スカーレット111話あらすじ感想(2/12)圧倒的孤独感

研究所にいたのは照子でした。

横にいるのは髪の毛を染めた不良少年。そう、昭和の不良少年やな。シンナーとか吸ってへんとええな。

にしても、この髪の毛のリアルがすごいですね。真っ黒な根元が数センチのプリン。本気を出しおって!

当時は髪の毛を染めることが、今とは比較にならないほど不良行為そのものであり、染めるにしても根元だけメンテナンスする技術はなく、こういう悲しい状態になっとった。

この状態を維持することは、ジョージ富士川の金髪どころやないやろなぁ……。

しかも、全体的にモサい。めっちゃ田舎の不良。今なら「ド派手なシャツwwwwwwww」とネットでバカにされるような……特定視聴者のトラウマをえぐる朝ドラHELL。ここへ来てさらに磨きがかかっとるわ。

北村一輝さん筆頭に、この竜也さんの福崎那由他さんといい、鮫島役の正門良規さんといい、画像検索かけると「普通の現代イケメン」で驚かされますよね。
メイク、髪型、服装ってあるんやなあ。

本作は、いったい美形をどこまでモサくできるのか? 以前はクリクリ坊主の野球好きと説明が入るあたりも、切ないもんがある。

照子は、家庭菜園に夢中になってるうちに、竜也があんなになってしもたと喜美子に語ります。

女の子ばかりだった熊谷夫妻に、男子誕生! 後継者やと育てていたら、何か間違ってしまったと。

更生施設として、信楽窯業研究所を使う。研究所も迷惑でしょうが、なまじ丸熊だから断れない。

田舎のアレやこれやが生々しすぎて、クラクラして来た。

不機嫌そうに蹴っ飛ばす、そんな我が子を追いかけて怒鳴る照子が切ないですね。

演じ分けもおそろしいもんがある。夢の中は高校生、今は不良息子に怒鳴るおばちゃん。
半端ないな、本作、半端ないな!

※こういう不良の時代や(現実のルックスはビー・バップ・ハイスクールだけどな)

普通の先生に教わりたい

喜美子は研修室に入っていきます。

掛井はタコさんウインナー入りのお弁当を食べていました。お食事中か……と喜美子が気遣っていると、どうやら食べ損ねてしまったそうです。

ご挨拶に伺ったという喜美子に、掛井は感激しています。

「川原喜美子先生ですよね、穴窯の、自然釉の! 掛井武蔵丸申します、初めまして! 先生の作品は拝見させていただてます!」

個展でみた壺が欲しい。家内と話していた。そう熱心に、身振り手振り付きで話します。いささか圧の強い熱気に、喜美子はちょっと戸惑っているほど。

このあと、すき焼きを武志と挟んで食べつつ、喜美子はその出会いを語っています。ビールも飲んでいるようです。

握手してくださいいうて。
お母ちゃんの手ェ見て、ここから素晴らしい作品がー、言うて。

そんな母に、武志は恩師のことを語ります。

掛井先生は普通の人。そう初めてあった生徒にいう。

何が飛び抜けているわけではない。

絵がうまかったわけでもない。

文章がうまかったわけでもない。

集中力も。

想像力も普通。

特別なことは何一つない。

それでも、こうやって陶芸の道に進むことができた。

こうやって、人に教える人間になれた。

努力する方向を間違えんかったら、なりたいもんになれるで。

こう語る武志の言葉には、竜也を指導する掛井の姿も入ります。なんやこの、不良更生物語路線は。泣き虫先生ならぬ普通先生によるスクールウォーズか。

喜美子と照子、どうして教育に差がついたのでしょう?
慢心、環境の違い……色々考えられますけど、これはうまいと思うんですよ。

子どもが不良になると、すぐ親の責任だなんだかんだ言われる。喜美子だったら、片親であるだけに袋叩きにされかねない。

けれども、裕福で、両親が揃っている。そんな竜也でもあかんもんはあかん。そう示す本作は、偏見をときほぐす技巧があって惚れてまう。

「ええ先生やな」

喜美子はしみじみとそう言います。

「ええ先生や、普通のええ先生や」

武志がそう返すのでした。

武志は自分の足で歩いていきたいと、翌週から部屋を借りました。

喜美子は、再び一人になりました。

するとそこへ、ヒールの音を響かせて、サングラス姿の女性が訪ねてくるのでした。

普通の人にはなれない、孤高の悲しみ

成功したのに、どこか悲しみや孤独も感じる。そんな喜美子の日々。

パーっと成功させろ、派手に盛り上げろ。そんな声もあるかもしれませんが、描きたいのはそういうことではないと思うのです。

武志はキッパリと、母との決別を宣言している。

別居もそうですが、細かいセリフもそうでして。

釉薬を学ぶこと。
それに、恩師を「普通の人」だと何度も言うところに、その決別を感じてしまった。

思えば大阪で、武志が手にした風船は赤ではなくて黄色でした。

喜美子がカケラを得た道も、武志は途中で引き返してしまった。

武志は、和食器セットに憧れていた、そういう父親に似ている。

母の苦労や努力を知っているからこそ、自分はそうならなくてええと思っていると感じるのです。

でも、それって喜美子にはどうなのか?

最愛の八郎とも、武志とも、「別」だと言われてしまう。

喜美子は穴窯を継がせないとキッパリ言ったものの、本心はわかりません。心の底から悲しい気持ちを、抑制するから。

教える側になったという自覚があるのに、弟子もいなければ、我が子もついてこないって、圧倒的な孤独を感じてつらいもんがありました。

ジョーは我が子に言いました。
好きなことをやって食っていけるのは限られた人で、それはすごいことだと。喜美子はそこまで到達した。

それはとてつもなく孤独で、理解もされない高みなのだと本作は語っているようです。

「セレブだ、クリエイターだ、ウホウホ〜!」と、バブリーで浮かれ調子、軽薄な世界観とは明確な違いがあって、心惹かれるのです。

もしかしたら、喜美子のそういう姿勢が「気取っている」と、ムカついてたまらな人もおるかもしれません。

けれども、これもリアリズムやで。

そういう孤高の世界を破るように、女性がやってくるところもええ。

「寂しいんやろ? ほな恋をしよう!」

そういうゲスな話はもうええのです。

『なつぞら』の泰樹ととよには、恋愛感情を挟まない男女という、そういう人間関係の新機軸を見ました。

本作は、シスターフッドまで到達しそうで見逃せんわ!

あと、細かいところですが才能に「集中力」が入っている。三津も「集中力がない」とぼやいておりましたっけ。

戸田恵梨香さんは、過剰なまでに集中する演技が抜群にうまい。
「集中力すること」で、持っている力を最大限に発揮できると、NHKは認識しているようです。

『麒麟がくる』の、織田信長を演じる染谷将太さんに期待をしているのは、ここです。
『なつぞら』の神っちで、過剰集中をきっちりとこなしておりました。信長も集中力があって、かつ、どこか寂しい人物になるのでしょう。

喜美子「もっと火ぃ焚くんや!」

 

八郎「もうついていけへん……」

 

→離婚

信長「もっと天下燃やす!」

 

光秀「……こんな麒麟は駄目だ……」

 

→「本能寺の変」

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
スカーレット/公式サイト

 

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