喜美子は草間宗一郎と夕ご飯を食べることに。
そこで喜美子が提案したのは……総一郎の妻が営む店に行くことでした!
困惑を見せる師匠に、弟子はこう返します。
「男に二言はあってはなりません! いきます! いきましょ! とやあ〜! とやあ〜!」
そう背中をぐいぐいと押す喜美子。
熱苦しくて、でも必要な勇気がそこにはあります。
心が負けたらアカン!
師走の街並みを、ズンズンと歩いて行く二人。
場所はわかっているかと喜美子に聞かれ、宗一郎はこう答えます。
店の前を通っただけ、奥さんを見かけただけ。
店の前で、相手の男の人と仲良さそうに話しているところだけを見た。
声かけたって仕方ない。顔合わせないで戻ってきたと。
喜美子はこう返します。
「奥さんにも相手の人にも、何と言わんでそれでいいんですか!」
宗一郎も、そのことは何度でも考え抜いて、その上での結論だそうです。
しかし、喜美子は納得できない。
そしてこうだ。いらちな言動で迫る、迫る。
「草間流柔道なら負けてる! 心が負けてる! 先生に礼! お互いに礼! 相手に礼して、礼して、そのあと……そのあとはようわからんけど、各自考えて! どこですか、行きますよ!」
宗一郎は、もはや観念しました。
どこかで片を付けなきゃいけない。
ぶん殴るかもしれない。
頭来て背負い投げして警察沙汰になるかもしれないけれど。そう断りつつ、急ぎます。
ここできみちゃん、やっと焦る。
「きみちゃん、これは夫婦の問題だから。だからさ、きみちゃんは黙ってて。何があってんも、何が起きても、いいね」
そう念押しされる中、二人は店へ向かうのでした。
きみちゃん、あのな、もうちょっと先を考えて背中押そうな。
そう焦る喜美子には言いたくなるかもしれませんが、ジョーそっくりですし、そういう、いらちな子なのでしょう。
焼飯二つお願いします
そしてその食堂へ。
だるまやこけしが飾られています。日本の民芸品コレクションかな。夫婦で旅行したのかな。もらったのかな。
クラシックな酒やビールのポスターもあります。
こういう広告にも、変遷はあります。
『マッサン』では、赤玉ポートワインポスター撮影をドラマでも描きましたっけ。
商品と美人という広告は定番になりまして、この頃は美人画。
それから時代が降ると、浜辺でビキニ美女がジョッキを掲げるものがお約束になる。
それも昭和までのこと。
平成に入って歳月が流れますと、アスリートや俳優が着衣のまま、缶のままビールを飲むものが主流です。
そもそも浜辺で美女がビールを飲むというシチュエーションが作りすぎていますし。
男性が普通に美味しそうに飲む方が商品特性が理解できますし。
かといってビールを飲むのは男だけでもないし。
商品特性である「キレ味!」を眼光鋭いアスリートあたりが言い切るほうが、わかりやすいし。
そういうことですね。
そしてこれは言いたい――。
「広告デザイン、Illustratorそのまんま臭、一切なし!!」
小道具さんが頑張っているのか。ストックか。
ともあれ、ええ仕事してはる。
はい、広告はさておき。
「いらっしゃいませ」
そう出迎える宗一郎の妻であった里子。
そこで合う総一郎との目。
これは演じる側は難しいと思う。目だけで、再会する衝撃を表現しないといけない。
宗一郎は無言で席に座り、コートを掛けます。
どう考えても同行者なのに、喜美子はどこに座ろうかとうろうろします。
「うちのことは気にしないで! 気にしないでください!」
コップに水を入れ、里子は注文を取ります。
「なんにしましょ」
「焼飯……ください」
宗一郎はそう言い、貴美子も焼飯を頼みます。
「焼飯二つお願いします」
「はいよ!」
ここで、宗一郎が立ち上がり里子の方へ向かいます。
アクション指導もついている喜美子の妄想タイム。立ち上がり、男を殴りかかる。そこで止めに入る里子も殴る!
あかん想像をしてしまい、喜美子は顔を手で覆ってしまう。
指の間から、様子を見ています。
喜美子は知らない、区切りの付け方
しかし、宗一郎は新聞を取るだけでした。
ここで男性客が入ってきます。
「きつね、頂戴」
常連さんですね。関西のきつねうどんか。ええな〜。
ここで焼飯が届きます。
あ〜、昭和の焼飯。レトロ!
炒飯はパラリとご飯が散っていてこそおいしい。
それが中華料理の炒飯ですので、ああいう丼で成形するような盛り方はおかしいのです。
紅生姜も、あれはただの見た目の彩。
中華料理としては意味がない。味としても……意味ないやん。
日本人のアレンジ中華なのです。
夕日射す店で、二人は焼飯と向き合っています。
喜美子が食べ終わると、日本人が考えた中国風模様が出てくる。そんな皿です。
メニューには親子丼や他人丼もある。引っ越し蕎麦も請け負う。きつねうどんも。和食も中華も混ざっている。
そういう町の食堂です。令和現在はあまり見かけなくなったかな。
喜美子が食べ終えて皿を下げられると、里子はこう声を掛けてきます。
「飴ちゃん食べる? お子様連れに渡してるんやけど、よかったら」
今は口臭予防で、カウンターのバスケットに入れてあるかな。
それをこうして渡してくるあたり、昭和です。
喜美子に一つ。
それから戻り、もう一個足す里子です。
宗一郎は食べきれない。
半分ほど残したまま、無言で立ち上がります。
「ご一緒でよろしいですか? 90円です。10円のお返しです。ありがとうございました」
支払いでやっと言葉を交わす草間夫妻。
ここで母娘連れの客が来ます。そしてこう来た。
「里ちゃんつわりはどう? つわりよ、つわり。うちの時はひどかったさかいな」
里子さん、妊娠初期だったのですか。辛い……。
宗一郎と喜美子が去った後、テーブルのお皿を片付けていた里子。
そこで離婚届に気づきます。
「幸せに 宗一郎」
その文字を見て、なんとか涙を堪える里子。
こっちも泣くわ、こんなん。
離婚届を草間さんが置いて行ったことを、喜美子は知りません――。
そうナレーションが補います。
※続きは次ページへ
すみません、こちらでコメントを書きましてあらためてリンク先にいってみましたら、とても重要な事が書かれていました。方言なめんなよ、ですね。ただ、過去に方言が身分や地域(差別的な意味含む)で人を分断してきた事はあると思いますし、混乱や不自由もあったことでしょう。インターネット、マスコミの発展もあり、昔のまま、というわけにはいかないとは思います。ですが、語彙が豊か、そして方言の豊かさは地域に根差した感覚が豊か、その事自体はとても世界を豊かにしていくと思いましたし、意識して遺していこう、というNHKの試みはすごいなと思います。積極的に使うのが
一番いいのかもしれませんが、今の時代の「空気」もあり、難しい…音声付きデータバンクのような、誰でも使えるようなものができたら。そして、それで「楽しく遊べる」(おべんきょう、でなく、身近なものとして)時代が来ないかなと思いました。
関西弁に限らず、方言(江戸言葉も含む)は消えていく運命かな とも思います。身分や地域といったものと密接に関わっているようですし。とはいえ、寂しいことであります。大抵は優雅さ、品を持つ言葉から消えていきます。こうしたことを惜しめる日本人の感性が好きです。あさが来た の時代には話されていた船場の豪商の言葉、今はほぼ消えてしまったそうです。菊原初子、箏曲の人間国宝の方が優雅な船場言葉を話されていたそうですが今は亡く。なにか手立てはなかったのでしょうか。三林さんは、文楽ゆかりのお家の方だから美しい言葉を多くご存知なのでしょうね。貴重な方ですね。
草間さんの奥さんのお店で、
顔を覆ったキミちゃんの、
細くて長い指。
すごく綺麗でした。