スカーレット129話あらすじ感想(3/4)夏の雪は儚く消える?

昭和58年(1983年)、夏――。

敏春の結果を待つ照子。そこへ看護婦さんがやって来ます。

昭和はまだ「看護婦」「看護士」であり「看護師」ではない。制服も非効率的なものでした。

時代は刻一刻と変わってんねんな。もう今だとああいうのはドンキホーテのコスプレ衣装やね。

そんな看護婦の山ノ根さんが、喜美子に驚いております。ファンで何度も個展行ってるってよ。

名声に酔わず戸惑う

「川原喜美子先生! 個展! 一緒に写真をとりました!」

この作品って、喜美子を見る名もなきファンの反応がすごい。ともかく憧れているとわかります。看護婦さんもそのご友人も、うっとりしておりました。

ここでうまいのが、喜美子の反応です。

相手を思い出せず、戸惑っております。

喜美子は人との距離の取り方が独特、かつ不器用であります。信作が形容したように「垣根を超えてくる」こともあれば、こう戸惑う不器用さもある。

セレブになって名声に酔いしれたい人だけではない。

何かの間違いで有名になったんちゃうか、これは夢かもしれんで……。そういう戸惑いを感じさせる。

有名になるのは、自分自身の力だけでなくて、幸運や運命の力があるとわかっている。そういう謙虚さがあるから、喜美子はやっぱりすごい。

となると、また去年の記憶が刺激されるんですわ。

「テェレェビヤァ〜〜〜!」

ええもん作る前に宣伝でセレブになったる。そんなゲス感はもうええ……。

でも、皮肉なことはある。

宣伝とゴリ押しと企業タイアップ(本来NHKは禁止なんやけどな!)は、実際に数字にも貢献するし、「名作やで」という空気を形成すれば、さしたる検証もなしにそうなるもんでして。そういう仕組みはやっぱりある。

そこは考えていかんとあかん。周囲の影響に流されすぎず、自分の意見を持たんとあかん。ほんま喜美子を見習いたいわ!

濃い顔は思い出さんでええから

喜美子はかったるそうに待っています。

遅いなあ〜。そう口に出してしまう。いらち(※関西弁、せっかちの意味)なんですね。

照子は「こういうもんやで、病院は」と返答。そのうえで、病院が苦手とこぼす。「得意な人いるか」と突き放す喜美子が、性格悪いとは思わないですが、こういうパキッと突き放す口調が出るので好き嫌いは分かれますよね。

丸熊時代も、同僚と世間話をしていなかったわけですし。

ええんちゃうか。気の合う照子がいればええ。

すると照子が、おじさんのことを思い出す。病院で偶然会ったってよ。

「おじさん、強い人やったなぁ……」

死者は美化されるもんです。ムシャクシャするとちゃぶ台返しする――精神の弱さだとは思うけれども……ここは美化せんとあかんな。

「うちはあかん。敏春さん大丈夫やろうか」

「大したことないよう祈ろう」

これも皮肉かも。些細なことでおろおろする。そういう【弱さ】があればこそ、防げることもある。

祈るうちに、おじさんの顔が思い浮かぶと言い出す照子。喜美子は容赦がない。

「やめやめ、思い浮かべんでええ!」

「濃いでぇ〜」

朝ドラHELLなので、豪速球デッドボールをジョーカスにぶつけ、美化だけに終わりませんでした。

※天国で猫と仲良く……

白衣と思い出の魔法

ここで誰かが声をかけて来ます。

「熊谷さん、大崎です」

大崎茂樹……って、誰やねん!

すると慌てて山ノ根が、着てくださいと白衣を持ってくると、「えー」と嫌がる大崎先生。どっかのおっさんみたいですよ、と突っ込まれ「おっさんだ」と返しています。

なにがすごいって、ほんまにおっさんなんですよ。イケメンだろうと、おっさんなんですよ!

永遠のアイドルとはいえ、おっさんはおっさんや。そこは現実見んとあかん。思い出フィルターでキラキラしとるだけやで。

白衣と思い出フィルターが、秀逸な使われ方をしております。

医者に見えるのは、白衣を着るから。

おっさんがキラキラして見えるのは、それは視聴者側の思い出補正です。

でも、それでいい。

だって彼は十分魅力的です。かっこええやん! 稲垣吾郎さんだって、素顔の自分、おっさんになった自分の持つ何かを見て欲しいと思うんですよ。

そんな大崎は、担当医が医者の不養生で夏風邪にかかったと照子を呼び出すのでした。

血糖値には気をつけよう! 老後のためにも……

はい、病院から「サニー」へ。敏春さんの結果は……。

熊谷敏春さんの健康状態は?

 

血糖値が高め。急に命に関わるようなことではありませんが、食事に気をつけましょう。

プリンを頼みましたね? そういう甘いものを頼むところが、よくありません。糖質を減らしましょう。

そのためには、照子さんの協力も大切。病院で指導したのはそのためです。

なんや生々しいで。
血糖値高いのにクリーム乗っけたプリンを頼み、照子が奪い、喜美子が食べるあたりがな。

「なんでこんなん朝っぱらから会社の健康診断指導みたいなもん、見せられてんねん……」

そういうもんがあるから、本作を嫌いになる気持ちはわかるで。Eテレ要素あるわな。

※血糖値には注意せんとな

ここでまた、生々しい話になる。

将来のために食生活に気をつけると照子が言うと、喜美子とひっかかっています。

【将来】やのうて【老後】や!
それやで!

大野夫妻も「あんたらが老後の話するなんてなぁ〜」としみじみと語っております。

彼らはハツラツ高齢者ですが、思えば喜美子の両親・川原夫妻は既に故人なわけです。

照子と敏春は孫が二人できた、若いおばあちゃんとおじいちゃんと語られる。

「たまりませんわぁ〜」

敏春がデレデレしております。大野夫妻も、孫の愛くるしさに納得すると。

喜美子はプリンを微笑みつつ食べておりますが、これまた怖いものがある。

親が死に やがて子が死に 孫が死に――。

これが逆になること。【逆縁】。そのことを考えねばならないときが迫っています。

老後を迎えること。それがどれほど、恵まれていることか……。

平凡で、かけがえのない夏が過ぎて

武志は「次世代展」に応募をめざし、喜美子は自分の作品を作る。そして八郎がシュワシュワとつぶつぶのジュースを置く。

そんな暑い夏が過ぎてゆきます。

昭和らしいジュースの缶がなんともいえんもんがあります。

昭和ですから、プルタブ式でしょうね。ステイオン式が定着した平成以降生まれはわからない話でしょう。かつての缶ジュースはタブが外れました。指輪にして遊べたのはよいにせよ、これを廃棄することが社会問題になった。

昭和の人は礼儀正しいという話も疑っておきましょう。プルタブ式を捨てるわ、未成年の飲酒喫煙はするわ。シンナー吸引するわ。全員がそうでないとはいえ、その辺の感覚は甘いものでした。

そして喜美子は穴窯に礼!

秋には、今年4回目の穴窯を焚き上げます。本年度の作品づくりは、早々に終えたのです。

陶芸教室、始めます!

喜美子の手には、岬小百合の手紙がありました。

この時代らしい可愛いらしぃ便箋と筆跡です。小道具さんがやはり、ええ仕事してはる。

「水曜日の朝、足取りがほんの少し軽くなりました……」

喜美子はにっこり。
作った湯飲みで、彼女の人生を少しでもよくできた。そういう幸せを愛している。名声は大き過ぎてわからなくなるけど、こういう幸せはわかるから好きなのです。

それを見ている住田は、なんで水曜日か?と突っ込む。

喜美子はそれに答えず、陶芸教室を開くと宣言します。

近所の人ら集めて、子どもたちにも声を掛ける。住田は採算がとれるか心配しますが、そこは地元に貢献すると喜美子は言い切ります。住田は嫌そうではあるのですが、「ゆっくり考えた」末の結論だと喜美子は言い切るのです。

喜美子よ……。
穴窯に到達して、なんだか隠居、出家後の戦国武将みたいになってきたな。

もう戦はええから、歌と茶を極めて生きていきたい。そういう境地。細川幽斎(細川藤孝)や。

細川藤孝(幽斎)は文武芸術に通じた光秀の盟友!しかし本能寺後は……

川原喜美子、陶芸教室始めます!

 

・材料費はもらうで!(住田「持ち出しはあきませんで」)

・月2、3回。いや、週一!

・準備期間はあった!

住田としては、弟子を取って後進を育てて、高い作品をどんどん作ってもらいたいところでしょうね。

それでも喜美子の決断を許すところが、住田のええところ。許さなかったら二人の関係も決裂するかもしれませんし。住田はえらいよ、ほんまにええ奴。

講演会、テレビ出演、雑誌取材。なんか想像つくで。そこはもうNHKですから。強みはEテレやろなぁ。生の芸術家と接する機会は多い。そういうメリットはありますわなぁ。

けれども、喜美子は違う。ジョージ富士川ほど器用でもないのです。

陶芸教室のチラシを作り、まずは「サニー」に置く。

と、陽子がはしゃいでおります。やりたい! やってみたい!

忠信も、昔そんなこと言うてたなぁ、としみじみしております。

時の流れを感じるで。陽子に怪我の薬をもらっていたきみちゃんが、先生になった。

陽子は「おかあさん合唱団」もやってみたかったと言います。マツと歌いたかったんやろなぁ。

天使の嫁である百合子は、こう返します。

「そんなん、なんぼでも言うてください。やりたいことやってください」

「わぁーうれしいわ!」

嫁に店を譲ればこそ。そして、嫁いびりなんてしていなかったから、彼女はこうも幸せになれるのです。そして健康であることも……。

なんやこの、老後生活を考えるドラマは!
ほんまにEテレ要素があるわ。

かくして、陶芸教室は11月半ばに始まることになりました。

限られた時間の中で、自分の最善を尽くす

そのころ武志の作品がようやく完成しました。

「おっ、雪を降らせられたやないか! 最高の出来ちゃうか!」

そう恩師の掛井に言われ、武志はこう返します。

「やりたいことは全部やりました。最高とは正直言えないですけど、最善は尽くしました」

それが最高やと掛井は言う。

限られた時間の中で、自分の最善を尽くす。

「ようやりきったな、お疲れさん」

「ありがとうございます!」

「次世代展、応募するんやろ?」

「はい!」

武志はそう言い切ります。

この作品は、時代だけでなくて人間の進歩のようなものも感じるで。

思えば展示会は、ジョーが喜美子結婚の条件にしたり。美術商として売れるかどうかでみていたり。そういう喜美子と八郎時代もあったわけじゃないですか。

それが、掛井は指導者としても進歩をしている。まずはモチベーションをあげるところからスタートしている。これは画期的なことだと思います。

なんかまた記憶が刺激されるで。

「カリスマであるこの俺がいいと思うものを(※特に指示なく)作って来い!」みたいな無茶振りが昨年あったやんか。カスな根性論、いばり散らしたいダメ上司あるやるやな。そういうのはもう、終わりにせんと。

くどいけれども、NHKはEテレがある。最先端の教育方法を知っていると思うんですよ。

掛井は、心優しいだけではなく、賢くて才能を伸ばせる、そういう人物です。
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