スカーレット118話あらすじ感想(2/20)釉薬ノートこそ破滅の象徴か

住田が工房にやって来ております。あとで人を連れて来るから、会うて欲しいとのこと。そのうえで愚痴る。

工房に電話を入れて欲しい。
母屋で鳴らしても通じないらしい。

うーん、これは喜美子、わざとやっているのかもしれへん。作業に集中している時に電話が鳴るとイライラするのかも。

今なら、たとえスマートフォンが横にあろうと、乗り気でなければ触ろうともしないという。

美術商・住田は見た

ここで喜美子は切り出します。

「うちの今後の予定、変更するこちになってもかまへんか。迷てることがあるんです……誘われたんです」

「誘われたッ?」

「ほやけど、うちみたいなもんが……ええんやろか、パリやなんて」

住田が誤解しまくっております。まだまだ川原さんはちゃんとしたら綺麗やし、ええんやないですか。そう励ましつつ、これやで。

「お相手は誰ですか?」

興味津々♪
ゴシップだ〜い好き❤︎

住田って、フカ先生の前任者、それに佐久間や柴田あたりとも違う。女性的な部分を濃く出していて、おもろいと思います。ケアワーク大好きですし、ええおばちゃん気質なんですよね。

ここでガラリと戸を開けて、工房に八郎がやって来る。

お互いに紹介されると、住田はこうですよ。

「そっ、そっ、あー、そういうこと! そういうこと! あれ、あの元の鞘にいう、あれ!」

「いや住田さん あっ、もう何興奮してんのぉ?‪」

そう突っ込まれますが、これもおもろくて。

だって、視聴者だって住田状態で「復縁か❤︎」とワクワクしているではないですか。それを「わかっているよ」と言ってくるようでおもろい。住田って、実は視聴者に一番近いのかもしれません。

佐久間が全然出てこなくて、住田になっているのもちょっと面白い。

八郎と住田が初対面ということは、佐久間は喜美子のプッシュに関っておらず、住田だということは推察できますね。

ちや子あたりの記事を読んでピンと来たのか。性格的に、おばちゃん人脈もあるのか。

住田こそ、喜美子にふさわしいビジネスパートナーに思える。ゴシップ好きであるところはマイナスですけれども、そこはさておき女性が理想とする男性ですね。別にイケメン王子様やオジサマと交際したいという単純なものでもありません。

セクハラ・パワハラしない。女だと見下さない。一緒にお茶飲んで安心して話せて、頼みごとを嫌な顔せずに引き受けてくれる――そういうフラットでゆる〜い方こそ、理想だとは思うのです。

『なつぞら』の柴田泰樹のような人物になるのは、まず目指した時点で無理だと思えるかもしれない。『信長の野望』だったら真田昌幸だもの。

せやけど、住田ならばロールモデルとしてピッタリかもしれへんで。戦国時代なら奥山六左衛門朝忠だもの。

「そうでっか、武志くんに会いに……」

なんだぁ、八郎さんに誘われたわけじゃないんだ。ちょっとがっかりしつつ、お誘いの中身に興味がある住田です。

誘ったのは小池アンリ。フランスのパリに行きたい。

そう言うと、住田は目を輝かせて、そらええなと思います! ノリノリです。佐久間あたりなら、感性を磨けると持論を展開しそう。

ここも住田のおもろいところで、理詰めでよいと思うことを説明するのではなくて、まず初めにパアッと明るく賛成するんですよね。そこがおばちゃんぽくてええな。

話したいのはやまやまと名残惜しそうではあるのですが、黒川さんのところの息子さんが金賞を取ったからそこへ向かうと言い出します。

喜美子もよろしく言うといてくださいと伝えると、お花送っておきましょかと気を利かせる。やっぱり最高や!

朝ドラを見ていて、住田ほど一家に一人いて欲しいと思った人物はいないかも。

あっ、他にもいた。『半分、青い。』の菱本さんやな。あれ以来のアシスト力を感じるで。『なつぞら』の咲太郎あたりもよかったっけ。

かくして、住田は去ってゆきます。

お客さんのようで、そうではない彼のこと

喜美子は花瓶の絵付けをしています。指導を受けて、陶芸も、料理も、絵付けもする戸田恵梨香さんはすごいと思う。

それでも、手を止めずにこう言ってしまうところが注目されるかも。

「あ、座っててくださいね。武志、もうすぐ来ると思いますんで」

「あっお茶いれます。あっ、いれます、いれます」

八郎はそう言い、かつてお茶セットがあった場所を探します。

「あれ、ここにいつもお茶……」

喜美子はボソッとこう言う。

「いつの話や」

それから笑ってこう切り返すのです。お客さんがいる時は持ってくるんですけど、うち一人の時は、今持ってきてません。

そして喜美子は、八郎がお客さん、お客さんやと気づくのでした。そこを八郎は否定します。

「あ、ちゃいますね」

「ちゃいますよね。ほな何や」

「お父ちゃん」

「そや、そやった」

言うまでもなく夫婦で親子だった。確認するまでもない、家族という関係。それが崩れ、また近づいていく。そんな関係です。

このあと、かつてのミッコーとハッチーはぎこちなく語り合います。八郎が何を飲むかと聞き、喜美子が断る。八郎がこの前の肉のお礼を言い、喜美子が酔うてましたね、と言う。

ここで八郎は、みんなでのあんなふうに飲むのが久しぶりやった、だから話もできんと……と、戸惑いつつ語るのでした。

八郎はやっぱり飲み物を買うて来ると言います。何がええか?と聞かれて、武志は“シュワシュワ”そういうもんが好き、そしてうちは”つぶつぶ“とつぶやいてしまう喜美子。

「うちはええです」

「“つぶつぶ”言いましたよね?」

「……言うてません」

「ははっ、“つぶつぶ“買うてきます」

そう笑う八郎に、喜美子は右出て少し行ったところに、自動販売機があると伝える。

ここも細かいのです。
自動販売機って、この時代はそこまで増えていません。自動販売機で飲み物を買うことそのものが時代の変化であり、礼儀作法としては無礼とされかねないところ。そこを喜美子と八郎は気にしていない。

そしてこのころは、まだ缶と瓶の時代でした。ペットボトルはまだ先。

今、自動販売機で買う飲料はじめ、そういう使い捨て容器がどうなのか?と問題となっています。

歴史は繰り返すもの。この頃はもポイ捨てによる汚染が社会問題とされていました。原始的で腐敗する、かつての喜美子たちが食べていた、竹の皮に包んでいた弁当ならばこういう問題は発生しなかった。

喜美子はちょっとした日常でも、ぶっ飛んだことをしているとは思いましょう。なんせ……。

せっかく久しぶりに会ったのに、目も合わせず自分の作品に向き合っている。

女なのに、茶すらいれようとしない。

そっけない態度。

平気で夫に飲み物を買いに行かせる。

なんちゅう悪女や!

そういうとても悪いことをしている。とんでもない女と言われても仕方ないことは認識しましょう。

それでも、喜美子が悪党ではないとわかりますよね。

八郎が去ると、大きくため息をついて緊張を見せる。

おっちょこちょいの八郎が財布を取りに戻って来ると、戸惑いを見せつつ、去ってゆく背中を見つめているのです。

このしんみりとした目。毎日、戸田恵梨香さんが新境地に突入するような、哀切そのものの目でした。

目は口ほどに物を言うって、こういうことなのかと。

俺の中のお父ちゃん

絵付けを終え、筆を洗う喜美子。そこへ武志が入って来ます。

「おかえり」

「あれ、お父ちゃんは? お父ちゃん!」

飲み物を買いに出て、だいぶ経ったらしい。確かに喜美子は筆を洗っていて、作業が一段落ついたのがわかる。ちょっと自動販売機に行ったにしては時間が経過しすぎています。

何を頼んだのか?
武志がそう聞くと、”シュワシュワ“。そんだけかとさらに聞かれ”つぶつぶ“。よう売り切れとんでと、武志は答える。大阪まで行くんちゃう? 不安そうです。

そんなわけないと喜美子は即座に否定するものの、駅前くらいまでなら行くでと武志は言う。八郎への理解度という点では、やはり武志のほうが高いのかも。

ただ、これは愛情ではなく、相性といいますか。性格の相違もあるのでしょう。

喜美子は狙いに狙って「かわいくない女」にされているとは思う。

ツーカー。口を聞かなくとも男の感情をもらって生きていけ。それが理想だという流れがあるなら、彼女はそこを逆走しているのです。

もしも喜美子がかわいい女ならば。
私のために”つぶつぶ“を探す八郎にドッキーン❤︎として、走り出しかねないでしょう。

でも、行くのは武志。そして外で出くわして、会話するのも武志なのです。

「あっ!」

飛び出した息子は、父を見つけます。

「おう」

「おう」

「また、でかなったんちゃうか?」

「ほうけ?」

親子を感じさせるやりとり。ありがちといえばありがちですが、こういうとき、縮んだんじゃないのかという返しは喜美子も相手にしていましたっけ。

そして八郎は、やはり駅前まで行っていた。そう、こういう不器用さが八郎でした。

そこへ喜美子が出てきて、お礼を言います。

他人行儀で固い口調は、結婚前、交際前の二人のようでもある。

不器用で不思議。そんな十代田さんに近付きたい、もっと知りたい――喜美子はそう思っていました。

ご飯はどうするのか。食べるのなら作る。そう言い出す喜美子。

八郎が断ろうとすると、武志はこう言います。

「明日休みちゃう? 泊まっとけばええやん」

そういうわけにはいかんと言う父に、信作叔父さんのところへ泊まって行けと言います。これもこの前泊まったばかりだと八郎は断るのです。

八郎は変わってない。

昔と変わっていない。

不器用だから、今日は帰るで、そう言ってしまう。むしろ独身時代に戻ったような感覚すらある。

「なぁ似てる?」

武志はお父ちゃんと似ているかと聞き出す。

なんや急に。そういいつつ、喜美子は子どもの頃よく似ていると言われとったと話します。

目ぇとかにてるんちゃう。そう言われ、親子でどこが似ているのかと語り出します。

ここも、ここの角度とか。やたらと細かいピンポイントを言い合うのは、陶芸家一家らしさかもしれない。こういうしょうもないことすら確認したくなる、そんな武志が悲しい。

すごいのは、演じる側の年齢差が近いのに、ちゃんと親子らしさがあること。それに子役時代を引き継いでいるところ。

顔立ちではなくて、雰囲気や演技に共通点がある。演技指導、役者同士の交流、そういうものに気合いを感じます。そして……。
※続きは次ページへ

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