スカーレット30話 感想あらすじ視聴率(11/2)最後の飴ちゃん

先生に礼! お互いに礼!

そんな喜美子の手には、里子がくれた飴ちゃんが二つ。
一つ食べて、もう一つを宗一郎に渡します。それを喜美子の鞄に戻す宗一郎。

返す喜美子。投げる宗一郎。また投げる喜美子。

飴ちゃんを投げ合い、結局宗一郎はやっと食べます。

昭和の街並み、メロウで素敵なBGM。そんな情緒たっぷりの中、師弟は歩いてきます。

このあと喜美子は、宗一郎が大阪には住んでいないと聞かされ驚いています。

ジョージ富士川の個展を見に来た、香港から来た美術商の通訳だったんですね。
なるほど! こういう偶然もあるわけだ。

喜美子はちょっと残念そう。ここで、ジョージ富士川の学校に通うと嬉しそうに語るわけです。

基本が大事。一生懸命学ぶ!
そう張り切る喜美子です。

「得意だったもんね」

きみちゃんの紙芝居に驚き、褒めていた宗一郎はそう言います。

おーい、きみちゃん。
ジョージ富士川の紹介を見ると、大阪での出会いは一瞬とあるんですよね。

つまり、学校には通えないんやろなぁ。
つらいなぁ。

「あ、そうだ、住所」

宗一郎はそれから名刺を渡すのです。

「また会えますか?」

「会えるよ、元気で頑張ってれば」

「ほな葉書……お手紙出します。じゃあごちそうさまでした。おやすみなさい。さいなら」

そう分かれて、少し歩いてから喜美子は振り向き、戻って来ます。
そしてこうだ。

「先生に礼!」

「お互いに礼!」

「ありがとうございました!」

そう師匠の背を見送る喜美子です。
歯を見せて笑う。可愛らしぃ笑顔のきみちゃんでした。

ここは短いアプローチながら、よいところだと思う。

喜美子が先生に礼をするだけでなくて、宗一郎も礼をしている。
お互い敬意がある、素敵な関係だと思います。

草間宗一郎は、ちょっと『なつぞら』のような、理想の未来的な男性像かもしれない。

彼だけ標準語を使うところもそうでしょう。
東の良さが、彼には凝縮されとるのかも。NHK東京は敵やない。

「NHK東京に礼!」

「お互いに礼!」

そういうことやろなぁ。

信楽で何があった?

そして荒木荘に戻ると、電話が鳴ります。ジョーでした。

「おう、喜美子か」

「お父ちゃん!」

「お母ちゃんがな、倒れた」

「えっ」

それは、懐かしい父からの突然の知らせでした――。

前述の通り、公式サイトの人物紹介の時点で、あかんかった喜美子の進学。

そして、次週予告の時点でもうおかしい。

信作、はしゃぐ。
スーツや。キャ〜信様ぁ! 一体何があった。

直子、はじける。
ついに子役でなくなった直子、ますますあかん予感がする。

なんやねん、こいつら……。

甘く、苦く、味わいのあるもの

どこが甘く、や!
週後半はブラックコーヒーレベルの苦さどころか、ハバネロレベルやろ!

そう突っ込みたくなった今週ですが、結果的に週タイトルが見事だと一本取られるのですから、本作そのものが草間流柔道やね。

喜美子が圭介に渡して、断られたおはぎ。

 

宗一郎が半分しか食べられなかった焼飯。

 

宗一郎が食べた、喜美子の手を経た里子の飴ちゃん。

今週は食べ物、味の使い方が絶妙でした。

焼飯は食べきれなかったけれど、喜美子の手を経た、里子からの飴ちゃんは食べられる。

あの飴ちゃんは子供のもの、そろそろ18の喜美子には相応しくない。
宗一郎にはもちろんのこと、相応しくない。

小さな飴ちゃんに託された里子なりの気持ち。それを喜美子が受け取り、総一郎に渡す。そんな小道具の使い方でした。

五感を通してドラマを見せる。そういうアプローチはある。

ドラマは視覚と聴覚のみ。じゃあ他はどうするか?
そのアプローチは、『なつぞら』でありましたね。

卵を焼く場面で、見る相手の反応や色で表現する。そのために卵を焼いて、チーム全員が食べておりましたが。
あれがいわば東日本、道産子由来の「なんもさ〜」と【量】で押して行く。

そういうアプローチだとすれば、関西は【質】でやりくりや。ただで拾える銀杏をご飯にする、そこを褒めてこそやで。

どう考えても持てるおはぎを、あき子を思って受け取らない。

食べられるはずの焼飯を残す。

飴ちゃん一個を押し付けあい、やっと食べる。

100作目で豪華、集大成アプローチをして来た『なつぞら』に、超絶技巧で挑む。そういうNHK大阪の巧みな戦術炸裂の本作だと思う。

本作は、雑踏の数秒間でもリアリティが滲んでくる。

細やかな仕事に手を抜かず、丁寧にコツコツとしてこそ。そういう土台を真面目にやる。
そこを褒められると照れ臭いから、ぶっ飛んだ濃い場面で茶化してしまう。

アプローチそのもの、作り手一人一人が関西の良さを伝えたいからこそ、できるものがある。
そういう熱気を毎週感じています。

来年も、道頓堀再現に挑むそうなので、期待しとります。

大阪弁を残さな(アカン)

ちょっとこの記事でもどうぞ。

◆‪「大阪弁は消滅危機言語」という意外な現実

この記事を読んで、NHKの狙いがわかったような気がする。

『なつぞら』と『スカーレット』で面白いのは、セリフそのもの。今の道産子や関西人が使わないような語彙も入っていると気づくことがありました。

「あずましくないね」

「寂しまっしゃないか」

このあたりかな。

『なつぞら』の泰樹はじめ開拓者一世。

『カーネーション』の大久保。

彼らはもう消えつつある言い回しをしている。
それを意図的に残そうとしているんじゃないか。そう感じるのです。

私も専門家ではありませんし、そこまで関西弁に詳しいわけでもありません。

そう前置きして言いますが。大久保に、
「寂しまっしゃないか」
には、あまりの美しさショックを受けました。

普通なら
「おらんようになったら、そんなん寂しいやん」
あたりかなあ。
何か至らぬ点がありましたらコメントでご指摘ください。

発音も、響きも、何もかもが綺麗。
しかも、寂しさが沁み入ってくるようで、圧倒されてしまいました。

これだけ綺麗な関西弁が話せるからこそ、三林京子さんなのだな。
皆さん素晴らしいけれども、彼女は本当に美しくて、食い入るように見てしまいます。

来週も、個性豊かな関西弁に期待してます!‬
その前に『なつぞら』スペシャルも見るけどね!

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
スカーレット/公式サイト

 

3 Comments

さつき。

すみません、こちらでコメントを書きましてあらためてリンク先にいってみましたら、とても重要な事が書かれていました。方言なめんなよ、ですね。ただ、過去に方言が身分や地域(差別的な意味含む)で人を分断してきた事はあると思いますし、混乱や不自由もあったことでしょう。インターネット、マスコミの発展もあり、昔のまま、というわけにはいかないとは思います。ですが、語彙が豊か、そして方言の豊かさは地域に根差した感覚が豊か、その事自体はとても世界を豊かにしていくと思いましたし、意識して遺していこう、というNHKの試みはすごいなと思います。積極的に使うのが
一番いいのかもしれませんが、今の時代の「空気」もあり、難しい…音声付きデータバンクのような、誰でも使えるようなものができたら。そして、それで「楽しく遊べる」(おべんきょう、でなく、身近なものとして)時代が来ないかなと思いました。

さつき。

関西弁に限らず、方言(江戸言葉も含む)は消えていく運命かな とも思います。身分や地域といったものと密接に関わっているようですし。とはいえ、寂しいことであります。大抵は優雅さ、品を持つ言葉から消えていきます。こうしたことを惜しめる日本人の感性が好きです。あさが来た の時代には話されていた船場の豪商の言葉、今はほぼ消えてしまったそうです。菊原初子、箏曲の人間国宝の方が優雅な船場言葉を話されていたそうですが今は亡く。なにか手立てはなかったのでしょうか。三林さんは、文楽ゆかりのお家の方だから美しい言葉を多くご存知なのでしょうね。貴重な方ですね。

塩ラーメン好き。

草間さんの奥さんのお店で、
顔を覆ったキミちゃんの、
細くて長い指。
すごく綺麗でした。

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