家に戻り、喜美子は武志から受け取った、ジョージ富士川の絵本をめくります。
会いたい。
みんなに会いたい。
力もらいたい――。
そう願っていた武志は、何を書いていたのでしょうか。
今まで通りでいられるのか?
夜、八郎がやって来ます。信作もついて来ます。いきなり来たそうです。
そして彼はこう言い切る。
名古屋を引き払う。信楽に戻り、病院の近くにアパートを借りる。今日は信作の所に泊めてもらうと。
信作は、百合子から聞いた、武志のこと……そう口にします。
そうは言っても百合子から漏らしたわけではない、貝みたいに口閉じとった、おかしいやろと自分が問い詰めたと言います。信作は『私は貝になりたい』(→amazon)を当然知っとるんでしょうね。こういうセリフに、発言者の年代が出てきます。
信作は疑い始めるとしつこく問い詰める観察眼がありますし、こういうときでも和ませられるようおちゃらけるんですね。
今日の信作には、こういう真剣な時にふざけたヤツだ、というツッコミがあるかもしれません。けれども、彼自身も笑い者になることが役割だと悟り切ったところがあります。
大野家の皆さんは素晴らしい。場を引っ張るわけではなく、笑い者になってでも周囲を支えるムードメーカーなのです。
シリアスな役も似合うし、言うまでもないイケメンだし、上り調子だし、滋賀県枠。そういう林遣都さんに、この役を用意した本作がほんまにすごいと思う!
おちゃらけ役をやらされて気の毒なんていう意見もありますが、ええんちゃうか。
イケメン主役だけではなくて、ゆるいコメディリリーフもできると示して演技の幅を見せつける。それに、こういう役を敢えてやらせたからには、素の部分でもこういう愉快なところがあるのではないでしょうか。シリアスなイケメンばかりやらされても、飽きるやろ。役の幅が狭まるだけやしな。
そんな信作のターンを挟んで、八郎は真意を言い出します。深野先生のあの青を出すのであれば、釉薬のことで相談に乗れる。そこまでよう考えて、仕事を辞めるのだと。
喜美子はこう返します。
「今まで通りやったらあかんの?」
「今まで通りでおれるわけないやろ!」
ここもうまいと思う。喜美子は突き放すようにも聞こえかねない。八郎にスッキリしない思いは、わからなくもない。穴窯のことを許しておいて、逃げ出して、それで今更何やねん! とは言いたくなる。器が小さいと言えばそうですし、お互い歩み寄れたような気がしなくもない。
そのことが、今の八郎を苦しめているのだとは思う。
離婚せずにいれば、ずっともっと寄り添えたのに。自分の器の小ささが、我が子との限りある時間を短くしたようで、苦しくて苦しくてたまらないのだとは思います。
「わかるで。うちかて、今もまだ、朝目が覚めるたびに思うわ。武志が病気? なんやそれ。それで目が覚める」
こういう、子どもが苦難にあうと、親を責める声、特に母親の場合はそこに直面しますよね。本作にも、喜美子がわがままで罰が当たったという因果応報論が少数ながらもありますからね。
本作は、モチーフの神山清子さんよりも、喜美子の孤高を際立たせていて、より強くしているとは思う。
それこそバッシングされやすい方へ舵を切っているような気もします。それも因果応報論を際立たせる策かもしれない。
変わらない一日を過ごすだろう
ここで八郎は声が詰まっています。
「何がしてやれるやろな?」
八郎に扮する松下洸平さんの真価がどんどん、最終盤になってますます発揮されています。
喜美子との恋、夫婦生活も素晴らしかったけれども。演技力もありますが、それよりも感受性の鋭さが花開いているのかもしれません。
彼も喜美子のように、目指す道が割と変わって来たキャリアでした。それでも感受性の強さが生きる道を選んできたことは確かです。
ここで詰まる声なんて、まさしく、彼の感受性が悲しんでいるのだと思えました。
「もうお父ちゃんに言うてええて。みんなに会いたい言うてた」
喜美子はそう返して、あの絵本を出して来ます。
作中ではジョージ富士川、絵をご担当されているのは小澄源太さん。
商品化せんかな? そういう要望が今頃NHKに殺到しているのでは? 私も欲しい、そんな絵本です。
「これな、武志書いたで」
「見てもええの?」
「見て欲しいんやと思う」
そう喜美子に言われ、八郎はページをめくります。横で信作も見守っている。
ここの信作はセリフが一切なく、表情だけの演技です。それでも、十分に彼なりに衝撃を受けていると伝わって来ます。
それなのにおちゃらける、そんな信作はえらいのです。こういうおちゃらけて悩みがないようで、実はそうでもない誰かのことをもうちょっと考えてゆきたいな。そう思いますわ。
絵本には何が書かれていたのか?
絵本
今日が私の一日なら、私はいつもと変わらない一日を過ごすだろう――。
今日が君の一日なら、私は君といつもと変わらない一日を過ごすだろう――。
今日が友達の一日なら、私は友達といつもと変わらない一日を過ごすだろう――。
今日が母の一日なら、私は母といつもと変わらない一日を過ごすだろう――。
今日が父の一日なら、私は父といつもと変わらない一日を過ごすだろう――。
今日が友達の一日なら、私は友達といつもと変わらない一日を過ごすだろう――。
友達の一日との回想には、学や大輔だけではなく、たこ焼きを食べる八郎と信作の姿も見えます。
大崎に「あるいは親友」と言われて感極まっていた八郎。離婚以来、普通の父子になれなかった。それでも親友となる道を考えて来たのでしょうか。
こうして回想で見ると、本当に何気ない日々でした。それがこんなにも貴重だったのだと、改めて思えて来ます。
八郎は額を抑えて、涙をこらえているように見えます。涙がこれみよがしに溢れるわけではなくて、抑え込んでいるように思えるのです。信作もそんな八郎に寄り添っています。
「武志はいつもと変わらん一日を望んでる……病院、顔出したってな」
「そやな」
目元をそっと抑え、八郎はそう返すのでした。
いつも通りの見舞客たち
水鳥の姿が映ります。
釉薬をかけたように輝く信楽の空。武志の病室からも、きれいな空が見えています。
ここで看護婦の山ノ根が声を掛けようとして、大崎がそっと静かに制してこう言います。
「おはよう」
「あっ、おはようございます」
「目覚めよさそうだね」
武志は、こう切り出します。
「ほんまようなりました、もう出られませんか?」
大崎は、もう少し様子を見たいところだと言います。
それでも通院治療に切り替えられないかと願う武志に対し、大崎は答えます。
「今日の血液検査の結果に問題がなければ、今週いっぱい様子を見てから退院しようか」
やはり大崎は、理想の医者になりつつあります。謙虚で、慎重、断言をしない。
自信満々で高慢な医者は、テレビの中では面白い……せやろか? ああいうキャラを作り込んだ医師の嘘臭さを際立たせる、そんな静謐さが出ているとすれば、大崎は大成功です。稲垣吾郎さんにとっても大きなものになるかもしれない。
週明けには通院治療という見通しに、武志は喜びます。
ここからは、そんな彼の見舞客が登場します。
◆家族ぐるみのおつきあい:熊谷一家の皆さん
「来たでぇ!」
「来ましたでぇ〜!」
照子と和歌子、そして敏春が荷物をどっさり持ってやって来ています。相変わらず敏春はええ人やな。花も差し入れも持って。
武志くん「改めて見たら熊谷のおばあちゃん、すごい勢いやな…😧」#スカーレット pic.twitter.com/UWJG9V1DLM
— 朝ドラ「スカーレット」第23週 (@asadora_bk_nhk) March 14, 2020
そして驚きといえば、久々の和歌子です。
「熊谷のおばあちゃん!」
武志は驚く。
いや、こっちも驚いたわ。かなりのご高齢でしょうに。
そしてこう来た。
「あんた誰や?」
「えっ」
「嘘や嘘!」
おいっ、そういうジョークやめぇ!
『なつぞら』のとよもじゃないんやから、紛らわしいボケはやめてぇ!
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