福子の知らない立花の一面
ここでホテルに戻り、保科にクエスト結果報告。
「どうして憲兵に食ってかかったりするのよ!』
叱る前に事情を聞いたりしないの?保科さん。本作の女性って、バカだし性格悪いし、いちいち冷たいよね。
んで、福子ちゃん、髪の毛がわざとらしいほど濡れております。って、おい!おいおいおい!お友達さん、福子の髪を拭いて整えたりしなかったの?
ったく、演出がいちいち不自然でわざとらしいなぁ。
ここで立花が挟まります。
「やってもいないことを認めるくらいなら、死んでも構いません!」
はいはいはい。薄っぺらいセリフをありがとう。
ナレーションで、福子も知らない立花の一面です、と説明されますけど、戦時中、どれだけ身に覚えのない罪を問われ、そして拷問死した人がいたかご存知ないのでしょうか。
「死んでも構いません!」ってセリフ、どんなつもりで入れたの?
本気で問い詰めたくなる気持ちになります。
ここでクエストをこなした牧と野呂、保科、友人2名と福子が帰宅。
鈴が立花のことを知ってわざとらしく驚きます。
お口直しの作品を挙げておきます
本作を見ていると、口直しに見返したくなる作品がたくさん出てきますね。
頭脳、意志力、行動力、不屈の意志がある「人間女性」。
それと、ハンガーストライキのシビアな描写!
例えば『未来を花束にして』(※この邦題は最低ですが、映画そのものは傑作)なんかがその一つです。
本作のユル〜い憲兵さんはそんなことはしませんが、ハンストへのカウンターとして、強制的に管を使って食事を食べさせる措置があります。
ハンスト描写ならばそこまでセットにしてこそヤル気ってものを感じますけど、本作じゃやらんでしょ? そもそも知らない?
映像化された中で、近年まれに見るユルい日本軍拷問といえば『アンブロークン』ですな。上映中止運動が奇妙に思えたほど、ユルかったのです。
『戦場のメリークリスマス』、『レイルウェイ 運命の旅路』の方がよほどキツかったです。
まぁ、その『アンブロークン』だって本作と比較したら厳しいッスね。
映画と朝ドラの違いであると言われればそれまでですが。
拷問のユルさは、毎日突っ込むとして……。
なぜ本作の女キャラはNPCか、という点に突っ込みたい。
NPCっていうのは、ノンプレイヤーキャラクター。
すなわちプレイヤーが動かすプレイヤーキャラクター(PC)と区別するための用語です。
RPGですと、クエストを依頼してきたりする脇役や、救出されるだけのお姫様あたりですね。
本作の女キャラは、プレイヤーが動かせないと言いますか。こういう何かを頼み、助けられるのを待っているだけの、自発性が消滅した存在になっております。
それを補うのはスペックの低い8bit、不自然な説明セリフまみれの会話イベント。
今日、一番おかしいと感じたのが、福子の憲兵隊事務所への突撃シーンです。
友人二人が付き添い、福子を助け、帰宅させる展開ではいかんのですか?
あるいは保科。
福子のことをあれだけ心配しておいて、どうして男二人にクエストを託したの?
福子に事情を尋ねて、一緒に行ってあげることはできんの?
おかしいやろ!
女は徹底して無能、受け身、自発性なし、男にクエストを頼むだけ。
なんだよ、このクソゲー!
ファミコンRPGというだけではなく、KOTYに入りそうな不自然さがありますよ。
もう意味わからんわ……。
KOTY2018ノミネート待ったなしやで。
ゲームタイトルは【ファイナル上司ファンタジー まんぷくクロニクル】。
大賞、おめでとうございます。
※レビューの過去記事は『まんぷく感想』からお選びください
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文:武者震之助
絵:小久ヒロ
以下は、まんぷくモデル安藤百福氏の生涯です。
こんな内容だったら、本当安藤サクラの無駄遣いだと思う。
カンヌで評価されたから倉科カナ・夏菜・葵わかなみたいに落ちぶれる事は無いだろうけど。
伸び悩んでる女優(大政絢や二階堂ふみなど)使う方がまだマシだった。
「べっぴんさん」は、序盤(とくに敗戦までの2週間)は、母の死や夫の出征などの合間を縫って戦前の上流階級の生活が描かれ、「滅びゆくものの美しさ」が丁寧に描かれていました。話のテンポが速く、語りのセリフも抑えられていたため、「芸術的な美しさ」を感じたのを思い出します。
戦争に対する態度をどれほど含めるかは難しいところですが、恐ろしいほど能天気な本作は、実際に当時の人がどうとらえていたかは別にして、ものすごく薄っぺらく感じられる。また、時代はさかのぼりますが「おしん」では、後付けのように語りでこれでもかと敗戦の心情描写が毎回繰り返されており、これも少々げんなりしたものです。
戦時下の描写として美しかったのは「べっぴんさん」と、当初好戦的だった主人公が戦争を突き放すような姿勢に徐々に(言外に)変化していった「ごちそうさん」。後者では戦争末期は語りが全廃されており、「語り」は、少ない方が印象的な作品につながるのかもしれません。
いつも、うなずきながら読ませていただいています。
最近思うのは、これはファンタジーで、リアルをもともと重視していないんだろう、ということです。
昔懐かしい予定調和に溢れた、もしかしたらそれこそがこの作品の狙いなのかもしれないと思っています。
前作が、あまりにもリアルでそれに耐えられずに批判せずにはいられない人達を炙り出してしまった。その対極にあるのが、彼らにとって心地よい予定調和です。
人が亡くなる場面は、家族に見守られる中で、病人が最期の言葉を振り絞って、お医者さんの「ご臨終です」の言葉と家族が泣き崩れるものである。この既視感溢れる表現の為に、結核という病気に求めるものは、死に至る病ということのみです。
そんな風に、作家ではない素人がシチュエーションとして想像しうるような場面を、巧みに映像化しているのではないでしょうか。
昔懐かしいご都合主義や誇張に溢れたドラマや少女マンガのパロディーだと思うと、また見方が変わるような気がします。
べっぴんさんは靴磨きの少年(いたかどうか不安)や花売りの少女など、画面の隅のほうの人々のささやかなドラマがええねん。
『べっぴんさん』の戦後編は、「生きていく上での人と人との葛藤」や、「人の縁の大切さ」にだんだんとシフトしていった。私はその話に馴染めたし、進むにつれて面白くなった。
イラッとくるシーンや、表現の手法への不満などがなかったわけではないけど、少なくともこの作品や『わろてんか』とは雲泥の差。
Hunger strike
コラ憲兵の下っ端!
上司に向かって敵性語を使うとは何事だ。
べっぴんさんは、最初の一ヶ月は好きで見ていました。戦争のことも着物をモンペに縫い直したり、お弁当がおかずがなかったりと、上流階級らしい影響で良かった。ご主人が戦争から帰ったくらいからつまらなくなった。このドラマ途中からでも面白くなるかな?