わろてんか96話あらすじ感想(1/26)栞様気持ち悪すぎる問題

人々の生活も変わりつつあった昭和初頭。

日本第二の都市・大阪の芸能興行元「北村笑店」の経営者・北村藤吉は、二度目の中風の発作で倒れてしまいます。

愛する人々との日々を惜しむ藤吉は……。

 

土下座&番組表……仕事がワンパターン過ぎた

今日は、隼也が藤吉に「番組作りって大変そうやなあ~」と言うところからスタート。

思えば経営者としての藤吉の仕事って、ふるふる声&土下座での出演交渉、番組表を前に悩む――それしかありませんでした。
気がつけば芸人は300人に増えているっちゅうのに。

主人公の仕事の中身を調べるのが面倒なのか、ワンパターンの業務に落とし込むという作業を延々と見せ付けるやつですわ。
『ひよっこ』における調理修行が、延々と皮むきや野菜を刻むだけだったら、と想像してみてください。

おかしいですよね。
あのドラマでは、ヒロインの結婚相手となる見習いシェフは、ステップアップして新メニュー開発をするところまでやるじゃないですか。

ところが、駄作は延々と野菜の皮むきをするレベルで止まるのです。

たぶん、その理由は色々と面倒だから。

 

役員にしたいのは北村長屋でフラフラさせたいから?

ここで再び、「一体いつ仕事をしているのか実業家」の伊能栞さん、ご登場。
彼に向かって藤吉は、役員にしたい、と言い出します。

ちょっと待ったぁああああ!
栞のモデルが経営する映画会社と、北村夫妻がモデルの興行会社は、業務提携しただけのはずで。
「同じ東軍だし」と、井伊直政と真田信之が関ヶ原合戦で隣同士にするくらい、わやくちゃな話ではないですか?

いつだったか栞は、かつて風太に「寄席が廃れてこれからは活動写真の時代だ」なんてメンチ切ってたシーンもありましたよね。あれ、なんだったんだろ?

藤吉は適当な理屈をつけています。寄席の儲けは少ないとかうんちゃらかんちゃら。
そんなもんは聞きとうない。

要するに、
「友人の藤吉死後も、フラフラと風鳥亭と北村家に入り浸る栞路線を継続します!」
ってことでしょうね。

役員だからと未亡人の家に入り浸る男がいたら、それはそれで問題ですが、本作はそこまで考えませんから。
栞の気持ち悪さはここで頂点に達します。

 

「おてんさん以上のいい人を見つけられない」って><;

「てんのことをどう思っている?」

う、う、うわぉ!
そうやって話を振った藤吉に対して、まず『オエェッ!』となってしまいます。
なぜ、それを知りたい?
死後に言い寄られたりするとか考えて?

しかも、栞も驚いたことにそれを否定するどころか
「不幸なことに、おてんさん以上にいい人を見つけられなくてね」
とかなんとか、乗っかるんかorz

無茶苦茶です。
本当にワケがわかりません。

おそらくや、イケメン2人から「彼女ほどの女性はいない」と言わせることによって価値を高めようとしているのかもしれませんが、普通の感覚なら『ご、ごめん、いくらイケメンでも2人の言うコト、わかりましぇん><;』というのが本音ではないでしょうか。

受け答えも大事なセリフも何もかも陳腐そのもののおてんちゃん、あんなペッパー君、その辺に大勢いるでしょうに。

いや、待てよ。
もしかして、ここが今日の笑いどころでした……?

いずれにしても死にゆく夫にそんなセリフを堂々と言うあたり、高橋一生さんまで気持ち悪く見えてしまう。
「てんと藤吉の絆ほどかけがえのないものはない」
って、おい、おい、おいおいおい!

同じ女を愛した男だから、ってそういうこと言って許されるの『北斗の拳』の世紀末世界だけですよ……。

しかし、凄まじいシーンに出会えて、私もある意味幸せかもしれません。
後世まで語り継がれるかもしれません。

 

やっぱり本物の芸人に新万歳をやらせるべきだった

そしていよいよ、新たな万歳のお披露目です。

エヴリディがハロウィン状態のリリコさん。
今日のお召し物は、アメリカの通販で買った
「仮装用魔女ローブ(帽子・杖は別売り、税込み1,980円)」
のようです。

そしていよいよキースとアサリの新万歳や!

・洋装
・ハリセン、どつきなし
・一人称は「ぼく」二人称は「きみ」

確かに特徴はおさえているんですが、うっ、ううっ、うーーーーーん。
駄目だ……何もかもが……。落語家熱演パターン(文鳥、団真、団吾)は、既存の落語を用いたのと役者さんが頑張ったため、十分に熱がありました。

しかし、今回の新万歳はどうなのでしょう。

・野球を相撲に変えて、作り直した脚本が寒い
・演者が本職じゃない

この二つのおかげで、台無しです。

劇中で二人を見ている側は感心したり、笑っています。
お得意大仰BGMもワンワン鳴り響いています。

これで、
「こんな万歳みたことない」
「新しいしゃべくり漫才や」
と言われても、哀しくなってきます。心底、辛いです……。

やはり、吉本の協力を得られるのであれば、やっぱりこの二人の配役には、本職の芸人さんを使うべきだったでしょう。

関西には、実力はあっても認知度の低い若手・中堅の芸人さんが数多くいるはずです。
キースとアサリも知名度優先で配役されたものではなさそうですし、なぜそうした若手・中堅の芸人さんから選ばなかったのか。あまりに痛い人選ミスです。

たぶん忙しくて(そして事件を起こして、知名度も高いから)ムリでしょうけど、昭和を舞台にした『NON STYLE』の漫才とか見たかったなぁ(´・ω・`)
どんなネタをやらせても、彼らなら絶対にスベらない。
そして吉本だけに亀井や万丈目、寺ギンとの絡みも面白くしてくれたはず。まぁ、お芝居ができるか不明ですが。

さて、ここは一応クライマックスです。
ヒロイン・てんも感慨深いことでしょう。
さて何と言ったかな?

「(万丈目に)お願いします」
「おおきに、風太」
あちゃちゃ(´・ω・`)

ともあれ制作側にとってはイイ話ですから、亀井の「大阪締め」で終わります。
2015年『あさが来た』での「大阪締め」は、感動した記憶がありますが、本作は……。

 

今日のマトメ「二匹目のドジョウ政次はムリですって」

なんだかんだで文句言ってますけど、今日はしゃべくり漫才って凄いな、って思いました。

軽妙なトーク。
錆びないネタのキレ。
たいしたもんですわ。

そう思ったのは本物のエンタツ・アチャコの「早慶戦」を聞いての感想ですけどね。
今でも、キース&アサリよりは全然聞けるんですよ。

百年残るのも納得です。

 

それに引き換えドラマの二人は(´・ω・`)

序盤はちょっとよかった。
しかし、途中から駄目になってしまって、ネタだけプロに提供してもらったとか?
シロウト目から見ても、本当に……お笑いというものをナメきっていると思います。

そしてもうひとつ。
「栞様気持ち悪すぎる問題」です。

栞の「おてんさん以上の人に逢えなかった」って、要するにこういうことですね?

「不幸なことに、脚本家が演者の当たり役『おんな城主 直虎』の小野政次役を、時代背景等もろもろ無視して丸パクリした」
では?

小野政次がヒロインを一途に愛する姿はよかったですよ。
直虎はペッパー君じゃなくて、どこを切っても血が噴き出す、熱いヒロインでした。直虎が婚約者を忘れられない姿を切なく見守っていたのも、時代背景や設定上無理はありませんけどね。史実では妻子がいたとはいえ、ありえる設定でした。

それを、丸パクったら、あかんのや……。

政次こそ政次、オンリーワンだった。
皮肉なことにそう証明するのが、本作となっております。

「不幸なことに、政次以上のはまり役を見つけられなくてね。別ドラマで寒いパクリさえされる始末だ」
そんなふうに、高橋さんに成りきって嘆いてしまうファンの方もいるのではないでしょうか。

著:武者震之助
絵:小久ヒロ

【関連記事】
吉本せい 吉本興業の歴史

【参考】
NHK公式サイト

 

3 Comments

匿名

芸人さんってドラマや映画に出ても演技無難にこなしますし時には本職より上手い人もいるくらいなので、吉本の若手芸人で良かったのになあと思います。
ヒロイン魅力ないですよね。
本当に中の人疲れてるのか顔が引きつってるし、無理して笑ってる影のある笑顔になってて、裏があるように見えます。
直虎みたいに絶対に2人と同じ人がいないキャラなら一途に想い続ける男性がいてもおかしくはないですが、それでも奇特な印象なので、おてんちゃんレベルでそれやったらただの変態にしか見えないんですよね。
若い頃はそりゃおてんちゃんみたいな子は可愛いでしょうが、三十路も越して来たらさすがに別の魅力に目覚めるか、他のもっと若いニコニコ笑顔な女の子に行くでしょ。
中身の魅力が描けてないと思います。
史実のご本人は、どうやら守るために命を絶った男性がいたりと、唯一無二の女性だけに献身的な扱いもされてたようですけど。

しおしお

大阪締めのシーン、
あさが来た の思い出を
けがされた気がしませんか?
いい加減にして欲しい。

ビーチボーイ

高橋一生の件はさておき…本作で毎週末に風鳥亭が成功を修めてキャスト達が満面の笑みと感涙にむせぶ場面で、その喜びと感動がちっともこちらの心に響いて来ない・共有出来ないのは何故か、と考えてみた時、
結局、成功の陰には必ず汗と涙の苦闘の積み重ねがあり、それがきちんと描かれてこそ成就の歓喜が描き出せるわけでしょ、なのにこのドラマではそうした苦労の場面はいつも「怒った客達が投げつけるミカン皮」だけなのです。あまりにも陳皮、じゃなかった、陳腐ですよ。(←失礼、わろてんかレベルの極寒ギャグでした)
いったいこの脚本家さん、寄席の客というものを何だと思ってるのか。みんな同じノッペラボーな、面白ければ舞台上に向けて拍手と歓声を浴びせ、ウケなきゃ罵声とミカン皮を浴びせる、性能の悪いロボットみたいなもん程度に認識しているとしか思えません。
とんでもない話ですね。寄席の客って、一人一人が違う人生を背負う人間です。中には底意地の悪い嫌な客も当然いるでしょうが、一方には芸人を育て、寄席をもり立ててくれる素晴らしい常連客も少なくなかったはず。
本作には、人間としての「お客さん」が完全に不在です。寄席の建物と同じ大道具扱いなのです。そこからしてまず、決定的にボタンをかけ違えていると言わざるを得ないです。

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