心が栄養不足だという草間さん。
彼をなんとかしないと、家計が圧迫されて給食が奪われるかもしれない。
それを阻止すべく、きみちゃんは走ります。
慶乃川のおっちゃん、茶碗見して
喜美子が見つけたのは、あの狸みたいなおっちゃん・慶乃川と、宗一郎が話しているところでした。
「おにいさんわかるんけ、信楽の土の良さ?」
ここで宗一郎が信楽の土の性質を語ります。
琵琶湖はかつて、信楽のあたりにありました。それが移動して現在の位置になった。そんな性質が、独特の粗い土になっているとのことです。
「あったかい感じがします」
「あったかい? ええこと言われるわ! どんどんあったまっていってや」
宗一郎から何を作っているのか?と問われ、このへんは火鉢だと答える慶乃川。
そうでなくて、個人では何を作っているのかと、宗一郎は問いかけます。
慶乃川は茶碗を最近作っていると返します。
二人をそっと覗いていた喜美子が思わず声をかけます。
「見せてください!」
「あっこないだの」
「草間さんに見せてあげてください!」
喜美子がそう頼み込み、二人は慶乃川の工房へ。
喜美子は、慶乃川の受け売りを言います。
「とーこーというのは、げーじゅつかともいう!」
そう得意げに語るところがかわいいな。
宗一郎は、満洲の上司宅で見た大皿のことを語ります。
繊細で美しい絵が残されていた作品。それを懐かしんでいます。
万暦赤絵あたりかな?
満洲ですので、そこは中国のものをむしろ飾っていそうではある。
これも満洲で見たというところが、辛いところやね。
戦乱の中で、どうなってしまったことやら……。もう二度と、見られない美しさを思い出す。そんな繊細な宗一郎です。
「それは心に栄養がしみわたったことちゃう? 心の栄養足らんのやろ?」
「うん、そうだね」
宗一郎は、突拍子もない喜美子の言葉に笑います。
「お待たせ。なんか恥ずかしいの」
「ええから見せてっ!」
ヘッヘッヘと照れつつ、慶乃川は説明をしようとするわけですが。
「何焦らしてんねん、見せる前に言い訳かっ!」
「説明や」
「いいから見して! なにこれ? これが慶乃川さんの作品? ゆがんでるで」
「あっ! はげてある」
「あかんやん、あかんわ、もう勿体ぶってなんやのこれ? こんなんただのゴミや。なんやもう、最悪や!」
新聞紙から照れつつ茶碗を見せる慶乃川の心を、粉砕しそうな喜美子パワーです。
でも、これは喜美子が悪いだけやない。態度は最悪やけれども。
喜美子には、芸術への造詣がない。
茶碗が歪んでいることに味や意味があるという、そういうことに接しておらん。
美術の授業がなんであるか?
それはピカソをただの変な絵だと言ってしまったり。
デュシャンの作品をただの便器だとあきれたり。
そうでなくて、芸術というものもある。そんなふうに見るものの目を開かせるためにある。
ここまでセンスのない喜美子が、どうして陶芸に命を賭けるのか。人生を燃やそうとするのか。
そういうことを描いてこそ、ドラマなのです。
人の心が心を動かす
川原家では、マツは内職をすると言い出しております。喜美子はそんな母を心配している。
「数字みたいな。いち、にい、さん。産後。産後の肥立ちが悪いんやろ。無理したらあかん」
数字にたとえつつ、心配する喜美子ちゃん。
頭がよい子であることは伝わってきます。
百合子がお腹にいたとき、生まれたときは、終戦を挟んだころ。
百合子は同級生が少ない。出生数は少なく、乳幼児期の死亡数は多いのです。
そういう状況で、マツは苦労したのでしょう。
そうそう、昔は子供でもこういう出産が身近ですから、産後の女性への労りがあって当然であったのです。その辺をすっ飛ばしたNHK大阪の朝ドラもありましたが、もう決別したもんね!
マツは、喜美子に草間さんに水を持って行くよう頼みます。
喜美子は宗一郎の部屋へ。
本作は照明効果が綺麗で、撮影技術の結晶を感じます。古民家の灯りです。
「おいときます」
「ありがとう」
宗一郎はお礼を言いつつ、こう告げるのです。
「今日、酷かったね」
「ああ慶乃川さんの作品? 心動かされるどころかがっかりやった」
そう言い募る喜美子を、宗一郎はしっかりと否定します。
まず、こう切り出します。
人の心を動かすのは作品ではない。
人の心。作った人の心が、こちらの心を動かす――。
「酷かったのはきみだ。子供だからといって、ああいう態度はいけないよ。一生懸命作った人に失礼だ。慶乃川さんに失礼だ」
それはそうではある。
でも、喜美子は貧しくて、子供で、余裕もない。そこを踏まえているからこそ、宗一郎はその場で怒鳴りつけるのではなく、ゆっくりと噛み砕くように言い聞かせるのでしょう。
賢くて、優しくて、とても思いやりのある人や。
そうか、こういう出会いが、喜美子を変えていくんやね。
大卒で満州鉄道にいた、エリートの宗一郎。
それとジョーが知り合うなんて、普通じゃないことだけれども。そういう出会いと親切が、何かを変えるのでしょう。
情けは人の為ならずや。
人を助けてこそ、得られるものがある。
ここでの喜美子の反応は映りません。後の場面で、彼女の動揺を見せてゆきます。
信作は時代の流れと恋心を読めない
学校の場面は放課後。掃除の時間です。
ホウキでチャンバラするクソガキがおります。
アニメやゲームの影響で子供が暴力的になるとはよく言われておりますが、そのはるか昔から子供は時代劇を真似てこういうことをしておりました。作品に文句を言うても無駄やで。
もくもくと黒板を掃除する喜美子。
そこへ、信作がやって来ます。
「きみはするどいねえ」
おっ、草間さんごっこやな。せやけど……。
「いつの話や。時代は刻一刻と動いてんねん」
いやあ、喜美子ちゃんが面白すぎて、毎朝辛いわ。
子供のセリフや演技で、ドラマの質は結構わかると思う。
子役は演技指導者や演出の力量が一番綺麗に出る鏡だから、そこで判断できる。
それともうひとつ、脚本家さんの人間観察眼の鋭さが出る。
いかにも脳内子供が言っていそうな、無知で可愛げのあるセリフばかりならば、これはあまりよろしくない。
本作の場合、そうでない。
喜美子のこのこましゃくれた言い回しは、ジョーあたりから聞いたのでしょう。
「これから時代はアメリカやでぇ〜」
「お父ちゃん、アメリカは悪い言うとったやんか」
「いつの話や。もう戦争は終わったんやで。時代は刻一刻と動いてんねん」
こういうやりとりがあったんちゃう?
ここであのリボンの照子ちゃん。
紙芝居のお菓子が新しくなったと信作に言い出しております。
「ポン煎餅?」
「一緒に食べてあげてもええよ」
てるちゃん、これはアプローチやないの?
それと同時に、素直でなくて友達できない理由もわかる。
ポン煎餅――ポン菓子の一種ですね。
ポップコーンのようにコメをポンとポップさせたもの。そのまんまコメを使えないほど、食料事情が悪いちゅうことや。米余りなんてまだまだ先の話で。
我が子がポン菓子すら食べられないのに、酒がうまいと酔っ払っとる親がおったら、そいつはカスや。
酒がどんだけ米使うと思うとんねん。
歴史上、大名や殿様も禁酒令をしばしば出しとる。
風紀もあるねんけど、米がもったいないからやで。酒は米を使う。これは大事や。
※続きは次ページへ
酔って帰っきて娘にベタベタ触る父親に本気で嫌悪感を感じました。娘たちは紙芝居のお菓子も買えないのに。絵を描く紙も絵の具も貰い物で済ませているのに。
ここにとよばあちゃんが居たら子供に惨めな思いをさせるな!とひっぱたくだろうし、泰樹が居たら抹殺パンチしてくれるだろうなと思わずにいられません。
なつぞらがどんなに健全で優しい世界だったか、まともな大人たちばかりだったかを思い知る日々です。
毎日怒り狂いながらも見るのをやめられないのは、喜美子に幸せになってほしいから。もうすっかり、このヒロインを好きになってしまいました。
ゲゲゲでは娯楽の栄枯盛衰が残酷に描かれていました。水木が一緒に仕事した腕利き紙芝居師、音松が食い詰めて、お金をせびりに水木の元を訪れます。時代は次世代の貸本漫画すら取り残して、テレビと雑誌の時代。「どこに消えたんだろうなあ、あの子ども達は」九州ならまだ何とかなるかもしれないと去ります。
だから、なつぞらもスカーレットも、感慨深いです。
スカーレットでは、まだ音松は子どものヒーローだったのだろうなあ、とか。
なつぞらでは、なつ達がテレビ漫画に邁進している頃、水木は下がり続ける原稿料にミルク代すら買えないんだよなあ、とか。
そして、それぞれが精一杯生きている、というのが、良いですね。。
えー!武者さんホンマですか(慣れない関西弁で)
ジョーの酒臭さ、朝から見たくないですー(;´д⊂)酒臭さをテレビの外に感じさせる、それも演技の上手さかもしれませんけどー。なつぞらのタケオパパの生真面目さが恋しい(;´д⊂)
ナオコの永久歯生え替わりの口元すら憎らしく見えてしまう自分、包容力がないのか…武者さんみたいに思えないですー(;´д⊂)