでの頑張りではなんともできなくなります。
しかも、建物とか車両って年代で結構変化があって、わかる人には違いがわかるんですよね。私も詳しいほうなのでよく気になっています。ただ、専門家やマニアレベルまで満足させるのは結構大変です。今はCGという手もありますが、CGも精巧なものはかなりの時間と費用が掛かりますので、数回使うか程度の場面まですべてCGというのも無理な相談でしょう。

問題の路面電車ですが、私も“あれはちょっと”と思いました。ただ、調べてみると、昭和30年代だと各地の路面電車でまだあのようなタイプはかなり走っていたようなので、ギリギリセーフなのかもしれません。それでも都電ではないし、ましてやあの塗装はもうちょっと何とかしてほしいとは思いました。

また、新宿にバスで到着するシーンですが、はるばる到着した感を出したかったものの、駅のシーンにする時間も予算も無かったのだろうと思っています。駅、それも新宿駅となるとかなりの大きさのセットを組んでも、それなりに見せるのは結構大変です。
“ひよっこ”の上京時に上野駅が出てきます。かなり手の込んだもので見ごたえはありましたが、スケール感という点では、現実の上野駅と比べて微妙なところです。

BSの“おしん”を見ると、ロケはかなり少なくオープンセットは無し、ほとんどが室内や家回りのセットで進んでいきます。今はどうだか知りませんが、NHKの看板商品の朝ドラでも昔は予算は少なく、ロケ日数やセット数も最小限で回していたと何かで読みました。アナログ時代なので、精緻さなどは現代作品と比較になりませんが、ドラマ本体が面白ければ、そのあたりはあまり気にはなりませんね。

匿名

ポプテピピックは非常に手の込んだアニメでしたね

余計なお世話ですが、近作で評判の良いアニメも鑑賞されても良いかと
3D作画作品のケムリクサなんていかがですか
アマゾンプライムで見られると聞きましたよ

まめしば

昨日も申し上げましたが、黒人の女の子をヒロインの一人に据えたり、LGBTを出したり、様々な国籍の人間を登場させるキャロル&チューズディのような意欲作も作られているにはいるんですよね。
ホントに頑張ってもらいたい!!

でんすけ

前述の書籍はインタビュー集で、なつぞら第31話には少なくともそのうちの3人が登場していました。仲努=森康二、下山=大塚康生、なつ=奥山玲子。

私が森康二さんの項で印象的だったのが、人や動物が痛みを受ける描写がどうしても嫌で、仲間が描いたそんな絵にすら拒絶反応を起こす、そんなクリエイターとしての神聖な姿勢にです。

私個人は、この時代の東映とは対局ともいえるあしたのジョーやヤマトにガンダムも好きだった口なので、そんな綺麗なものは持ち合わせません。曰本独自の方向へ進んだジャパニメーションにも勿論良い面も沢山あります。でもふとおもうのです、あぁアニメーションって、本来は子ども向けに作り手たちが情熱を注いできたものだったのだなと。。

でんすけ

日本のアニメーションに原点回帰してもらいたい。その為に、東映動画の前史から含めて、黎明期の頃の志し高く輝いていた時代から描き始め、やがて日本のアニメーション産業が陥る「漫画原作ありの無難な、暴力やエロなど気が引ければなんでもありの、なるべく動かさずに低予算で作れる」路線への変節と、やりがい搾取の横行が招いた高齢化により自らを滅ぼさんとする暗黒面も、このドラマではきちんと描いて欲しい。

この負のスパイラルから抜けて原点回帰を果たせたのが、時代考証役の小田部さんなのてす。この方はそんなタイミングで任天堂に出会い、そこに日本アニメ草創期のような健全な息吹を見ます。自らスタジオを起こして原点回帰を図った宮崎駿さんとの対比も面白そう。

何だか偉そうな事ばかり書いてしまいましたが、久しぶりに書籍「日本のアニメーションを築いた人たち」を読んだ受け売りです(汗)

なつぞらを機に重版かかるといいでねー

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