昭和34年(1959年)。
なつは東洋動画入社三年目を迎えました。
二本の長編映画をこなし、腕も上げてきております。
説明だけではなく、きっちりとわかるのが本作のよいところでしょう。
なつとマコが呼び出される
そんななつとマコが、下山から呼び出されました。
隣席の茜はこう言ってきます。
「また喧嘩したの?」
「してないってば!」
なつとマコが去っていくと、堀内は「喧嘩だよ」と茜にささやきます。
そんなに日頃から対立しているのかっ!
まぁ、お互い変人と軍師ですから、そうなりますね。仲が悪いというよりも、譲れないところが多々あるのでしょう。
呼び出された部屋には仲、井戸原、下山がおりました。
長編の合間に20分の短編を作るそうです。
その原画に、マコが指名されます。
「おめでとうございます!」
そう浮かれるなつに対し、下山も『白蛇伝説』のあとは短編映画の制作で鍛えられたと振り返っています。
マコなら気づいたかもしれない。
それならば、ナゼなつがここにいるのかということに。
なつはマコを手伝うのかと思っていたようです。
と、ここで仲がこう宣言します。
「女性アニメーターは、マコちゃんに任せようと思っていた。けれど、なっちゃんにも任せたい」
「私に、断る理由は一切ありません。一緒にやれと言われたら、やります!」
うーん、マコってばカッコいいなぁ〜!
嬉しいとも言わない。はしゃがない。
自分に務まるかどうかと、謙遜しない。むしろその人選は適切であり、準備万端であると示しています。
それだけではなく、自分より短時間でなつが同じ位置に立つことに、若干の悔しさをにじませつつも、納得しています。
面白がっているところすらあるかもしれない。
・喜び
・使命感
・自信
・気合い
・かすかな嫉妬
・おもしろがる気持ち
こういう複雑な感情を、セリフや表情に込める。
その強く凛とした、プロとしての輝きがそこにあります。
本作は、朝ドラアベンジャーズ枠から新たな、そして最大の魅力を引き出すことを理解し、こなしていますね。
貫地谷しほりさんが今朝も圧倒的です。
では、どんな短編映画なのか?
というと今回は題材すら未定と伝えられます。
一からアイデアを出してきて、選ぶこと。
演出担当者とも話し合い、チーム三人で決めて欲しいとのことです。
そしてここで、奴が入ってきます。
げえっ、坂場!
坂場にはそういう話は通じない
さて、この坂場ですが。
モデルは彼であると指摘されています。
◆描かない巨匠の演出術、どう見る 高畑勲・富野由悠季:朝日新聞デジタル
◆中川大志インタビュー 『高畑勲展ー日本のアニメーションに遺したもの』音声ガイド収録で感じたこと | SPICE – エンタメ特化型情報メディア スパイス
あのレジェンド、偉大なる方と仕事できるなんてすご〜い!
何でもできる天才として、坂場を描くことはありなのでしょうが……そうしないのが、本作の誠意です。
それが世界的な流れでもあるんでしょうね。
才能と人格がセットになっていない、そういう仕事人をありのままに描く作品も、増えてきております。
※彼と仕事をしたいかって? うーん、どうでしょう……
はっきりと描かないとか。
変幻自在に変わるとか。
幻想的であるとか。
その魅力はもちろんわかるのですが、隣で仕事をするとなると、タイプによっては合わない。
クセが強すぎておそろしいことになりかねない……。
そういう厄介なところを描くわけです。
はい、今週も覚悟しましょうね。
「カチンコ君……」
マコがそう言うと、下山がたしなめます。
「いっきゅうさんって呼ぼう」
坂場一久だから【いっきゅう】ですね。
ここで、もしも坂場が空気を読んだらこうなるのでしょうが。
「ハハハ〜、いっきゅうつながりですか、面白いですね〜」
しかし、そうはならん。
「ナゼ、普通に呼ばれてはいけないのでしょう……」
なつも、空気が読めればこうですね。
「やだ〜もぉ〜」
ところが、そうではありません。
「じゃあ下山さんも【げざん】って呼びましょう!」
下山は人生下り坂みたいだからやめてくれ、と苦笑。
井戸原も「下り坂」とおもしろがっています。
このしょうもない会話でも、職場の風通しの良さはわかります。
坂場に冗談が通じない奴、先輩に逆らうと生意気な奴とは誰も言わない。
なつのあだ名(「げざん」)に対して、縁起でもない、失礼だと怒るわけでもない。
仲が、ここでくだらないことだと収めますが、叱り飛ばすわけでもありません。
ゆる〜くて、優しい雰囲気ではあります。
創造性やアイデアを無礼だなんだとジャッジせずに、おもしろがる空気もあると。
これは何度でも指摘しますが、合わない人は、絶対に合いませんよね。
上下の区別が曖昧であるということ。
後輩や女性がへりくだっていないとイライラするタイプには、絶対的に不向きです。
常に創造性を期待される。
ルーチンワーク、決められた手順で働きたい人にも、向いていません。
何がどう偉いとかではなく、大切なのは自己適性。
仕事はそこを踏まえて選ばないと、本人も周囲も悲劇です。
新チームの三人は、噴水で話し合うことになりました。
原作付きがよいか、一から作るのか。
そう問われ、坂場は答えをパッと出します。
「原作付きがいいでしょう。今は話を作ることではなく、どう表現するか、ですから」
ここまではよいのですが。
「そうと決まれば、話し合いは無駄です。やりたいことを見つけて、話し合いましょう。明日に」
と言って、さっさと解散宣言してしまいます。
残されたマコは、当惑を見せています。
「一人で決めて、あの人とうまくやれるかどうか……」
まぁ、そうなります。強気なマコです。そこは私の意見も聞かせろ、納得させろとなりますよね。
先週を踏まえての流れと考えると、一層これが際立つのです。
先週の「雪次郎の乱」は、当事者全員が納得する収め方でした。
そうでなければ心理的なしこりが残ると一週間通して描いたわけですが。
坂場ならば、
「ケーキ一つで、二年間の修行の成果がわかるものでしょうか?」
とでも言い出しかねません。
この手のタイプに、空気を読むことを期待してはいけませんからね。
まぁ、人生経験を通して学んでもらいましょう。
とはいえ、そこが苦手だからこそ、納得すればよいことを思いつきそうではあります。
『半分、青い。』の鈴愛もこう言っていましたっけ。
「よいところと悪いところは、セットになっとる。私は無神経なところがある」
鈴愛はそう返します。
坂場もそういうタイプ。
いや、皆そういうものではありませんか。
※続きは次ページへ
>Hei様
ご指摘ありがとうございます!
修正させていただきました。
今後もご愛顧よろしくお願いします^^
毎日楽しく拝見しています。
20本の短編ではなく
20分の短編ですよね?
細かくてすみません。
本と分では大分違うのでコメントさせていただきました。