スカーレット136話あらすじ感想(3/12)揺るぎない強さを持っていても

今日は「次世代展」結果発表の日です。

喜美子は武志に食べたいものあるか、欲しいものあるかと聞き、祝う気満々。落選しているかもしれないと武志が言おうと、ええことしか考えないと言い切る喜美子です。

伝えることはありか、なしか?

武志はそれでもアパートに帰ると言います。結果はアパートに届く――そう説明するのですが、研究所にも届くはずだと返す喜美子。言い負かすことは難しいんですよね。理詰めだもんな。

喜美子はみんなでおいしいご飯を食べようと誘うのです。

「お祝いということもある。武志のこと、みんなに話したいんや。お父ちゃんにも」

「言いたない。お父ちゃんにも言いたない」

なんでや?
そう言われても、わからんと答える武志。

「話したらみんなに力もらえるかもしれへんで!」

しかし、武志は否定する。

直子と百合子にも言いたくない。百合子の場合、信作に伝わる。役場勤務の信作ともなれば、信楽中に伝わってしまう。それが嫌なのです。

「行ってきます」

結局、武志は出かけてしまいました。

他の病気であればともかく、武志の場合は告知が重要です。協力者が多ければ多いほど、わずかながら助かる確率も上がる。

そこが本作の狙いではあると思うのです。そのことを、これから喜美子と大崎が挑む。

友人が多いわけでもない。浮世離れしていて、一人でも生きていけるような喜美子。そんな彼女でも、孤独でよいわけではない。むしろ、世間と協力しなければ解決できないことがある。

喜美子は、朝ドラヒロインなのに孤高を強調されています。それでもええよぉ、いや、でもそれだけではあかんこともある。そんなメッセージ性を感じるで!

啓発ということを、念頭に置いていきたい。

「陶芸はエロス。死こそエロスや! 首のホクロがセクシーな息子が死病だなんてエロスやな!」

「ありがちな難病もんやわ。あざといで」

そういうことじゃない。

ついでに言っておくと、セクシーだのエロスを前面に出した朝ドラは昨年です。インスタントラーメンと関係ないところで、エロマンボ色覚治療かましたり。「カラス! カボス! エロス!」と叫ばせたり。

ああいう露骨なもんでないのに、ともかく「エロス!」と言い切るのは、受け取り側の脳内の構造でしょう。どうでもええし、職業差別ちゃいますか?

そして、ありがちでもないのです。

何度も言う、これは武志の病気が重要です。

架空の病気、治療法が確立されていないものとは違うのです。

ドラマ放映、啓発で治せる確率があがること。このことを注視していたい。

真奈を悪く言う声は何か?

武志は研究所の廊下で、真奈とすれ違います。

「おはようございます。この花瓶、黒川先生の……」

ぼんやりとした武志に、真奈はこう言います。

「たこやきへたっぴぃで、すみませんでした! また遊びにいきます。遊びに行っていいですか?」

これには武志も微笑みます。

「またな」

けれども、彼の時間も恋も限られています。

この二人を微笑ましいと私は思うわけですが、過去のトレンディドラマを持ち出して、胃袋を掴みにいく腹黒女、へたくそなのに嘘までついて近寄る悪女扱いする意見も、既に出ているようですね。

どうせ難病わかったら捨てて次の男行くに決まってる、とか。
今ならSNSで裏アカウント作って男漁っていそう、とか。

『半分、青い。』のより子ならば、まぁ、そういう意図が示されていたからわかります。昨年のNHK大阪朝ドラには、そういうヒロインもいた気がします。

しかし、どうして現時点の真奈がそこまで言われるのか?

答えは簡単。そう指摘する本人か、周囲が、そんな思考なのでしょう。

『半分、青い。』については、「うちは、鈴愛やこの脚本家みたいなバカ女に苦しめられた被害者やで!」と言い、昨年のアレは「私、このヒロインそっくりやわ〜!」となんだか喜ぶ。

『なつぞら』は、「今だったら、茜は絶対裏アカウント作って、なつの悪口投稿しまくっとるわ!」という投稿していたんだろうなぁ、と。

それがあぶり出されている。朝ドラはリトマス試験紙みたいなもんですね。

果たして結果は?

窯業研究所の青年たちは、ワクワクしながら結果を待っています。

「今回、通ってますかね?」

「俺でもな、自信あんねん」

武志が釉薬を調合していると、竜也が掃除道具を動かしつつ、こう言います。

「敏春がな……」

「うん? 敏春?」

おい、敏春呼ばわりか!
ともあれ、会話もしていなかった父子がここまで打ち解けていて、よいことですよね。

なんでも敏春は、三月にここを修了したら、「武志が丸熊で陶工として働かないか?」と考えているとか。

敏春はやはり、ええ人ですね。このドラマは、セレブだのクリエイターだの、そういう威張り散らす人は少ない。でも、普通のおばちゃんでもおっちゃんでも、偉大なことはできるのだと思う。

だって、考えてみてもくださいよ。
喜美子と八郎は丸熊を辞めています。特に八郎は、アーティスティックな若手として売り出す戦略も感じられたのにその前に出ていった。

飼い犬に手を噛まれた!
俺の顔を潰しやがった!

そういう考えをしない。そこが敏春のすごいところだと思います。

でも、今の武志は、その好意を受け止められない。そこが悲しい。

「うーん、ありがたい話やけどな。やりたいことあんねん……」

そこへ、掛井が「次世代展」の結果が届いたと言います。

「この研究所から、入選者はいませんでした。皆、選外! あかんかったな、惜しかったな」

残念……やはりこのドラマは、かなり癖が強い。ここで入選させないのです。スポットライトが当たらない人のことを考えさせる、そういうドラマだと思います。

このあと、武志は掛井に入院すると告げます。

けれども、真実ではなく検査入院だとごまかすのです。何の検査かと聞かれると「性格」だと答えます。陶芸家の適性を調べるってよ。

わかりやすい嘘やな〜。そういうのは入院いらんで。でも、掛井は嘘だとわかりつつ、言えないわけです。でも、この嘘も重要です。

「性格調べて、陶芸家に向いてへんやったら、どうするんや? 目指すのやめるんか? 誰かにやめえ言われたら、やめるんか? あかんで、そんな、こっから先、三月にここ出てからが勝負や!」

自分と戦え、落ちてから花開け

そのうえで「よう聞け」と言い切ります。

「勝負を挑むんは、自分やで。自分が自分と戦うんや。外に戦う相手見つけたら、途端に心折れる。次世代展の落選は、川原武志いう陶芸家の始まりや。落選おめでとうや! 落選から始まって、花開くところ見せてくれ!」

ほんまにこの作品は、優しいドラマであります。

「次世代展」の赤い大鉢で入賞した。そんな八郎は、喜美子と自分を比較して折れてしまった。そういうプロットとも噛み合う言葉ですね。

それだけやない――。

落選といえば、朝ドラに何度も落ち続けた八郎役の松下洸平さんがおります。落選したのも【この八郎のためか】と振り返るほどのブレイクをしている。小池アンリ役の烏丸せつ子さんも、朝ドラ落選経験があります。

そして稲垣吾郎さん。言うまでもない、様々な事情があり、なかなかお目にかかれなかった。それが役者の原点である朝ドラに出て、その輝きを見せております。

挫折を乗り越え役者として花開く――そんな輝きが随所にあるドラマです。

そういう姿を通して、見る側も応援する。

心意気を感じたんよ!

揺るぎない強さ

「あかまつ」で、武志は飲んだくれております。

思えばこの店も、ジョー、八郎、武志と、三世代を見てきたわけですね。店内もちょっと変わりつつある。昭和の地方居酒屋なりに、変化はあります。

そこへ、米屋の前掛けをつけたままの学が来ました。結構早い時間ってことですね。

前掛けを外さないで来る学はええ子やな。時間や位置関係がわかりやすいように、本作は脚本だけではなく小道具や演出をがんばっております。

「何時から飲んでんねや? まだ夕方やで」

そう心配そうな学。

そのころ喜美子は、カレーをかき混ぜておりました。

ちらし寿司を作り、食卓に置く。あのちゃぶ台時代と比べると、立派になってますよね。

ここで喜美子は、不安げに電話を見つめています。

電話したのは大崎でした。

「こんばんは。掛けようと思ってたんです。ははっ、冗談です。今のすごく申し訳なさそうな声が出てきたんで、どうかしたのかと」

大崎はそう言います。

軽いようで、和ませる。そんな医師として身につけた技術を感じさせます。それだけではなく、優しさも。

喜美子はここで相談します。

患者家族の相談

 

◆川原喜美子さん(滋賀県)

「武志のことなんですけど、本人が周囲に告げようとしません。しっかり向き合うと思ったんですけど……」

 

◆大崎先生の答えは?

患者さんの気持ちは、揺れます。

しっかり向き合おうと思ったり、投げやりになったり。今日は平気な顔をしていても、明日は泣いていたり。大丈夫だと笑ったそのあとに、なんで自分がと怒りに震えたり。

何かに当たったり。自暴自棄になったり。強くなったり、弱くなったりを繰り返す。

だから僕ら医師は、僕は、揺るぎない強さを持つようにしています。

患者さんの代わりに僕が。

ほんまに本作は、ドラマという枠を超えてくるわ。

この大崎の言葉を噛み締めて、胸にしまっておいたら、困難に苦しむ人をこれ以上追い詰めることがなくなるはずです。

先日も書きましたが、事件や虐待の被害者もそういうことはある。一度辛い目に遭ったら、二度と笑えないのが【普通】だという誤解がある。

本作への批判でも【普通】の難病ものではないというものがありますね。

だからその【普通】ってなんやねん。そこを考えんと。

ここで喜美子は、しみじみとこう言います。

「うちも持ちます。いや、もう持ってるわ。そんなんとっくに持ってるわ。すいません。ありがとうございました」

やっと喜美子自身が吹っ切れたのかもしれない。

この電話って、武志ではなくて喜美子自身の迷いを解決しているんですね。

百合子が桜にピアノを習わせること。それは桜自身というよりも、百合子の心がそこにはある。そう喜美子は指摘しました。

喜美子と八郎夫妻がずれてきていること。そのことを、側で見ていた信作が指摘しました。

武志は、両親には時間と距離が必要だと言い切る。

一歩引いたところで見えてくるものがあるのです。

大崎に言われて、喜美子は自分自身と向き合った。

喜美子は傲慢だとか、医者の言葉にえらそうだとか、そういうツッコミはあると思います。

でも、ずっと「揺るぎない強さ」はあった。

進学、就職。そういう進路に挫折してきたのは、彼女自身ではなく家族によるものでした。

穴窯を揺るぎない強さで焚き上げたからこそ、夫婦生活が壊れてしまったところもある。

喜美子自身は揺るぎないものがあって、そのことを定期的に誰かに示されて、そこへ戻ってゆけるのです。

喜美子は強い。
けれども、一人で生きていけるわけでもない。

オープニングのクレイアニメから、そんな彼女の本質が描かれています。

それに【揺るぎない強さ】を持つ喜美子は、いつも正しいというわけではないのです。

人間、特に女性がそういうものを持つと、この世界ではどれだけおかしな存在と嫌われることか。そこも考えたい。

それでも彼女らがいるからこそ、世界が変わることもあるんや!
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