日中戦争の激化した昭和14年(1939年)。
「映画法」が施行された息苦しい時勢で、自由主義的な伊能栞の映画作りは頓挫してしまいます。
伊能商会を去り、北村笑店で新作『お笑い忠臣蔵』に挑んできた栞。
しかし、自分がいては当局に睨まれるからと、去ることを決意するのでした。
もくじ
社内をウロウロして立ち去らない栞さん
栞は、暗くなった北村笑店オフィスでうろうろ。
今日は冒頭から、藤吉亡霊の台詞が入るんですね。
当初は声や映像にエフェクトがかかり、この世の者ではない雰囲気が一応はあったのですが、もう、こうなったら生きているのと変わらない。
しかも、こうもクリアな声質で、はっきりと喋るとなると、死んだ意味がわかりません。
最終回でおてんちゃんがさらっと復活させそうな勢いすら感じますわ。おてんちゃん、ネクロマンサーやったんやな。
ネクロマンサー・おてんちゃんの前に、ピンピンした姿の藤吉が出てきて、
「実は生きとったんや!」
「アッハハハハハ!」
「わろてんか!」
という流れで、最終回に迎えたりして……って、それこそ仰天ラストでお馴染み、三池監督の『DEAD OR ALIVE 犯罪者』を超えてきますな。
それにしても栞さん。
辞表を置いたらさっさと去ればいいのに、つばきと同じで構ってちゃん要素がありますのぅ。
今さら言っても仕方ないんですけど、本来、栞の退場は先週の展開でおさめておくべきだった気がします
台本が出来ただけでバブリーパーティしたり、婦人会相手に「うちの台本は最高や!」とかドヤ顔したりしないで、きっちりおさめた方が印象にも残りそうなものですが。
「僕はアメリカへ行く!」
そこへ偶然、風太がやってきて、栞の辞表を発見。
問い詰めると、栞は、本作「伝家の宝刀」を持ち出しました。
「僕はアメリカへ行く!」
渡米キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
啄子、藤吉(未遂)、隼也に続き、栞まで。
リリコとシローだけは上海でしたが、困ったらとりあえずアメリカ作戦は生きているようです。
北村笑店にとっては流刑地なのか、あるいは修行の場なのか。
映画やショウなど、エンタメ作品のためのアメリカってことですよね。
それでもアメリカは微妙。
太平洋戦争前夜とはいえ、国際情勢の中で日本は非難されており、渡米の敷居がかなり高くなってそうです。
プロデューサーではなかったのか
それと引っかかるのが、栞が「ぼくが台本を書くと」と言っている点です。
おてんちゃんも先週「うちの台本を読んだんですか!」と啖呵を切っていますけど、この二人がどんな経緯でで、どんな役割で、映画に関わっているのか?非常にわかりにくいです。
状況的にはプロデューサーあたりだと思うんですけれども。
確かにプロデューサーは企画を担当しており、脚本にも口を挟むことはあります。
それでも脚本の細部まで整えるのはあくまで脚本家では?
おてんちゃんと栞の場合、例の「赤いしごき」の場面についてといい、自分で書いているかのような口ぶりなんですよね。
プロデューサーや、あがってきた脚本に許可を出す側の立場ならば、
「うちが書かせた脚本」
「ぼくが脚本を書かせると」
という言い回しになると思います。
この辺のハッキリ言っておかしい言い回しも、脚本家がおてんちゃんと栞に過度な自己投影をさせている証拠とみなせるのではないでしょうか。
「密航でもするさ( ー`дー´)キリッ」
一文無しのはずなのにアメリカへの渡航費用はどうする気か?
風太が尋ねると、栞はこう言いきります。
「密航でもするさ( ー`дー´)キリッ」
おいおい、おーい。幕末の吉田松陰や新島襄じゃないんだから。
昭和初期の50前後のおっさんがノープランで密航って……渡航費用すら考えていないとなると、北村関係者か知り合いにたかる気まんまんやないか。
ここで風太、「密航は流石にないやろ」とでも突っ込んでくれるかと思ったら。
「てんのことは、どう思っている?」
と、斜め上のことを聞きましてorz
それは大事なことなのでしょうか?
昔お見合いしたよね、てんに気があるよね、的なことを言います。
もう、いい歳こいたオジサンたちが、恋愛感情を原動力にビジネスしているなんて><;
薄々感づいていたけど確認しないでくれ。
「せやから、アメリカでのうて、ここでてんを支えてくれ。藤吉もいないし、隼也もおらんのや」
風太さん、ならば専務のあなたが支えるべきでしょうよ。
白い喪服、忘れてました
本作の病巣はここなんですよね。
吉本せいは、林正之介はじめ協力な部下もいたとはいえ、独立独歩、自力で歩んで吉本を作り上げたのです。
だからこそ「女太閤」と呼ばれたのです。
しかし、本作のおてんちゃんは、誰かにふらふらと支えられなければ、決断ひとつできない。
これのどこが「女太閤」なのでしょうか。
それに、いくら綺麗なBGMかけて歯の浮くような台詞をつなげたところで、冷静に考えれば栞は愛人そのもの。
女社長が「自分の精神安定剤にしたいから」と無能な愛人にポストを与え、高いお給料を払っている。
こんな公私混同を美談にするのは無理があるのでは?
ナゼ本作が、吉本せいのエピソードでは欠かせない、白い喪服に最初だけ注目して、途中から全然出てこないのか理解できます。
本作のてんは、せいの凛とした覚悟とは無縁。
夫が死んだら、別の男にべったりする女性だからではないでしょうか(わろてんか97話あらすじ感想(1/27))。
何も考えずに見ていたら感動できたかな?
ここで、その栞にとって最愛の人であるおてんちゃんがトキを従えて登場。
おてんちゃんが驚き地蔵顔をしている後ろで、トキが一生懸命おてんちゃんの気持ちを代弁するのでした。
てんがハッキリと感情をむき出して何か言うのって、結局、報国婦人会に
「うちの台本は読めば素晴らしいとわかる!」
と言う時くらいなのか……(´・ω・`)
そして、伊能栞キャラの回想場面が始まります。
メアリー・スー(都合の良すぎる有能キャラ)の回顧は、ある意味、見ているだけで楽しい。
思えば、初登場からステッキでバタバタと悪漢をなぎ倒し、ありえない妄想感全開でしたよね。
メッキが剥がれるまで時間がかかりましたが、あまりに駄目な藤吉と比べると相対的にマシだったことと、高橋一生さんの奮闘の結果だと思います。
それにしても、夫の藤吉が死ぬ間際の時よりも、全体的に力が入っているように見えるのは、どういうこっちゃ。
おてんちゃん、
「うちがお助けする!」
と言い出し、栞は、
「助けられたのは、ぼくのほうだ」
と、切り返す。
おそらくや……何も考えずに、朝ご飯をモグモグしながら見ていれば、ひょっとしたら感動できるのかもしれません。
でも、このやりとりって、自分の精神的支えのための愛人を役員にしている社長と、その愛人の会話なわけでして。
全然美談じゃないんだなあ。
『0にいくつ掛けてもゼロなんだよ』
栞も、渡米する真の理由を語ります。
「アメリカでは、カラー映画が始まっている」
えっ……?????????????????
つまり、この時代の映画はモノクロだと認識している?
ならばなぜ、先週、モノクロ映画で「赤いしごきを渡す」場面への思い入れを語っていたのでしょう?
は????????????????
まぁ考えても不毛なだけだから、次いこ、次。
「こんな暗い時代だからこそ、色つきの夢を見せたいんだ」
「色つきの夢……」
「人生最大のピンチこそ、最大のチャンスだと思いたい」
高橋さん、不屈の精神力で中身のない台詞に何かを注入しております。
しかし……、
『0にいくつ掛けてもゼロなんだよ』
という絶望的な気分になってきました。
それでも本来0のところを、0.1にしているあたりは凄いの一言。
次からはもっと慎重に出演作を選ばれたほうがよろしいかもしれません。
って、それは言わない方がよいですね。いくらなんでも、本作がここまで酷いことになるとは私も思いませんでした。
それにしても、おてんちゃんと栞の感動的な別れであるにもかかわらず、台詞の比率が【1:9】くらいに思えるのはどうしたものでしょう。
藤吉最期の場面もそうでしたけど、ヒロインに台詞がほとんどなく、しかもほとんどオウム返しさせているだけなのです。
いよいよ当局に睨まれますよ
ここでおてんちゃん、ナイスな折衷案を思いつきます。
栞を北村所属社員としてアメリカに派遣するというのです。
これも美談にするつもりのようですが、リリコ・アンド・シローの焼き直しじゃないですか。
あの二人はまだ売れっ子芸人だからわかります。
しかし、栞の場合は社運を賭けた映画事業の一作目を頓挫させた張本人です。
そんな男に、思い入れがあるというだけで莫大な渡航費用を払うおてんちゃん。
それのどこが美談なのよ。
投資に見合うリターンの展望があまりに見えてこない。
単なる浪費は、愛人へのお小遣いと一緒です。
しかも、です。
当局に睨まれている栞を、こんなキナ臭い情勢の最中、アメリカへ行かせる危険性を理解しているでしょうか?
それこそ北村笑店がスパイ容疑のど真ん中を踏み抜いていると思います。
下手すりゃ寄席経営どころじゃありませんよ。
これで栞とはお別れと言いたいところですが、予告編で流れたダンスシーンが残っていましたね。
続きは明日以降です。
今日のマトメ「満州に渡れば全て解決やん」
今日、最も言いたいことは、
「栞はもう満州に行きなよ~」
ですね。
この回で触れたのですが、(わろてんか132話あらすじ感想(3/9))当時の満州には「満洲映画協会」という映画会社がありまして。
戦時下でも娯楽色の強い作品や、ラブストーリーを次から次へと送り出しています。
おてんちゃんと栞は、あんな大騒ぎしていないで、満映と協力すればいくらでもその手の話を作れたんじゃないかと思うのです。
史実でも栞のモデルである小林一三が作った「東宝映画」は、満映と合作映画「大陸三部作」(『白蘭の歌』、『支那の夜』、『熱砂の誓ひ』)を配給しています。
しかし、中国大陸で慰問していた「わろてんか隊」が、途中から国内巡業にされるような本作では、絶対に無理なんだとは思います。
戦前において「海外雄飛だ!」といえば、中国大陸を目指すことが多かったりしたのですけれどもね。
2013年朝の連続テレビ小説『ごちそうさん』を思い出しました。
ヒロイン夫役の悠太郎の行動が、今週の栞に似ているのです。
当局に睨まれるような行動をしてしまい、逮捕は回避したものの、軍属として満州へ。
悠太郎はそのことを隠そうとするも、言動に見え隠れしてしまい、家族にばれてしまいます。
本作はそれの劣化版で、安直に「なんとなく中国なんて嫌」と、アメリカに変更したような気がします。
『ごちそうさん』では、行方不明になっていた悠太郎が、満州から帰国してヒロインと再会する場面が、最終回のクライマックスでした。
まさかそこまで真似ることはない、と思いたいです。
著:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
満映は、確かに映画人たちの最後の避難所の一面もあったようですが、悪名高い甘粕正彦が率いた国策映画の巣窟というのが一般的なイメージ。まあ、今となっては真相はわかりませんが、ダークなイメージが強い満映に、『白馬の王子』の栞様(笑)を関わらせるわけにはいかないでしょう。
ちなみに、先週一部で『春の調略祭り』が盛り上がった工藤社長は、甘粕がモデルなのかなぁ・・・と勝手に想像していました。
海外事情にも詳しい帝大出の知識人で、理想家肌でもある伊能が、「満州に来たら、自由に映画が作れるよ~」なんて甘言にのっちゃう展開のほうが無理があるかと。
赤い扱き帯は・・・堀部安兵衛(高田馬場の頃は中山安兵衛)が借りた帯が何色かは、当時は講談で周知の話。モノクロでも、観客(特に女性)には赤に見えたのです。
そういう時代のお話だと理解していないと。。。面白くないのも無理はありません。
風太が「てんに企画書渡すの忘れて、明日直接京都に行くから」って夜中に会社に来た理由言ってたけど、おんなじ長屋に住んでるんだから、普通は家に届けるでしょう。
普段はズカズカ上がり込んでいるくせに。
矛盾だらけの御都合主義…
もう、ごちそうさんと比べるのは止めましょう。
脚本家繋がりで直虎とも比較してしまって
「あの作品の高橋さんは、輝いていた。出番がなくなってからも、存在感が無くなるどころか、更に強化された…(涙)」
と、悲しい気持ちになりますから。