「人ってなんで空見上げる時、口開けるんやろな」
「あっ」
そう言われ、口を抑える三津。喜美子と入れ違いで、工房へ入ります。
何気ないけれども、三津の幼さ、あどけなさ、無邪気さが出ている場面です。
若い女が可愛らしい、ええと思う気持ち。それは、その幼さにつけこめるという心理もないか? そんなことまでちょっと考えてしまう。
ろくろにぼーっと向かっていた八郎は、三津が来ると決然と立ち上がり、手を洗い、出て行きます。
三津はその背を憧れの眼差しで見やる。
やっぱり嫌なものを感じる。三津の胸に芽生えた恋心もそうですが、八郎もそうなのです。
手を洗うアップは、彼の美しい手をサービスするため?
どうでしょうね。彼は手慣れた陶芸をしているようで、考え込んでいる様子だった。ボケーっとしているようで、脳内では何かが回っているのでしょう。
『なつぞら』の柴田泰樹も、牛を撫でる場面があった。
酪農家が牛を撫でて何がおかしい? それはそうです。
ただ、何か考え込んでいるようでもありましたし、実際にそのあと決断を語ることがあった。
こういう軍師連中は、なんかボケーっとして手を動かしているだけで、脳内で策を練っていることがあると思うのです。
八郎のここから先に注目!
もしも、八郎がここでやっと二人きりになったと、ニヤケヅラをすればそこまで地獄じゃないとは思うんだな。
けれども、彼はもう、何かのスイッチが入ってしまった……。
※泰樹前世の真田昌幸も、ぼーっとしているようで考えて、そして謀略をかます
策を弄し、銀座下見同行を阻止せよ
八郎は戸が開き、喜美子のところへやって来ます。
喜美子はカバンからノートを出して見ているのです。
八郎が、橘の仕事について聞いてくるので、喜美子は説明します。
橘の夫、その会社知り合いで贈る結婚式の引き出物。小皿5枚セット40組=200枚!
八郎は驚きます。どんだけ時間かかると思う、そう言うのですが……この人はこういう話し方しましたっけ?
すごく司馬懿……じゃない、芝居っぽいんですよ。
わざとらしい。松下洸平さんの演技が下手になったわけではなくて、演技とわかる演技になったと思える。
喜美子は、電動ろくろなら一日でできると言います。
八郎は電気窯は一個しかない、自分の個展もあると反論。喜美子は急ぎの仕事だから、その場でおおよそ決めてきたと返します。
ホットケーキを食べながら決めた。
絵付けの力、ぜひ活かしてください――そう言うてくれたから、絵付け小皿にしたのだと。
「ええやん。可愛らしやん。喜美子らしいええ小皿や。ほな、はよつとめぇ」
八郎は諸手をあげて賛同する。
こんなにわざとらしい褒めかたしたっけ?
「東京は?」
「行ってる場合やない。喜美子はこれやっとき。ついてきたら間に合わへん。作りたいんやろ? ほんまは作りたいんやろ?」
八郎はそう畳み掛ける。
おかしい……違和感がある。
橘のコーヒー茶碗の時は、むしろ喜美子と自分の境界を踏み越えるように、もっと関わってきた。
今は丸投げ。
経年の変化があるとはいえ、どうしたものでしょうか。
喜美子は認めてしまいます。
「さっき嘘ついた。ホットケーキおいしかったいうたけど、嘘や。久しぶりに小皿二百枚作ること考えたらホットケーキ食べた気せえへん。味なんかせんかった。作りたい。ほんまはゆっくり時間かけて納得いくもの作りたい」
ホットケーキと嘘――ミッコー騒動のとき、八郎は本当に好きなのかと迫りましたよね。
あのころ彼は、喜美子の嘘を許せなかったし、気付くこともできた。
めんどくさいけれども、あのときはそういう純粋さがあった。ホットケーキは嘘の象徴になっている。
「ほな、はよ取りかかりい。こんな、喋っている間もったいないで。僕は僕でやるから。喜美子は喜美子でやりたいことやったらええ」
うーん、このセリフよ。
理解ある夫のようで、残酷なこのセリフよ。
喜美子は意を決して、一人、絵皿の色を決め始めます。
八郎は、三津のいる工房へ向かい、三津が提案したディナーセットを作り、三津の勧めた銀座個展の下見へ向かうのでしょう。
ジョーと八郎 どこで差がついたのか?
大野夫妻は【ジョーカス暴虐指導】に望みを託す。
喜美子は、お父ちゃんがいないと締まらないと認識している。
ジョーの株が上昇中の本作。
その最大の要素は、八郎ではないかと思えてきました。
頼まれないでも、そっと娘に赤い手袋をプレゼントしようとしていたジョー。
しつこくせがまれ、銀座個展開催の動機に息子のテレビを加えそうな八郎。
そして今日は【正論で詰め寄られた際の対処】が見えてきた。
工房での会話で、喜美子の下見同行阻止が難しいと悟った八郎。
陶芸をしながら、彼なりに考えたのでしょう。
なだめすかし、大げさに褒めて、仕事に向かわせることで銀座行きを止めたと。
喜美子が反論しようにも、橘の仕事を引き受け、ワクワクして乗り気だったと八郎が言えば「むむむ……」となりかねない。
喜美子の誠意、創作意欲、責任感。そこにつけこむ。先手を塞いで、自分の目的に達成する。そういう策を練っているのではないでしょうか。
八郎には今後に向けての布石があり、何手先を読んだ策をもう打ってきていると思えるのです。
ピュアなだけではない、そんな松下洸平さん。
心の底からおそろしいと思う。
八郎は賢い。その賢さが喜ばしいのは、善良かつ視聴者が感情移入できる、そういう目的に使われた時のみ。その逆に使われると、おそろしいことになる。ジョーのちゃぶ台返しよりも、八郎の策の方が恐ろしいことになりかねないのです。
今後、八郎が三津に乗り換えたとしても、言い訳はいくらでもできます。
・三津は若い美人
→これはあまりに見え透いているので、むしろ八郎は乗らないと思う。
・子どもがもっと欲しかった
→「めおとノート」では二児だったのにいつまでも二人目ができない。そういう言い訳はできる。不妊は男女双方に原因があるとはいえ、世間は妻を責めるものです。
・センスがある。商才がある!
→ディナーセット採用から成功すれば、そう言い切ることができる。
・人脈もあるで!
→もし、関東に今後進出するとなれば、人脈は大事です。八郎は正面切って認めるかどうか、そこはわからない。けれども、佐久間あたりは「ええ嫁はんやな」とにんまり笑いそう。三津の父は美術商で、母は美術関係者に教え子がおります。三津自身も、美大関係者人脈がある。まさしく【陶芸家理想の嫁】なのです。
スペックだけで比較したら、信楽の中卒女の喜美子なんて、勝負にすらなりません。
あふれんばかりの画才と陶芸の才能。これも前述の通り、世間ではこれで終わる。
「せやけど中卒のおばさんやろ? 受賞歴もあらへん」
千里の馬は常にあれども、伯楽は常にはあらず――というやつ。
※千里を走る名馬=才能ある奴はいつでもおるけど、それを見抜ける奴がいつでもはおらんちゅこっちゃ
経歴だけで、喜美子の才能は埋もれかねないのです。
そんな乗り換え前提で言わんでも、モデルがそうだからって……というツッコミはあるかと思います。
でも、今日でもう確定でしょう。
実はひとつ、ジョーで気になっていることがあった。
あいつは酒は飲むけれども、女遊びはしていない。飲む打つ買うは男の甲斐性。酒食に溺れる。そんな死語がジョー世代には当たり前でして。
それなのに、ジョーは酒だけだと感じていました。酒だけでも十分悪いのですが、それでも当時ではまだマシ。
ジョーには、マツに対する一途であふれんばかりの愛があった。
ここで、前述のジョーと八郎の対比を見てみましょう。
喜美子は、父と正反対の結婚相手を選んだとは言われる。
妻へ捧げる純粋な愛――この一点も正反対であったら?
地獄はまだまだこれからやで……つらい!
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
スカーレット/公式サイト
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