学の交際相手は、なんと!
そこへ、女性が入ってきます。
「あ、こんにちは」
「こんにちは」
「研究所で働いてる……」
彼女を見て思わずドキリとする武志。研究所で、掛井の妻妊娠を聞いて、とても喜んでいた――あのあたりで、誠意のある優しそうなええ人だとは思っていたのでしょう。
石井だと名乗ると、大輔がこう来ました。
「石井真奈さん!」
武志はちょっと動揺している。俺より大輔の方が近いんか? そういう気持ちがちょっと湧いてへん?
「知ってんの?」
中学一年の時の三年生、テニス部部長だと言う武志。副部長だと真奈はやんわり訂正します。
「なんでここに?」
「急に呼び出されて」
「ええーっ! てことは、学と付きおうてる……」
武志ショック!
なんか衝撃受けとるよ!
「あはは、違います。うちやのうて後輩」
「お待たせ〜! 武志、大輔、ようやっと会えたなぁ」
ここで学の交際相手が出てきます。
「芽ぐみッ!」
真奈が取りもった学の交際相手は、熊谷芽ぐみ――そう、照子の娘でした。そういえば、照子の娘は一人が結婚していて、芽ぐみは家にまだいると昨日セリフにありましたね。
幼い頃、そうめんを食べていたら武志をいじめていいかと聞いていた。あの芽ぐみちゃんや。半年前からつきあっていて、早く紹介したかったってよ!
「ちょ、ちょっと待ってな、え、整理させてな! 熊谷芽ぐみ!」
武志は驚いている。
幼心に、芽ぐみとつきあう奴の気が知れんと思っていたのかもしれん。どんな奴や、顔見たいわ。そう思ったら学。これは驚くわ。
それにこういうことを積み重ねていくと、武志という人間も見えてきます。竜也からは“たけたけ”呼ばわり。そして芽ぐみにからかわれる。内気なんでしょうね。
「狭っ! 信楽怖いわ! 信楽めっちゃ怖いやん、信楽!」
そう叫ぶ武志からは、信楽云々ではなく田舎の狭くて濃縮された人間関係も見えてきます。
よいところもあれば、あかんところもある。そういう関係やね。生々しい、こういうところがほんま生々しいわ!
狭いといえばそうかも。『なつぞら』の十勝。隣がキロ単位で離れていても、それはそういうもんだべな。
比較すると日本の地理も見えて来る。やはり、朝ドラはこうでないと!
はかれない才能
武志は、次世代展を勧められたと喜美子に打ち明けます。
ここで喜美子は、むかーし応募して、箸にも棒にも引っ掛からなかったと言います。
嘘やん――。
武志すら、いや、武志だからか。そんなことは信じられない。
最初からすごかった。才能あった。そう否定するのです。
喜美子は見てきたようなことだと笑い飛ばします。言うてたもん、そう武志は否定する。
「誰が?」
黙り込む我が子を見て、喜美子は誰の言葉か察知します。
「……たぬきそば食うたとき、お父ちゃんが。なあ、次世代展、ほんまに落選したん?」
「したでえ。なんかあったな。うーん、春のナンタラ言う名前つけて応募した」
ありましたね。電話であっさりと落選を知らされた、あの皿。あの場面で、普通は盛り上げるとか、型破りだとか言われたものですが。こう繋がったのか。
これぞ本作の生々しさかもしれない。
伝説の大女優なり、大作家が落選する。名前が残っている大天才が、はねられている。こういうことは昔からあります。
人間の才能をはかるということ。これはどんなに改善しようとしても、なかなか拾えないものでして。
歴史サイトならではのたとえを出しますと……。
名を残す詩人や作家でも、科挙にはまったく合格できなかったとか。
ナポレオンや北里柴三郎ですら、学業成績はそこまでよくなかったとか。
そういうことがある。喜美子の才能は、拾えないものがあった。
応募をやめたというと、武志は理由を聞いてきます。
「金賞取ろうということもあったけど、穴窯に気持ち持ってかれて」
「お母ちゃんは、ほんまに穴窯のことしか頭回らん」
「楽しいでえ。自然に焼き上げる面白さときたら」
ここの会話もちょっと怖い。
金賞をとってからにしろと、回り道を進めたのは八郎。喜美子なりに賛同があったのかもしれない。それがこの言葉かもしれない。
武志が、穴窯しか頭が回らない母を肯定しているかもわからない。
喜美子が楽しいと語ること。アンリに語った「がんばりぃ、ありがとう」にも通じるものがある。
けれども、そう微笑ましいと思えるのは、あくまで名を成して成功しているからではあるのでしょう。
穴窯だけに夢中になった姿を思い出すと、そういう肯定だけるものではなかったはず。
わがまま。
理解できない。
ギャンブル。
取り憑かれている。
無謀。
狂気。
悪魔。
そう言われていましたっけ。
本作は、成功した神話には、後世のバイアスがあると伝えてきます。サクセスストーリーはそんな綺麗なもんやないで。よりにもよって朝ドラにそれをぶん投げる本作は、しみじみと挑発的だ。
喜美子は成功した天才だから幸せかというと、これも難しい。
あの偶然拾ったカケラに選ばれて、家庭の幸福を投げ捨てても自分たちを焼きあげろ――そう、選ばれたような、見知らぬ何かを感じて怖いものもある。
武志が穴窯を継がんことを謝ると、喜美子はキッパリと言い切ります。
「またそんなこと、もうなんとも思うてへんがな」
もうそっち行ってまっとき。そう我が子を食べさせる準備をします。
小池アンリのことを聞かれると、神戸で準備中やと返す喜美子。
お父ちゃんと会いたかった
そしてあのええ肉を食べる武志です。
「う〜まっ! 何この肉!」
そう言いながら頬張る武志。本作、牛肉めっちゃ好きやな。これも関西やな!
関西人は肉=牛肉です。そこは関東もんと一緒にせんでな。せやから「肉まん」でのうて「豚まん」。「肉」と言われたら牛肉だと思うからこそ、「豚」と断らんといかんのよ。前も書いたかもしれんけど、大事なことだから二度言うといた。
味わう武志に、改めて敏春にお礼を言うときと念押しする喜美子。信作叔父さんも珍しく顔を出した。
ここまで親の話だと聞いていた武志は、このあと次のように言われ顔色を変えます。ほんまに変わんのよ。伊藤健太郎さんは変えられるんよ。
「お父ちゃんにもな」
思わずむせこむ武志。
「なんや芝居くさい」
そう冷静だった喜美子も、ほんまにむせたとわかって慌てて背中をさすります。武志はお茶をすすり、あっついと興奮しています。
喜美子は、お父ちゃんは信作叔父さんが連れてきたと淡々と語る。
「なんで?」
「武志来る思たんちゃう。知らんけど」
知らんけど、て、喜美子、お前……ジョーかマツを連れてきたい。理由は聞いておきたいところです。ええ肉食べて、ワイン飲んで、アンリと踊って、はいさいなら。それでええのか? いかんでしょ!
武志は突っ込む。なんでそんなこと今言う? さっき武志がきた時。その日でも、その次の朝でもいい。なんでそんなことを今言う? そう言い募ります。
「お父ちゃんと会うたんや、会うて飯、肉、食うたんや! そういうことできるんか!」
「できるいうか、うん、できた。うん、まあ、できた」
武志は舞い上がってる。もう平気で会えんと思うてたのに!
俺がどんだけ、どんだけ気ィつけてきたのか!
「二人で会うなら会う言うてくれよ!」
武志、はしゃぐ。それを見て、喜美子はこう思うのです。
気づいてあげられませんでした。
おそらくずっと、お父ちゃんに会いたかったのでしょう――。
喜美子はこのあと、台所で残った肉を詰めています。
「ごめん……気づいてやれんでごめん」
「いっぱい入れといてや」
残りものを詰める母、それを待つ息子。どこでもあるような光景ですが、特別なものです。
武志がずっと待っていたこと。
そして、それに喜美子が気づいたこと。
日常に宿る特別なことを本作は描きます。
日常に宿る特別なこと
失って初めて気づく、当たり前の尊さ――。
そういうものを丁寧に描くこの作品。例えば、2020年の2月は、気軽に外に行くことすら警戒するようになってしまっております。去年ふらりと出かけていた日々が、なんだか遠く思えるのです。
日常に宿る魔法といえば、喜美子と八郎だけではない、武志と真奈もそうですね。
真奈の登場シーンは地味で、もっと目立ってもよさそうではあった。それでも、掛井の妻妊娠を喜ぶ誠意はありましたよね。
それが今日、距離を詰めて来ました。
武志は、初めは大輔、次に学と真奈の距離が近いのかと、動揺している気持ちを感じられた。本人も無意識で気づいていないけれども、彼女に心惹かれる。そういうかすかな恋心の芽ばえがあります。
これは三津でもあったっけ。
喜美子と八郎も、信作と百合子も、照子と敏春とも違う。普通で、この世代らしい、ささやかな恋が始まったと伝わってきます。
こういう描写が、一周回って斬新な時代かもしれない。
パンを加えて遅刻遅刻と急いで走っていると、ぶつかるとか。
廊下でファイルを落とした瞬間、拾ってくれたイケメン生徒会長と目が合うとか。
会社で一番の地味女を誘ってみたら、美女となって現れたとか。
目があったエリート商社マンは年収1000万で、イケボだとか。
そういうドラマというか。漫画というか。アプリというか。そういうトレンディ、シチュエーションだけで引っ張るのはもう、古いんちゃうか……。
※戦国時代なら出会った瞬間斬られる。そういうツッコミはいらん
本作って、わかりにくい、地味、何を描きたいのか、と突っ込まれる。
喜美子はたまたま陶芸をするだけで、何の努力もしないで成功したとすら言われる。
けれども、そういう声も理解できなくはありません。
『ゲーム・オブ・スローンズ』、『スターウォーズ』完結編、『アナと雪の女王2』でも突っ込まれる話なんですよね。
かつて武志世代の見ていた作品あたりは、美男美女が結婚して出世して頂点に立つことが、あるべき結末とされたと思う。
一方、
「あっけない!」
「何がしたいん?」
「地味!」
「納得できない」
そういうツッコミを受ける作品は、大団円を避けている。むしろ自分自身が何かわかったとスッキリしている。それを周囲はおかしいと言うけれど、そんなん、ほっとけばええやん。
これが2010年台後半から2020年台の目指すところだとは思うんですよ。
自分とは何なのか?
周囲と違う自分はどうして生まれてきたのか?
根源的なところへ迫ることに何かを見出す時代だと思いましょうか。
誰もがそれをしろとは強制していません。
追い求める誰かに、そんなことはおかしいと言って、甘えだ意味不明だと語気を荒め、その道を塞がなければよい。そういうことだと思います。
※邪魔せんといてや……
突き放した物言いに聞こえたらごめんやで。そう感じるからしゃあないんや。
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
スカーレット/公式サイト
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