昭和22年(1947年)、大阪から信楽にやって来た川原一家。
通学途中、喜美子は狸を追いかけます。
と、目の前には傘をかぶったまる狸のような、そんなおっちゃん。
「誰や?」
さて誰でしょう。
陶工って知っとるか?
土を掘るおっちゃんは、慶乃川という陶工でした。
『焼き物は食べ物』と勘違いする喜美子。火鉢や食器を作ると、慶乃川から説明されます。
陶工の説明で、陶芸家、それに芸術家とも呼ばれると付け加えるあたり、彼のプライドでしょう。
火鉢や皿は生活用品。けれども、作り手は芸術だと思いたい。そういう意識です。
信楽の土はええ土。
だから掘っていると聞かされる喜美子の掌に土が載せられます。
「どこがええんでしょう?」
「何や……」
「何がええか当ててみぃ」
信楽の土の良さがわかるんけ! そう期待されている。
ところが、わからないどころかこれだ。
「わからへん、ただの土やん。どんだけのせんねん!」
と、ぶん投げるのです。
おうおう、清々しいほどに主人公補整がなくてええな!
『カーネーション』糸子の実家は呉服商。しかも母方の祖父は資産家で、ドレスを見る機会がありました。
『マッサン』のマッサンは実家が造り酒屋。
『ごちそうさん』にせよ『べっぴんさん』にせよ、生まれながらのセンスがあることをひっかかりにしてスタートを切る。
それが幼少期のお約束ではあるのですが……。
喜美子はどうなのやら。これは珍しいかも。
慶乃川は慌てます。
「土は売りもんや!」
ここで喜美子、ちょっと態度が変わる。
【換金できる】となると違うのです。
慶乃川は期待をしていたのかもしれません。
こんなところまで来る子供。もしかして、陶芸家の卵やないの? それが裏切られた虚しさがちょっと出ています。
「あかんあかん、もういに!」
そう追い払われるのでした。
それにしても。本作には信楽の、甲賀の雰囲気が出ていていいですね。
忍者を推したいけれども、伊賀ほどノリノリになれない。そんなえもいわれぬ雰囲気を思い出します。
※ちなみに甲賀と伊賀が殺し合うておるのは、忍法帖の中だけやで……
友達を作れないリボンのあの子
場面は小学校へ。
「夜明けの風が流れてくる……」
国語の教科書を、あのリボンヘアー少女が読んでいます。
そこへ喜美子が到着。
遅れても堂々と教室に入り、自己紹介してから信作の隣に座ります。
大阪という大都市から来たと、先生から説明されています。先生としては、都会でさぞかし良い教育を受けけてきたのだろう――そんな期待があるのかもしれません。
そこで喜美子に教科書を読んでもらうよう促されるのですが、読もうにも教科書がないと喜美子は堂々と言うのです。
信作から借りて読むと……。
「けの! が!……」
一体どういうことなのか。
意味が通じないと教室はどよめきます。先生も困惑を隠せません。
喜美子はこれまで家の手伝いや妹の世話をしてばかりで、読み書きが遅れていたのでした。
そのせいか、漢字が読めないとナレーションが説明します。
「ええーっ!」
残酷などよめきが教室中に響き渡ります。
放課後になると、喜美子は渡された教科書を眺めておりました。
「読み書きできひんアホの子やなんて……」
やってきたのはリボンちゃん。
黒岩くんをやっつけた喜美子に、リボンちゃんは興味津々です。
想像していたいかつい女でなく、かわいそうでアホな子だとリボンちゃんは言います。
「かわいそうだから、友達になってあげてもいいよ」
よそもんには優しくしいと言われているらしい、そんなリボンちゃん。
彼女は窯元のお嬢様・熊谷照子でした。
丸熊陶業は信楽一の陶工だそうで、熊谷照子は誇りを見せています。
分業状態で陶工が出入りしているシーンへ。
おそらく陶工たちからお嬢さんと呼ばれ、陶工の子である級友からも、そうみなされているのでしょう。
しかし、喜美子はこうだ。
「いらん! 友達になっても遊ばれへん!」
ひぃ〜ショックだわ!
喜美子ちゃん、この照子ちゃんからもめんどくさそうな性格を感じるで。
武力がダメならば策を練るヒロイン、今朝も強い
喜美子が帰り道を歩いていると、黒岩らクソガキ集団が待ち構えていました。
こいつらも学んだのか。ホウキ装備です。
「やるかぁ?」
「やるかぁ〜!」
しかし、その脳裏に、父の喧嘩禁止令が思い出されます。
こうなったら武力じゃない、策だ。さて、どうする?
と、そこへ照子が通りかかります。
クソガキどものマドンナですからね、そこはね。
喜美子は照子に助けを求めるような顔をします。
「照ちゃん! もう友達になったんか?」
「なってへんわ」
照子作戦は失敗!
すかさずファイティングポーズをとる喜美子です。
「あー!」
そう叫んで隙をついて逃げる。
いやはや、今日も強いね。
※続きは次ページへ
むしろ大阪兵は強かった。天皇から勲章をもらったのも大阪だけ。(歴史的事実)
都会の金持ちで頭が良くて戦争まで強かったら田舎者が惨めすぎるからね。日本では(世界でも)こういう事実と逆の表現がよくある。源氏物語も、当時全盛の藤原氏の庇護のもとで書かれた負け組源氏が大活躍する物語。
大阪の歩兵連隊は、弱くはありません。
これは、「またも負けたか八連隊、それでは勲章九連隊」の歌の語呂合わせのためで、史実で、特に弱かったということは、ないはずです。