天陽が倒れた
夕見子は話題を変えます。
「なつ、天陽くんのこと知ってる?」
風邪をこじらせて、入院したそうです。
場面はその病院。雪次郎と雪見父子がお見舞いへやってきております。
サラリとしてはおりますが、当時のことを考えるとぶっ飛んでいますよね。
夕見子と雪次郎、男女逆ならばあるあるなんです。
こうしたシーンも本作ならでは。
天陽は、病室でも絵を描いています。
見舞いに対して、もうすぐ退院できるから、来なくていいと笑っている。
絵を描く姿を見て雪次郎は、疲れを癒せと心配しています。
お土産は雪月のお菓子でした。
この前持ってきた分をもう食べたのか! と驚いていますが。
「うちのが持って帰った」
「それならそれでいい」
と、天陽と雪次郎はあっさりと言います。本人は食べていないのかな?
これもちょっと不安になってくる話かも。
・天陽本人は食べていないのだろうか?
→食欲不振? 精神的な疲労? 好みに合わない? いや、好みに合わないものを雪次郎が持ってくるのでしょうか?
・見舞いの菓子を持ち帰るとは?
→山田家はお菓子を買えないほど、経済的に困窮している可能性があるとか?
美味しいお菓子をただ持ち帰った、それでいいとも思いますが、本作は大森氏はじめ怖い人が揃っているから……。
実際、天陽の仕事ぶりに雪次郎は不穏なものすら感じているようです。
信用金庫のカレンダーの挿絵を頼まれているそうです。
馬が死に、トラクターを買うためにも、絵の仕事を引き受けねばならない。
そうしなければ、もう金すら払えない。
「絵で金がもらえるなら、立派なプロだ」
「これも収穫と同じ……」
そう雪次郎に語る天陽が痛々しくて、見ているのがちょっと辛い。
天陽は馬の絵を描いてはいました。
けれども信用金庫カレンダーで、馬ばかりを描くわけにもいかないわけです。
排泄することと同じだった絵を、誰かのニーズに応えて描くこと。
天陽は苦しそうだ。
イッキュウさんと神っちは、締め切りと予算を守れと言われただけで、絶望的な顏になっていましたよね。
彼らは、そんな現実的な整合性すら苦痛を覚える。
そういう人たちなんだ。
雪見は無邪気に、おじさんは絵が上手だと言います。
「天下の山田天陽だぞ!」
そんな我が子に、雪次郎は何の屈託もなくそう言います。
彼は変わった。それは悪いことじゃない。
けれども、この言葉を聞いて蘭子はどう思うかな。
アマチュア精神を忘れずに――世の価値観や名声に縛られない世界を目指すこと。
その世界を見てきた蘭子ならば、さみしく笑うかもしれない。
私とあなたはもう違うのね、って。
「雪次郎、おかしなもんだな。好きな絵のために農業を選んだ。でも、今は絵を売らないと、農業ができない……」
雪次郎は、そう寂しげに語る天陽に離農しないだけ偉いと言います。
冷害もある中、天陽は頑張ってきたから。
「絵を描いて、家族を守っている!」
それはそうです。
けれども、目的なしに絵を描きたい天陽にとって、それは苦しいことかもしれない。
「俺は俺でいたいだけなんだ。どんなことがあっても……」
そんな天陽を見て、雪見はこう言います。
「かっこいい、天陽おじちゃん」
雪次郎も同意し、感動しています。
確かにカッコいいけれども。
私は見ていて辛かった。
『半分、青い。』で、楡野鈴愛が画才を金を稼ぐために使うようになり、その果てに力尽きた場面。
あれ以来の辛さを感じています。
天陽に残された日は、もう、残り少ない……。
思う様に絵を描けなくなった彼。
その果てにあるものは、終焉なんだ。
夏の間に、会いに行かないと
イッキュウさんが戻り、夕見子を加えた一家は、奮発したというすき焼きを食べております。
やはりここは天陽の話題へ。
帯広の画廊からも、依頼が増えているとか。どんどん売れっ子になっていく。
それでも農業は辞めない。
そのせいで、奥さんは随分と苦労をしているとか。
「最近の画壇では、知らない人はいない」
イッキュウさんもそう感心しています。
優が、天陽は誰なのか? と気にしています。
「優ちゃんも会いたい!」
なつの友達は、優ちゃんの友達。
「天陽くんに会いたいな……」
なつはそう思いを馳せます。
そのころ、天陽は病室で馬を描いていました。
「夏休みになったら、きっと会えるよ」
ああ、なつよ。
どうか夏が終わらないうちに、来週に続けよ――。
父の意味ありげなナレーションのあと、衝撃的な予告編へ。
さようなら、天衣無縫
今週の時点でこれを書くのは何ですけれども。
もう、十分フラグは立ちました。
天陽の孤立を深めていくような、そんなセリフが辛い。
・慢性疲労があるにもかかわらず、風邪をこじらせたと楽観的な周囲
→根本的なストレス解消に、誰も向き合っていない。
・高まる名声は
→雪次郎にせよ、イッキュウさんですら、名声に着目しています。
それを自慢しないだけ、まだよいほうではあるのですが。
その名声が、天陽を縛る鎖になっていることが、誰も理解できていないのです。
・妻は理解者ではない
→靖枝は善人ではある。
けれども、天陽の苦悩まで理解できているとは、あまり思えない。
なつにはイッキュウさんがいる。
天陽にも靖枝がいる。
けれども、そうであっても天陽がなつに思いを寄せていたのは、理解できると思っていたからかな。
まぁ、全ては来週にでも。
またそれかよ、と思われるでしょうが。
前作****教団のネトゲ廃人画伯とその周辺と比較すると、天陽の苦しみがわかりやすくなると思います。
モモッチのこれからにも期待!
ふと、指摘されて思ったんですが、昨日のモモッチのこと。
仕上げ課は、結婚相手を見つける場所。
「腰掛け」扱いでした。
この「腰掛け」。
現代からすれば差別まっしぐら。その辺を説明している記事もありました。
◆花嫁修業しつつ大企業に「腰掛け」 昭和OL全盛期はいい時代|NEWSポストセブン
思い返せば、昭和のOLさん全盛期はいい時代でした。花嫁修業に励みつつ、大手企業に「腰掛け」で入社し、すごろくの「あがり」は寿退社。
どこらへんが、誰にとって、いい時代だったのか?
まぁ、そこはさておきまして。
モモッチは、このゴールを掴み損ねた「オールドミス」か「お局様」か「クリスマスケーキの売れ残り(※25歳以上)」か。
どうしてあのおばさんはここにいるのか。と、尊敬されるどころか、煙たがられる存在でしょう。既婚者のなつとは状況が違うのです。
仕事内容もあるのでしょうが、居づらい状況ではあったと思われます。
そこで女帝マコの登場ときた。
マコならば、そういう職場にはしません。
モモッチが結婚するかどうか、そこはさておき。
モモッチの人生が、色とりどりになって輝くのは、これからなんですよね。
性別。
思想。
出生。
年齢。
そういうしょうもないことで差別することが、どれだけバカげているか。
本作はきっちりと描いてきます。
真田信尹「また読まんでいいのか……」
はい、ここから先は読まんでいいタイムです。
不要な方は、サヨナラしてください。
こんな記事がありました。
◆『なつぞら』、早期にソフトランディング 展開に疑問も|NEWSポストセブン
論点をまとめますと、
【物語がサクサクと進んでいてなんだかモヤモヤする】
とのことです。
なんじゃそりゃ。
「NHK大阪のあれやこれやを見ても言えることなのか……」
で終了でしょう。
『わろてんか』のマーティンショーなんて、結局何だったのか不明。
言うだけ言いまくって、いきなり終わっていた。あまりにヒデェ話です。
その他もろもろ、おてんちゃんのやりたかったこともわからない。
余った時間は、仏壇前のセーブポイントで夫の幽霊を召喚して、埋めてましたもんね。
****なんてもっと意味がわかりませんよ。
ガマガエル無毒化の過程ッ!
エビのどこが中華料理らしくないのかッ!
容器開発云々ッ!
全部、少女声のナレーションがなんか丸めて、教祖夫妻が呪文を唱えたら終わってたじゃないですか〜。
余った時間にエロ要素もバッチリです。
結論は出ていますよね。
冒頭にあげた「何の物語かわからない」という声が出る最大の理由は、なつが仕事でわかりやすい成功を収めないから。なつはアニメーターとして素晴らしい実績を積み上げていくものの、それがどれくらいすごいことなのか視聴者はわからないのです。
ドラマの内容云々かな?
関連番組も少ない。
モデル企業が、ここぞとばかりに宣伝するわけでもない。
お祭り騒ぎ感がないから、乗れない。
ゆえにわかりにくくもあり、かつ、お祭り好きからすればつまらないんですね。
たとえば、『あさが来た』『とと姉ちゃん』『まんぷく』は、主人公が仕事でのわかりやすい成功を収めて、視聴者に爽快感や満足感を与えました。一方、『なつぞら』は、そもそも「誰をモデルにした朝ドラなのか?」がわかりにくかった上に、なつが手がけるアニメも「どの作品がモデルなのか?」が不明瞭。
ここであげられているのは、企業タイアップものですよね。
『とと姉ちゃん』は、モデルから激怒のうえ、絶縁されましたけどね。
視聴者のモヤモヤどころじゃない。これは最悪のやらかしです。
NHK東京は反省したんじゃないですか。
◆朝ドラ『とと姉ちゃん』を、本家「暮しの手帖」が痛烈批判! 花森安治の反権力精神を描かないのは冒涜だ
こういう企業タイアップを受信料でやるってどうなんですか?
『わろてんか』に至っては、プロットはじめ何もかもがお粗末でしたが、そもそも作られたことそのものが問題なんですよ。
◆吉本興業、芸人の復帰“潰し”、当日の取材NGにしていた…記者「吉本は腐りきってる」
で、こちらですが。
前作『****』のチキンラーメンやカップヌードルと比べると、そのわかりにくさが理解できるでしょう。
わかりやすい! 確かにわかりやすかった。
NHKは企業宣伝をしないはずが、区切りを入れるだけで、商品名まんま使っていましたからね。
タイアップ商品は売られるわ。モデル企業持ち上げ雑誌記事はバンバン出るわ。おまけにモデル企業CMに、ドラマ出演者が揃うという、究極のわかりやすさ。
どういうことなのやら。BBCの見解を聞いてみたいところです。
そういう明確なルール違反に突っ込まず、SNSで拾った視聴者のモヤモヤ感をとらえて書くあたり、歯切れが悪い。
NHK東京の仕掛けた罠に突っ込んでませんか?
そしてここが、重要なところ。
もしもこれが、イッキュウさんや神っちモデル男性を支える【内助の功】路線なら、むしろそっち方面には受けたんじゃないか、ってこと。
モデルのアニメもコテコテに、ほぼそのままで出して、もちろんあのスタジオとタイアップだ!
神っちモデルは、性格的に蹴り飛ばしそうですけどね。
なつのメインモデルとされるアニメーターは、その技量や功績に比して、女性ということもあってか知名度が低いのです。
その構造そのものに切り込むために、男性レジェンドを避けた。
そのうえ、人物の特徴を抽出し、シャッフルして再構成する。
難易度がかなり高いのです。
朝ドラ枠『ゲーム・オブ・スローンズ』と何度か言っておりますが、NHK東京さんって『半分、青い。』から、かなり難易度上げてきてますよね?
あの作品と本作の違いを上げてみましょうか。
・脚本家が男性で、SNS発信をしない
→叩く材料を提供してくれない。
・なつの性格が、鈴愛ほど強烈ではない
→まあ、結構気が強いんですけどね。
・実在のモデルが存在しない
→思う存分叩けるぞーッ!
あの作品周辺は、いわば囮戦法を使えた。
作品そのものを叩こうにも、そんな面倒くさいことはなかなかやりたくない。
ちょうどいいところに、生意気に思える女性脚本家がいた!
しかもSNSを使っているぞ!
よし、あの女をヒロインごとスケープゴートにして、叩き投稿を拾って、記事にすればアクセスをバッチリ稼げる!
一丁上がりってなもんです。
そういう意味でも、北川先生に足を向けて寝ちゃダメですよ。
北川先生は、矢を防ぐために立ち続けた、立派な大将だと思います。
でも、本作は違う。
だからやりたくない作品分析を始めると。
モヤモヤ感。
従来の朝ドラセオリーに沿わない不穏感。
難易度も高いし、見ていてわかりやすい叩き材料もない。
「何が言いたいのかわからない……」
ドラマの感想だと、これが通るからやさしい。
国語の時間だとしまして。
問:『山月記』の主題は何でしょうか?
答:何が言いたいのでしょう? 人が虎になったから何?
と提出して、何点取れるかな? ってなもんです。
荒木先生ならこうだぞ。
読解力の問題だぞ!
質問を質問で返すなあーっ!!
疑問文には疑問文で答えろと学校で教えているのか?
わたしが「主題」はと聞いているんだッ!
だからこそ、バッシング記事もどこか歯切れが悪いんでしょうね。
こういうモヤモヤ意見が気がかりとは言うけれども、気にする意味があるとも思えませんし、NHK東京は気にしないでしょうよ。
こういう声が出るということは、むしろ戦略としてピッタリ大成功ってことではありませんか。
NHK大阪にとっても、ありがたいことなんです。
朝ドラセオリーをつなぎあわせて、たまにエロやCMネタでも入れたら、それだけでバッチリ人気作ってことにできちゃうもの。
んで、ここからが一番大事なことですが。
NHK東京のゲームはまだまだ終わりません。
来年も続きます。
一作品や二作品では、彼らのやりたいことは終わらないでしょう。
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
物語は1970年代に入ったわけですが、本作のテーマの一つである「開拓」関連では、この時期は戦後開拓で全国に形成された開拓農協の多くが役目を終え、一般の農協に業務を引き継いで解散したり、県単位等で統合したりする時期にあたります。
この時期を単体あるいは統合して存続した開拓農協は、そのほとんどが畜産や酪農に特化したもの。特色を発揮して次の時代に進むことになります。
存続した開拓農協を次の波が襲うのは2000年代。1990年代の農産品輸入自由化等で畜産農家・酪農家が打撃を受けたところへ、BSE等の家畜病害やリーマンショックによる経済混乱、地域によっては自然災害の影響を受けて組合員の経営悪化や離農が相次ぎ、組合の経営も悪化。解散や後継組織への事業移管が相次いで、更に数を減らします。
2019年の現時点で存続している開拓農協や後継組織は、この荒波をいくつも乗り越えてきたもの。これからも後継者難や貿易問題などの難問が待ち構えています。同じ日本に生きる者として他人事ではありません。
複数農家共同での農業機械の共同購入・保有に関して言えば、集落営農の組織化・法人化の観点を、まず意識する必要があります。
大抵の農協には、地区・集落単位の組織として、「営農組合」などの名称の組織が構成されています。合議体としての性格にとどまることも多いですが、農作業・生産活動について、農家個別から共同化・組織化を図る際に、集落単位でこの既存の枠組みを活用したり、別に新たな組織を構成したりして共同化・組織化し、更に権利義務関係の明確化等を図るために農事組合法人や株式会社などの法人格も取得することがあります。
農作業・生産活動の共同化・組織化の中で、高性能農機を共同で保有する機運が高まれば、それが図られることになります。
投資負担軽減・リスク軽減等の観点の他に、集落営農の組織化の観点も考慮しなければ、十分な理解とは言えないでしょう。
単に「個人で所有するには高価だったから」云々は、それこそが「分かってる気になって」そのものだと思います。
アニメがテーマというのは、確かにゴールがわかりにくいと思います。というか、そもそも分かりやすいゴールを設定することが難しいのです。何が正解で何が成功なのかが定義しにくい。
言ってみれば、明確なゴールのない物語がなつぞらです。
正直、物語としての訴求力は弱いと思います。それを補う脚本かと言われると、そうでもないと思います。それは視聴率が物語っています。
ただ、なつぞらにはその弱点を補う良さがあると、個人的には思っています。ひとつは、このサイトでも言及されているとおり、働く女性、母の現実にしっかり踏み込んでくれたこと。なつをはじめとする主要女性像に、いわゆる好感度上げを意識したステレオタイプのいやらしさがないことです。
なつの衣装が、視聴者および登場人物からまず好感を持たれないであろう派手なものであったことがそのひとつで、私は、周囲の目など気にするな、好きな服を着て自分らしくあればいいという、作者のメッセージを感じとりました。
なつの生き方は、今を生きる私たちにも色んなメッセージを投げかけてくれると思っています。
亜矢美さんが去ってからだいぶ回を重ねました。さほど時を置かずに再登場してくれるかなと思っていたので、ちょっとさびしくなってきたところです。
亜矢美さんが風車から姿を消し、旅に出ていたシーンを見たときは、亜矢美さんが乗っていた列車を「北海道の客車のように見える」と思いましたが、同時期にこのタイプの客車が使われていた地域を考えると、例えば、全く逆方向の「肥薩線で人吉や霧島へ」ということもありうるな…などと想像を楽しんでみたりもします。
トラクターの所有形態について、まるで「組合形成による共同所有」が一般的だったかのように書いている投稿がありますが、そのような理解は実態と異なると思います。
個人による所有は一般的でした。だからこそ、営農に出費がかさむようになり、「機械化に投資をしたために、かえって現金収入の確保に奔走させられ」、機械化で浮いた時間を兼業に充てねばならないことになっていきます。
こういうこともあり、また他に、共同で投資することで、個人購入より大型・高効率だが高価な機械を導入できるようにすることも視野に入れて、複数農家が機械利用組合を形成して大型の農機を購入することが行われるようになります。
作中の天陽くんも、あくまで「自分の家の馬が死んでしまったので、トラクターを買わなければならない」としか言っていません。共同で購入することを窺わせる内容は全くなかったと思います。
「SNS上で批判が…」というのは、個人的にはあまりあてにならないと思っています。
もちろん、そういう意見が存在すること自体は事実でしょうが、群衆心理的に煽られる現象もありますし。媒体によっては「複数アカウントを使って嫌いな作品を貶める投稿を書きまくり、あたかも多数派のように装う」行為の存在も指摘されています。
作中のなつの育児の描写は、現代の課題を際立たせる意図で、あえて作中に表現しているもの。
「当時の実態とは違う」という反応が出るのは織り込み済みでしょう。
制作側が「分かってる気になってやってしまった」などというものではないと思います。
国鉄が「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンを開始したのは1970年10月からです。
作中の時点は、1973年6月ですから、夕見子がディスカバー・ジャパンに言及しているのは時期的に何の問題もありません。
レビュー本文で「1960年代から」と記したのが、違っていますね。
「ディスカバー・ジャパン」は1960年代ではなく1970年からです。
同年に開催された大阪万博が終了後、旅客の落ち込みを押さえるため当時の国鉄が始めたキャンペーンですから。余談ですが、キャンペーンソングの「遠くへ行きたい」もいい歌ですよ。
まず夕見子がたんぽぽ牛乳の営業で東京に来ているという設定。
モデルになったよつ葉乳業の社史を見たら1972年に道外で牛乳の販売開始とありました。ドラマの世界では1973年なので、生乳工場設立に関わった農協の職員が乳製品の売り込みのために東京に来ていてもおかしくはないですね。
そのころは大都市郊外に次々に開発されたニュータウンにスーパーマーケットが建てられ、牛乳屋さんがビン入りの牛乳を毎朝家庭に配達してくれる時代からスーパーマーケットで紙パックの牛乳を購入する時代への過渡期でもありました。
もひとつ、入院中の天陽が「馬が死んでしまったので、トラクターを借りるためにお金がいる」というようなことを言っていました。
なつが育った1950年代までは農作業の主力は馬でしたが、その後農業の機械化が進んでトラクターなどが使われるようになると、農用馬は不要となり急速に数を減らしました。反面トラクターのような大きな農業機械は個人で所有するには高価だったため、農家が集まり組合を作って機械を購入、必要に応じて貸し出す体制をとっていました。馬から機械への転換期やトラクターの共同利用といった当時の農業をめぐる背景をしっかりと踏まえたセリフで、さすがに農業関係は考証がしっかりしてるなと思った回でした。
その一方でなつの育児の場面に対して批判の声がツイッター等では出ているようです。これは前にも書いたような気がするのですが、酪農とか北海道の生活については現代の東京で暮らしているスタッフには分からないことだらけなので考証の先生の話に素直に耳を傾けてそれを踏まえて描く。しかし育児となると、なまじっか身近な事柄ゆえに分かってる気になってしまい、昭和の時代の話なのについ現代の価値観が出てしまう。そのためドラマの時代に子育てした人とか、現在進行形でワーキングマザーしてる人の中には違和感を覚える人がどうしても出てきてしまうのでしょう。
そこらへんが本作のちょっと残念だったところだと思います。
いよいよ北海道産牛乳の東京出荷が始まることになりました。ただこの頃はまだ比較的少量で高級品扱い。タンクコンテナによる大量の出荷が始まり、普及品となるのは青函トンネル開通以後となります。
未だ揉め続ける青函トンネルの新幹線走行問題。合理的に考えれば「貨物列車存続」以外の結論はないのに。議論にもならない馬鹿な話をするのは早く終わりにして落ち着かせてほしい。
天陽と雪次郎の会話に、離農が続いている話や、副収入がないと経営が成り立たない話もありました。昭和40年代後半、農業が厳しくなる時期です。夕見子が農協を辞めるのも、人員削減に応じたということかも知れません。
「ディスカバー・ジャパン」にせよ、三角パックや湯沸し器にせよ、作中の時代に合わせた的確な周辺描写をしてくるのは、実に見事と言う他はありません。
このところいつも感心させられているところ。
昨日今日始まったことではなく、基本的には番組開始当初から続いてきたことでした。
だからこそ、新宿編屋外ロケの、
「都電の末期なのに明治の最初期の電車で強引に済まそうとする」
「似つかわしくない街並みを『新宿だ』と言い張る」
というひどい手抜きぶりは、作品全体の水準からはあまりにかけ離れた異質なもので、異常さが際立つこととなってしまいました。
どういうわけか、この当時NHKはロケ施設「ワープステーション江戸」の使用に異常にこだわり、本来なら無くて何ら差し支えない筈の「新宿の街角」シーンを、無理矢理屋外ロケで制作して押し込んできていました。
『なつぞら』の数少ない、しかし致命的な大きな欠点です。どんな事情が介在したのかは知りませんが、極めて残念です。
夕見子が持ってきたたんぽぽ牛乳。三角パック。
最近はごく少なくなりましたが、やはり昭和50年代頃まで一人分の飲料パックとして定番の製品でした。子供の頃、この三角パック入りのコーヒー牛乳が好きで、よく買ってもらっていました。
しかし…
来週、天陽君が…