荒木荘に別れを告げ、ささやかなれど重たい荷物を、運送屋さんに頼らず自分で運んだ喜美子。
カワハラ運送のオート三輪で、ジョーが帰宅すると、娘二人が出迎えます。
「お父ちゃん、おかえりなさい」
「おう」
「おかえり」
「おう」
「今日の肉じゃがは肉入ってんで!」
はい、何気ないシーンではありますが、ジョーの悲哀が凝縮されています。
『なつぞら』の柴田剛男を思い出してください。
彼ならばちゃんと、
「ただいま〜。夕見子、今日の試験はどうだった?」
と、会話できそうではありませんか。ちょっとした、だけど大きな違いがありますね。
ジョー、一人はしゃぐ
喜美子はすっかり、川原家の太陽になりました。
直子には勉強を教えています。数学です。
この教え方ひとつとっても、理屈がハッキリしていて賢いとわかるのがすごい。
これまた『なつぞら』の夕見子と比べるとおもしろいかもしれない。
彼女も紛れもなく賢かったんですが、知識や理論でドヤ顔をしがちで、優しく教えるタイプではなかったんですよね。あれは軍師だからさ……。
喜美子がいかに素晴らしいお姉ちゃんか。娘か。ここは大注目です。
マツもウキウキしています。
「今日の肉じゃがは肉入ってんで〜!」
「やまかしいわ!」
ジョー、やはり会話できてない。
ここで喜美子はこう強気な提案をします。
「お父ちゃん、これからお酒は週末だけにしよ」
「何言うとんねん!」
「それなら週三日!」
「あかん!」
「あかんことない!」
「大阪帰れもう! 帰れ!」
「もう帰らへんよ。うちの家はここや」
直子も問題が解けています。
ジョーは、一人で、誰も見ていないところで、腕をぱたぱたさせながら全身で大喜び。顔はニヤニヤです。
今日のあらすじでは、こういう解説が多いものです。
【喜美子はジョーと仲直りした】
お、おう。それはどうかな?
この先も見ているとわかりますが、喜美子は納得し、ジョーの気が済んだだけのことです。
特に話し合ったとか。思いの丈をぶつけたとか。
『なつぞら』でのなつと泰樹のような明確なことではないんだなぁ。
ジョーは泰樹のように、
「それでこそわしの孫じゃ!」
みたいなカッコいい台詞は言えない。それどころか語彙力が低いねん。
「何言うとんねん! あかん! 帰れ!」
まぁでも、だからといって彼がアホなだけかというと、そうでもないし。
丁稚奉公して飲んだくれて、教養を身につける時間もなかったのでしょう。
なつの演劇を見て考えを変えた。そういう泰樹と比較すると、芸術的な感性も乏しい。
そういうあかんおっちゃんを、ただのカスとしてだけではなく、愛嬌があって憎めない、憎んでもしゃあないところに落とすのがうまいと思います。
昨日は絶対許さない、顔も見たくなかった、そんなジョー。
でも、あの子供みたいで不器用な喜び方を見ていると、どうでもええと思えてくるからすごい。
こういうあかんおっちゃんに愛嬌をたっぷりとにじませる、北村一輝さんはほんまにええと思います。
【悲報】ジョー、週8日泥酔宣言、休肝日なし
はい、晩ご飯です。
「なあもう一杯! もう一杯くらいええやん! もうあかんのか! もうなんでやもう! もう一杯! こんなん飲んだうちに入らへんやん!」
ジョーカスの酔態を背景に、家族は会話をしています。
百合子は家庭科で褒められたと話す。
マツは、大久保直伝――そんな喜美子の味を褒める。そうそう、こうやって味を通して伝わるもんがある。
直子は食事を残します。それからこうだ。
「芋嫌いや! 毎日、芋芋芋芋芋!」
直子はブレない。
思えば子供時代、乳歯が抜けた口を大きく開けて、暴れていた頃からこうだった。
あの頃から、幼いとはいえどうなのか、そう突っ込まれてきた直子。ブレずに育ちました。
「うち、東京行くしよ」
そんな直子は、卒業後の上京宣言をします。
こんな時にせんでも。そう話を逸らすマツ。
これもマツの欠点かもしれない。現実逃避しちゃう、そういう生きる知恵がある。
一方、東京なんて許さないと止めるジョー。酒以外の話をやっとしましたね。
ここまでは、直子も想定内だとは思う。大阪ではなく東京と言うあたり、ともかく親から遠ざかりたいんでしょう。
しかし、喜美子は強いのです。
東京で何をしたいのかと穏やかに聞いてくる。やりたい進路をじっくり考え、まずは残さず食べろと説得します。
「直子、食べ」
直子は、素直に食べ始めます。
直子は親への反論は鍛えたけれども、図星を突いてくる姉対策はできていない。
ジョーみたいにオラオラあかんと言い切る相手は逃走でなんとかなりますが、喜美子は違う。
ただの逃避だと見抜いた上で、道を塞いでくる。やはり賢くて強いぞ!
『なつぞら』のなつのように、本気でやりたいことがあるのであれば、そこは止めないのでしょうけれども。
直子の逃避したいだけの本音が見えて、辛いといえばそう。
これも厳しい話ですけれども、喜美子ほど賢い設定にされていないとも感じる。
そんなアカン方の妹ではなく、エエ方の妹・百合子はこうです。
お父ちゃんとお母ちゃんどっちに似たのかと聞かれ、喜美子姉ちゃんに似たと答えたのだとか。はぁ〜、理想のええ妹や。
妹ということで、萌えだのなんだの、漫画広告も出てくるじゃないですか。
そういうご時世、この令和の時代。むしろこの昭和のええ妹は、貴重だと思う。
「やかましい! 週8日飲む! 8日や!」
ジョー、清々しいまでにほぼ酒の話しかしない。
ジョーは会話ができない。
ほぼ一方的に喋り散らし、マツと喜美子は諦めてぬるく突っ込みつつ苦笑。百合子もそうなりつつある。直子は目が腐る一択です。
なんとも生々しすぎる、昭和のおっちゃん像。
別に昭和の父親は絶対的に偉いわけでもないし、必ずしも尊敬されていたというわけでもない。
ジョーのように、呆れられつつ、誉めとくと一番楽だから神輿にされていただけ。そういう人もぎょうさんおる。
会話ができていないようで、何か言えば皆注目する、知略99の泰樹とか。「また富士子ちゃんだよ」と娘から突っ込まれつつ、ズレたことを時折言いながらも会話できていた剛男とか。
それとは違う。
NHK大阪が渾身の洞察力と構成力で作り上げた、大阪のあかんおっちゃんジョージ!
これは実在した女性陶芸家の父ではない。
道頓堀の水をすくって煮詰めたような、そういうおっちゃん複数の要素を組み合わせ、モデルにしている。
そういう生々しさとリアリティを感じます。
苦笑しつつ、自分の周囲にいたあかんおっちゃんを思い出す視聴者の方も、多いのではないでしょうか。
ジョーはこのまま、アルコール由来でぶっ倒れそうではある。
ええんちゃう。それもジョーの人生や。
丸熊陶業へようこそ
さて信楽で年が明け、しばらくしますと、約束通り丸熊陶業で雇ってもらう挨拶に出向くことになります。
ここで出迎えるのは、番頭・加山です。
昭和の職人さんらしい方。
そこへ照子の母である和歌子が登場します。
上品なええ着物ですね。パッと見ただけでわかる、ええところの奥様感。
不思議なんだよなぁ。
昨年のNHK大阪でも、ヒロイン母は高そうな着物を着ていた。けれども、なんかしっくりこなかった。あんな大女優なのに、リアリティのある奥様という気がしなかった。
それはナゼなのか?
そこを見出してこそ、着物やドラマがもっと理解できる気がする。あとで考えとこ。
そんな和歌子は、照子の学校の「父兄会」に行くそうです。
この「父兄会」という名称も、昭和のあかんところやと思う。後にPTAになるわけですが。
明治維新以降、西洋からの考えを取り入れて、育児は女性が担うとされてきました。
それなのに母親ばかりが集まる会合は「父兄会」。
父も兄もいなくても「父兄会」。
なんでやねん。そういうおかしさがあるんですよね。こういうこと、細かいけど考えて変えていかんと。
気になる照子様は、京都の短大に進学するそうです。
賢いから周囲から勧められたんですって。これも落とし所ではある。
夕見子みたいに、バリバリに頑張って四年制大学を出て社会に出ると言えば?
婿取り前提の照子は全力で止められることでしょう。
寮生活で、毎週帰ってくる宣言をしている照子。これは喜美子が週末襲撃されかねないということでもありますが、そこも落とし所でしょう。
寮ならば悪い虫(=男)もつかないし、帰ってくるのであれば好都合なのです。お見合いで婿取りというルートがあるからさ。
そういう時代だから、名門四年制大学に進学する女性は、夕見子のような大志を秘めていたもの。
そういう「自由は不自由やでぇ!」だった、当時の女性進学事情をすっとばした、そんな放送事故もあった気がしますが。
ここで電話を終えた社長がやってきます。
「座り、座り、座り、よ〜こらっしょ」
ここ、座って足をどかっと開くまで、感動的なまでに昭和のおっちゃんですよね。
本作は同じ言葉の繰り返しがともかく多い。
そこが関西らしいし、「よ〜こらっしょ」のおっちゃん臭さが絶妙でした。
はい、ここで勤務条件確認です。
簡単な仕事。通いの陶工と絵付け職人がおりまして……この絵付け職人が手強い親方だそうです。
腕はええんやけど。あの親方か。ついつい愚痴りたくなるらしい。
喜美子は絵付けと聞いて目がキラキラして来ますが、ここでしっかり者の番頭である加山が「川原さんの仕事に関係ない」と止めてしまうのです。
加山はそこまで重要でない役ではある。
ただし、キャラクター作りがうまい。番頭になるということは、腕前だけでなく人柄や着実さもあるのでしょう。
『なつぞら』ならば野上タイプか。
そしてこういうのは、ジョーにはまず無理であると。
出入り先のお嬢さんである、いたいけなマツと駆け落ちしたジョーは、丁稚奉公としてもあかん奴だから。
さて、喜美子の仕事ですが。
喜美子はそういう働く人たちに、昼の用意と茶の用意をするのです。
勤務時間午前9時から午後4時で、それ相応のお給金が出るそうです。
「その条件なら私も働きたい!」
そう前のめりになる人もいるんじゃないかな。
昭和は「モーレツ社員」なんて言葉もありますが、そうは言っても営業外回りで喫茶店にいるとか、そういう余裕はあったりする。
できる番頭の加山は、社長が一度は喜美子の就職を引き受けたのに、それを反故にしたことを悩んでいたと漏らします。
「照子がいまだに突きよんでよ……」
そうこぼす社長、これはええお父ちゃんや。
それはそれとして、照子、ウザくてしつこかった。どういう執着心や。
公式人物紹介では、照子が信作につきまとうと取れなくもない。
それがむしろ喜美子に執着しとった。どうなるんやこれ。
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音楽が、すごいんです。なんというか、情熱的。BGMの存在感が、いい意味で、際立っているように思います。
きみちゃんの辛い経験のとき、ピアノの旋律があまりにも美しくて体に異変が…(笑)、鼓動が早鐘を打ちました。
作曲家さんの底知れぬ力を感じながら、
郷愁を誘う色彩に安らぎをもらいながら、
個性に血を通わせる俳優の皆さんに敬意を覚えながら、豊かな15分間を日に二度、三度…と楽しんでいます。
日本の各地で、海外で、日常を生きる人々を力付けてくれているのだろうな。いい芸術って、こういうことかな。