夕食になったあと、弥市郎はしみじみとこう言いました。
「俺は天陽になり損ねて生きている」
「そうですね」
剛男は思い切り同意し、食卓が気まずい空気になります。
弥市郎も思わず「あ?」と口にしてしまいます。
剛男はこういうところがある。
富士子がそこに惚れた詩人肌ではあるけれど、ズレちゃうんだな。
あわわわわ、と本人が慌ててフォローします。
弥市郎のことではない。
天陽は作品そのものとして帰ってきたのだと。
富士子はしみじみと語ります。
「それでも、悲しいものは悲しい……」
「悲しいからこそ、帰ってきた」
と照男が付け足すと、砂良も続きます。
「悲しみが大きいからこそ、家族に残る……」
そして、まだ中学生の地平は、はしゃいだ声でこう言ってしまう。
「生き方までカッコいい!」
「軽々しく言うな」
そうたしなめられる地平ですが、若さだけではなくて世代もあるかもしれません。
富士子の世代は、夫が戦死した未亡人が多い。
その子である照男たちの世代は、父が戦死した世代。なつのような戦災孤児も多い。
地平は、戦争を知らない子供たちなんです。
砂良は、ラブレター熊の思い出を持ち出して、ちょっとその場を和ませます。
賢い女性です。
思い出で、悲しい空気を紛らわせるのだから。
泰樹はこうきました。
「なつ、お前は大丈夫か?」
「じいちゃん。天陽くんは、やっぱりすごいわ。こうしてみんなの中に、生きている」
きっとそれが答えだね、天陽くん――。なつはそう思うのでした。
広い天地の三姉妹
その晩、なつは優に『大草原の小さな家』を読み聞かせています。
広い天地に、小さな幌馬車。メアリィ、ローラ、キャリーという三姉妹。
広い十勝に、泰樹の馬車。夕見子、なつ、明美という三姉妹。
そう。
まるでそれは、彼女の人生のようでもある。
電気をつけて、なつはスケッチブックに向き合います。
一心不乱に、向き合うのです。
そして朝――。
「ママ、ママ! ママ、すごい! ママの描いた絵、昨日のお話! 見たい、優ちゃん、これ見たいよ、ママ!」
優が大興奮しています。
そこにあったのは、絵の中でいきいきと生を受けた三姉妹でした。キャラクターデザイン案です。
なつは、布団の中から優に聞きます。
「優、これ見たいの?」
「うん、見たい!」
そのあと、着替えたなつは階下に降りて、富士子に電話を借りたいと聞きます。
「なんもいいけど」
そして興奮気味に、電話をかけ始めるのです。
なつよ、それが君の答えか――。そう語る父でした。
雪月の菓子を食べられなかった
雪月の包装紙は、感動的ではありますが……。
病室に届けられた雪月の菓子折りを、妻子に持って行かせたということは、やはり死期が迫っていたのだと、驚かされております。
雪次郎は、包装紙の話を聞いていないから、理解できなかったけれども。
なつぞら132話 感想あらすじ視聴率(8/31)深まる天陽の孤立感やっぱり欲しくなる。
雪月のお菓子。
前作****の時は、教祖夫妻の人生がパッケージされたラーメンは絶対買わんと毒づいたものですが。
やっぱりNHK東京さん、NHK大阪を反面教師にしておりませんか?
一分の隙もない。包装紙物語。
もう泣いちゃうかもしれない。衝動買いしそう。
だってこれですもん。
生死に挑むこと
本作は、ナレーターの父の設定といい、人の生死から逃げずに描いていると思いました。
亡くなってしまった人が、どう私たちの中で生きているのか?
ニュースを見る限り、天陽の死はかなりの反響があるようですが。それも納得できます。
ドラマで亡くなった人が出てくること。
これについては、言いたいことは山ほどあって、落ち着きませんが。
人の死って、どういうことでしょうか。
語られずに忘れられること。
死からの年月。
享年。
距離感。
そういうことをきっちりと考えていくべきですが、どうにもドラマの感想を探っていくと、意味すら考えられなくなっている気はする。
死んだのが美形か?
死んだ状況は?
泣けるのか?
ドラマチックか?
美少女の難病だの。花嫁の余命だの。
ドラマの泣ける要素になってしまっていて、どうにも昨今は疑問ばかりが湧いてきておりました。個人的には、ただの退場ではない死亡退場への【**ロス】呼ばわりも苦手です。
そんな中、本作は極めて真摯に挑んだと思います。
神田日勝というひとりの人生を、作中で描くこと。
それから逃げずに、プロットとしても組み合わせた本作スタッフの力量には、ただただ敬服しかありません。
私が泣いたかどうか、そんなことはどうでもいいし、そこをどうこういうつもりはありません。
感動ポルノは好きじゃない。
ただただ、素晴らしい出来であったと。
圧倒されました。
そうここに記しておきます。
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
泰樹さんの饅頭の食べ方を見ていて総入れ歯のご老人の食べ方を思い出しました。
饅頭の皮が入れ歯の口蓋に引っ付いてしまいそれを舌で取りながら咀嚼する。
そんな感じを演じているのかと。
細かい演技に驚嘆しています。
「なつぞら」が好きだった母が8月の初めに亡くなりました。
亡くなる直前、意識レベルが下がって眠っていることが多くなっても、「なつぞら」が始まるとパッと目を開いてジーッと見ていたりするほど「なつぞら」が好きな母でした。
私は未だに母が亡くなったことを実感出来ず、ふと「もういないのだな」と心を過ぎる度に悲しく、今まで無意識にずっと頼りにしてきた母がいなくなってしまった心細さを感じたりしています。
そんな私に今日のとよさんの言葉、ずーんと響きました。
「残された者はつらいけどさ、その分、強くもなれるべさ。
ならないば、先に逝った者に恥ずかしいからね。
大切な思い出に、恥ずかしくないように生きないば。」
昨日の天陽くんのなつへの「頑張れ」も母からの私への言葉のように感じていたのですが、今日のとよさんの言葉、母がドラマを通して語りかけてきたように思いました。
私も強くなろう、母との思い出に恥じないよう私であれるよう、これから生きていこうと思わされました。