スカーレット78話あらすじ感想(12/28)喜美子と八郎のズレ

はじめから【ズレ】を悟りきって受け流す。そういう百合子を選べばよいのです。

「またわけのわからんこと言うとる……」というスルースキル抜群の百合子しか、ここはおらんのよ!

喜美子と八郎が壊れてゆく中で、百合子と信作は理解しているんだかしてないんだか、よくわからんくっつき方をする。
そこまで示さないと、朝ドラとしてはあかん。そういう配慮がある!

林遣都さんはもう、滋賀県の誇りである石田三成を演じるしかない。
できる人なのに、ええ人なのに、なんかズレたことを言いまくって孤立する。で、溝端淳平さんあたりが演じる加藤清正が恨みを募らせるわけですね。

「なんやこのスカスカの兵糧管理。ええとあかんでいうたら、8:2であかん」

「なんじゃいワレぇ!」

いや、むしろもう滋賀県動いとるやろ!
石田三成ドラマ化を見据えて、林遣都さんをこのめんどくさい枠にしたんやろ?
そう信じたくなるわ。彼こそ滋賀県の宝や!

※配下にするなら三成〜(同僚にするといいとは言ってない)

石田三成~日本一の嫌われ者を再評価! 豊臣を背負った忠臣41年の生涯

ついでに直子は?

もう今年最終回なので触れときますと。

あいつは【先延ばし・現実逃避型】ですね。

朝ドラでここまであかん性格を描くとは思わなかった。
性格が悪いわけではない。

でも、直子の行動は問題がある。

葬儀諸々の大変さ、応対。
そういうことをほとんどしない直子は、大問題があるのです。

葬儀だけならまだいい。これに介護も絡んでいたら、大爆発で何の言い訳もしようがない。家族崩壊になりかねないことです。
三姉妹を比較すると、なんだかゾワゾワするものが出てくる。

直子の父への愛を疑っているわけではない。
でも、感情に向き合うことがつらくて、こわくて、避けている感があった。

でも、それはよくないこと。
今このときも、直子は鮫島に夢中になっていて、あかんところを見逃しているんだと思う。ジョーと駆け落ちした、かつてのマツみたいに。

油断しない方がいい。後回しにした問題は追いかけてくる。見えないふりをしても、消せない。
直子は一番親に似ているところがあって、アリの巣に蓋をしたまま生きていく。そういう人間だとは思う。

本作には根っからの悪人はいない。
憎める人はある意味いない。

平凡な人が見逃す、やらかす。そういう小さな悪やズレ溜まっていく。
そこがおっとろしいところだと思う。直子はその象徴的な存在ではあると。

※うっ、うぐ……と言い出してからは遅いんやで

川原喜美子、初めての作品

百合子の言葉を聞いて、八郎は何か思うところがあるようです。

工房での喜美子は――。

粘土をこねつつ、喜美子は感極まってたように唇を噛み締めている。バイオリンの音が流れます。

脳裏に浮かぶ、父の姿――。

力をこめて、粘土に向き合う。向き合っているのは、粘土だけなのか?

そこへ八郎が入って来ます。喜美子の背中を撫でる。
そしてこう言います。

「お義父さんのことが浮かぶんやな」

喜美子は八郎の腕の中で泣きました。
川原家の長女として父を見送ってから初めて、やっと泣くことができました――。

圧巻の演技です。

ここの泣き顔が、美しくはない。むしろ生々しくて、子どものようで、爆発した感があって見ていてつらいほどだった。

泣いてから、やっと動き出すものがあります。

喜美子の手が動き出しました。

丸い枠に、小さな粘土をつめていく。
誰のためでもない、自由に、初めて自由に作りました――。

微笑みながら焼き上がりを待つ。
川原喜美子、初めての作品です。

笑みが浮かぶのでした。

これでええんか? いかんでしょ

父の死そのものも悲しいけれど。
そのことを、悲しむことを我慢することもつらい。

感情抑圧の残酷さが出ている場面ではあった。
それを解き放った八郎と思いたいところですが、素直に喜べない部分はある。

結婚前はここまでプロセスが複雑ではなかったのに、八郎はジョージ富士川との出会い、入選、百合子の言葉という段階を経なければ喜美子の心に到達できなくなった。

ものすごく不穏なことではある。

その一方で、信作が百合子という存在と共に回り始めている。

吹っ切れてモテるようになっても、何かがズレていた信作。
それが、八郎との出会い以来、ズレが変化しているようで、直感力や決断力が見えて来た。マッタケを即座に採取する彼は、光るものがあった。

八郎が世間との付き合い方や名声を得て、何かを失っていく一方で、信作が光り始める。
本当におっとろしい作品だと思う。

『なつぞら』のめんどくさい枠は揃って光るけれども、こちらは両立しないのかもしれない。どういう地獄システムだ!

それに、これが【川原喜美子、初めての作品】って引っかかりませんか?

愛ゆえに焼き上げたあのコーヒー茶碗は?
家族を支えるために作っていた諸々は?

作品には入らない。

これは『なつぞら』と併せて考えるとわかりやすいかもしれない。

山田天陽は、家族を養うためにカレンダーの絵を病院でまで描いていた。

でも、それはあくまで生きるため。
ほんとうの心を描いた作品は、アトリエに残された馬でした。

いくらで売れるか?
名声に見合うものなのか?
ファンはつくのか?
そういう外部からの影響を踏まえなければ、それはプロとは言えない。

けれども、純粋なのだろうか?

ドラマの作り手は、きっとインターネットの投稿なり感想なり、見ているはず。
そう思いたくなりますよね。

そのことそのものは悪くないけれども。
視聴率も気にするけれども。

流されすぎると、もう純粋でなくなるのではないか?

視聴者まで巻き込んで、なんだかものすごいものをNHKは投げ始めた。

つらい叫びを感じる。
受信料というシステムだからこそ、流されないという建前がある。そういう公共放送だけれども、実際はそうはいかない。

理想と現実の狭間に突っ込んで、苦しんでいる。そういうものすら感じる。

東も、西も。
2019年の朝ドラは、生々しい苦悩を感じさせたのです。

2019年の朝ドラは、氷と炎の歌

2019年の大河も、朝ドラレビューも、これでやっと終わる。

2019年は、NHKにとって反撃の狼煙をあげるような、画期的な年として後世記憶されそうではある。

薬物がらみの不祥事三昧とか。
あの政党とか。

そういう表面的なことではなく。
今にして思えば2015年前後を起点にしているのでしょう。誰かが、その力に気づいて模索を始めたと。

思えば昨年の放送事故主演女優は、2019年女性像炎上広告第一弾でしたね。
新春早々燃えあがりました。

その後、大河でも出てきて女性アスリートでなんだかんだ言っておりましたが、ああいう炎上後ですと、どうにも説得力が薄い。そう思えたものです。

「ママさん女優を出します!」

こういうアリバイが女性像を打ち出す上でなんらかのアリバイになると思っていた。
そういうズレまくった担当者は今年消えたようです。

『なつぞら』も、『スカーレット』も。
今年のNHK朝ドラ女性像は圧巻、一気に五年か十年すっとんだようなものがある。

どうやらNHKは、メディアの持つ力を自覚し、かつ視聴者に明かし始めたようです。

メディアには“呪い”をかける力がある。

◆メディアの“呪い”は解けるのか

昨年の放送事故モデル企業は、アニメをモチーフとした広告で炎上しました。

あの擁護で、

「こういうのはアニメのお約束だから」

「あんな超人的な技が出るアニメに突っ込まないでよ〜」

と、突っ込む方がおかしいという擁護がありました。

が、それは世界規模では通じるはずがありません。
同じような擁護は、献血ポスターでもありましたが、やはり通用していない。

それはそうなのです。

「表現の自由だから」という、雑な擁護は理論で覆されます。

◆‪炎上繰り返すポスター、CM…「性的な女性表象」の何が問題なのか

2019年は、雑な擁護が終わりを迎えた記念すべき変わり目だと思う。

NHK側が無自覚とは到底思えない。
無自覚で、いつまでも「ポリコレうるさいババアどもがさ〜」とヘラヘラ踊っていたら、滅びるだけですから。

◆(異論のススメ スペシャル)社会が失う国語力 佐伯啓思

こういう論も出てくる2019年。
朝ドラや大河の読解力ひとつを観察しても、低下が恐ろしい話だと痛感してはおりました。

「何も考えずに楽しめればいいじゃんね〜!」

そういうどこかで聞いたようなことを続けていると、どうなってしまうのか?

緩やかな滅亡あるのみ。

じゃあ、対策は?
ドラマの作り手にはある。作品による啓発です。

◆【谷原店長のオススメ】東大生らによる性的暴行事件をモチーフとした小説、姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』

つらいことを考えたくない。萌えではしゃいでいたい!

タップすればクリアできるゲームみたいな、放置して少女が育つみたいな。時間になるとイケボで話し始めるような。
そういうことばかりをしていると、社会はゆっくりと疲弊します。思考力は低下します。

昔むかし、中国の作家は考えました。

「『三国志』、これは定番やね。題材にしただけである程度売れる。曹操をひどい目に合わせて、諸葛孔明がなんか燃やし続けて、張飛が殺しまくればみんな大はしゃぎですわ。でも、それでええんか? いかんでしょ」

そう考えて、関羽が人格高潔で視聴者や読者に好影響を与えるよう、ブラッシュアップしまくった。

なぜ関帝廟が今もあるのか?

『三国志』モチーフの視聴者なり読者なりが、
「関羽最高や 関羽の徳があれば世の中よくなるで!」
そう信じたからです。これはいろいろはしょった説明ですけれどもね。

関羽は死後が熱い!?「義」の代表が「万能の神」として崇敬されるまで

‬エンタメは、世界を変える。
世の中をよりよくする。
神まで作る。

そういう力がずっとある。

エンタメそのものに罪はない。

包丁を料理に使うか、犯罪に使うか?
使い方次第です。
ゆえに、包丁には善悪がない。

朝ドラチームの中には、この特別な枠を社会をより良くするために使おうとしている人がいるらしい。
大河にもいる痕跡はありますが、それは別の時にでも。

『半分、青い。』の律はあんなに賢いのに、国語の人物心情を選択する問題で間違ってしまう。
鈴愛は、感情を隠すことができない。
笛を投げた師匠にも怒りをぶつけてしまう。

『なつぞら』のイッキュウさんは、喫茶店で人が目の前に座っても読書を続ける。適量が理解できない。
彼と神っちは、予算と締め切りを設定されただけで動揺する。

夕見子は、実家帰省で荷物も置く前に、家族の男女観にダメ出しを始める。

絵を描くことは便所に行くようなもの。
そう言いつつ、どこか不器用な生き方をする天陽。

泰樹は、むしろいろいろ考えているのに、夕見子の結婚をお菓子の味だけで決めてしまう。

『スカーレット』の八郎は、あんなに優しくて思いやりがあるのに、喜美子との【ズレ】に気づかない。

信作は、何度も何度も愛情を割合で語ろうとして、水をかけられハンドバッグで殴られる。

なんでこんなに変人がずらずらと出てくる?

これはただの個性描写?

それとも何か意図がある?

ただの性格。
これは彼らの性格だけれども、彼ら本人および彼らの周囲は決して楽な生き方をできていないと想像ができます。

視聴者の反応。
それをまとめたネットニュースに答えはある。

キモい。ムカつく。最低の女ども。生意気。うるさい。最悪のドラマ。作り手もおかしい。

こうした朝ドラが圧巻であるところは、反応までふまえて作品世界にしているところ。

どうして彼らとその周囲は理解されないのか?
そう語る上で、絶好の教材になる。
気づいている人はいるだろうけれども、私からの答えは控えたく存じます。

ちょっとでも、彼らに似た要素があった人を「キモい」といじめてなかったか。
避けていなかったか。
考えて欲しい――それがドラマの作り手の策でもあると思う。

今年は『ゲーム・オブ・スローンズ』完結の年。
あのシリーズの原作は『氷と炎の歌』というシリーズです。

2019年の朝ドラは、東と西で氷と炎の歌を奏でるような、そういう圧巻のものがあった。

『なつぞら』の青い氷はまだ優しかった。
『スカーレット』の緋色の炎は、見る者の心を激しく焼き尽くしかねない。

こういう挑戦をいつまで続けられるか?
朝ドラがこんなにおもしろく、見ていて疲れるものだと思わなかった。

恐ろしい一年でした。

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
スカーレット/公式サイト

 

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