縁側で武志が寝ていると、雨が降ってきました。
「あっ、傘!」
「ちょい待って! 雨、見てたい……」
八郎が、真奈のビニール傘を取り込もうとすると、武志は止めます。
真奈の傘と、武志の感性
雨があがると、武志は筆を持って何かを描き始めました。それを見守る八郎。
風が強く吹いて、紙を飛ばしそうになる。傘から水滴が落ちる。水に空が映る。一瞬一瞬を見ながら、武志は筆を走らせるのです。
映像美を追い求める秀逸なカメラワークはじめ技術が素晴らしい。
真奈の忘れたビニール傘が注目を集めました。戦うと決めて、咄嗟にビニール傘を買って、うっかり忘れてしまう――そんな真奈あってのアイデアのようで、それだけではない。水を見つめ切り取る、武志の目線と感受性あってのものでもあります。
かわいい女の子とクリエイター男子のコラボ。安っぽさを出さずにそれが描かれています。
「流石ヒロインだ!」
みたいなことをイケメンがしつこく叫び、ヒロインが作り笑いをべたべた顔に貼り付ける。そういう雑な仕事とは違います。
喜美子が帰ってくると、大崎がいました。
息子の主治医がいることに、喜美子は驚いてしまう。どないしたのか、と不安そうな喜美子に、大崎は淡々と挨拶をして、八郎も「来てくれはった」と言うのでした。
「どないしたん?」
武志はうれしそうに語ります。
「水を動かすことにしてん。水たまりやのうて、水が生きている感じや」
どういうことかと聞かれると「水の波紋や」と返します。
「器の中に水が生きているように、水の波紋を描くねん」
水が生きてる。ええな。
このへんが陶芸家親子の会話だと思えます。
そのアイデアに返しつつも、大崎がここにいる理由はまだわからない。大崎は熱があると電話で聞いたから、帰りにどうかなって様子を見に来たと言います。ほんまにええお医者様や。
喜美子は「帰りに寄るようなとこやないのにすみません!」と恐縮するのでした。
毎日、理想の主治医を更新する大崎がすごい。稲垣吾郎さんは、朝ドラで見たと声をかけられるそうですが、それはそうなることでしょう。最終盤に出てきて、この存在感はすごい。
心を励ますためにも続けるべきこと
大崎は医者の見解として、表情を見て問題がない、高熱が続かなければ大丈夫と告げます。
その上で、やることがあるのは大きいと。
「武志君にとっても大きな支えになってるんじゃないですか」
「陶芸は続けても構いませんよね?」
喜美子がそう語ります。
「もちろん。病状が落ち着いている限りは」
そうなのです。白血病への理解が半端で、陶芸をするのは不衛生で危険ではないかというツッコミがあるようですが、そこは心配ありません。
骨髄移植後のクリーンルーム(無菌室)か、もっと病状悪化した状態ならば、衛生的に陶芸は厳しいでしょう。その辺の記憶や認識が混同混してしまっているのかもしれませんね。本作は医療考証もバッチリついておりますから、学ぶのにも良い場です。
ともかく、しみじみと今大崎先生がええことを言いましたで。これぞ、今のご時世にとっても噛みしめたい言葉だと思えます。
世の中大変なことになっているのに、ドラマ、コンサート、ライブ、スポーツ、漫画、テレビ、アニメ、イベント、歌うこと、遊び……そういうことを気にする自分はアホちゃうやろか。そういうことを思ってしまう。
本作にも、難病ものだからずっと真面目に病気のことをしていろとか。陶芸の意味がないとか。そういうことは言われます。
けれども、心の底からしてみたいことがあれば、そのことが生きる力になるわけじゃないですか。
病気だろうが、奪えないものはある。支えになることはあるわけです。
私はよく「クソレビュアーはドラマのことだけ書いとればええんや」と突っ込まれたもんですが。ドラマを通して現実を見ることも大切やと思うで!
※2020年3月、静まりかえったイタリアの街。バルコニーで歌う人々
ピアノの音が武志の高まる心を歌い上げる中、彼はろくろに向かい続けます。近年でもサントラの使い方が、本作はずばぬけて巧みですね。
八郎はそんな我が子を見つめています。
かつて彼が通りすぎ、そこへ到達できなくなった姿ではある。息子の中にある自分と、喜美子の何かを感じさせる。そういう背景かもしれません。
「見学者一名、入ります」
ここへ喜美子が、大崎を案内して来ます。
眼鏡を直し、しみじみと見る大崎。流石は稲垣さんで、この眼鏡を触る仕草で、彼が集中して興味を持っていることが伝わると思う。
こういう役者さんが参加する現場って、幸せでしょうね。元大手事務所だとか、顔がいいとか、いろいろ言われる彼ですけれども、演技そのものが素晴らしいのは確かなことです。
武志を見ている三人。この瞬間がどれほど愛おしく、貴重で、かけがえのないものか。表情から伝わってきます。
大崎先生にお礼を伝える
喜美子は工房から出ると、大崎にこう聞いています。
「先生は何色がお好きですか? お世話になった方にお作りしてるんです。欲しい器」
これも本作の生々しさだとは思うのですが、セリフが結構ゴチャッとするんですね。
書く側はプロですので、いくらでもカッコええセリフはできると思います。それこそ常時スピーチするような状態にもできる。ええBGMを出して、ここで泣かせると押し付けるようなことも。
それを敢えて考えがまとまらず、ごちゃっともたつかせるところが生々しさです。
大崎の場合、医師としての見解は理路整然としていて無駄がないのに、それ以外だともたもたおっとりするところが素朴な魅力に繋がっています。そしてそこが稲垣さんの素顔にも近いところがあるのでしょう。
こういうことを言われると、作る方は悩ましい。難しい! 喜美子も八郎も悩んでいます。
ふわっとしたイメージ指定が一番つらいんですよね。
花とか。青が好きとか。具体的なものがあればいいんですけどね。八郎は悩む喜美子に、釉薬やるとき来てもろたらええと言います。
しかし、大崎はここで毅然とこう返します。患者さんからの贈り物を受け取るわけにはいかない、と。
あー、大崎はほんまに医者の鑑や。これはちや子センセイもやで。
「治してくれたから、このビール券を……」
「うちらに有利なことしてくれはったから、メロン、カニ、イクラを……」
なまじ、センセイと肩書きのつく人は、そうそう贈答してはいかん局面もあるものでして。
ちなみに、本作でも出てきた骨髄移植もそうですね。ドナーと提供を受けた側は、上限回数がある匿名の手紙のやりとりしかできないそうです。
善意だけでどこまで動けるか、動かせるのか。そういうことも大事です。
そこで喜美子は考えます。
「ほな作らはります? お時間ある時、ぜひ!」
「じゃあ、楽しみにしてます」
大崎も納得しました。お礼を言われつつ、去ってゆく大崎です。
大崎って、ほぼ理想の医者ではあるのです。天才とか、スーパードクターとか、そういう凄みではなくて、しみじみと名医だとわかるんですよね。すごいな。
女性陶芸家のパイオニア
工房では、武志が今日の分の器を作り終えていました。
ここで風呂を沸かして、そのあとで住田さんが渡してくれと言っていたお菓子を食べることになります。住田はええ人やな。
喜美子は、京都の展示会のことを説明します。
秋の京都:女性陶芸家展
会場:京都、大きな会場
時期:10月
作家:川原喜美子はじめとする女性陶芸家
喜美子は自分が一番年上やった、ほやけど一番かわいかったと大いばりです。
ここでの喜美子は、嫉妬も何もない。それよりもパイオニアになった自分の後進がいる余裕と誇らしさを感じさせます。そうそう、喜美子どころか、三津が弟子入りの頃はまだまだ女性陶芸家は少なかったわけですよね。三津も、どこかで陶芸家になっていると信じたいところです。
喜美子が後進の同性に嫉妬していない。一番かわいかったでぇ! というのはツッコミ待ちのボケに見えるのは重要でして。
今年の大河でも、重要な役を演じる女優同士のバトル報道があり、それは視聴率アップ作戦だなんだのと言われておりましたっけ。毎年ありますよね。女優同士はいつまでバトルをするのか?
◆ 『麒麟がくる』川口春奈と門脇麦の不仲説「目も合わせない」にギモン
疑問を感じて、過去報道にツッコムのはアリやし、ええと思うし、大事やな。
せやけど、せっかくだからここは相手の袖を掴んで、投げ飛ばすようなことをしてみまひょか。
中高年男性向け媒体が「女同士はバトルしとるでぇ〜」と書いて、エロエロ記事が好きそうなおっさんがニヤニヤするのは【大奥の上様心理】やないの?
この世界を大奥みたいなもんとして、記事を読むおっさんが上様という世界観やね。
「なんやわしの寵愛競っとるんかい? それで女同士はバトルするんやな〜」
いや、現実見ろや。何言うとんねん。そうなるやろ?
それでも、この手の女のバトル記事を読んで脳内で気持ちええもんがドバドバ出る。すると、また次を求めて中毒性のある依存症ができる。本人でも気づかないで手が伸びてまう。そういう症状やな。
それにどっぷり何十年も浸かっとって、しかもメディア当事者すらその陳腐さに気付いていない。
せやからこういう記事を見たら「あ、上様妄想おっさん需要やな!」で、ええんちゃうか。
喜美子は武志に突っ込まれつつ、展示会のことをこう言い切るのでした。
「おう、見に来い。10月や」
腰に手を当てて、ええアルトでこう言い切る喜美子はカッコええ。ほんまに何度でも書くけど、スレンダーなスタイルもあって、菅原文太さんみたいなかっこよさがあるわ……。
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