スカーレット105話あらすじ感想(2/5)陶芸家・川原喜美子です

別々の脚本家で、ここまでミッチミチにしてくるということは。脚本家さんのお仕事を過小評価するつもりはありませんが、何らかの組織的なサポートもあるのかなと思います。ええんちゃうか。

もうひとりの眼鏡の少年は、永山大輔くん。

ここでマツが、永山さんの家は永山陶業という大きな会社だったと言います。

大輔は「おばあさんは、俺が来るたんびに言うてはります」と返すのですが……。

重要かもしれない。
丸熊はまだ出てこないけれど、ナンバーツーの永山は縮小か、あるいは倒産か。信楽の陶器生産はどうなったのでしょう。

やっぱりなんだかんだ言って、陶器のタイルやインテリア、家財道具は減ってゆく。

武志あたりはタイルのお風呂に入っているでしょうけれども、彼の息子世代はそうじゃないもんなぁ……。

うーん、喜美子の周囲だけでなくて、信楽、滋賀県そのものが気になってしまう。

やはり朝ドラと大河って偉大だな。
こういうこと、他のドラマではそうそうできない。ただし駄作は別やで! 企業宣伝はせんでええからね!

ここで喜美子が帰宅。ぶっきらぼうに「ただいま」と言い、高校生たちが「お邪魔してます」と挨拶するのです。

「来てたん」

そういうサバサバおばちゃんになった喜美子。

喜美子の天下取り
その1「で、あるか」

 

うーん、このそっけなさ。織田信長の「で、あるか」みたいだ。

この口癖は創作物由来とかなんとか言いますが、ここは注意しましょう。智勇あふれる、しかも男性に多いんだな。

「初歩的なことだよ、ワトソンくん (Elementary, my dear Watson.)」

なんてのも典型例ですね。原典にはないのに、有名になったアレやで。

※そんなんアレやん、ワトソン

無愛想でぶっきらぼうであってもカッコいい、クール! そういう男性にありがちな要素を、喜美子は習得したで!

その背後には、住田という男もいた。

「先生、先生!」

「先生、やめてください」

喜美子は疲れたという。テレビ、顔出し、もう堪忍してください。この前のあれも疲れたでえ、講演会。

そう喜美子がぼやくと、住田は講演会あればこそこれだけのお土産があると言います。

そんな住田に、喜美子ではなくマツがお茶を勧め、彼は断るのです。

喜美子の天下取り
その2「権威には慣れたで」

この貫禄がええねぇ。

ジョージ富士川の仏徳とも違う。

フカ先生とも違う。

名声にちょっと戸惑っていた八郎とも違う。

慣れきった上で、利用した上で、疲れているとぶちまける。

露骨にふてぶてしいぞ、おい!!

しかし、すごいな。カッコええな。

卵を入れたお粥をすすっていた、あの川原家に、お土産がバンバン届く。喜美子はほんまに強いわ。

喜美子の天下取り
その3「流言飛語コマンド使うで」

それに喜美子は清濁併せ呑むからね。不倫の誤解から橘を経由して来た、絵付け小皿の依頼も引き受ける。ちや子の報道力も利用する。

世間をどう動かすのか、利用できるたくましさと強さがある。

昨年のアレな。

「テェレェビィやあああ〜〜!」は、思いつきでしかないとわかってキッツイもんがあった。

けれども、喜美子の場合は、先の大阪でちや子の発信力を確認した上で、手紙を出してまずそこを使いましたからね。

金賞を取るまで足踏みしていた八郎よりも、喜美子は巧み。流言飛語スキル(マスコミ対策)の使い方が抜群で、知勇兼備にもほどがある。

でも、予兆はありましたよね。

マスコットガールミッコーや、新聞記事に怒り、戸惑っていた八郎。

そんなもん利用するまでと、ふてぶてしかった喜美子。

ここまで武将めいた朝ドラ人物は、『なつぞら』の柴田泰樹(前世・真田昌幸)くらいしか思いつかん。あの夕見子でもここまでではない。

※喜美子を敵に回すのは得策ではない!

喜美子はここで、この前のアレを見たか?と大輔たちから聞かれます。

サインもろといたとあっさり認める喜美子。サインとは、ピンクフィーバーズでした。

アレやな。モデルはなんか見えてきたで。

※コレやろなぁ

「最近の若いもんはAKBだのなんだの……」

なんて言うおっさんかて、若い頃はこういうんに夢中でな。

そのおっさんのじいさんのじいさんも、女義太夫にハマっとったし。その御先祖も、笠森お仙にヨダレだらだらしとったし。

江戸時代の人気No.1アイドル「笠森お仙」ってどんだけ美人だったん?

戦国時代は、今度の大河『麒麟がくる』に出る伊呂波太夫みたいな女芸人にウハウハやし。

そんなもんやで!

住田は「好きなん?」と聞く。学と大輔は真似をする。

「ピンクフィーバーズ!」

ええんちゃうか。この昭和のアホな男子高校生、話題さらうわ。

歳月が流れた家と工房

マツはもう歳ではあるとわかります。
老眼鏡になって、編み物をしながらウトウトしてしまう。

老眼鏡の使い方、加齢演技といえば、『なつぞら』の高畑淳子さんのとよは見事でしたねえ。

老いて盛んな猛将っぷりでしたが、マツはマツの老い方があるのです。富田靖子さんは流石にうまい。この、ウトウトしてしまう首の動かし方。絶品やないですか。

「NHK東京の加齢演技、ええと思います。泰樹もとよも、勉強になりますわ。ほやけど、NHK大阪の本気と違いを見せな(アカン)」

というわけで、期待してます。去年の武士の娘は、忘れよか……。そして、若い世代もな。

どこかなんか暑苦しい長髪。
高校時代の信作とは世代の違う背伸びのある、そんな武志ですが。

彼の机には、進路希望の願書があります。

親の頃とは違い、高校進学が当然となったこの世代。人生の岐路はこの時期にあるのです。

灰と土が反応してできる自然釉の作品は、陶芸家・川原喜美子の代名詞となりました――。

そうナレーションで語られる中、喜美子はひとり、工房で作品に向き合っています。

彼女は一人。
その姿はやはり、美しい。

焼き上がったこのドラマ

喜美子の作品が焼き上がりました。

本物の自然釉を利用していて、その美しさにはハッとさせられる。

そんな作中の登記だけではない、もう一つのものが焼き上がったと思います。

【ミラーリング】やで!

男女の役割を入れ替えると、何か今までわからなかったものが見えてくる。

その代表例が、Netflixの『軽い男じゃないのよ』。

※入れ替わりといえば……

男女入れ替わりといえば、あれやこれやを思い浮かべるかもしれない。

「女はええなあ。笑って愛嬌振りまけばなんでも通るんやろ」

そんな愚痴を豪速球で打ち返す作品。男と女が入れ替わった世界に行ったら、ピチピチの服を着ないといけないわ、道ゆくだけでセクハラされるわ、地獄だった……というものです。

といっても、こんなもんを朝ドラで流したら、視聴者阿鼻叫喚になる。

そう考えたと思うんだな!

第一弾として、まず準備であれやこれやをしてきた『なつぞら』。ヒロイン夫・イッキュウさんの家事育児は、女性ならして当たり前のことですが、大絶賛をされたものです。

孫娘を見守る泰樹。娘の大学進学を許す剛男。彼らも素晴らしいものがあった。

第二弾や!

「女が男のように天下布武してはいかんのか?」

そう宣言するかのような、喜美子の熱すぎる焼き討ちの数々。

喜美子はわがままだと袋叩きにあいそうですが、これは男女逆転したらありえることでして。昨年のヒロイン夫がそれ。連続収監されないだけ喜美子ははるかにマシ。

人間としてあまりにゲスな昨年のヒロイン夫あってこその、喜美子爆走だと思えば、やっとアレに感謝できるような気がしてきた。ハセヒロさん背水の陣という意味でもありやろな。

ついでにいうと、甘っちょろいと言われる八郎の特性も、ヒロインとしては最善最良ではあるのです。

見通しが甘いとか。

配偶者に簡単に許可を出したとか。

名声に戸惑うとか。

過剰な潔癖性とか。

甘えん坊なところとか。

喜美子が迫っての結婚であったとか。

その魅力は、甘ったるく描かれてきたけれども。それがメラメラと焼け落ち、あの色を出した現場に立ち会えなかったのです。

喜美子の夢が叶ったことはうれしい。
しかし、その横に八郎はいないし、誰も困っていないことは悲しくはある。

八郎がマツの代わりに、水を持って駆けつけて見守るようにはできなかったのか?

物理的な問題ではありません。
むしろ八郎の方が体力的には消火向きでしょう。不器用ですけどね。

何かが心理的な壁になってできない。そこにいないけれども、悲しい話だとは思った。

けれども、そう思えるのはどうしてなのか?

八郎が女だったら、芸術を理解できないで別れた馬鹿な女。
あとで泣いてろ、ざまあみろ!

そうなりませんか?
本作はしみじみと奥が深いで。

さて、せっかくだから、もうちょっと考えてみたいと思います。

人間の心理ウォッチャーとして朝ドラ周辺をみる

こんな報道がありました。

◆‪スカーレットで不倫描かれなかった訳…東出の影響説は本当か

◆‪「東出と八郎はここが違う」 朝ドラウォッチャーが東出の不倫騒動を「スカーレット」から読み解く

いや、そんなことは第一回の冒頭場面や、序盤の喜美子による「意地と誇りはあるんや〜!」というセリフ、そして展開をつなげていけば「そういうものじゃない」とわかるかと思いますが。

なんだか意味不明な引き伸ばしやテコ入れのせいで、放映時期のプロットがガタガタになる朝ドラはわかるもんですよ。

人気キャラ五代様の死を後に倒して、後半が崩壊気味だった2015年下半期『あさが来た』とか。

テコ入れに無理矢理親子共演をねじ込む。あの前後放映時、ヒロイン父俳優が民放でも親子アピールしていて何がなにやら……。そういうことをした結果、モデル企業の開発秘話がすっぽ抜けた昨年の放送事故とか。

水橋氏は妥協しないし、そんな彼女を内田P始め周囲が固めている。そういう盤石な体制が見て取れる。

『半分、青い。』の作風も、北川氏を防衛する周囲あってのものだと聞いております。そういう団結あってのものです。

でもどうしてこういう記事が生まれるのかな?

「アクセス数を稼げるから」

これやな。
一秒でバレるような嘘でも、アクセス稼げるのであれば正義や!

ほんでな。

「どうしてアクセス数を稼げるのか?」

やっぱり不倫が見たいんやろなぁ。
一日中不倫のことを考えて、興味津々で、覗きたい気持ちがあるから、嘘を見抜けなくなる。目の前の朝ドラと実在の事件をガッチリ絡めて、無駄な推察をして時間を使いたくなる。

三津と八郎がほんまにできとったら、一日中アンチタグで投稿して憂さ晴らしできたのに……そう思ってへん?

数字を取るために、そういうゲスな仕掛けをすればええことくらい、NHKならわかっとるやろなぁ。

◆ファンは、ハッシュタグをつけて萌えを投稿し続ける。作品を楽しむことは良いこと。

ただ、純粋に味わうだけなのかどうかは考えましょう。

これはあるドラマのネットニュースがダダ漏れですごかった。
見続けた自分は勝ち組。そういうマウンティング材料にするつもりが満々で、びっくりしました。

昨年の放送事故も「私はヒロインそっくり!」「私の夫はヒロイン夫そっくり!」と、聞かれてもいないのにアピールするファンがいた。

ヒロイン夫妻の愛が詰まったインスタントラーメンを食べているだの。

その反証が出ると激怒するから、心理状態丸見えでもうちょっと取り繕ってくれと思ってしまった。

◆アンチは、叩くことで自分の気持ちを慰撫し、見せつけたい。

ドラマ通自認者は、こんな朝ドラに騙されないという気持ちがある。

女性(出演者、キャラクター、スタッフ)を叩き、自分は違うと優位に立ちたい気持ちがある。

『半分、青い。』がまさにこれよ。

『なつぞら』も、女優の些細な言動をあげつらい、ボコボコにして一致団結してました。

◆どうでもええ、そもそも見ていない人。彼らはネットニュースや投稿を見聞きして、無責任に作品の話題を消耗する。

『半分、青い。』の時、これが圧巻でしたよ。

「朝ドラ? 見ていないけど、舐め腐った態度の女性脚本家が、しょうもねえバカ女の話書いてるんでしょ? うちの会社の人も、キモいクソドラマって言ってたよ」

「えっ……見ていないのにわかるんですか?」

「私が? どうしてそんなクズみたいなドラマ見なくちゃいけないの? 私だよ? この私がだよ!」

なんで見てもいないのに、テキトーな話をするのか?
謎は解けましたね。そういうことですよ。

褒めるにせよ。
叩くにせよ。
できるだけ脳を使いたくはない。だから、ネットでハッシュタグを見て、自分に合うものを探して、そこを投稿すればスッキリできると。

でも、こういう流れって安全でしょうか?

結局、自分が一番気持ち良くなることしか考えていないのでは?

ドラマやキャラクターの話をしていても、結局ドラマはどうでもよいのでは?

その手は見破られた……NHKドラマ班にはそういう誰かがいる。そのうえで、情報をリークしていると念頭に置いた方がよいのかな?

いや、関係ないですね。
アクセス数が正義ですからね。

読み手としてはそれでよろしいのでしょうか。
罠に引っかかり続けて、それでよろしいのでしょうか?

そこは考えんと!!

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
スカーレット/公式サイト

 

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