時は明治。
日本一の「ゲラ(笑い上戸)」娘ことヒロインのてんは家を捨て、船場の米屋・北村屋の長男藤吉のもとへと嫁ごうとするものの、藤吉の実家で姑の啄子からは認められません。
そうこうしているうちに、藤吉が詐欺に引っかかり北村屋は倒産。店も家を失います。
先にお酒でどんちゃん騒ぎ 怒るのも無理なかろう
てん、藤吉、啄子が引っ越した先の長屋は、売れない芸人が集まる通称「芸人長屋」。
そこには新居に不法侵入した挙げ句、勝手に酒を飲んで盛り上がる芸人たちがいるばかりか、藤吉に詐欺を持ちかけたキースもいました。
てんが能天気にゲラゲラ笑う中、啄子はムッとしています。
啄子が嫌味を言い出て行くように促すと、芸人の一人は「なんやこのおばはん! ええわ、そんなら出てってやる」と立ち去ります。
いや……、人の家に勝手にあがりこんで「このおばはん!」は流石にどうなのかなぁと。
もちろん狙いはわかりますよ。この芸人たちを少し非常識だけど、とても愉快で陽気な仲間たちと描きたいのでしょう。
しかし、伝統ある米屋を潰されることになり、ひきつった顔をしている啄子の方が自然なりアクションではないでしょうか。
この状況で、どうやったら笑いに転化できるのか。それこそ明石家さんまさんでも難しいように思えてしまいます。
それと、この長屋が結構綺麗なんですよね。庭から綺麗な緑まで見えていますし。
『あさが来た』では、落魄した天王寺屋さんが狭くて汚い物置で寝起きしていたなぁ、としみじみ思い出しました。
なんだかんだで格安お買い得物件かもしれません。
啄子さん、甘いっすよ……
てんと藤吉は、啄子を無視して寄席をやろうと既に決めていました。
そのため啄子に頼みこみます。
あらすじを読むと「せっかく主人公二人がよいことを思いついたのに、啄子が邪魔をする」というようなニュアンスなのですが、これまでの流れからすると啄子の感覚の方がマトモではないか?と思ってしまいます。
現代に喩えて言うなら、こんな感じじゃないでしょうか?
「おかあさん、俺、音楽が好きやねん! だからこれからDJとして生きて行こうと思う! とりあえず経営できそうなクラブを一ヶ月真剣に探してみたいんや!」
そら無理やろ。
むしろここで「それやったら一月だけなら」と許す啄子は大甘だと思いますね。
職なし、金なしで大ピンチだというのに。
藤吉が「おかあちゃんは俺のことを見てくれへんかった」は大嘘だと思うんですよね。啄子は甘い母親です。
「寄席欲しいんです」ってガキの使いじゃないんだから
てんと藤吉がどうやって寄席を探すのか?
これが結構キツい……。
ともかく客引きしている人に「寄席欲しいんです」と頼みに行きました。
そんな流行している寄席が売ってくれるわけないでしょう、と芸人仲間からも突っ込まれます。
もっと機転を生かすのかと思っていたら、この二人はこういう子供のようなレベルしかできないのです。
こういういい歳こいた大人が、子供のお使いのような拙いことばかりする様子を関西では「ガキの使いやあらへんで!」と言いますよね。借金取りが「子供のお使いじゃないんだから、金がないではすまないぞ」と凄む時の台詞でもありますが、この二人にはぴったりの言葉だと思います。
一方、リリコはちょっとおかしな様子です。
藤吉とてんがイチャイチャしようとすると、啄子が邪魔をする場面は多分今日の「笑わせるポイント」。
しかし正直なところ「てんが来てからあっという間に店も土地もなくなった! ともかく京都に戻れ、この貧乏神がぁ!」とたたき出さないだけ、啄子は大甘だと思ってしまい、むしろ邪魔なのはこの二人のような気がします。
もうひとつの「笑わせるポイント」は、長屋で芸人たちが草を見立てて餅つきをしていると、啄子がやって来て塩を味付けに使うな、梅干しを眺めて口内に滲んでくる唾さえあれば十分、というところでしょう。
貧乏長屋の住人が何やらアホやっている、面白いでしょ、という意図なんだと思います。
こういう落語的なネタをドラマに落とし込んで、くすっと笑わせて、しんみりさせるのは、NHK大阪は『ちりとてちん』で経験済みなんですよね……あのレベルを期待してはいけないのでしょうか。
藤吉とてんは、見つけた小さな稲荷にお賽銭を投げ込みます。
長屋住人も驚かせるほど始末をしている啄子と比べて、どうにもこの二人は甘いお坊ちゃまお嬢様の気がする。
そして何度も書いていますが、啄子の方が史実の“吉本せい”らしいという……。
二人はそこで偶然、正月の書き入れ時だというのに閉まっている寄席を見つけます。
ここを買ったらいいかもと相談し出す二人を、怪しげな男が止めるのでした。
今回のマトメ
うーん。
やっぱり話の流れが不自然な気がします。
史実で吉本夫妻が寄席を始めようとしたのは、それなりに理由があります。
吉兵衛は、商売はからきしでも芸能界に顔が利き、それをむしろ活かしたらどうか?と、せいが一か八かで賭けたわけです。
店を建て直そうとして何度も失敗し、それでもどうにもならないなら、と勝負してみたのです。
ところが本作は、店の倒産がものすごいスピードで、その間、てんもたいした葛藤はありませんでした。
藤吉もたいして顔が利くわけでもない。大事なツテがない。
それで「笑いが好きなら寄席を買う」って無理あると思うんですよ。何のアテもないままの船出ではないですか。
せめて、こんな流れならどうでしょう。
①職なし金なしの藤吉は、裸一貫行商人として稼ごうと、慣れない野菜売りを始める
↓
②苦労して野菜を売り歩いていると、偶然閉鎖された寄席を見つける
↓
③芸人の血が騒ぎ、これを買い取って寄席を始めたらどうかと思いつく
要するに、とにかく「寄席をやる」ありきではなく、いい寄席が売りに出されていたから一丁死ぬ気でやってみるか!という気になった――という流れです。
今の流れでは、とにかく結果論から雑に話を作ってしまった感があります。
それと、偶然、都合良く何かが見つかるこの流れには、既視感があります。第4週の「外米で困っていたらインド人が通りかかる」です。
これまた喩えて言うなら、ホラーゲームの舞台になる洋館に何故かタイプライターと救急スプレーが大量に置いてあるような……。そういう偶然頼りで、この先大丈夫なんでしょうか※1。
賭ける時は賭けるけれども、勝算を計算し尽くしてから博奕を打つ――そんな吉本せいの魅力が「偶然頼りのチートスキル」で処理されるのは納得できません……。
※1『バイオハザード』ではタイプライターでゲームをセーブし、救急スプレーで体力回復します。つまりこの両セットがあれば、簡単にゲームがクリアできてしまうというものです
著:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
NHK公式サイト
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