スカーレット142話あらすじ感想(3/19)普通の人が生きること

琵琶湖大橋を超えて、智也君の家に行こか

武志は、智也の見舞いに行ったと言います。そこで作りたい作品のことを告げたのだと。

そうそう、真奈のことがクローズアップされがちですが、同室で同じ病気の智也のことも考えています。

智也は大学行きたいけど行かれへん、言うてた。こう言われて、喜美子はちょっと顔がこわばります。

その理由が、病気ではなく「勉強できひん、苦手なんやて」だからと聞いて微笑む喜美子です。武志は、今度数学と英語を教えたるそうです。

そしてうまいこといったら、自分の作品を一番に見せたると言ったそうです。病院に持って行くのかと聞かれ、病状が落ち着いたら通院にする、ほやから家まで持って行くと返します。

琵琶湖の向こう。遠い所から来ている。琵琶湖大橋を渡って作品を届ける。そう語ります。

琵琶湖大橋!

そう聞いて喜美子ははしゃぎます。

「お母ちゃんもついてく! 絶対ついてく! はよ作れや。楽しみやな、琵琶湖大橋!」

そう言われ、武志は戸惑ってしまうのです。

「ええよもう。泳いで渡る」

滋賀県なのに琵琶湖が見えないと言う意見もあった本作ですが、そもそも信楽から琵琶湖は見えへんのよ。

琵琶湖を見ながら信楽にやってきた川原一家。

川原三姉妹は、ちや子から琵琶湖大橋計画を聞かされた。真奈と大輔のデートはびわ湖タワー。そして琵琶湖大橋を目指すラストへ。ちゃんと滋賀県しとるやん!

※琵琶湖はええなぁ〜

こうして作品を作る目標を語る間、彼らの胸には病気のことなんかなくて。貴重な日常だと思えるのです。

病気平癒! 身体健勝! 健康長寿や!

そのころ「あかまつ」では――。

複数名の男性客が歌っております。あああッ、こ、こ、これは!

※『琵琶湖周航の歌』

『琵琶湖周航の歌』ですやん!

「われは湖(うみ)の子〜さすらいの♪」

「滋賀って海ないですよね。埼玉や岐阜と同じで」

「いや、その海やのうて琵琶湖のことですわ……」

これやで。なんでここまでしとんのに、近江牛食ってんのに、滋賀県らしさがない、滋賀県である意味がない、そんなことを言われなあかんのや!

はい、歌はさておき。なんでも熊谷姉妹の二番目・芽ぐみの結婚が正式決定したってよ。

「もうええ、もうええ!」

照子はヒートアップする歌を止めております。

カウンターの敏春はグデングデン。血糖値高いもんな、照子としてはここは止めなあかんよな。

「今日な、ここでやめとこ。体にこたえるでぇ」

「……武志君」

「武志?」

「学です」

「川原さんとこの武志君は病気や」

「なんで今そんなこと……」

酔っ払って、言い間違いをしたのか、よくわからんことを言い出したと、周囲から思われる敏春です。

「……呼ぼうな、披露宴。来てもらおうな!」

「もちろんです!」

「賑やかにやろうやないか。大盤振る舞いしたろやないか! 病気平癒! 身体健勝! 健康長寿やー!」

敏春は感極まって叫びます。

彼なりに苦しんできたのでしょう。娘であり、彼と幼なじみである芽ぐみ。彼と親友である学が結婚する。めでたい。うきうきと披露宴を準備して、周囲からおめでとうと言われて。うれしいけれども、フッと思ってしまう。

武志君はこうなれない。川原さんはこの気持ちが味わえない。そう思うと悲しい。辛い。けれど言えないし、川原さんはもっと辛いし。

モヤモヤがずーっと、胸の奥にあって。それが酒の力で吐き出して、この言葉になったのでしょう。

敏春……ありがとうな。なんか救われるで。

敏春は、登場当初、古い陶工をリストラしかねない、クールな若社長でした。

それがこんなええおっちゃんになって。あの頃のカッコええ若社長よりも、バナナをスーツにしまい、カウンターにいる、血糖値の高いおっちゃんの方が好きかもしれへん。

加齢のよさを味わえるドラマやな。

いろんなことが小そう見える

和菓子を食べる喜美子に、八郎はしんみりと語りかけます。

「いろんなことが小そう見えてくるな。昔言い合いしたことや、悩んだこと……」

ここで喜美子は、戦国武将のような力強さを発揮します。

「罰金、罰金、罰金貯金や!」

「罰金取られるような後ろ向きのことやない!」

「何がおかしい? 何笑てんえん。ちゃっちゃと言わんかい」

「おばちゃんやな。もう、何言おうとしたか忘れたわ」

「年とったな」

「きついわ」

「きつないわ」

しんみりと加齢トーク。喜美子にせよ、照子にせよ、百合子にせよ、そして常時ヒョウ柄になった直子にせよ。

あんなに可愛らしいお嬢さんが、みんなおばちゃんに進化してゆく。

そういう関西らしさがあるわけです。それの何があかんのや? おばちゃんの予兆は子役時代からあったし、おばちゃんにもよさはぎょうさんあるで。

そう感じられて、すごい作品やと思います。おっさんになった側も「臭い!」言われとるし。

ここで八郎は思い出します。

「武志がな、今日熱出したやん」

そうしみじみと言われ、喜美子は高熱が続かなかったら心配ないと大崎の言葉を言います。ほんまに喜美子は、こういうところが理詰めで。一緒にいたら疲れる人が多いかもしれません。情緒ケアが欲しい。

ええ方にでれば、理香子に絵皿トークをして気を紛らわせる方向へ向かう。そうでないと「罰金貯金!」連呼で怖い。そういう一長一短になりますね。よいところと悪いところは表裏一体です。

「うんまぁ、そやけど。熱出されたらドキッとするな。ドキッとして、武志は病気やったと思うわ。病気を前にしたら、もう、いろんなことがどうでもよくなるわ。ただもう元気でおってくれたら、それでええ思うわ……。あれ、罰金か、この話?」

「いや、そんなことない。そんなことないけどな……」

喜美子の心のうちを、八郎が語ったようなところはあるのでしょう。

喜美子は罰金まで導入して、そういう自分の辛い気持ちすら封じて、見ないようにしているとは思います。

このドラマは、ヒロインがヨヨヨ〜とわざとらしく泣き崩れたり、我が子の名前を絶叫したりしないから、わかりにくいとは思います。

喜美子は感情を抑制する。

悲しい気持ち、辛い気持ちすら蓋をして、見ないようにしてしまう。穴窯の蓋を閉じて待っているような、そんなところがずっとある。

それをちや子に吐き出したり。
八郎にぶつけたり。
陶芸に昇華させたりしてきた。

八郎とその気持ちを共有できれば、また違ったかのかもしれませんけれども。

この短い元夫婦の会話からは、そういうすれ違いの悲しみも見えたと思えるのです。

戸田恵梨香さんを何度、菅原文太さんにたとえるのかって話ですけど。

両者ともに、グッと堪えて、そして時折感情を爆発させる悲しみと渋みがあるというか。そんな喜美子がカッコええし、とてつもなく悲しいと思うのです。

病気は見ないようにしても、できない

「お父ちゃん入る?」

ここで武志が風呂からあがってきます。元夫婦で譲り合って、八郎が先に入ることになりました。

八郎はいつまでいるのかと確認されると、週明けまでと返答。ほな明日、うな丼取ろか。そう確認し合います。

部屋に入って姿が見えない武志と、喜美子が扉越しに語り合います。

喜美子はお菓子にお茶でええか確認する。そして明日、智也君のお母さんに差し上げるお皿できたから、行ってくるわと言います。

何気ない会話のようで、武志が頭に手をやると髪の毛が大量に抜けているのでした。

翌朝、喜美子は理香子に贈る皿を眺めています。

本人も、家族も、病気のことは考えないようにしている。

けれど、風呂で髪を洗えば、ごっそり抜けてくる。

熱を出されれば、そのことしか考えられなくなる。

そういう日々を彼らは生きているのです。

普通の人が生きること

智也は受験勉強をして、武志は陶芸をする。喜美子は陶芸展に来いと武志に言う。

そして琵琶湖大橋に行くことを楽しみにする。

住田は、京都でお菓子を買って託す。

大崎は、関西弁の“シュッとした”用法を学んでいるようだ。

照子は、夫の血糖値を注意している。

社長である敏春は、カウンターで泣きそうになり、願いを込めて叫んでしまう。

武志は抜けた髪の毛に驚く。

八郎は発熱に戸惑ったと、喜美子と語り合う。

何気ない日常に、暗い影が落ちてしまう。それでも生きねばならない。それこそが生々しさだと思えてきます。

大河でも、為政者と民衆を必要以上に区別して、オリジナルキャラクターの民衆を貶める。そういう為政者目線で見ている視聴者が多くて、結構ビックリしているのですけれども。

朝ドラもそうで、主人公周辺がいかにセレブであるか、そこを必要以上に見ている目線が、正直怖いです。

その最大の犠牲者は八郎でしょうか。

八郎は、武志に自分を超えて欲しいと言いました。そのことに対して、陶芸家として挫折したのに、どの口が言うのかというツッコミもあるようです。

いや、八郎は今の武志と同年代で「次世代展」入賞を果たしているわけでして。それを超えるよう願うのは妥当な話ですよね。武志もそういう趣旨を語っていたわけですし。

八郎が陶芸家を辞めたから役立たず、出てこなくていい、いっそ別の女と結婚していればいいという意見も見かけました。セレブorダイみたいなすごいもんを見たなぁと………離婚したとはいえ、余命いくばくもない我が子ですよ。それに会うなっていうわけですか。うーん……。

挫折した人を小馬鹿にしたところで、自分の地位は上がりません。成果が積み重なるわけでもない。これも一種の【カニ脳】(※足を引っ張り合う心理)かな?

まぁ、昨年のアレで「クリエイターでないお前はもう死んでいる」とヒロインが言った理由もわかってきました。

過剰な成功信仰みたいなものがあるのかもしれません。

引っかかるのは、特段成功していないくとも、セレブ目線になるとか。従業員でも経営者目線とか。民衆でも為政者目線とか。どういうことか私にはわかりませんが、なり切る人にはそうする精神安定的な理由があるのでしょう。

父であるとか。失敗した陶芸家であるとか。

それ以前に、八郎はひとりの人間です。

武志もそう。そういう人間の姿を描くがゆえの生々しさが、本作にはあるのでしょう。

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
スカーレット/公式サイト

 

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