「卵焼きいかんのかい」
「ほな、先いただこう」
喜美子が卵焼きに箸を伸ばすと、八郎は止めます。
「ちょちょと、何も言わんといて。感想はな、まず武志からや」
「おう」
我が子が卵焼きを食べる姿を、愛おしそうに見る八郎。ちょっと緊張もあります。
「なんや……」
「うまい、うまいで」
「よかった〜! ほなどれどれ……うん?」
ここで八郎も食べて、ちょっと不思議そうな反応をしています。
失敗したのでしょうか。こういう違和感が怖い。流し見出来ない緊張感のある作品ゆえに。
ここで喜美子は、うな重をいただこうかと言い出します。特上は初めてやな。どこが特上なんやろなぁ。そう言っていると、武志はこう絞り出します。
「ごめん、ほんまは味がしいひん。ようわからん。うまいやなんて嘘言うて」
「気にせんとき。失敗してんねん」
そんなやりとりがあります。食べても味がわからんて。つらい。我が子が美味しいと笑うところを見てきた親も、つらい。それでも喜美子はこう言い切ります。
「うな重食べえ」
「せやから味が」
「食べな力つかへん」
喜美子は強い。ここで泣くとか、寄り添うとか、敢えてしない。そういう日常を堅持したい誇りのような、意地のようなものを感じます。
会津戦争では、籠城中の子どもたちが凧揚げをしていたと言います。人間には、どんな時でも楽しめる、日常を過ごせると見せる。そういう意地があるものです。
八郎は、そんな我が子に寄り添うのです。そして我が子の膝を軽く叩きます。やはり喜美子と八郎って、ジェンダーの観点からすると、男女規範において逆の言動が目立つと思えるのです。
理不尽への怒りをぶつける
「今日はもう休んだら。根詰めすぎて、疲れたんやろ」
八郎はあの皿のことをこう言います。
「あの皿な、水だけやないで。太陽の光も感じるわ。ほんまにええ皿や。お父ちゃんができへんかったことや。うん、たいしたもんや。僕を超えていったな、ふふっ」
ちょっと体休めたら、味もわかるようになるんちゃうか。そしたらまた次、ほんまに美味しい卵焼き作ったるわ。そう慰めるのです。
でも、慰めって時にはより一層残酷でして。武志は心情を爆発させます。
「お父ちゃんの卵焼き、この先何回作っても味わからん。こんなんなる前に作ってくれや!」
八郎はこんなことになるとは思っていなかった。
そういうもんやと台所に立たなかったこと。結婚前に喜美子の話した料理が得意だということ。それをやらなかったばっかりに、こんな残酷な運命が待ち受けているなんて、思いもしかなったでしょうに。
「僕を超えてったて? ようそんなこと言えるな。負けんとやってやろう思わないんか! 悔しないんか! お父ちゃんに誇りはないんか? 情けない思わんか? 俺はがっかりや、情けないで!」
そう吐き捨て、武志は出て行きます。
これも本作の興味深いところでして。自分の心の奥底にある苛立ちを、他人にぶつけてしまう。そういう八つ当たり、責任転嫁はあるものです。
ジョーのちゃぶ台返しは、言い返せない時、自分自身の情けなさがある時にも起こっていました。
あの温厚な百合子ですら、自分ができなかった習い事を桜にやらせてしまう。
武志も、本気でお父ちゃんに怒っているかはわからない。怒りが募っているのは、自分の先が限られた運命に対してかもしれません。
道がもうない。先が途切れる。そのことへの怒り。
運命に負けたくない。悔しい。誇りがあればこそつらい。情けない。そんな自分自身にがっかりや。
受け身で優しく、弱音を吐かない武志。性格が似ている父に、その怒りをぶつけてしまいました。
そしてここで彼は、部屋を出て行きます。
残された両親は黙り込むしかありません。八郎が追いかけようと立ち上がりかけます。
「ハチさん……」
喜美子はここで彼を止めます。
松下洸平さんは、静かな演技がお似合いです。
喜美子との恋愛にせよ、グイグイ押していくのは彼女の方でした。それがたまに彼自ら動くと、よほどのことだとわかる。そういう静かな迫力が、悲しむ父の姿としてもよく出ています。
川原武志は、生きていたい
喜美子はノックをして、こう武志に声を掛けます。
「開けるで。薬飲まんとな。ここおいとくで」
「智也が……」
そんな喜美子に、武志は気持ちを絞り出します。智也から手紙をもらったこと。
智也の手紙
川原たけしさんへ
おれは
そう書かれただけの手紙です。ジョージ富士川の絵本と対照的であります。したいことの続きを書けた武志には、思うところがあるのでしょう。
何を書きたかったんのやろ。何を書こうとしてたんやろな。
勉強教える約束しててん。俺の作品ができたら、一番に見せたるいう話も。
いつやったか……。大阪に遊び行こういう話もしてた。
好きな子がおるいう話も。バイクの後ろに敷くかんこのせて琵琶湖一周したる言うてた。
書きたいこと、いっぱいあったんやろな。
それが……お……「おれは」で終わってんねんで。
お母ちゃん。俺は……終わりたない。
生きていたい。
生きていたい。
そう語る武志の後ろ頭を、喜美子はそっと撫でています。
戸田恵梨香さんの愛あふれる姿が、神々しいほどです。伊藤健太郎さんも、子役時代の雰囲気すら、演じる方が別なのに出ていて凄まじい。部屋の外で八郎はじっと、一人うつむいています。
喜美子は涙を流さずに、我が子の頭を抱き寄せ、肩に手を乗せて、寄り添い、気持ちを聞いています。
日が登った工房で、喜美子は一人、武志の大皿を見ています。
水が生きていて、太陽の光が宿った皿です。その波紋は、誰かの心まで揺らすのでしょう。
喪失の中で生きていくこと
『なつぞら』では、主人公たちが【味覚を映像で見せること】に挑みました。
視覚と聴覚だけの映像。その他の感覚は、どうやって見せていくのか。これが挑戦ではあるのです。
あの作品では、焼ける卵のにおいへの反応や色彩で表現することに挑んでいました。
NHK東京が優しく描いた世界を、残酷に挑んでしまう。そんな本作。【味覚の喪失】という高難易度かつ残酷な表現を出してきました。
役者さんですから、おいしく食べることは学んできたとは思う。NHK大阪朝ドラチームには、2013年や昨年の蓄積もある……と思いたいところではあります。
これを逆転して、おいしいものを食べてもわからない困惑にまで挑んだと。
味というのは、ただ舌の上にあるものではなくて、嗅覚。それに思い出もあるのだとわかった瞬間でもありました。
食べられなかった卵焼き。そこに至るまで、義父にかけられた呪い、離婚からの和解、武志を祝う気持ち。そういう要素もあったわけです。
それなのに、味がわからない。そのことがどれほど残酷で、苦しいのか。圧倒されてしまいました。
日常を構成する要素が消えてゆくこと。
ピースがバラバラに落ちてゆくような中で、何が残るのか?
大きな喪失があればこそ、今を生きることそのもののへの価値が見出せる。
そんな最終週が始まりました。
結末はさておき、こんなドラマを半年間見られたことそのものが、幸福だと思える。そんな月曜日が始まります。
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
スカーレット/公式サイト
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