時は2011年。
【スパロウリズム】という会社を設立した楡野鈴愛と萩尾律は、試行錯誤の末に「そよ風の扇風機」を開発。
いよいよここから!
投資家を集めて製品化に取り組もう!
という展示イベントを開催したところで、突如、日本は東日本大震災に襲われました。
激しい揺れで娘の花野はおもらしをしてしまい、扇風機の生産については部品調達もままならない苦境。
さらには仙台で看護師をしていたユーコは、連絡が途切れ、そしてその死がボクテから告げられます……。
【154話の視聴率は22.9%でした】
もくじ
君がいなくなって、私の世界は半分になった
君がいなくなって、私の世界は半分になった。
左耳失聴したときの何千倍もショックを受けた。もう君の見ることのない世界に生きている。
鈴愛は、そう思います。
ユーコ。
秋風塾で共に執筆した友。
生きる力としてお互い支えてきた友。
想像力の波を滑るスケーターを描いた友。
そんな彼女が、この世を去ってしまったのです。
岐阜の楡野家では、春休みを迎えた子供達が遊んでおりました。
五平餅食べるか、と声をかける草太。花野も来ているということは、鈴愛が帰省しているわけですね。
鈴愛は一人で部屋にこもりきり、ユーコからもらったスクールペンをじっと見ておりました。
そうだった……。
思い返せば、当初は対立していた二人が一歩近づいたのが、かけあみ練習の時、ユーコがスクールペンを贈ったあたりからです。
漫画家の経験が、ちゃんと刻まれているのです……。
梟会の持つ力に涙が溢れ出てくる
そんな鈴愛を励ますためか、ブッチャーとナオちゃんがやってきて酒を飲むことに。
草太が誘ったようです。
そんな草太は間違っとる!
と思わず言ってしまうブッチャーとナオちゃん。
元気付けようとしたのだろうけど、あまりに重たい話ですもんね。
ブッチャーはテーブルの上にある胡椒を手に取り、胡椒なのは嘘や、本当は砂だとおどけだします。
調味料を手に取り、そうやって笑わせようとするのです。
そうそう、ブッチャー!
こういうとき、きみのマイペースさがいいんだよ!
分厚いリーゼントな髪型も父親に寄せてきて最高だぞ!
ふふっ、と笑う鈴愛。
「何やろう、何やしらん、あんたら見とったら、涙出てきたわ」
これが、梟会の持つ力かもしれない。
これまで、鈴愛は虚ろな目をするだけで、涙ひとつこぼしていませんでした。
これもそういうものだと思います。
何か衝撃的なことがあったとき、すぐに涙が出てくるわけじゃない。
心を解放していい、そういう安心感がないとただただ世界を見つめているしかない。
そういう空っぽの心が表現されていました。
「カラスはスズメの天敵やもんな……知らんけど」
家に戻り、膝を抱えたままの鈴愛。
そこに晴がやってきて、おじやを置いて行きます。
「無理せんでええ、食べたくなったら箸つけて」
そう告げて、立ち去ろうとする母を引き止める鈴愛です。
「おかあちゃん、ちょっとおって」
肩に頭を乗せる鈴愛。カラスの鳴き声が響いています。
「ちょっと怖いわ」
そう語る鈴愛。
晴も
「カラスはスズメの天敵やもんな……知らんけど」
と続き、他愛ない母娘の会話です。
鈴愛は、ユーコの名前は誰がつけたんだろう、とつぶやきます。
「やっぱりお母さんかなあ」
鈴愛という名前とスズメを掛けたところから、きっと命名について連想したのでしょう。
こういうともかくエエセリフを押し付けがましく押し込むのではなく、人間の連想に任せた脚本が、本作の底力だと思います。
立ち直るまで付き合ってやらんとな
晴は自分自身と宇太郎に言い聞かせるように、あの子は強い、きっと立ち直ると言い切ります。立ち直るまでつきあってやらんと、そう言うのです。
「ほやな。俺にもまだできることがあるんやな」
最終週まで、ヒロインの親ができることを確認しています。
そうでした。
あのとき、皆それぞれが心に傷を負い、傷の軽い方が重い相手を助けようとしていました。
助けることで、励ますことで、自分ができることを確かめて、歩いてゆくしかない。そういう日々でした。
「ティラミス美味しかったなあ」
晴が、しみじみと呟きます。
あれが初めてのティラミスだった、と。
そうでした。あの秋風塾のころ、ティラミスが食べられるようにしたのはユーコとボクテ、そして秋風先生たちでした。
結果はどうなっても、あの塾の思い出は消えないのです。
二人の会社だ 一人では決められない
それでも前に進まなければ!
そよ風ファンも進めないといけません。
津曲が、岩堀の工場から調達した部品のサンプルを見せます。
ただし、10ミリの長さになるこの部品だと、どうしても本体からボタンが飛び出てしまいます。
律にデザインのマイナーチェンジを促す津曲ですが、そうなると鈴愛がこだわった花のようにしたいというデザインの要点が崩れてしまう。
そうやって律が口にすると、津曲も鈴愛があれじゃ何も決められないのでは、と言うのでした。ごめんね、とちょっとフォローも入れますが。
律もこれには同意しながら、こう言い切ります。
「【スパロウリズム】は二人の会社だ。一人では決められない。あいつを待つ」
そして……。
「もう40年、あいつを待ってた。いや、ってことに気づいたんです」
何を言っているんだ?という津曲。
最終週まで待たれるヒロイン。
本作はみっちりしている!
悲しみと共に生きている
和子の写真を見つめる鈴愛。
ここは萩尾家ですね。以前はできなかった、和子の写真を飾れるまでになったんですね。
鈴愛は、晴の撮影した写真を見ます。
素人とも思えん!と感嘆の声。キミカ先生は赤いマイカー写真を見せました。
カッコいい!
そうだそうだ、この年齢の女性だって、真っ赤なスポーツカーに乗りたいんだ! ピンクの軽自動車ばっかり乗ると思うなよ!!
まあ、三回ぶつけて修理に金がかかって仕方ないらしいんですけどね。
乗せたるわ、と誘って来るキミカ先生です。
「おじさんはえらいね、強いね」
力なく微笑みながら、そう口にする鈴愛です。
和子のことを乗り越え、ちゃんと生きていると。キミカ先生も同意します。
しかし弥一本人は違いました。
そう思っていたけど、実際はそんなことはなくいつまで経っても悲しい。最近そうわかったのだと語ります。
乗り越えたのではなく、悲しみと共に生きているのです。
「忘れられん、いつだって涙出てくる」
それでも……生きていればいいことはある。
翼君の写真が入賞するとか。
キミカ先生の赤いスポーツカーに乗ると気持ちがいいとか。
「死んでしまった人たちがいなくなったわけやない。ここにおる」
「ほやな、ここにおる。私らは生と死の狭間に生きとる。みんなそうや。生まれることも、死ぬことも特別やない。生まれるのは嬉しい、死ぬのは悲しい。乱暴のような気がする」
産婦人科医として、命が生まれる瞬間に立ち会ってきたキミカ先生ならではの言葉ですね。
お見送りではなく、再会
そういえば本作って、狭間にいる廉子さん、時折の仙吉さんまで、ナレーションに参加してきますよね。
言われてみれば狭間を描いていると言えるのか。
「私やっぱり、ユーコに会いに行こっかな」
お見送りではなく、再会です。
ユーコは秋風先生が自分のために描いた新作だって、読めなかったわけじゃない。
狭間で読んでいる。そう思いたい。
鈴愛は仙台に向かいます。
そして自宅で、遺影、位牌と向き合います。
ちゃんと戒名もつけられて、かなりきちんとしたセット。
真正面から死を描こうというスタッフの気遣いを感じます。
「ユーコ、抱いていいですか」
ユーコの夫である洋二に断り、遺骨を抱きしめる鈴愛。
その目から涙がこぼれてきました。
今日のマトメ「生と死も半分ずつ」
今日はユーコ追悼の回。
一人の人物の死を、15分間みっちりと追悼する――朝ドラでは珍しい流れです。
朝ドラではどうしても重たくならないようにすることが優先されるように思えてなりません。
顕著な例が前作の『わろてんか』。
戦争描写や、本当はあったはずの息子の死など、そうしたものはとことん避けられました。
そうした過去の状況を考えれば、死を連想させるものを映しだすだけでも相当なチャレンジだと思います。
ユーコの遺影、位牌、戒名、遺骨。
骨壺を抱きしめる鈴愛。
よくぞここまで……。
どうしたって、ハッキリと死を映し出すことに対し、心理的動揺する人はいます。
私も胸が痛い。そういうことを避けない本作の信念を感じます。スタッフも、よくぞ決断したと思います。
それが出来た理由も、わかります。
避けることは、ありえない選択肢でした。
『半分、青い。』の半分とは、明るさと暗さの混じったことじゃないか?
と昨日書きましたが、こうなると「生も死も混じっていたのだ」と思わざるを得ません。
ならば廉子がナレーションを担当する理由も見えてきます。そういう世界観だったのです。
今日はユーコだけではなく、和子も含めた、世界が入り混じる回です。
鈴愛の手にはスクールペン。
晴の記憶に残る味には、ティラミス。
秋風羽織の新作には、『A-Girl』の続編。
生きたものたちの世界にも、ユーコのあとが、刻まれて残っていました。
それが生死の入り混じる世界ということなんだ。
仏壇で鈴を振ると幽霊が出てくるとか、そんな強引なやり方ではなく、ちゃんとした納得のできるやり方で、生死の境目を薄くした本作。
ユーコの死は話題性作りとか、そんな軽いものでは決してありません。
本作の世界観――挑む姿勢――を描いたとも言える。
最終週までみっちり詰まった内容だと予告はされていましたが、本作の描きたいもの、価値観まで、最後まで入ってきました。
消化試合なんかない。
どうして最初に、鈴愛と律の生まれるところから始まったのか。何が混ざった世界か。そこまで本作は手抜きしない。
こういう作り方があるんですね!
鈴愛のユーコへの言動が、二度と逢えない死者に対するものではなく、まだどこかでつながっている者への態度であるのも、納得できました。
手を合わせるだけでなく、抱きしめる。
それも、二人で朝まで漫画の構想を練った、そういう二人だからこそ……ここで二人は終わりません。まだ、彼らの世界は続いてゆくのです。
律の台詞も、素晴らしかった。
もうあと少しで終わりなのに、それでも鈴愛を待つと言います。
だってそれが二人の世界だから。ずっとそうしたかったからなのです。
40年間――放映時間だと半年間待ち続けた律。
励ますだけではない、待つ律。
待ち続ける律に、ありがとう、あなたは偉いんだ、そう言いたくなりました。
※『半分、青い。』ほか多数の朝ドラ・大河作品がU-NEXTで視聴できます。
詳細は以下のサイトをご覧ください。
スマホでもOKですよ。
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
毎度気になるところを勝手気ままに指摘しまして、すみません。
>像力の波を滑るスケーターを描いた友。
像力って?
ちなみにわたしが本物語を楽しめるのは主人公が嫌いじゃないからです
物語は、主人公が好きなら、大抵のアラは気にならないように見受けられます。
脚本家さんが伏線にしたいと考えている跡が物語には見受けられます。だいたい、こちらでも指摘されていることです。
ただし、スムーズに物語に馴染んでないので、好意的解釈をしないと技巧的に入れているのが目につきます。要は、脚本の表現レベルの問題だと思います。思いに技がついていってない。
わたしは割とどんな物語も受け入れる方でよく例に上がる純と愛もまれも楽しんでました。本作も楽しんでます。
ただし、斬新なのにもっと、多くの人が夢中になれる、緻密なのにうねりある物語も知っています。
そういうのが見たい!本作のチャレンジに対し、もっと良いものを目指し、ぜひ見せてほしいという視聴者の欲から、あえて指摘しました!
色々と書きたい事がいっぱいありますが、ちょっと嬉しかったので書きます。
私は11年前に夫を亡くしました。それから50にして車の免許証を取りました。それは夫が大事にしたビートルに乗りたかったから…その次も夫が好きだったミニクーパー(^^)
そして、私も今年還暦を迎えました。
で、買い替えた車は真っ赤なコペン!
軽自動車ですけどオープンにして走るのは恥ずかしいけど気持ちいい\(^o^)/
同じ世代ですから、きみか先生の気持ちがわかります。
どなたかが朝ドラは人生の応援歌と…
このドラマは本当に応援歌だと思います。
夫を亡くしても人生は続いていきます。
これは意味があるんだと思っても心半ばで夫の思いはどうなってしまうのだろう…と思っていましたが、確か和子さんが言ってました。”やりたい事が出来なくて亡くなっても夢を持ちながら亡くなるのは良いんじゃない”っと…
私はこの言葉に救われました。
このドラマ…心に残る言葉がいっぱいあります。
あと2回なのに語りたい事だらけです。
所有物へのこだわり、センスが素晴らしい!
キミカ先生の赤いスポーツカー、以前から車種は何かと気になっていましたが、写真で明かされました。
まさか、メルセデスやポルシェではあるまいな、BMW Z4でも違和感が、、、
なんと、マ◯ダ ロードスター(たぶん)年代を合わせて第三世代フルオープン、密やかな予想(希望)と一致して大変嬉しい。
あの経済状態(質素な医者は結構貧乏)、センス、死生観、家族構成(独身・還暦過ぎ)からは、コレしか無いと感じていましたが。私と一緒^^まっ、第4世代ですし、日和ってフルオープンじゃないし(あの地方でも結構雪は降るので)、赤でもなくて、ぶつけてもいませんが。
突然ですいません。本作への批判について意見を書いてみたくなりました。
(1)本作への批判者=婦人倫理委員会
本作のヒステリックな批判者の多くは男性ではなく、女性が多いような気がして
います。
「本ドラマは平成日本の衰退を表している」とする女性政治家、幾人かの女性
レビューワー、ガールズチャンネルなど。
何かになりたかったが、何者にもなれず、定型への同調圧力により「普通の女の子」
になった人たち。または、彼女らの悪意の潮流に乗ってSNSを書き写す記者達。
(2)物語に入り込む=共感=憑依
批判者達は「物語に入り込めない」「共感出来ない」と罵ります。
そうして「鈴愛は性格が悪い」「鈴愛は異常だ」「爽やかで素敵な女性ではない」と。
批判者は古い少女マンガを読む様に「目立たないけど本当は一番可愛くて心の美しい
ヒロイン」に憑依して「ヒロイン」に同化し、「ヒーロー」を含め皆に愛される
ことを望んでいるように思えます。
でも、本作ではそれは叶いません。鈴愛は「ヒロイン」ではないからです。
(3)ヒーローは鈴愛、ヒロインは律
手塚治虫原作の「マグマ大使」で、マグマ大使を呼ぶのは「マモル少年」です。
笛を吹き「マグマ大使」を呼ぶ鈴愛は、ヒーローに付き添うヒロインではなく、
ヒーロー自身に思えます。「○○したい!」と意思を示すのは律ではなく
鈴愛の方です。
宮崎駿アニメで例えるなら、
「未来少年コナン」のコナンが鈴愛、超能力者であり博士の娘であるラナは律。
「天空の城ラピュタ」のパズーが鈴愛、飛行石を持つ古代文明の王女シータは律。
地に立ち呼ぶのは鈴愛、高窓から美しく微笑む「美少女」は律。
意思を示すのは鈴愛、実現するのは律。
スパロウリズムの魂/心/社長は鈴愛、スパロウリズムの頭脳/技術者は律。
少年漫画、青年漫画の主人公達の多くは元々読者の同化/憑依の対象ではありません。
物事に真正面からぶつかり、砕け、慟哭し、勝ち誇り、時に相手をだまして
ジャイアントキリングをなしとげ、また調子に乗りすぎて失敗する彼らは、
「同化」する者ではなく、読者の羨望の「対象」や愛すべき「対象」です。
少年漫画の読者は「いつかあのヒーローのように生きてみたい」と思うことは
あっても、「ヒーロー」自身になって物語の中に生きることはしません。
「対象」は「自分自身」ではありません。読者の視座は「対象」の外部にあります。
ヒーローは行く道を塞ぐ壁を、襲い掛かる荒波を、七転び八起きに駆け抜けます。
ドラマでも鈴愛は、ぶつかり、成功を掴みかけるが失われ、疲弊し、慟哭し、
七転び八起きに人生を駆け抜けます。同化/憑依を許さない少年漫画のヒーロー
の速度で。
たとえ憑依出来ても「傷だらけのヒーロー」であって、「ヒロイン」にはなれません。
ドラマの批判者達は、鈴愛、同化/憑依ができず、憑依しても「素敵なヒロイン」
にはなれず、物語の伏線/文脈を見失い、彷徨った末の「亡者」の様に思えます。
そうして、憑依出来そうな他のキャラクター(より子etc)、SNS上の同調者、
レビューに取り憑き、鈴愛への、物語への、脚本家への、ヒステリックな批判行為
に耽溺します。
多くは過度な印象操作、妄想に過ぎないのに。
(3)鈴愛は自分では何も成し遂げ無かったか?飽きてやめたか?
鈴愛は実際にはかなりのことを成し遂げており、飽きてやめたことはほぼ皆無です。
それぞれ普通人なら立派な武勇伝ですが、自分を利することが出来なかっただけ。
まるで平成時代のアニメ、文芸や日本企業の製品が、性能品質は良くても国際的
にはうまくデファクトスタンダートになれず、マネタイズ出来なかったように。
・長距離糸電話: 律とともに成功。
妻を失い悲しむ祖父を慰めるという目的も達成。
・ゾートロープ: 律とともに成功。
鈴愛の左耳を悲しむ母を慰めるという目的も達成。
・初めてのデート: 真っ正直に自分のキャラを出しすぎ引かれる。
鈴愛が飽きたわけではない。
・初めての漫画: 手書き、勢いのみで描いた作品をもって、秋風羽織の弟子に。
そのアイデアは後に人気漫画家ボクテのデビュー作に。
・デビュー作: そのまま連載が決まり、複数冊続く単行本化。
鈴愛が引退して数年経った後も人を泣かせる名作。
・漫画家: 上記の成果の末、あしたのジョーのように燃え尽き、慟哭。
律の結婚は心にとどめを刺したが、断筆の原因ではない。
鈴愛が飽きて辞めたわけではない。
・結婚: ちゃんと結婚し、子をなし、「支えたい!」と頑張って、
涼ちゃんの才能を開花させ、映画監督への道を開いた。
鈴愛が飽きたわけではない。涼ちゃんの退路を断ちたい
との思いにより、親子ともども棄てられただけ。
・仙吉カフェ: 父も引き出せなかった秘伝の技を祖父から引き出し成功。
これによりノウハウは具体化され、引継ぎ可能に。
よって健人への引継ぎもスムーズになされ、数年にわたって
繁盛する店に。鈴愛が飽きてやめたわけではなく、健人夫妻
に譲らざるえなくなっただけ。
・岐阜犬: 律とともに成功。
律の母に生きがいを与え、律と和子の最後の時間をつないだ。
その後、大ヒット商品となり、鈴愛がお一人様メーカーになる
契機に。
・ふぎょぎょ それなりに飯の種になること数年。個人事業主としては
大変立派なレベル。スパロウリズムの前身。
(4)鈴愛は発達障害?性格が悪い?
アルカイックに微笑むお嬢様キャラでありませんが、変だとも、性格が悪いとも
思えません。真っ直ぐに、率直に人に向かうだけです。ヒーローですから。
慟哭し、心失って、叫びますが、それは真剣に戦ったゆえ。
(5)平成の時代の向こうへ駆け抜ける者
本作の最終週では東北の震災と津波が日本を襲い、鈴愛も親友、裕子を失いました。
3.11の震災は確かにあまりに重い事件で、本作で描き切るには時間不足かもしれま
せん。
ただし、平成史であると宣言した本作では、「3.11震災」を、平成という時代を
代表する「破壊と、慟哭、その後の道なかばの復興の象徴」として描くので良い
と思います。
平成という時代には「3.11」だけではなく、様々な「津波」が日本を押し流しました。
プラザ合意後の急激な円高、それによるバブルと崩壊、米英のバーチャル経済と
ハゲタカによる「2度目の敗戦」、長銀破綻(金融危機)、IT/ビットバブル崩壊、
金融工学、リーマンショック、BRICSなどの発展による日本の国際的地位の低下。
「津波」は「3.11」だけではなく、多くの経済的な「津波」が多くの人、企業を
押し流しました。それぞれ万単位の人が自死の形で死にました。
けど、産業に関わる皆が諦めたわけではなく、失い、慟哭したが、歩き出しても
います。
(私もリーマンショックを契機に職を失い、今はおひとりさま技術者です。)
鈴愛も「3.11」で親友、裕子を失い、慟哭しましたが、必ず、復活し、大団円に
向かうのだと思います。
誰かに付き添い、優しく微笑むだけのヒロインには収まらず、
ヒーローとしてヒロイン律の手を取り、
平成の向こうへ駆け抜けてくれると信じます。
私と同じく理系、製造業、ものづくりの方の間で本作の評価が高いのも良く分かり
ます。
(6)本作は破綻しているか?伏線が無いのか?
脚本家の北川先生は先にプロットを立ててから台本を書くとのことで、伏線は驚く
ほど複雑に張り巡らされているように思えます。漫画家「萩尾望都」の作品なみに。
先々つながる伏線はちゃんと引っかかり(フック)、違和感を残して提示され、
凄いなあと思います。
以上、長文すいません。。。
生と死を見つめる台詞に感動した人は多いと思う 集まり散じて人は変われどという早稲田大学校歌の精神が流れているかも 早稲田ウイークリーに北川さんがでたということで拝読したが親子3人早稲田大学だそうで都電面影橋にちなんだと思われる店の名前おもかげ以外にも人生劇場の心があるかもしれません あしたのジョーよくでるが
スズメがユウコを抱きしめるシーン鳥肌がだった。すご勝った。こんな朝ドラがあるんだ。生と死の間、半分の世界観が伝わってきた。
人はみな生と死の狭間に生きている、というキミカ先生の言葉を聞いてすぐに、あの「生も死も日常」という晩年の樹木希林さんのお話を思い出したのは私一人ではないでしょう。