わろてんか総評『8つのなめとんか』(4/1)

試練のような半年間――もうしばらくはこのドラマのことなんか考えたくないという皆さん、私も同感です。

ただ、このような『純と愛』と並ぶレベルの作品については、書き残す義務感も、勝手ながら感じました。

誰かがここを読み、あらためて考えていただけることがあれば……。
そんな願いを込めて、まとめます。

テーマは、
わろてんかに言いたい『8つのなめとんか』
です。

 

「大阪」をなめとんか

大阪制作で大阪出身のヒロイン。
にもかかわらず、本作は関西人、特に大阪人の神経を逆撫でするような描写ばかりだったと感じています。

大阪制作でありながら、大阪人の地雷を踏む――ナゼそんなことをしたのか理解ができません。
箇条書きにすると以下の通りです。

・大阪船場出身の吉本せいをモデルとしながら、ヒロインを京都生まれに変更した
・メインキャストほぼ全員の関西弁イントネーションが最後までおかしく、関西人が苦手とする「なんちゃって関西弁」感が満ちあふれていた
・一部キャラクターの滑舌が極端に悪い、やたらとうるさいといった欠点もあり、発声指導が間違っていたか投げやりであったとしか思えない
・「大阪人は米を買う時、味より値段で選ぶ」と、馬鹿にするような台詞
・大阪のランドマークや名物がほとんど出てこない
・出てきたと思った通天閣は即座に焼け落ちる
・関西が誇る実在実業家二名の顔に泥を塗るような改変の数々
・その結果、関西人の誇る、世界でオンリーワンのエンターティメント「宝塚歌劇団」がドラマ内で消滅している
・大阪人は気に入らない芸人に、山ほどミカンの皮を投げつけるという野蛮な描写
・大阪人は人がどつく様子が好きだと言わんばかりの描写の数々

主に上記の問題が目立ちました。
これらの点に留意しながら他の問題点も振り返ってみましょう。

 

「今太閤」をなめとんか

本作には、大阪で名を成した二人の実業家をモデルとした人物が登場しました。
ヒロインのモデル・吉本せいと、伊能栞のモデル・小林一三です。

吉本せい/photo by Teiseisuru-0114 wikipediaより引用

しかし、それこそが最大の問題でした。
劇中の2人は徹底的に無能で、史実の活躍はなきに等しいように表現されていたのです。

主人公のおてんちゃんが『吉本せいらしいなぁ』という機転をなぞった――そう見なせるのは冷やし飴販売とミカンの皮のリサイクルだけです。

そのおてんちゃんを補佐する伊能栞は、宝塚歌劇団創設という小林一三のトップスリーに挙げられる業績が一切取り上げられることなく、劇中では、いい歳こいて恋愛映画にかまける無能な人物にまで貶められました。

そうした中で感じたことは、本作の脚本家は、吉本せいのような人物を嫌っているのではないか?ということです。
せいを小馬鹿にしているのではないかと思われる設定や台詞も出てきたからです。

吉本せいの出自や苦労は、実業家だけあって綺麗事だけじゃありません。
ビジネスに関するアイデアもそうです。
そうした要素をすべて表現せよは言いません。

しかし、仕事の根幹を成すような実績の消され方を見ていると、
『私の描きたいヒロインはもっとかわいくないとダメ♪ こんな貧乏くさくて図々しい女は嫌いなのよね』
と言われているかのようでした。

後述しますが、おてんちゃんというヒロインには、作者の自己投影を感じました。
この作品を描いた人は、吉本せいより自分が大好きなのでしょうね。

このドラマから学べる吉本せいと小林一三の軌跡なんて、何もありません。ゼロです。

 

「笑い」をなめとんか

万丈目吉蔵役の藤井隆さんは、当初からこう懸念しておりました。

「わろてんか」という作品そのものについて、「そもそも、おもしろい話です。『どうぞ朝から笑ってください』というのって、『ちょっと聞いておもしろい話があるねんけど』と同じで、やたらハードル上げることですから」と語り、「恐ろしいことをするなと思って参加している」と明かした。(上記、サンスポより引用)

さすが厳しいお笑いの世界を生きてきただけあって、本作の「笑いを軽く見ている姿勢」に最初から危惧感を抱いていたようです。
そして残念ながら、その危惧は、的中してしまいました。

本作の制作者は、当初自信満々でした。
見ている人を何度も笑わせると自信満々でした。

そうしてハードルを上げまくって迎えた初回。
飛び込んで来たのは
【ヒロインの父がくしゃみをしたら、周囲がずっこける】
という、あまりに程度の低い場面でした。

そして、その傾向が改善されることはありません。
ドイツ人の頭に蝶々が止まっているだの、「昨日」と「伊能」を引っかけるだの。
バナナの皮が落ちていたら滑りましたとか、そんなレベルでした。

『この脚本家は、お笑いを好きなんだろうか?』
序盤に私が抱いた微かな疑念は、回を進めるうちに恐怖へと変わりました。
『嗚呼、この方は、お笑いをバカにしているかもしれない』

本人に笑いのセンスがあるとかないとかの問題ではなく、最初から描きたくないかのような展開や設定。

そんなこと考えたくなかったですが、この脚本家さんからは
『自分が日頃作っている恋愛もののほうが、はるかにレベルが高いのだから、低レベルなお笑いなんて片手間でできるでしょ』
という傲慢さが透けて見えたのです。
こんな調子で、肝心のお笑い部分で成功するワケがありません。

お笑いをなめているといえば、エンタツとアチャコ、ミス・ワカナと玉松一郎といったレジェンド級の芸人をモデルにしたキャラクターを、その道のプロではない役者にやらせた点も酷だったと思います。
落語に関しては役者さんの鬼気迫る迫力で何とかしていましたが、漫才は厳しいものがありました。

役者さんが努力したのはわかります。
しかし、半年間のドラマのために特訓した程度では、どうにかなるものではありません。

今、売れている芸人さんたちも数年、十数年の実戦(舞台等)を踏んだからこそ、己のスタイルを確立できたワケで。
それをお笑いの本職ではない役者さんたちに、同じ芸や歌を使い回させる様子は、痛々しいほどでした。

特に、頻繁に出てきた容姿いじり、どつきネタは見ていて辛く、笑いというよりはイジメのようでした。

「ブサイクいじり」に失敗したテレビCMが炎上したとき、フットボールアワーの岩尾さんが「中途ハンパな覚悟でブスをいじるな!」と言って笑いをとってましたが、それこそ中途半端にいじり倒したのが本作です。
そこから感じられたのは、ユーモアセンスというより意地の悪さ。

本作は、土曜日に完成した芸をお披露目して締めるというパターンが多かったのですが、肝心の芸が完成したようには到底見えないため、作品そのものが破綻しまったのです。

 

「役者」をなめとんか

こんな作品でも全力を尽くし、マイナスの魅力しか無いキャラクターたちに、一生懸命血を通わせた役者さんは尊敬に値します。

アドリブをしていることが伝わって来た濱田岳さん。
彼のアドリブはしばしばやりすぎのようにも見えましたが、それは彼自身のせいというよりも現場をコントロールしない制作サイドの問題では?

むしろ彼女がヒロインならば、と何度も思ってしまった徳永エリさん。
自然な関西弁、加齢動作、熱演。
次はもっとよいドラマで、もっと大きな役を演じることを願ってやみません。

内場勝則さん、兵動大樹さん、藤井隆さん、枝元萌さんも、重厚かつ面白みのある素敵な存在感を放っておりました。
落語家パートに限っていえば、どの役者さんも芸達者で、本作の数少ない見所を提供していました。

本作の恥ずかしいところは、こうした役者の熱演に、おんぶにだっこだったところです。

落語家パートがそこそこ面白かったのは、役者さんが奮闘していたからです。
そんな奮闘した役者も、使い捨てにするような脚本でした。

寺ギンのように主人公周辺から消えた人物ならばともかく、売れっ子設定の文鳥と団吾、乙女組すら、使い捨て。
信じがたい感覚です。

役者に頼り過ぎる弊害が集中的に炸裂したのが、高橋一生さんです。

彼自身の特技である料理を強引に披露させられたり、変なコスプレをさせられたり、母親役相手にまで顔を近づける色っぽい仕草をさせられたり。
要するに「客寄せパンダ」です。
発想としては、美人女優のヌードシーンで視聴者を釣ろうというのと本質は変わりません。

こんな馬鹿げた使われ方のせいで、高橋さんが『おんな城主 直虎』の熱演で貯めたものを使い果たした感すらありました。

次に割を食ったのは、主演の葵わかなさんです。

主役とは思えないほど台詞を削られ、ろくな演技指導すらされていないと見て感じました。

ヒロインに抜擢された時は、ここから成長できると思ったのでしょう。
しかし、待っていた現場は役者殺し、ネグレクトのようなところだったのでは?

経験値を詰んだ役者であれば、スカスカの脚本にアドリブを加えることもできたでしょうが、新人にそれをするのは酷というもの。
彼女のキャリアに傷がついたら、どうする気なのでしょうか。

 

「人の命」「人の愛」をなめとんか

ドラマで人命軽視を感じることなんて、滅多にありません。
しかし本作は、人の命をおもちゃにしているとしか思えない、不愉快極まりない話でした。

それが顕著なのが、後半の土曜日。
恒例となってしまった『藤吉の亡霊復活祭』は一体何のつもりだったのでしょうか。

戦争という人の命が簡単に失われる時代に突入していくのに、ヒロインは死人を簡単に蘇らせてニヤニヤ。
本気でわからないから、本気でお尋ねしたい。
これで何を表現したかったのです?

本作は、人の死を徹底してスルーしていました。
新一
儀兵衛
藤吉
そして、台詞だけで済ませた乙女組・都ぐらいです。

年齢的に確実に亡くなっている祖母も無視。
てんとりんの姉妹同士で家族を偲ぶことすらありません。

一番呆れた扱いは、姑の啄子です。
彼女の再婚相手だかパートナーだかが、十数軒経営しているというクリーニング店もすべて失った可能性もおありでしょう。
戦時中の日系人はアメリカで大変な目にあっているはずですが、思い出すことすらありません。
年齢的に亡くなっている可能性もありますが……。

しかし、劇中で死を表現されたからといって幸せとは限りません。
その扱いが好ましいとは言えないのです。

・新一の死は、仏壇前でニタニタ笑うヒロインによって知らされる
・儀兵衛はいつの間にか死んでいた(勘当しても連絡くらいしなさいよ、と)
・藤吉の葬儀には、「白い喪服」の逸話すら消え、てんに惚れていた栞がノコノコと出てくる
・都は台詞で秒速処理

確かに一代記系の朝ドラでは、後半が葬式ラッシュになって陰鬱にはなりがちです。
しかし、ここまでやるとは思いませんでした。

なんせ、人の命が危険にさらされた戦争ですら、主人公は自分の周辺の人間が無事ならいい、笑いの神様信じるわ、といったデリカシー皆無のスタンスです。
疎開先にも出征した人物がいたわけですが、その安否を気遣うこともありませんでした。

そして「人の愛」ですね。
「人の命」に通じる話ですが、本作は男女のイチャイチャ以外、親子愛すら薄っぺらいのです。
息子が母親に対して不気味なマザコンぶりを発揮するくらいしか、感じられない。
あれだけ大騒ぎした伊能母子の再会すら、その後ちっとも出てこない。

勘当も薄っぺらい。
勘当された親から平然と借金するてん。
出征から戻ったらチャラになるとでも言いたげな隼也。
悲壮感もへったくれもありません。

やたらと本人が強調するおてんちゃんとリリコの友情、藤吉と栞の友情も陳腐なもの。
藤吉と親友だといいながら、藤吉の死後すぐに、二人っきりの屋内でおてんちゃんにベタベタする栞は不気味でした。

 

「歴史」をなめとんか

歴史に興味の無い作者は、クリックすればイベントがポチポチ進むような、年表ドラマを作ってしまうことは残念ながらありがちです。

前後の因果関係を無視。
点と点を繋いで線にするのではなく、点を置いていくだけになる。

本作は、点を置くだけではなく、時系列すらイジってムチャクチャにしてしまいました。

しゃべくり漫才の一種であるどつき漫才が、先に出てきた結果、オーパーツとしか言いようのないハリセンが出てくる始末です。
本作からは芸能史なんて学べない、むしろ有害です。

「母親を喜ばせたい」というネタを恥ずかしげもなく使い回した結果、伊能母子が当時そこまで上映していたとは思えない映画が大好きだった、という話もありました。
本作の映画史に関しては、数十年単位でズレていて、お話になりません。

戦時中の描写に至っては、露骨に大間違い。
どうしても「笑いの火」を消したくない結果、空襲寸前の真夜中まで漫才をしているという馬鹿げた描写になりました。

こんな偽史レベルの捏造をよくやるもんだと呆れました。
本作で得られる知識なんてありませんし、得たと思ったならとっとと捨てた方がいい。
戦時中の北村の歴史は、吉本興業の歴史をかすってすらいません。

呆れたことに、本作は戦時中についてよほど調べたくないのか、『ごちそうさん』、『べっぴんさん』といった作品の戦時中描写を、露骨に模倣してきました。
調べる気が微塵もないようです。

 

「視聴者」をなめとんか

本作の悪行の数々は、数え切れないほどあります。
視聴者をなめているとしか思えない展開も、たくさんあります。

2週間も引っ張っておいて、恋愛ネタのダシでしかなく、結局、中身がわからなかった「マーチン・ショウ」。
同じくさんざん引っ張って置いて、後片付けしか流さない「25周年記念パーティ」。

そんな視聴者をなめきった悪行の数々でも、最低最悪、極悪非道ともいえたのは第24週。
戦時中の検閲は思想的なもの、国策作品を作らせるというものでした。

ここでは史実を歪曲してまで自己投影、自画自賛し、
「批判なんて聞く耳持たないもん! わからない視聴者が悪いんだもん!」
と開き直っています。

検閲官はナゼか恋愛描写ばかりを敵視し、細かい史実に突っ込むという態度をとりました。

それに対する主人公らのスタンスが、
「私の恋愛描写にケチをつけて、史実にネチネチ突っ込む人ってホントバカみた~い」
という人をおちょくったようなもの。いや、こちらの思い込みかもしれませんけどね。

しかし、そういった解釈でもしなければ、史実からすればおかしい妄想みたいな話をわざわざ入れる意味がわからないのです。

この週では、日頃ろくに台詞のないおてんちゃんが、ペラペラとやけに喋りました。

『急に饒舌になってどうしたんだろ???』
と思っていたら、
北村に怒鳴り込んできた報国婦人会に対して、
「うちの台本読んだんですか! 読めばわかります!」
と啖呵を切りました。

急に、主張がスゴい。
こりゃあ
『脚本家の心の叫びだろうなぁ』
と思わされました。

 

「ものづくり」をなめとんか

本作は「笑い」よりも、
いかに「嫌な仕事を努力せずに済ませる」か
というのを追求したかのようなドラマでした。

序盤はまだマシだったものの、途中から息切れして、露骨に手抜きをしているのが丸わかり。
脚本にデカい穴が開いてしまい、現場の士気が落ちている――そうとしか思えませんでした。

・悪趣味な衣装(特にリリコ)
・手抜きをしている小道具(花屋で買ってきたとしか思えない花束はひどかった)
・使い回された大道具
・ヤケになったように流される仰々しいBGM

経験の浅い役者の顔には、疲労感と虚無が見てとれました。

・出征兵士がギリギリまでサラサラヘアー
・ガレキの片付けをした人物が、糊の利いた手ぬぐいを首に巻いている
・空襲のあとなのに焼けたあとのないガレキ

どの場面にも破綻が映り込んでいました。

本作の脚本家に説いたのは、
ナゼここまでプライドのない仕事をしたのか?
ということです。

史料よりも先行作品を見て、そのまま真似たとしか思えない設定がたくさんありました。

・伊能栞の設定は『あさが来た』の五代友厚と『おんな城主 直虎』の小野政次という、人気キャラクターのハイブリッド焼き直し
→結果、小林一三としての要素がほとんどない

・ヒロインが京都のお嬢様という設定、幼少期のエピソードは『あさが来た』の焼き直し

・姑から「使用人扱い」されるのは『ごちそうさん』の焼き直し
→「母親が喜ぶ顔が見たいから」という動機を、藤吉と栞で二度も使い回している
→似た展開を二度繰り返し、時間稼ぎをする(藤吉が倒れる、つばきが二度も北村家に来る)

・戦時中の描写は『ごちそうさん』と『べっぴんさん』の焼き直し

ヒット作を臆面もなく真似し、時間稼ぎに同じ展開を繰り返す。
よくもまあ、ここまでプライドを捨てられたものだと思います。

本作の登場人物は、あくどいことをヘラヘラと笑いながら行う、倫理感の欠如した人物ばかりでした。

おてんちゃんは、勲章という名声で抜け道を探す浅ましい性格でした。
※映画制作で反戦のようなスタンスを見せた直後のことだけに、アッサリとなびく姿が余計に目立ちました

つまらない作品はいくらでもあります。
しかし、作り手の倫理感の破綻、狡猾さ、怠惰、ナルシシズムまで感じられる作品はそう多くはありません。

本作は、そういう意味では希少な作品です。
もちろんホメてませんけど。

脚本家の底意地の悪さと悪意を感じた作品といえば、『純と愛』がありました。
あの作品は意図的に朝ドラを破壊するという使命感がありました。
本作は、ただ手癖が出ていただけ。より悪質かもしれません。

作者が一代記もの、歴史ドラマに適性がないことはわかりました。

ナゼ、それなのに吉本せいの伝記ドラマという、難題に挑戦したのでしょうか?

今後は原作つき、ライトなティーンエイジャー向け恋愛ものだけに専念して、歴史ものには手を出さないでいただきたいものです。
もし本作の作者が大河ドラマに手を出したら、半世紀以上にわたる歴史に終止符を打つことになるでしょう。

本作に望むことは、3つだけです。
・今後再放送なし
・本作スタッフの大河ドラマスライドだけは絶対になし
・これ以下の作品は作らない――そんな戒め・基準となる
以上です。

著:武者震之助
絵:小久ヒロ

【関連記事】
吉本せい 吉本興業の歴史

【参考】
NHK公式サイト

 

6 Comments

ファンタ

先程半分、青いのレビューの方に投稿しました。
じっくり見てる方には不快な朝ドラだったのですね。楽しんでいる視聴者は頭が空っぽと示唆するコメントまであり、ショックです。
確かに朝ドラに関して深く考えないライト視聴者です。制作側は私のような視聴者向けに作ったのでしょう。私にとっては裏切らない真摯な作りでした。
良いエピソードが多く、いつもニコニコ礼儀正しく優しい主人公が好きでした。
批判はそうなのかもと思いますが、今でもハードな内容じゃなく定石通りで良かったと思ってしまいます。
普段は朝ドラの内容に思いを巡らす時間もありません。筆者様のように自分の意見を公開して擁護できたらと少し悔しく感じました。と同時にNHKはわかってると安心感もあります。
NHKには今後もライト視聴者向けに「駄作」朝ドラを作ってくれるようお願いはしておきます。

しおしお

そういえば、藤吉の姉ちゃんは
どうなったんでしたっけ?

匿名

脚本家がダメダメなのは全くその通りで、ウンウンうなずくことばかりです。
ただもう一点、付け加えるならば、ちょうどこのドラマが始まるころ提唱されたNHKの「働き方改革」が大きく関係しているのではないかと思います。
脚本がダメダメでも、演技がダメダメでも書き直し、撮り直しなど時間とカネのかかることは出来ない。現場スタッフに残業させたり休日出勤させたりするわけにはいかないわけです。
きっとこんな「縛り」があったのではないかと勘ぐります。
昨日の「西郷どん」がスペシャルになったのも一説には現場スタッフを休ませるためとか。
ですから、よほど良い脚本、良い役者、良い演出家がいない限り150回以上に及ぶドラマは出来なのではないかと思います。が、番組そのものが改悪されるのは本末転倒。NHK幹部は視聴者の声をよく聞いて、もしくはこのドラマをちゃんと見て、大いに反省してもらいたいものです。

匿名

周囲では役者さんのファンが「今日は出番が多くてよかった」だの「○○そこかわって~」と沸き、不自然さや矛盾など気にせず「今日は主人公が悲しむ回だったから泣いた」「今日はコミカルな雰囲気だったので面白かった」「和解して感動した」なんて楽しんでる人もいました。
朝ドラは「頭からっぽでも楽しめる」ではなく「頭からっぽにしたら楽しめる」みたいな楽しみ方が要求されるようになるのでしょうか。
次の作品もノリが合わなさそうで残念です。
いつも頷きながら楽しく読んでいました。かんそう、総評お疲れ様でした!

匿名

全く同感。腹立たしいながら視聴習慣があるなか、こちらのレビューは救いでした。

一生さんは、政次の演技すら偽物に感じさせるアイコン演技をさせられていましたね。

わろてんかには、アゲ記事ばかりが目に付き、非常に不思議でした。ここまで朝ドラに不快感を感じたことがなかった為、急に目に付いただけかもしれませんが。

何度もレビューでは笑わせていただき、ました。半年間、ありがとうございます。

匿名

まあ、あさが来たの後の朝ドラはだいたいしょうもない(ひよっこはあまりに展開が遅いので断念したから対象外)ですが、そのなかでも本作はひどいですな。吉本興業の見解が知りたいです。

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