前回(第7話「背中の母」)までの『西郷どん』は……。
祖父・龍右衛門(大村崑さん)が亡くなり、急に進んだ西郷隆盛の結婚話。
やってきたのは伊集院須賀という、西郷家より家格が上である武家の娘でした。
凛とした美しさを備えておりながら、生まれついての無愛想で家事もなかなか呑み込めない須賀。
西郷の母・満佐も体調不良を隠せずにいて、早く須賀に家事を引き継がなければ――というところで思わぬ不幸が西郷家を襲います。
父・吉兵衛が急死するのです。
しかも不幸はそれだけでは終わりません。
母の満佐までもが亡くなり、西郷のもとには、祖母の他に
・吉二郎(弟)
・竜助(弟)
・彦吉(弟)
・琴(妹)
・鷹(妹)
・安(妹)
という弟妹たちが残されたのです。
一体どうなってしまうのでしょうか。
不吉な嫁と囁かれ
伊集院須賀が嫁いできてからスグに、祖父・父・母が死んでしまった西郷家。
近所では「不吉な嫁」という評判がたち、彼女自身も自分の身を呪うように不吉に感じておりました。
西郷はそれでも優しく接します。
誰がなんち言おうと、おはんは不吉な嫁なんかじゃなか。
そして、新年からはきっといいことがある!と須賀を励ます西郷。
同年5月になると、お由羅騒動で謹慎を食らっていた大久保利通がようやく処分を解かれ、元の記録所書役助へ復帰するのでした。
このとき大久保は「切腹覚悟で島津斉彬に直訴してくれた西郷に感謝する」とガイド本には解説されております。
が、ジョン万次郎から情報を聞き出した褒美として申し出たのではなかったでしたっけ?
そもそも林真理子氏の原作にはジョン万次郎との接触がなく、したがって西郷が褒美を貰えるのもありえず、微妙なところなんですけど。
史実では1853年に大久保の謹慎は解けておりますので、まぁいいのかなぁ、と。
ペリー来航
この年、日本を揺るがす大事件がおきます。
アメリカ・ペリー提督の艦隊が浦賀にやってきたのです。
江戸幕府は、斉彬の盟友である阿部正弘が対応に四苦八苦。島津斉彬は、参勤交代からの帰路でありました。
この時期の島津家の大名行列というと生麦事件が頭に浮かぶかもしれません。
あれは1862年で弟・島津久光ですので関係ござーせん。
斉彬は、ジョン万次郎から話を聞いていたので、さして驚きもせずに黒船来航の一報を受け止めます。
黒船の大砲で脅しをかけてきても、戦などする気もないと余裕綽々。
それでも長崎と江戸に藩士を送り、防備を固めるとのことで、これはアメリカと対等の立場で交渉を進めようとする意志の表れでした。
そのために集成館事業を進めてもいた、と。
同時に、第13代将軍・徳川家定へ、篤姫(於一)の輿入れをするための準備も進めます。
西郷の江戸随行が決定!するも……
斉彬は、ここで西郷の江戸随行を決めます。
そのため、お由羅騒動で自害させられた赤山靭負の弟・桂久武を西郷家に遣わし、江戸行きを伝えると、弟や妹たちは大歓喜。
しかし、妻の須賀だけは浮かない顔。
そりゃそうです。江戸に行くには30両という大金が必要でした。
この時点で借金は200両(100両だったと記憶してたのですが、膨れてる?)になっており、新たに30両だなんて、当然そんなカネありません。
畑を半分売ろうか。
弟の西郷吉二郎(渡部豪太さん)はそう提案しますが、須賀は「借金まみれで夫を待つなんてありえない」とキレます。
さすがに西郷も悩み憔悴。
大久保に「金がないから諦めようか」と伝えると、今度は大久保にキレられます。
見損なったど、吉之助さぁ!
憧れの斉彬。その直々の話を蹴ろうだなんて「やっせんぼが!」というワケです。
そして2人で殴り合い。
翌日、顔を腫らしたまま鶴丸城へ出向くと、桂久武から指宿行きを命じられます。
というのも篤姫からの直々の依頼で、護衛役を頼まれるのでありまして。
その頃、西郷の弟妹たちに「兄の江戸行きの説得」をお願いされた大久保利通は、郷中仲間の有馬新七らに資金集めをお願いし、自らは豪商・板垣のもとへ出向きます。
そこで30両を貸して欲しい、と土下座。
借金は200両に膨れていて、しかも一文も返していない状況に板垣は顔を曇らせます。
そりゃあそうでしょう。
江戸詰めになったとしても、いきなり大金を返せるような高給取りになれるワケじゃありません。
そもそもお金を払ってまで仕事に行くというのが不思議な話で(これには着物を揃えたりせねばならないという状況で出費が嵩むのでした)。
大久保はそれでも必死に嘆願します。
と、板垣は5両を差し出し、「餞別」名目、つまり返済不要でお金をくれたのでした。
篤姫から直接声をかけられる
一方、西郷は、篤姫の駕籠に付き添い、錦江湾を臨む観音崎に来ておりました。
休憩を取る一行。
そこで篤姫が降りてきて、西郷に声をかけます。
どうやら御前相撲で西郷に賭けたのがキッカケで将軍家への嫁入り候補に選ばれたとのことで、その感謝の気持ちを伝えたかったとのことです。
林真理子氏の原作ですと、まぁ、西郷と篤姫が鹿児島で対面したことはありません。
江戸に出て、斉彬の使番をしていたときに「篤姫を見たことがあるか?」と尋ねられ、一度だけ遠くから目にしたことがある――と答えている程度です。
ただ、その後、安政の大地震で建物の下敷きになりそうな篤姫を助け出し、
「一緒に逃げよう」
とは言われるのですが、それは一時の感情だけで、それ以上、実際に行動することは微塵もありません。
ドラマ版の篤姫は、島津斉彬を投げ飛ばした西郷を見て
お偉方を思いっきり投げ飛ばしたそなたを放っておくはずがなか。そげな男は、こん薩摩に西郷ひとりだけじゃ。
とのことでした。
西郷ようやく江戸行きを決意!
西郷を江戸に行かせる――。
そんな思いから必死になってカネ集めに走っていた郷中では、20両になっておりました。
原作では、幼い村田新八なども協力したことも描かれておりますが、ドラマ版ではどうなるか詳細は不明。
ともかく西郷は、ようやく江戸行きを決意します。
しかし、10両足りない。
そんなとき、須賀が父の伊集院直五郎とやってきて離縁を告げます。
「娘が貧乏は嫌だ」と言っているとして、餞別の10両を差し出してくる直五郎。
これで江戸行きのできる30両です。
金額がピッタリすぎて驚きを隠せませんが、どうやら彼女は「西郷のためを思って離縁を申し出た」とのことで。
自分が西郷家にいれば、気を遣って江戸へ行けない―ーだからこそ気を遣ったとのことです。
西郷だけはその気持ちに気づくのでした。
そして1854年1月、西郷は仲間たちに見送られながら、江戸へと出発するのでした。
文:編集部
絵:小久ヒロ
※本稿は、林真理子氏の原作『西郷どん』ならびに市販の関連書籍を参考にして、筆者のツッコミを入れながら、ネタバレ&あらすじを掲載しております。
実際の放送とは異なる場面があるかもしれません。
また、参考書籍のセリフ部分をそのまま引用する場合には、引用タグを用いております。
そのため読みづらい箇所もあるかもしれませんが、ご了承いただければ幸いです。
【参考】
ジョン万次郎/武将ジャパン
『西郷どん(前編)』
『西郷どん(後編)』
『西郷どん完全読本』
『西郷どん ガイドブック
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