亜矢美が去って、咲太郎と光子が結婚をしたそのあと――。
なつは、自宅の台所でキュウリを切っています。
兄には光子さんがいる。
亜矢美さんはきっと新人生を始めたはず。
そのために去ったのだと、確信を込めてイッキュウさんに語るのでした。
こんな悪徳社長は嫌だ! でも現実だ……
そんな坂場家のブザーが鳴ります。
【ジャーン、ジャーン、ジャーン !】
げーっ、神っち!
玄関にいたのは、神っち、下山と茜です。
後ろの二人はそうでもありませんが、神っち憤怒に満ち満ちており、ただ事ではありません。
「イッキュウさんいるっ?」
もうすごいことになってきた。
これは来年大河の信長も期待できるわ。【魔王】だもんね。
家にあがり何かあったのかと聞くと、神っちはますます激怒します。
染谷将太さんじゃないとこれはできないわ。
「何かあったなんてもんじゃないッ!」
下山がここでなだめます。
注目したいところは、当事者じゃない【魔王】が一番ハイパワーな怒り方をしているってことかな。
「もう、何もかも嫌になってしまった……」
茜が苦しそうな声を絞り出します。
産休の挨拶をするために、社長室へ向かった。
そこで山川社長は、復帰後は契約にすると笑顔で言うわけです。
「それはクビってことですか?」
契約とは、一枚いくらで支払う形式。
正社員ではないんだな。
茜はショックを受けてそう返すしかない。
ここで山川は詭弁を返します。
・あなたの働きたい意思を尊重している
→労働者側と話し合いすらしないで、一方的に決めたのに?
・あなたの好きな条件で契約できる
→だからそれを一方的に決めていますよね?
・頑張ればかえって収入が増える
→そうやって、低賃金を労働者側のやる気問題にすると?
・今は契約を求める人もいるくらいだ
→いや、それにしたってこちらの意見を聞いてよ!
悪徳経営者詭弁テンプレそのもの。
とはいえ、茜はそこで戦えるわけもなく……。
どうしたの?
むしろ****ではこちら側が主役だったのに、何が起きているの?
神っちは天下を目指すが、ついて行けるのか
「実質クビだッ!」
茶の入ったグラスをドンと置いて、神っち大興奮しております。
テーブルをバンバン叩く、【魔王】しぐさかも。イッキュウさんも、興奮してバンバン叩いていたっけ。
下山が、ここは労働組合だけでなく、人の家だとなだめるのです。
茜は悔しそうですが、諦念もある。
「辞める。仕事続けたいけど、そこまでして続けたくない……」
これは茜を責められないだろう。
茜は性格的に、下山と結婚して正解だったかも。彼女のモデルは神っちモデルの妻ともされますが、作劇的にはこれで正解だと思います。
神っちだったら、妊娠中の妻でも前線投入しそうな危険性もちょっとあると思うし。彼が悪人ってわけじゃないんだけれども。
このあと、さらにひどい現実も語られます。
なつや茜の後輩女子社員は、妊娠したら辞職するという契約書を書かせられるとか。
「世の中そういうもの……」
「これじゃアニメーターの未来は暗い……」
おそろしい未来絵図が、そこにはあります。
現実だからね、これが現実なんだよ。
◆アニメ制作会社「マッドハウス」社員は月393時間働き、帰宅途中に倒れた
「アニメーションの地位が低いからだッ! アニメーションの地位をあげるッ!」
神っち、【魔王】らしい、遠大な天下取りまで視野に入れおったぞ。
この役あっての、来年の信長なんだな。
そんな【魔王】はさておき、茜は謝っています。
「なっちゃんに迷惑かけてごめんね……」
「こっちこそ、何の力にもなれなくて……」
さぁ、どうする、どうなる、アニメーターの未来!
私たちにも魔法が必要なのに
なつはそのあと、アニメを見ています。
「キラキラバンバン、キラキラアニー」
画面では、アニーが魔法を使って難題を解決します。
これは当時の雰囲気を生かして作るわけでしょうから、大変でしょう。
「人間は魔法を使えないもんね……なんでもない」
なつがしみじみとしている。
これは辛いものがある。
人間というのは、子供と大人と切り替わって別人になれるわけじゃなくて、子供の心をどこかに抱えて生きていくのです。
だから、こういうものが欲しくなるんだ。
◆パケ買いしたすぎる♡ セーラームーンコスメがかわいすぎて困っちゃう♡
「あんな子供のものを大人が欲しがって、オタク趣味がおしゃれになっておかし〜」
という意見は、無理解ってものですよ。
少女の頃、魔法にあこがれて、かざせば何でも解決できる世界があったんだな。
そういう気持ちがあればこそ、ああいうものが売れるんですよ。
そんな魔法に逃げ込みたいほど、現実は辛い。厳しい。
魔法の夢を作る側のなつや茜が、現実に勝てずに粉砕される。
これはバッドエンド、ヒロインが負ける残酷物語なんだ。
茜の後任は、普通の人・堀内です
堀内ね。彼に悪意はまったくないんですよ。
ただ、純粋な実力では、マコ、茜、なつに勝てたっけ? そこは引っかかる。
「男女平等っていうけど、女は下駄をはかされている」
なんて言いますけど、堀内と今頃イタリアにいるマコを比較して、それを言えますかね?
さて、下駄をはかされているのはどちらでしょう。
現実でもそういうことがあったな。
◆【m3.com】追加合格の女子学生「何としてでも東京医大以上の医学部に入ろうと決意」
なつは、堀内に妻とその契約書のことを聞きます。
モモッチの後輩で、仕上課所属だったとか。
仕上課は花嫁候補提供の場扱いですから、契約書だって特に迷うことなくサインをしてもおかしくないと。問題は感じなかったそうです。
「なっちゃんとは違う、良妻賢母タイプだから」
「ふーん、私とは違うんですかー」
「そういう意味でなくて!」
「そうですか?」
なつは嫌味を炸裂させます。
これもあるあるなんだよな……堀内の気持ちもわかる。
「うちの妻は普通の女で、そういう意識がないんだよ。ただの女」
そう言いたくなる気持ちはわかる。
妻もそう納得しているかもしれない。
けれども、それは気をつけた方がいいんじゃないかな?
夫だけの思い込みかもしれない。
妻の心も、眠っているだけかもしれない。
「そういうフェミニズムみたいなことって、エマ・ワトソンみたいな美女や、上野千鶴子先生みたいな才女でないと、主張できないような気がして……」
という偏見はあるんだろうな。
堀内はそこまで言葉にしていないけど、そういう無意識のバイアスを感じるわけ。
そうではないんですよ。
この映画の主人公は、無名無学の労働者階級の女性です。
エメリン・パンクハースト(メリル・ストリープ)の方が知名度があるから、そちらが主役でもいいはずなんですけど。
あの映画は、そうじゃない主役が先頭に立つから意味がある。草の根の力です。
ヒロインの夫だって、当時としては普通の男。
普通の人が、より弱い者を迫害する。
そういうこともある。
※続きは次ページへ
子供ができたことを素直に喜ばせてあげられなかったのが切ないです。
なつがこれまで努力してきたこととか、アニメーターになるために十勝に置いてきたこととか、つぶさに観てきた一視聴者としては、なつが悩むのはよく分かります。
なつを通じて、世の中の女性たちが悩んできたことが体感できました。
やはり、仕事と育児を天秤にかけなければいけないような社会は間違っていますね。
今の武者氏にとっての作品の評価基準は、ジェンダー論が全てであるかのよう。
もちろん『なつぞら』は、それが作品の大きな柱ですから、論評の柱もジェンダー論になるのはごく自然。しかし他の作品まで、ジェンダー論を基準にその作品の優劣自体まで決めてしまうようなことになると、偏りが過ぎて違和感が大きいものになります(※個人の見解です)。
この『なつぞら』でも、新宿編の屋外ロケなどの致命的な不備箇所はありましたが、コメントで指摘されることはあっても、レビューでは不問。
でもそれは、『なつぞら』の主題があくまで「女性アニメーターの生きざま」であって、「新宿の街」は主題ではないから。だから、レビューとしておかしなことではない。
それに対して、
「日本のオリンピック参加史」を主題とする『いだてん』について、肝心の主題の描写の巧拙ではなく、ジェンダーについての扱い方ばかりを基準に評価するようになり、挙げ句の果てには酷評に…というのはあまりにバランスがおかしい(※個人の見解です。また6月中旬以降のレビュー記述はフォローしていません)。
『なつぞら』が始まってから、武者氏の評価基準が『なつぞら』中心に偏ってしまい、他の評価軸を持てなくなってしまった。そういう感を強く受けているところです(※個人の見解です)。
『なつぞら』新宿編の屋外ロケの不備がコメントで指摘されるようになると、それをこじつけて「だから新宿編は手抜きばかり」と無理な決めつけをするおかしなコメント投稿がなされたことがありましたが、
『いだてん』について、「ジェンダーの視点が弱いから作品全体がダメ」と決めつけてしまうのも、同じような不合理を感じてしまう(※個人の見解です)。
ジェンダーにせよ、移民政策にせよ、もし『いだてん』のレビューで、作品主題について分析しつつ、それらについて「作中では表現されていないが、この点も忘れてはならない」などと指摘する程度にとどめていれば、不合理なものにはならなかったのでは。作品を楽しみたい人も読めるものになったのではないか。そう思います(※個人の見解です)。
また、そうは言っても、あくまで武者氏の感じたことを書くものである以上は、感じ方が違うのは仕方がない。だから、自分と考えが違ってきてしまって以降は、『いだてん』レビューは読まないようにしていた。『なつぞら』自体も本レビューも楽しみですから、「住み分ける」ために。なのに、『なつぞら』レビューにまでわざわざ『いだてん』批判を時々書かれる。それはちょっとあんまりだった(それで、『いだてん』レビューは読んでないのに大体の様子は想像もついたほど)。
『なつぞら』についての武者氏の評価は適切だし実に面白い。ただ、その評価軸だけで他の作品に臨むのはちょっと…と感じます。
最後のイッキュウさんとの対話の中で出た、「たとえ契約でも・・」という言葉が気になりました。それだと、茜さんに社長から提示された話を肯定してるだけで、「革命」ってことになるのかな、と。契約の話は、一方的に押しつけられたからダメ(本人が選ぶならいい)、ということなのですかね?であれば神っちがあそこまで憤慨するのもよくわからない気がします。