ちゃんと覚えてます。孫の竜也が遊ばれていた“たけたけ”兄ちゃん。そしてこうだ。
「それにしても、あんたええ男になったなぁ〜」
そう迫る和歌子は、神経痛で入院した時に使ったマジックハンドを持ち、おどけております。
コミカルなようで、寂しいところではある。和歌子はずっと、戦死してしまった息子の影を思っていました。
敏春にも、あの子に似合いそうな服を買ってしまっていたのです。照子の兄は、今の武志と同年代で時間が止まってしまっているのですね。
このタイミングで、ずっと出てこなかった和歌子を出すことに、何かを感じてしまうのです。
◆家族ぐるみのおつきあいにして親戚:大野一家の皆さん
忠信は、同室の智也にラジオをあげています。やはり優しいなぁ〜。気配りの人です。
一方で、陽子はそんな忠信が金婚式を3年間違ったことで大笑い。なんでも「あかまつ」にお洒落して来いと言われて、着物を着て行ってしまったとか。
ここでおもしろおじさんの信作が、仕事を抜け出して顔を見に来たと言いつつ来ます。
「おう!」
「おう!」
「よし、ほな!」
ほんまに顔だけを見て、帰ってゆく信作。百合子は「ほんまおかしな人やろ、そこがええねんな〜」とのろけています。
照子と信作、そしてその家族が、どれほど喜美子とその家族にとって大事であるかがわかります。
それだけでなくて、陶芸一家となった川原家の特殊性も見えて来る。
彼らは照子と敏春のように銀婚式を迎えられないし、ましてや陽子と忠信のような金婚式もない。
何気ない日常、家族の姿とこんなにも切り離されてしまう。そのことを考えてしまうのです。
二人の時間
このあと、武志は八郎と話し合っています。
深野先生の色はどうやったら出るんやろな。そんな武志に、濃度を薄くして刷毛で塗ったらええと八郎は提案します。武志は納得しています。
八郎は陶芸をお休みしていても、こういう知識と経験はあります。ただ、モチベーションがなければ、取りかかれないものではあるのでしょう。
「あっ、もうこんな時間。お父ちゃん行かな」
八郎がそう言うと、武志は送って行こうとします。これはつらいなぁ。八郎は、仕事なんて放り出して、一晩中でも寄り添いたいのでしょうに。
八郎は押し付けがましさがないとは思う。
喜美子が病気のことを黙っていたことで怒らないし、武志の気持ち重視で名古屋にとどまっている。そんな悲しいハチさんやで……。
ここで武志は、トイレにも行くし送って行くと立ち上がり、ふっと糸が切れたように倒れ込んでしまうのです。あまりにリアリティのある演技で、おそろしいものがありました。
病院の廊下を早足で歩く喜美子が映ります。
病室前には、八郎と真奈がおりました。そして大崎も。
大崎は検査結果、頭部に異常はないと彼らに告げます。
人間って倒れるとなると、意識さえあれば手をついて頭を思い切り打たないようにするものではあるのですが。頭を検査したということは、そうはできなかったのでしょう。
微熱があり、感染症の疑いもあるため、しばらく経過を見る必要があると告げられます。
感染症予防のために、ここで喜美子、八郎、真奈はマスクをしてベッドにつきそうことになります。八郎は終電に間に合うといいですね。
「あははっ、こんなんしてたら病人みたいや」
「病人や」
そう言い合う武志と喜美子。熱あるんやから寝とき、そう言います。
本人だって、まだ若い自分が病人だと信じたくないのでしょう。
「石井さんはもうちょっといてはったら? 僕はもう帰るで」
「ほなお母ちゃんも買い物にでも行こうかな」
鈍い喜美子は八郎に促されながら席を立つ。ここから先は若い二人で。そういう話やろなぁ。
せやけど喜美子は嘘が下手過ぎやで。今の時間、どこで買い物すんねん。この時間でもコンビニは24時間営業ありとはいえ、そんなに時間かからんやろ。知勇兼備なようで、ポロッとボケるからおもろいなぁ。
真奈は、若い女性らしい、そこまで高そうでもないハンドバッグから、花柄のメモ帳を出します。このメモ帳は市販かな? 小道具さんががんばったのかな? 丁寧なええ仕事や。
大丈夫?
そうメモに書く真奈。
マスクをしているのに、瞳だけでもうれしそうで恋心が伝わってきます。
「あっははっ! そんなん書いて聞かんでも大丈夫やて。熱な微熱やし」
そう笑い飛ばしてから、武志はこう切り出します。
「なあ、どこまで病気のこと聞いたん? 詳しく聞いた? ほな言うとくな。白血病や。特効薬が見つからん限り、治すんは難しい病気や」
ここで真奈はメモ帳に何か書きます。視聴者からは見えません。真奈は手を伸ばし、ぎゅっと武志の手を握ります。
「ふふっ」
「ふふっ」
笑い合う二人。
ここでメモ帳が見えます。
手、つないでもいい?
お母ちゃんがいつも通りのカレーを作る
病状はやがて落ち着き、翌週には退院できました。これからは二週間に一度の通院治療です。アパートは引き払いました――。
そう語られる中、喜美子は家の掃除をしています。
「ただいま」
「ただいま」
武志が帰ってきます。
喜美子は晩ご飯は何がええかと尋ね、カレーという答えを聞くのでした。
川原家のカレーは、とても美味しいようです。
きっと隠し味もあるのでしょう。
【普通】って何やろなぁ
武志の願いは「いつもと変わらない一日」でした。その姿を通して、そういう一日がどれほど素晴らしいのか、噛み締める構成になっていると思えるのです。
そして昨今と、これまた噛み合うおそろしさがある。
子どもが学校に通う。週末は美術館で過ごす。スポーツ大会をテレビで見る。そんな日常が、いつの間にやら遠く、いかに輝いていたのか痛感できるようになってしまった……。
これは本作の凄みかもしれない。
以前八郎は、穴窯をためらう喜美子を諭しました。深野先生のように、ある日やりたいことすら楽しむことができなくなったらどうする? だからこそやりぃ。そう背中を押したものです。
もちろん本作は、昨今の状況を予測したわけではない。武志のことを踏まえたセリフだろうとは思えるのですが。
本作はもう終わりが見えてきました。
色々と考え抜かれた作品だとしみじみと噛み締めています。
陶芸は地味だとか。
盛り上がらないとか。
ジジババ向きだとか。
「【普通】はじっくり描くべきところを流しおって!」とか。
だからその【普通】ってなんやねん? そう思えてくる。
本作は【普通】じゃないことがたくさんありましたし、当時の【普通】の異常性があかされるところもありました。
ジョーのちゃぶ台返しは、反応におもしろいものがあった。
「いくらなんでもこんなにちゃぶ台返しする奴、おらんやろ」
「これが昭和の【普通】やなぁ」
その他にも、喜美子が直面する差別的な境遇。当然のような女性蔑視も生々しいものがありました。それでもイビリが足りないと、期待する声もありましたが。あと不倫もか。
そんなん、朝っぱらから本気で見たいんやろか? そういうニーズはあるんでしょうね、一昨年の大阪みたいに甘ったるくした朝ドラでも、姑の嫁いびりだけは残しましたもんね。
でも、そういう【普通】と、その対比を見せたい気持ちはしみじみと感じるようになって。
今日のお見舞いでは、誰も泣かないし、むしろパーッと明るく過ごしています。【普通】であるように心がけているのかもしれません。病室を出た彼らは涙を流しているかもしれませんが、そこは想像させるわけです。
想像の足りない人からすれば、
「なんや病人の前ではしゃぐ無神経な奴らやな」
「もっと号泣するところ見せて!【普通】はそうするやろ!」
という反応にもなりそうですね。
でも、そういうドラマの【普通】がおかしいってことかもしれない。そういう【普通】に毒された結果、判断力すら歪むかもしれない……。
そんなことまで考えてしまうのは、NHK大阪のせいや!
昨年の這いずりセクシー拷問だの。生前葬絶叫だの、麺をズベベベ啜りつつウォーキングだの……。あれは脚本も演出も、演じる側に無理やりウケる手癖をさせていたのだろうと、見ていて絶望感すらあったもんです。
本作のように、こうもしっとりとした日常を見せられると、どうにもたまらんもんがある。
戸田恵梨香さんがブログで語っているインタビューを読むと、そうするつもりがなくとも自然と涙が出てしまうらしい。それをこらえることもあると。
松下洸平さんも、脚本を受け取った時点で胸いっぱいになって、感情が溢れるということを語っておられましたっけ。
もう演技を超えて、感情をそのまま出してもよい。そういう演じる側と演じさせる側の信頼感があってこその、生々しさと迫力が感じられました。
松下さんには、こういう意地悪な報道もあった。朝ドラフィーバーなんてもってせいぜい一年、そのあとは失速するってよ。そうはっきり言わんけど、業界人の嗅覚ならわかるで論調でまとめとったけれども。
いや、そんなん人によるやろ。
中村倫也さんとか『半分、青い。』以来、絶好調が続いとるし。松下さんは、その感受性の出せる役柄を選んでいけば大丈夫やと思うで!
いくら周囲が持ち上げようといろいろやったところで、誠意や信頼関係、作品選びを間違ったら先はないのです。
近年の朝ドラ、大河と看板作品に出ていたのに、そのへんが足りないのか、むしろ停滞しそうな人もいますしね。誰とは言いませんけど……。
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
スカーレット/公式サイト
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