十代田さんの言うことは正しい。けれども、無茶したかった。
そう訴える喜美子。
ここで、八郎がどう反応するか?
視聴者は待っていたはずなのですが……。
八郎はドスドスと去って行きます。
そして戸を閉めるのです。
八郎は合理的かもしれませんが
八郎ぉ……。
八郎は、喜美子を抱き寄せて頭をポンポンしながら、慰めたりできないんですね。
乙女ゲーめいたことはできないんだな。融通がきかないと。
別にええやん。そう思えるかどうか?
冷たい――とショックを受けて、心に傷が蓄積しないかどうか。考えたいところではあるのです。
喜美子は一人部屋に残されて、不安げです。
あの八郎は、怒ったようにも思えます。
そこに八郎が戻って来ました。無言でズンズンと、電気窯がある奥まで進む。
そして喜美子を座らせ、自分もしゃがんで語りかけて来ます。
「信作んとこ電話して来た。おじさんに喜美子も手伝います言うてきた。ええ言うてくれはりました」
ここで、やっとニッコリ。
喜美子もニッコリします。
なんだかええ話になるから視聴者も気付きにくいとは思うんですが、突っ込みどころありませんか?
それなら出て行く前に「信作に電話して来る」っていえばええやん!
電話して戻って来るまで、喜美子が不安を感じてもおかしくない。
八郎は、自分なりの合理的な判断で、ともかく電話を優先して後回しになったのでしょう。
不器用なので、嫌がらせのために黙り込むようなことはむしろしないと思う。
ベタな恋愛テンプレからはズレる。
そういう面では、むしろ圭介あたりの方がロマンチックかもしれへん。
でも、ズレるからこそ沼の民をさらに沈める展開あるで!
同じようにしたいけど、ズレてしまう
喜美子はここで腕まくりをして一礼します。そしてろくろに向かう。
「とやあ!」
小声で草間流柔道の掛け声を言います。
ふふ。八郎はそんな喜美子を見ています。
喜美子は電動ろくろに向かい、コーヒー茶碗を作り始めるのです。
ピアノが軽快に響く中、喜美子は作り続ける。八郎はじっと無表情で見ています。
ここも、やろうと思えばそれこそ幽霊の出て来るアレっぽく、いくらでも甘くできるとは思うんですが。
ちょっとズレていますよね。
※コレやで
むしろここは、喜美子の抜群の集中力を見たい。
そして一個め、できあがり! すごい!
そう思いますけれども、並べるとちょっと八郎のものと違うんですね。
喜美子は惜しむこともなく潰して、次へ向かいます!
八郎と同じものを作るのは、簡単なことではありません。どんどんダメになった粘土が重なってゆきます。
「はあ……」
思わずタメ息をこぼす喜美子。
これはもちろん、陶芸という技術のことではあると思う。それだけでなく、人が複数いれば同じ考えに簡単にはならない。そういうことにも思えました。
隣にいても。夫婦でも。同じ心の形にはならない。
夫婦は別人格。
当たり前ですが、その当たり前すら認識できない、合わせるのが普通だという思い込みはあるのです。
「もらい感情でトゥラッタッタ♪」
「見守るしかない……」
そういうことやぞ。それは勘違いやぞ。
陶芸の神様に「とやあ!」
ここで八郎は立ち上がり、こう説明します。
一個作るのに三ヶ月はかかりそう。人と同じ物を作るのは難しい。
電動ろくろは習得だけでも何年もかかる。熟練が必要。
「わかったうえで無茶してんのやろうけど、これは僕がやる。どきぃ」
「もっかいやる! やらせてください」
喜美子は粘ります。
「これは諦めえ。よいしょ。喜美子はこっちで。ほい、十個作ったらええ。おじさんにそう言うて電話しといたから。そのうち上手になるで」
八郎は優しさと無邪気さを発揮し、沼の民をさらに沈めるようなことをやらかす。
よいしょ。そう喜美子を持ち上げるところで、何人が息を飲み叫びかけたことやら。
そういうところだけでなくて、半分は喜美子に任せる。そういうところも優しさだと思う。
彼なりに一生懸命、全員が納得する落とし所を考えているんです。
喜美子は負けず嫌いなので、こう言います。
「負け? 勝った負けたで言うたら、うちの負けですか?」
「誰と勝負してんの?」
「……陶芸の神様」
「陶芸の神様! えらいところに勝負挑んでるなあ」
八郎って子どもっぽいと感じます。
それに、彼のそういうところは相手の幼さも引き出すのかもしれない。
喜美子が子どものように泣いてしまったところ。
そして幼いころからの原点である草間流柔道を久々に思い出したこと。
荒木荘の頃は「とやあ!」とよく言っていたのに、信楽に戻ってからは控えめでしたね。
信作だって、八郎といるときは子どもっぽい。
喜美子や照子は幼なじみだからわかるとしても、彼とは成人してからのおつきあいですからね。
八郎は、人の童心を呼び起こす、不思議な何かがありますね。
作ってる人の気持ちが作品に伝わる
そんな彼はこう言います。
「自分の作ったコーヒー茶碗で、誰かがおいしそうにコーヒー飲んでる。そういう姿勢で。絵付け火鉢と同じや。深野先生もニコニコしてたやろ」
なるほど。そういえば、信楽ではフカ先生の笑顔を目指したからこそ「とやあ!」を忘れたのかもしれない。
「陶芸と絵付けは違う。今やってみてようわかったわ」
喜美子はキッとそう言い切りますが。
「同じや。おんなじやで。作ってる人の気持ちが作品に伝わる。どんなものづくりでも、そこだけは一緒だと思う。心は伝わるで」
「はい!」
八郎の言葉に喜美子はうなずきます。
「ほな、この十個半乾きさせている間に、もう一種類十個。同じ物十個は簡単なことやないで」
八郎が作品と格闘する間、喜美子はコーヒー茶碗と向き合うのでした。
作品論でましたわ。
作り手の気持ちってやっぱり伝わるもんですよね。
昨年の放送事故は、作り手がインタビューで「理解力低いおばさん向け朝ドラ」と低く見ている趣旨を平然と語っていて、つらいものがありました。
別の朝ドラ脚本家も、ギャラのことばかり考えていると言い切っていたっけ。
そういうのはちゃんと伝わる。
出演者もインタビューで脚本の魅力を、定番語彙以外を使って具体的に語れるんです。
本作は、八郎の言葉のような姿勢があると伝わってきます。
ええ仕事してはる!
お父ちゃんもつらいんや……
そのころ川原家では、ちゃぶ台で百合子が福笑いをしております。
隣では、直子が何かの許可を得ようとして、ジョーが「あかん!」と反対しているようです。
正月帰省やし。
もっと親子で心温まる交流せんかい。
そういう配慮が清々しいほど、一切なし!
マツは電話を受けています。朝までやるのかと相槌を打ち、電話を切る。
と、ジョーが「朝まで」という言葉に焦り、止めようとするも電話は切られてしまう。不満そうな表情を浮かべる。
マツから、喜美子は朝まで帰れへんと知らされ、ジョーはもう気になってたまらない状態に陥ります。
朝まで!
結婚の許可を得ていない、思い合う二人が!
同じ部屋で過ごす!
よく耐えたと思う。
ジョーなのに、ここでちゃぶ台返ししなかっただけでも進歩を感じる。心の中ではもう認めているんでしょうね。
ジョーは何もかもがあかんので、若干の理性を見せただけで拍手したくなるからすごい。
マツと百合子は、そんな父の胸中を気にしていないように話します。
「コーヒー茶碗を作ってる」
「カフェサニーな」
「ええ名前つけたな」
「名前なんてどうでもええ!」
親友オゥちゃんのネーミングセンスを吹っ飛ばしつつ、ジョーは不満を募らせます。
ジョーはセリフが細切れだし、ええことも言わないことの方が圧倒的に多いし、理論も何もないけれども、しゃべっているだけで味があるからすごいと思う。
ここで直子が、話の流れをぶった切ります。
なんと昇給があるそうです。
電化製品の組み立てに苦労したものの、最近は班の中でも一番早いそうです。
なんだか想像できる気がする。
『ひよっこ』のおっとりした東北出身女工の中に、直子がいたらダントツのスピードを見せそうではある。ジョー譲りの負けず嫌いでせっかちなところも、プラスに出ると強いのです。
みね子は百合子と同世代ですね。
ここでマツは「痴情のもつれ」があった新人研修係のおかげか?とコソッと耳打ちしますが、全否定されます。
直子の中では終わったんやろなぁ。
次いこ、次!
「Aぇ! group」の正門良規さんが待っとるで!
※続きは次ページへ
コメントを残す