わろてんか61話あらすじ感想(12/11)お夕不在で元の木阿弥

大阪・天満で寄席「風鳥亭」を経営している、てんと藤吉夫妻。
二人は、ひょんなことから月の井一門の兄弟弟子と関わることに。

藤吉は、売れっ子の弟弟子・団吾と、大枚はたいてでも専属契約をしたいと執心しています。

一方でてんは、お茶子にしたお夕の夫・兄弟子の団真を高座にあげたいと考え、藤吉の留守中に勝手に進めてしまいます。
これには団吾に「団真と同じ高座にはあがらん」と釘を刺されていた藤吉も激怒。

そして高座で失敗した団真は、お夕に八つ当たりして初めて手をあげてしまいました。

藤吉とてん。
団真とお夕。
割れてしまった二組の男女は、果たして仲直りできるのでしょうか。

 

そしてお夕は何処へ去った

冷戦状態のてんと藤吉。てんはトキ、藤吉は亀井経由で話します。
他人経由で話すこのギスギスした状況は第9週でもあり、見ている方はどちらかと言うと緊張感を強いられ、微笑ましくも面白くもありません。

しかも、
「なんやー!」
と、いきなりキレる藤吉が辛い……(´・ω・`)

お茶子として頑張っていたお夕も、置き手紙を残し、風鳥亭を去ってしまいました。

団真の長屋に出向いたてんがそのことを告げると、彼はせいせいしたと言い出します。

「あれがいなけりゃとっくに落語をやめてた。構わんといてくれ」
嗚呼、もうッ! 見ちゃいられんわい。

藤吉は「お夕さんもこれで楽になった」と言い切ります。さらにてんには「仕事をしばらく休め」と言い出すのです。

「そろそろ育児に専念せえ。俺を支えたいならうちでも支えられるし、お前の仕事は俺がやる」
藤吉って、頼む時だけ横柄さを捨てて、猫撫で声になりますよね。

そもそも「育児に専念」っていうのも妙な話で。大正時代にそんな概念あるかいな、と突っ込みたくなります。
日本の歴史において、母親が家にずっといて子供だけを見ていたのは、戦後の高度成長期からしばらくの間ぐらい。いつまで“神話”を引きずるんですかね。

 

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隼也が都合よく扱われ過ぎでは

このあとてんが隼也を寝かしつけながら「いっぱい遊ぼうなあ」と言うのもチョット違和感がありまして。

子供の遊びに付き合うだけが育児ではありません。
もちろん子供と一緒にいるのは精神的には楽しいものですが、肉体的にはかなりのハードワークなワケです。
制作サイドとしても、そんなことは百も承知かもしれませんが、育児の大変さが叫ばれている昨今の中で、わざわざ誤解を招くようなセリフは避けた方がよろしいかと思います。

例えば『ひよっこ』のみね子たちの母親なんて「育児に専念」していなかったはずです。隼也くらいの子供だったらおぶって仕事をしていたでしょう。

そもそも隼也の存在感ってなんなんでしょう。
第9週ではこれみよがしにおぶって仕事していて、何故か子守を雇うという話もリリコがしゃしゃり出るまでちっともしない。
第10週になると急に子守を雇えばいいということになり、タネを雇う。それ以来、隼也は家においても影も形も出ないようになる。
んで、第11週になるとまた出てくる。

こういう出来のあまりよろしくない朝ドラにおける幼い子供って、作中で「子供を大事だ」と言うわりには、大切に扱われていないと思います。
ただわめいて、働く母親に「子供を見ないで働いた」というスティグマを背負わせるだけの存在だったりしますよね。

親より同年代の子供と遊びたがるような年頃になっても、不自然なまでに母親とべったりすることにこだわる。
で、思春期になったらスイッチが入ったように反抗期になる……。
なんだかなあ。

しかもてんは、藤吉に一切反論せず、わかったとふてくされて、寄席を出て行っております。

全般的に、なんだか子供っぽいんですよね。
彼女のふくれ面パターンも食傷気味で、いつまで10代の少女みたいな拗ね方をするのかなぁ、と。

これのドコが、ヤリ手のごりょんさんなのでしょう。

 

割れても末に……が見え見えすぎて

藤吉はてんが引き受けていた雑用に追われ、てんてこ舞いです。
家に帰ることもできず、寄席の隅っこで寝泊まりすることになります。

よくある無能経営者パターンという気がします。
裏方で長年つとめた優秀な事務社員を「あんな仕事は誰でもできる!」と解雇して、結果、仕事が一切回らなくなりパターンです。

てんがどんな仕事をしていたか把握すらしておらず、引き継ぎもしなかったのだから、無能の極み。
そんなことすら気づかない席主がとても有能とは思えず、説得力に欠けちゃうんですよね。

一方、芸人四人組はてんが昼間から長屋にいることに驚きます。

「私もストライキです!」
てんはそう言いますが、自発的に辞めていないので『急にどうしたんだろ?』と思ってしまいました。

しかも、芸人から一緒に戦おうと言われると、
「これは夫婦の問題ですから」
と断ってしまうのですから、ズコーッ!

先週(第10週)、労働争議に「家族三人、毎朝一緒に朝ご飯を食べる」等、家庭問題を強引にねじ込んできたではないですか。
それとも流石に反省した?

結局ストライキは、岩さんがスト破りをしてしまっているようです。

てんは自分でも「ストライキ」と言っている以上、一時的な離脱と腹の中ではわかっていますね。
そして今週中には、藤吉がふるえ声で「おまえなしではアカン」とでも言って、復帰するのでしょう。
割れても末に逢うというわけです。

 

リリコを悪質なマウンティング女子にしないで><;

ここでリリコが何故かやってきて、てんにマウンティングをかまします。

「看板芸人がいてこそ興行が盛り上がる。藤吉はなぁんも間違ってへん。あんたがあかんのは女やからやない。芸も芸人のこともわかってへんからや」
あぁあー。リリコまで感じの悪い女にしないで><;

自分の経験も持ちだして「芸について理解ある私たち(藤吉・リリコ)」を気取っていますが、そもそもまず藤吉に「芸を見る目がない」のは明らかです。

確かに看板芸人は必要でしょう。
それが他の芸人にも好影響を与える可能性も高そうです。

しかし、現在の風鳥亭クラスの寄席に月の井団吾のようなビッグネームは必要なのでしょうか。
二万円という破格のギャラ。小さな小屋でいくら回収できるというのでしょう。

リリコと藤吉の過去を考えると、彼女は別のことをわざと混同して、てんに対してマウントを取りたいだけの、悪質マウンティング女子に見えてしまうのです。
「芸なんかわからへんあんたより、うちの方が藤吉はんにはふさわしいし~」ってことですね。

そして、てんはなぜ、この場面で何も言い返さないのでしょう。

仮にも4年以上、寄席経営のど真ん中にいて、お茶子だけやってたワケじゃないですよね。
経理を担当していたのですから、そうした視点からリリコに向かって「あんたこそ、寄席の金勘定についてはシロウトやないの! 黙っといてんか!」ぐらい言ってもいいはずです。
いや、そういう気概こそが、吉本せいをモデルにした意味があるってもので、未だ子供みたいに、大事な場面でふくれ面をするのは、いい加減にして欲しい。

ほんとに子供かっ!
※何度も申し上げておりますが、葵わかなさんのせいではなく、諸悪の根源は脚本にあると思います。ワケのわからない女性に描かれてしまった、リリコにもてんにも心から同情してしまいます

 

今回のマトメ「月の井一門と共に去りぬ」

うむむむむむ……っ!
先週のお夕さんはじめとする月の井フィーバーのせいか、彼らの出番が減った途端、画面から彩り、ほどよい緊張感が消えてしまいました。

今日は何と言えばよいのか。
第9週の焼き直しのような回で、同じような話をなんでまたやるのかサッパリわけがわかりません。
藤吉の退場を先延ばしにしたいだけ?

雑用を回していた社員を切り捨てて現場が回らなくなる、というのは現代にも通じる問題ではあります。
しかし、どうにも無理矢理感があって、ちぐはぐです。

・第9週の「堪忍袋」
・第10週と第11週の「われても末に」

ここのところ落語を下敷きにした展開にしようとしている、そんな工夫は感じます。
だからといって、同じようなネタを焼き直すのはいかがなものでしょうか。

そもそも吉本と落語という組み合わせには、どうしても苦い味がつきまとうものであって、あんまりしつこくやるとあとで響いてくるような気がします。
落語家側に悪いことを押しつけて逃げ切るのも、一つの手ではありますが。

今日はやはり、やっぱりお夕さんカムバーック! ということで。
あんたがいないと駄目なのは団真だけやない!
全国の視聴者もや、お夕はん!

東洋のマンチェスター大阪の話は、以下の記事へ

大阪日本一の時代がホンマにあったんやて! 東洋のマンチェスターと称された栄華を振り返る

著:武者震之助
絵:小久ヒロ

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【参考】
NHK公式サイト

 

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