大正12年(1923年)。
日本史に残る大災害・関東大震災が発生しました。
北村夫妻の旧友であり、元所属芸人のキースを救うため、被災地・東京へ向かったのが風太。
彼は支援のために現地に残り、とりあえずキースとその恩人である志乃が大阪に戻ります。
すると二人がいる風鳥亭に栞がやって来て、志乃を見て顔をこわばらせるのでした――。
もくじ
キセキの出会いがデフォになっとる
それにしても……。
帝都・東京。
その東京に勝るとも劣らない規模の、大阪。
そうした街で、何故本作の人々はあっさり再会できるのか。
栞は大阪駅でいとも簡単に隼也を見つける。
風太は交通網が寸断された東京で、汗一つかかずにキースを発見する。
しかもそのキースには、栞と生き別れの母親もくっついて来た。
おい、おいおいおーい!
いや、もうさすがに笑ってしまいますよ。
東京03にパロディコントをやってもらいたいところです。
角田さんと豊本さんが至る所で偶然出会いまくって、それに飯塚さんが「ウソだろ! なんだよ、コレ! 現実だとしても、コントの台本にならんだろ!」とツッコミまくる。
んで、最後に島田紳助さんが登場して全員「ウソだろ……」とガチ固まりする……。
志乃の記憶喪失 安易すぎやしませんか
さて、南地風鳥亭では、藤吉と栞が支援物資輸送について語っています。
いくらイケメン二人が真剣な顔してもですね……なぜ貿易会社も経営していた実業家の栞さんが、自分のオフィスで部下相手ではなく、遊び友達を前にして、しかも寄席の事務室で打ち合わせしとんねん!
そう考えると、何にもアタマに入ってこないのです(´・ω・`)
キースと志乃は長屋に保護されています。
志乃は頭部を打って記憶喪失とのこと。
大した考えなしに『ひよっこ』に似せてきたんでしょう。
頭部を打って記憶喪失って、昔はベタなネタとしてありましたけど、そんなに簡単に使っていいものでもないと思いますよ。
『ひよっこ』の場合、舞台設定になった1960年代から1970年代のドラマではあるあるネタだったよね、とも思ったもので。そこが面白くもあったんですが。
本作で真似てどうすんねん!
さて志乃は、医者に絶対安静と言われたにも関わらず、寄席を手伝うと言い出します。
頭部を打ったのに、そんな働かんでもいいじゃないですか。
ここで隼也が現れ、名前の由来を元気よくしゃべり出します。
これは土曜日あたり、栞と和解するときのネタに使う伏線でしょう。
誰も彼もがツンデレだから精神年齢低くなる
アサリは、キースにおずおずと話しかけます。
キースはPTSD気味でつれない返事。
ここでアサリは、
「もしわいと組みたいんやったら、組んだってもええよ」
って、いい年こいた男がベッタベタなツンデレって、どうなのよ。
ツンデレというのは、ライトノベル、アニメ、ギャルゲーの甲高い声のツインテールヒロイン。あるいは頑固すぎて素直になれない昭和の親父がやるモンであって、何がなんでもゴリ推しするものではありません。
大勢のキャラクターの中に一人紛れているくらいでちょうどよいのです。
わろてんかの登場人物たちに思い入れできないのは、精神年齢の低さにあるわけで、その一因となっているのがこのツンデレ。
まとめて淀川に流したらいかがでしょうか。
ここで忘れかけていた存在、てんの妹・りんが薬を持ってやって来ます。
いやぁ、りんさん素敵ですね。日本髪に着物が似合う、しっとり京美人さんで。
着物の色も、若さと既婚女性らしい落ち着きがバランスが取れていて……。
って、衣装さん! なんでリリコのダサ衣装と、てんの七五三状態衣装を続けるんでしょうか。何とかしてください!
伊能栞は高等遊民かーい!
ここでまた栞が、風鳥亭に来ます。
昼間から何をしているんでしょう。
さすがにご近所さんの噂になっているのではないでしょうか。
「なあ、あの人昼間からこのへんによう来るけど何モン?」
「仕事しているようにも見えへんし、高等遊民やろなあ……」
「お気楽な身分やで、ほんまに」
高等遊民とは、明治から昭和初期にいた、経済的に恵まれているため働かなかった人々のことです。
夏目漱石『こゝろ』や川端康成『雪国』の主人公も該当しますね、。
ここで志乃は、栞に妙になれなれしく話しかけ、昼食を取っていくように言います。
そんでまた、わざとらしく食事をこぼしてしまい、志乃の手を掴む栞。
ここで、意味ありげに見つめ合う二人。
あったあった、『おんな城主直虎』でこういうシーンがあったわーい!
高橋一生さんがシリアスな顔をして、誰かと顔面を接近させれば女性視聴者が食いつくという読みですかね?
「あんた青っちろい顔してるねえ」
ここで志乃はこういうわけですが、この言葉に軟弱という意味がある以上はかなり非常識なわけで。
初対面、しかも仕事を手伝っている恩人の来客に対して、さすがにこの発言は唐突ではないでしょうか。
やっぱり栞も拗ねていたヽ(・ω・)/ズコー
このあと栞は、ペラペラと志乃の正体についてバラします。
・元深川の芸者で、父親の愛人だった
・栞を生んで中学生時代まで手元に置いた
・栞の異母兄が病弱であったため、父親は愛人の子である栞を引き取った
・父親は多額の手切れ金を志乃に渡した
「あの人は、金でぼくを売ったんだ」
って、ヽ(・ω・)/ズコー
栞よ、やっぱりアナタもですか……。
昨日、そんな予感をしておりましたが、震災時にまるで空気を読まないスネてる人たち(トキ・アサリ)。
栞様の深刻な話の腰を折って申し訳ありませんが、ご両親のお話、そこまでヒドい物語でもないと思います。
平成ならともかく、大正時代ならよくある話でして。
こういう場合、手切れ金をはずむというのは、むしろ栞の実父は気前がいいと思います。
それに、志乃だって生きて行かねばならない以上、手切れ金を突き返すわけにもいかんでしょう。
中学生くらいなら拗ねても仕方ない。
しかし、もういい歳こいた大人が、こんなことでネチネチと言うべきではない。
生きていかねばならない母親の事情を察する&許せる年齢になっていてしかるべきです。
しかも未曾有の大震災から、せっかく、超ウルトラスーパーミラクル奇跡 final episodeな展開で、生き延びた母親と再会できたのに。
よりによって彼女を恨むって、さすがに幼稚すぎやしませんか。
栞がよっぽど深刻な顔をしているので、別の男を作って息子をほったらかしにしていたとか、父親の悪口を吹き込んで虐待したとか、とにかくヘビーな話が来るんか!と身構えたほどです。
もちろん黙っているだけでもっと酷い話があるかもしれませんが。
どうにもこのあたり、脚本家の幼稚な家族観が全ての元凶という気がしてなりません。
それと、志乃が元深川の売れっ子芸者設定っていうのも……。
ベテランの銀粉蝶さんが演じているので、なんとなくそれらしく見える。
けど、よく見りゃぞんざいで、ガサツな江戸弁など、書いている側は、江戸前の小粋で小股の切れ上がった女性のつもりなんでしょうけど、やり過ぎて滑っていて、ただの失礼なおばちゃんに見えてしまうのです。
このあと、家具店のモデルルーム並に生活感のないオフィスで、黄昏れる栞。
相変わらず、いつ仕事しているんでしょう。
ここで、ゲスなマスコミから「大震災への支援は売名行為では?」という電話があり、母親の話を振られて、不機嫌そうに受話器を叩きつける栞でした。
今回のマトメ「本当に不要な週は今週だったかも」
まず謝ります。
第13週のスタート時点で、この週はまるまる不要と書きました。訂正します。
本当にいらない週の真打ちは、今週の第15週だーッ!
とにかくもう、この調子で意味ありげな顔をした高橋一生さんを見せるだけの、雑なプロモーションビデオにするとは。勘弁してください。
2015年『あさが来た』の五代友厚は、伊能栞よりはるかにマシで、魅力的な人物でした。
それでもゴリ推しして、退場を先延ばしにしてプロモーションビデオ状態になった時はゲンナリしたものです……。
それでもあれはマシだった、と思えるこの絶望感。どうしたものでしょうか。
乙女組は、しょうもない流れでしたけれども、北村笑店の事業という一面がありました。
しかし、今回は無関係。
モデルとなった小林一三の史実とも無関係(小林の生母は、まだ彼が幼い頃に死別)。
記憶喪失の親子再会は『ひよっこ』
親子の仲を修復するのは『ごちそうさん』
しかも脚本家の勉強不足で大正時代とは思えない感覚で描いている。
何段階にも無茶ぶりが重なっています。
この無茶ぶりを立て直すのは、高橋一生さんと銀粉蝶という演技達者を持ってしても無理でしょう。ほんま役者殺しの脚本でっせ。
それでも何とか魅力的に演じていた団真&お夕コンビは今考えると相当凄かったと思います。
あと、サブプロットの復興支援は売名行為。
東日本大震災の時もそういうニュースがありましたが、それは支援にどこか不透明な部分があった人に対してであったり、それもそもそも誤解だったりしたわけです。
普通に物資を送っただけの栞に、何故マスコミがあんな電話をするのか意味がわかりません(そもそもどういう支援をしたのかすら劇中から判断できないのですが)。
脚本家さんは、無理矢理「昔あったことと今の状況も似ているんだね!」という方向に持っていきたいのでしょう。
そういう現象は、ウケ狙いをしてわざとねじこむのではなく、当時のことについて調べて描いた結果、意図せず視聴者にそう感じさせるものです。
雑な狙いは逆効果なり。
著:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
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