おはようございます。
今朝、心の底から叫びたかった言葉があります。
それは、
「ここにいるぞ!」
ですッ!
横山光輝『三国志』において、そう叫んでいる馬岱のことですね。蜀の五虎将軍こと馬超のイトコにあたります。
なんでそう叫びたいって?
どうでもエエカレー屋の場面で、みんなが、
「萬平さんの味方ですぅ〜〜! 信じていますぅ〜〜〜!」
って言われたからさ。
魏延(演:立花萬平・謀叛を起こした将)「わしを殺せるものがあるか」
馬岱「ここにいるぞ!」
ジャーン、ジャーン、ジャーン!
そんなわけで、頭を『三国志』から切り替えていきますね。
【75話の視聴率は21.7%でした】
町中には父親を知らない子で溢れていた
本編前に、ちょっとツッコミ。
昨日あまりに無神経なセリフがありました。
「せっかく生まれてきた幸なのに、お父さんがいなくてヨヨヨヨォ〜」
昭和24年――町中には、父親の顔を見たくても見られない子があふれておりました。
理由は他でもありません。戦死した方があまりに多かったからです。海外で抑留され、帰国できない父親も大勢おりました。
『カーネーション』の三姉妹もそうでしたね。三女は父の顔すら知らないわけです。
そういうことをふまえますと、四年間不在でも戻って来るあの夫妻の場合、他の子達とは根本的に事情が異なります。
『カーネーション』
『ごちそうさん』
『べっぴんさん』
と、戦争から戻って来ない夫がいる中で、我が子とともに奮闘した母親を描いて来たはずです。
他に、いくらでもセリフはあったでしょうに、一体どうしたんだ、NHK大阪!
武士の娘をどれだけバカにすれば気が済むのか
今朝も時間稼ぎに次ぐ時間稼ぎ。異常です。
もう三ヶ月経過で折り返し地点。そうなれば、どのキャラクターにもある程度親近感が湧いてもおかしくないところです。
それがない。まるでない。
本作は、ことさら女子供はテンプレに押し込めて動かします。それも中身の薄い会話ばかりだから時間稼ぎとしか見えません。
なんせ本作のバカ女どもは長刀の稽古をするんですからね。
忠彦が女ってバカだよなあ、という目で見ています。
あのですね。
「武士の娘です!」
「武士の娘の娘です!」
「武士の娘の娘の娘です!」
って、これのドコが面白いのですか? んなもん普通に【武士の子孫】ですがな。
この「武士の娘です!」というのは、モデル母の実際の口癖なのだそうです。
しかし、使い方が違うでしょ? こんな言い回しにして、周囲からバカにされるようでしたら、それこそモデルのお母様を侮辱まみれにしているとしか言いようがない。
そもそも武士の女性の長刀稽古は、誇りのあるものでした。
2013年大河ドラマ『八重の桜』でも描かれておりました。あのときの綾瀬はるかさんはじめとする女優たちの、凛とした稽古と比べるとバカげているとしか言いようがありません。
百歩譲ってこのシーンを認めるとしたら、戦時中の竹槍訓練でしょうか。それならまだ理解できなくもありません。長刀にしては、動きも変だし。
しかし、この時代は明らかにおかしい。
GHQは【武士道】を危険視しており、武道の稽古全般を禁止していたんです。
これをあきれつつ眺めているだけの忠彦って何ですかね。
長刀稽古はバカげているし、武士をバカにしたものだと思います。
それ以上に、たしなめるわけでもなく、他人事で見守る忠彦が最低だと思いますよ。
できる女なの、違いのわかるいい女なの
国を訴えると東が説明にやって来た際も、いかに鈴がバカであるかが描かれるばかりでいた。
ここでも性格の悪さを顔面に出しながら、母をコケにする克子が見ていて辛い……。
まぁ、克子タイプの女性っておりますよね。
同性が困っている時、ことさら水に落ちた彼女を叩き、
『私はこんなわがままで性格が悪いバカ女とは違う、わかる女なの! できる女なの、違いのわかるいい女なの!』
という邪悪アピールをするタイプですね。ま、名誉男性ってやつよ。
こんなもん、たしなめて説得でもすればいいだけ。
それを、
「女ってバカだよね〜」
と言いたげに、マウントとってニヤけるだけってなんなんでしょう。
要は本作の根底に流れる、バカマウントが見えてきます。英語でMansplaining(マンスプレイニング)と呼ばれるようになった概念に満ちあふれている。
しかし女を小馬鹿にして大喜びの本作は、忠彦がマヌケにも見え、同時に
【男もバカに見える】
ことに繋がっている。何やってんだか。
福子以外の安全な名義のお金にはできなかったの?
弁護士の東にしたってそうです。
いくらなんでもヌケサクすぎませんか?
あんなドヤ顔で指南した会社売却で切り抜けられるという秘策は、アッサリ差し押さえを食らってる。
てっきり法的に問題のない資産整理かと思ってましたよ。
諸税がかかるかもしれないけど、福子(まんぷく立花福子モデル→安藤仁子)以外の安全な名義のお金にはできなかったの?
色々と画策するってそういうことも含めてかと思っておりました。
会社売却と同時に入ってくるお金の管理先なんて、一番大事なところじゃないですか。
まぁ、この辺は専門家の方に聞かないとわかりませんが、東がそうだと思っておりましたよ。だから、会社売却を提案したのかな、と思ったぐらいです。
東の大失敗を鈴あたりが理詰めで責めたら、答えに窮するんでは?
ああ、でも本作の女はバカで理詰めなんて無縁だから、いいのか。
ハー……前作『半分、青い。』の菱本さんが懐かしいなぁ。彼女の理詰め追及は最高でした。
電話があるのに、いちいち東京と大阪を往復するのも意味がわかりません。
尾崎を【小うるさい女事務員】にしたい脚本演出が伝わって来ますが、彼女が正論に見えます。
これも結局、東と萬平(まんぷくモデル→安藤百福)、福子を画面に映さないといけないからなんですね。
そういう事情はわかるっちゃわかるんですけど、無能要素が積み上がるだけに、
『大阪道頓堀で、てっちり鍋でも喰いたいだけちゃうんか?』
という風に見えなくもないんだよなぁ。
それに菅田将暉さんといえば、ネイティブ関西弁が魅力です。
なぜ東京の人にした!!
既視感がありますわ。
鹿児島弁ネイティブの迫田孝也さんを薩摩隼人役にしなかった『西郷どん』です。拍子抜けするとはこのことでしょう(続きは次ページへ)。
そうそう、『べっぴんさん』中盤以降と言えば、見逃せないのは「ダークサイド栄輔」でした。ある意味『おんな城主 直虎』の「ブラック小野政次」にもやや通じるところもあるような(もちろん背景や展開は全く違いますが)。
亡き江波杏子さんも存在感を発揮してましたし。
今から年明けの後半が楽しみになります。
大河ドラマの「夏枯れ現象」にも似て、朝ドラも、中盤以降子供が成長したあたりから、前半のベテラン出演者が退場し、若手が多くなり、話の内容も序盤での話題性が薄れて番組の見どころを演出するのが難しくなる時期が出てきます。
『半分、青い。』には、「枯れ」と言えるほどの現象はなく話題性に富み続けたという印象。
『べっぴんさん』も、同級生三人の子供たちのそれぞれの思春期を描いたためもあり、中盤以降も興味を引き続けたという感じです。
『わろてんか』はダメですね。中盤で枯れるどころか、「もともとまともに発芽してすらいない」という体たらく。
『まんぷく』もダメでしょうな。
野呂さん、求愛の贈り物を缶詰パクりでケチったお金で、自分の店を持てたんですかね?
あと、店内にやた愛情込めて作ってます!とかの貼り紙あって、萎えました。そんなもんはバックルームにでも貼っといて、日々の接客の心がけにするものでは?
愛情、真心といった形のないものを演出できない制作チームの浅さが見えました。
”べっぴんさん”もこのあと、グダグダ親子話が延々続きますし、とうてい良作とは言えないと、個人的には思っています。
今作の薄い内容をさらに引き延ばしていくのを見て、もう朝ドラも3か月単位にしたらと考えました。大河と朝ドラ以外に長編ドラマが無くなって久しく、民放ドラマに至っては、1クールといいつつ10回未満が普通になっている状況で、脚本も演出も長編を仕上げる場もその技量も無い。
ネタも尽きつつあるようだし、かつて一年から半年に移行したように、原則3か月、数年に一回くらいでいい題材があったら半年にしたら、グダグダで尺を稼ぐ必要が無くなるのではと思います。
ごめんなさい。
べっぴんさんの放送、27日もありました。
まんぷくのおかげで、
本放送ではちょっとイマイチだったはずの べっぴんさんが毎日
面白く、かなりワクワク楽しんで見ています。
明日から、べっぴんさんは
正月休みで寂しいな。
所構わず女性の容姿を下卑た調子で話題にしたり、貶めたり。
こういう行為は、昭和10~20年代の当時にあっても本来は下品で無礼な恥ずべき行為であった筈。
安易に「史実準拠だから良いんだ」など馬鹿も休み休みにしてもらいたい。
ただ、それに対して女性の側から文句を言えないのが、男尊女卑ではあるが。しかしそんなものでしか男尊女卑を表現できないとしたら、表現力の欠如は目を覆わんばかり。
それに、こういう男性の行為について、作中での扱いはどう見ても否定的ではない。「このくらい良いだろ」と言いたげなニュアンスを感じる。意図してそう表現しているならとんでもない話だし、何も考えずにそんな表現を垂れ流しているとしても思慮の欠如としてあまりにひどいレベル。
再放送中の『べっぴんさん』ではどうなっているかと言えば、
主人公らが店を営むことについて、夫らは一見理解を示したように見えても、ことあるごとに「女のすることは…」「女だからこの程度もできない…」と見下す。
今週など、「すみれの事業の後押しに徹したい」として会社を辞めてきた筈の紀夫が、運営側になった途端に主人公らのやり方を否定し、頭ごなしに自分のやり方を押し付ける。
頭では主人公らを理解したようになっても、染み付いた価値観や思考の男尊女卑的なものは容易には変わるものでなく、何かにつけて現れてしまう、というのを巧みに表現してきた。
制作側としてそういう価値観や思考には否定的でありつつ、そういう中で少しずつ主人公らが理解をかち取っていく過程を時間をかけて表現していると感じる。
『まんぷく』とはあまりにレベルの違う作品。
同じ局が、僅か二年前に制作したものとは信じ難いとすら言える。
この二年間で何故こうも退化してしまったのか。
もひとりのお兄さん(御都合霊のだんなさん)は、どこいったんでしたっけ?
食べ物を扱うドラマなのに、いつも物を食べるシーンが不快です。
ドラマが始まって間もなくの、福子が友達たちとスイーツを食べながら喋るシーンや、世良がラーメンをクチャクチャさせながら喋るシーンは最悪でした。
それからずっと物を食べるシーンが汚く見えて気持ち悪いです。
食と発明がメインの朝ドラなのかと思っていましたのに、食べ物は美味しそうに見えず、萬平は発明らしい発明もしない、一体何を描きたいドラマなのかわかりません。
福子の強火萬平教信者の姿でしょうか?